13.アタシの悪だくみ。
キシッ……
ベッドが軋む音が、世界中に響き渡る終末のラッパみたいな大音量に感じた。
健やかな寝息を立てて眠る我が想い人、その枕元に手をついて、顔を近づける。
柔らかな月明かりに照らされる、日々華の美貌。
まつ毛長い! 髪もつやつや、鼻筋は通って薄い唇がとても儚い。
ああ、ドキドキする……
(あっ)
ピクリ、と日々華の瞼が震えた。
眠りが浅くなってる。
(なんで? さっきから……睡眠魔法がレジストされてる)
アタシが無理矢理に就寝を宣言して灯を消してからも、日々華は何故かまったく寝ようとしなかった。
瞼を閉じてはいたけど、どうしてか彼女の心臓がずっと、ドキドキと早鐘のように動いていたんだ。
仕方ないか、何せ彼女にとっては訳の分からない異世界召喚。
そこで幾度も生死を賭けた実戦を繰り広げたのだ。
興奮して寝つきが悪くなっても無理はない。
だからこれは、日々華に安眠を取らせて体力回復を促す為だ。
断じて、寝入った彼女に治療にかこつけてイタズラする為じゃない。
ないったら!
そう自分に言い聞かせて、わざわざ封印した魔王の記憶をまた思い出して、睡眠魔法を使ったのに。
なのに。
「ううん……ねえ、知らない……でしょ……」
寝言っ?
ダメだ。これちょっとした刺激で、すぐ起きちゃう。
おかしいなあ。アタシの魔法は「魔王の眠り」なんて呼ばれて、魔獣ベヒーモスだって眠らせる凄いヤツのハズなのに。
(しかたない、か)
勇者サリアの魂が、防衛本能として魔王の魔法に抵抗してるんだろう。
アタシは粘膜接触による治療を諦めて、素直に普通に真っ当に、治癒魔法を施した。
昼間に攻性防御陣に突っ込んで残ってしまった傷跡も、これでキレイに消えるだろう。
……初めからそうしてろよ、って思ったヤツ前に出ろ。地獄の業火で焼き尽くしてやる。
「ううん……もう少し、だけ……」
何がっ!?
日々華の寝言に劣情を煽られる。
おのれ、罪な女め。
まあ、魔王の眠りとまではいかないけど、安らかな眠りには入ったみたいだ。
何もなければ朝まで、眠っているだろう。
アタシは音を立てないように、部屋を出て行く。
やるべき事が、あった。
***
月夜の下で。
ゴブリンの群れが、ザッとアタシに平伏した。
「つ、疲れたっ……」
アタシは昼間に大乱戦を演じた、転移の神殿近くの岩場に座り込み、ようやく一息ついた。
何匹のゴブリンを魂から呪紋ひっぺがして、甦らせたんだ? 百は超えたよね……
誰かアタシを褒めてくれ〜
「ゴギャ!」
「ゴギャーギャ、ギャ!」
「ギャーギャ、ゴゴギャ!」
「うっさい! お前らに褒められてもちっとも嬉しくないんだよっ」
「ゴブギャギャギャ」
「え? ま、まあ、そりゃー、まあ……」
「ギャハハハハハハ!」
「うっせえ! 笑うな! テメエらもっぺんぶっ殺すぞ!」
「ギャハー」
くだらないゴブリンギャグをかまされて、アタシが怒ったところでまた一同、平伏する。
おい、そことそこ、あとそこのお前。
頭下げながらまだ笑ってんな?
覚えとくぞ。ゴブ美、ゴブ麿、ゴブ太夫。
「バルマリア陛下」
そこに、影から湧き出るように骸骨の剣士・ボーンナイトのボン吉が現れ、アタシの前に跪いた。
「このたびは誠に」
「だーかーら、香苗だっつの」
「か……カナエ殿」
「相変わらず、堅いなぁ」
「このたびは、ディードリヒめを追ったデュラ坊をフォローするという任務、達成できなかった事をお詫び致します」
ボン吉は比喩でなく地面にめり込む程、頭を下げた。そして。
「この罪は一命をもって償いを」
「やめろ面倒くさい」
スコーン!
なんか剣を抜いて自分で自分を斬ろうとしたから、その空っぽの頭蓋骨を真上にぽーんと蹴り上げてやった。
そして落下してきた頭は、再びボン吉の胴体に合体する。
アタシ、ナイッシュー。
「そしたらまた復活させっから、アタシが疲れるだろ!? 少し考えろ脳みそあるのか? ないのか」
「……変わりませんな、陛下は」
「香苗だっつの」
「転生されても、昔のままで……。拙者、輪廻の果てまでお供いたします」
「……重い」
もっと気楽に考えてくれ、魔王なんだからお前ら守るの当たり前だろ?
むしろそれを十八年間ぶっちしたアタシを、お前らは怒っていいんだよ。
まったく呑気な奴らだ。
あーあ、ラセツに任しときゃ大丈夫と思ってたのに。こんな事になってるとはなあ。
「……周辺の警戒、ケルちーとオガ介にやらせてて、大丈夫なんだよね?」
「はっ。感知の呪珠を持たせています。ラセツ様ご本人には通用しないでしょうが、操られた魔物なら、こちらが先に発見できるかと」
なら問題ない。
いくらラセツでも、霊体を細切れにされたら復活に時間はかかるだろう。
けけっ、アイツ油断したな。
本調子に戻られちゃう前に、こっそり準備をすませなくちゃ。
「よし。じゃあボン吉、アタシは城に戻るから、後は計画通りに頼むね」
「かしこまりました。……あの、か、カナエ殿」
「何?」
「どうか、お戯れも程々に」
ボン吉の進言に、アタシはニッと笑う。
「それは約束できないなぁ」
そしてバビュンと、アルレシア王城に向かって飛び立った。
さて、あとやるべきことはアルレシア王国の事か。
ターニャは頑張ってるだろうけど、下拵えはしておかなきゃな。
ああ忙しい。でも頑張るぞ!
明日また魔王の記憶を封印した(ちょいちょい思い出すけど)アタシが、勇者との異世界ライフをエンジョイする為に!
***
翌朝。
めっちゃ日々華が不機嫌だった。
「おはよう香苗。いい朝だね」
笑顔が怖えよ。
え? なんで?
アタシ、何かした?
「ほら。早く着替えて行こうよ」
自分はさっさと顔を洗って着替えを済ませていて、アタシを急かす。
「そうか、ターニャ達に呼ばれてたもんね」
「……」
「た、ターニャ姫様殿下様に、だね」
だから笑顔が怖いって……
アタシも顔を洗って、日々華と同じく支給してもらった兵士達の服装に着替えた。
位の高い兵服らしく、ところどころに凝った刺繍が施されてる。
男物だったけどサイズはスリムで、日々華もよく似合っていた。うん。カッコイイ。
「いいなあ、香苗は」
えっ?
「どんな服も似合って。タカラヅカみたい」
「えー、日々華がそれ言ったらイヤミだよっ」
まったく。
日々華は中学高校と、自分が同性異性を問わずにどれだけモテてたか知らないんだ。
ただの登下校でもめっちゃ注目されてたんだぞ?
まあ、いつもアタシがひっついてガードしてたけどな。ふはは。
「じゃあ、行こうか」
そしてアタシと日々華は、言われていたターニャの執務室へと向かった。
そこには目の下にクマを作ったターニャと、ロウナーが待っていた。
「おはようございます、カナエ様! ヒビカ様」
「お二方とも、昨夜はよく眠れましたか?」
あ、ターニャはアタシだけじゃなく日々華も様呼びになってる。
いやそんなことはいいや。
「うん。でもそっちの二人は、あんまり寝てないみたいだね」
「大丈夫ですか?」
日々華も心配するくらい、疲労が目に見えてる。
ターニャのデスクの上には書類が山積みだ。
「大丈夫ですよ、仮眠は取りましたし」
「ご心配ありがとうございます」
そう言って笑うターニャとロウナーだったが、日々華はおずおずと口を開いた。
「あの、もしかして私のせいですか。宴を開く暇があったら働け、みたいな事を言ったから」
「とんでもないです!」
ターニャは両手を振って否定する。
「ヒビカ様の言は当然でしたし、そもそもワタクシ達は、今回の敗戦処理を勝ち残らなければ、生き残れません。その為の準備です」
「敗戦処理?」
日々華は意味が分からず問い返す。
もちろん言葉の意味を知らないのではなく、ターニャがその言葉を使った意図が分からなかったのだ。
「はい。今日の午後から会議があるのです。そこで今回の、王が魔族に操られたという大失態の責任が追求されるでしょう」
ターニャが説明してくれる。
「えっ、そんなのディードリヒが悪いで終わりじゃないんですか」
日々華の率直な問いに、ロウナーが首を横に振った。
「確かにカナエ嬢との決闘で、ディードリヒ・ガルパ親子には魔族との繋がりが露呈しました」
相変わらずかっこいいハスキーボイスで、ロウナーは説明を続ける。
「しかし正気に戻られた王はともかく、あの大臣たちは、今回の責任を姫様に擦りつけてくるでしょう」
「はっ? なんで!?」
日々華は怒気をはらんだ声をあげる。
アタシは予想していた展開だ。
ロウナーは続ける。
「王が変節し宰相ディードリヒが王政を壟断するようになってから。ターニャ姫は常に王にも宰相にも異を唱えてきました。しかし大臣たちは逆に、ただただディードリヒ側について立ち回ったのです」
「……王が乱心した時は、それを諌めるのが家臣じゃないの」
物言いが時代劇がかってる日々華。
可愛い。
「ヒビカ嬢の言うことはもっともです。しかし、あの権力に阿ることしか能のない老害たちは、それをしなかった」
ロウナーもまた、苦虫を噛み潰したような顔で吐き捨てた。そして。
「さて、こと今の状況になって。あの老害達はどう動くと思われますか?」
「えっ……」
急に振られて日々華は戸惑ったけれど、少し考えてから答える。
「……自分達もディードリヒに騙されてたと言い張る?」
「ターニャ様は騙されず、正しいことを言い続けたのに?」
「あっ」
ロウナーの反問に、そういうことかと日々華は気づいた。
綺麗な銀髪を揺らして、ロウナーは頷く。
「あの老害どもは、自分達の責を逃れる為に間違いなく、ターニャ姫を貶めてくるでしょう」
「でも、そんなの無理でしょ? お姫様は何も悪くないんだから」
「ハナから言い掛かりですから、なんでもいいんです。例えば、姫は最初から父が魔族に操られていると知っていた。それを大臣達には伝えず、事が解決した時に自分の手柄としようとしていた」
「そんなっ……!」
「だから、勇者の側に立って都合よく立ち回ることができた。これはすべて、ターニャ姫の自作自演であったと」
バン! と日々華が、怒りのあまり両手で執務机を叩いた。
「日々華。べつにロウナーが言ってるわけじゃないんだから」
「ああ、ごめんなさいっ……でも、本当にお姫様がそんな事を言われたらと思うと、私」
ワナワナと震えている日々華。
アタシは一瞬だけ、ロウナーと視線を交わした。
サンキュー、ロウナー。こうしてあらかじめ連中の態度を教えてくれなかったら、会議で日々華は暴発するところだった。
純真な日々華は、ヘドロのような悪意がこの世にあることを、知らないから。
(それでもサリアは、かつてはそんな汚泥の中でも輝き続けた女だったよ)
今は日々華の話をしてるんだ、黙ってろアタシ。
「だからターニャ姫とワタシは、会議で大臣達へ対抗できるように、準備をしていたんです」
「だから、申し訳ありません。ヒビカ様」
ターニャは日々華に、ペコリと頭を下げる。
「えっ、なんで」
「ヒビカ様には、この国の為に時間を使えと言われていたのに。ワタクシがやっている事は、我が身を守る為の、保身の為の根回しですわ」
「そんなの……そんなの、お姫様が悪いんじゃ……」
そう言って日々華は助けを求めるように、こっちを見た。
「うん。日々華の言う通りだよ」
アタシは頷いて、上手く話せない日々華の気持ちを代弁する。
「あの無能な大臣ズを見て、わかったよ。ターニャ、あなたはこの国になくてはならない存在だ。こんな下らない政争に敗れるわけにはいかないんだ」
そう言ってアタシは、ターニャの肩にポンと手をおいた。
頭にポンとなんかしない。
それじゃ相手を下に見ているみたいだから。
だからこういう時、アタシは肩に手を置く。
共に戦う、仲間だと。
「だからターニャ。あの老害達の悪意から身を守る為に費やしている時間は、この国にとって必要な時間だ。ね、日々華」
「うん……うん! もちろん!」
日々華は力強く頷いた。
そしてアタシは、そんな日々華の肩にも腕を回す。
「だからさ、もちろん協力するよ。今日の会議、アタシ達も呼ばれるんでしょ?」
「えっ?」
「……ええ、そうです」
どうして分かったの、と驚いているターニャに変わって、ロウナーが答える。
「今回の事件の証人として。そして宝剣レーヴァテインを振るう勇者サリアの生まれ変わりとして、これからの国の行く末を決める会議に、出席をお願いします」
「まかせてよ、ロウナー」
「まかせて下さい!」
お辞儀をする彼女に、アタシはにっこり笑って。日々華は拳を握って頷いた。
「カナエ様」
ターニャが潤んだ瞳で見つめてくる。
「カナエ様は、初めからここにお呼びした理由を分かってらしたのですか?」
「うん? まあ、ね。でもそんなに緊張しなくても大丈夫だよ」
アタシはターニャを安心させようと、またニコリと笑う。
「あ」
日々華がそんなアタシを見て、眉をひそめた。
「え、何? 日々華」
「いや、なんでも。……安心して下さい、ターニャ姫」
アタシの問いを軽く流して、日々華はターニャに言った。
「昔から、香苗がああやってニヤ〜と笑う時はもう、悪だくみが終わってる時なんです」
えっ?
アタシの笑顔、ニヤ〜だった?
ニコリじゃなくて?
「そ、そうなんですか?」
「はい。だからもうお姫様は、何の心配もいりません」
まあ、色々と言いたいことはあるけれど。
さすが日々華、アタシを分かってるとだけ言っておこう。
たしかに細工は流々、仕上げを御覧じろだ。
「ターニャ、会議は午後からだよね?」
「はい」
「じゃ、あとちょっとだけ打ち合わせしようか。それで大丈夫だから」
会議? パーティの間違いでしょ。
一瞬で終わるよ、奴らを血祭りにしてね!
あはは、あはははははっ!
「ね? ニヤ〜って笑ってるでしょ?」
「はい……少し、怖いです」
日々華ェ……