11.災厄の鎧、倒したその後に。
その姿は辛うじて、鎧の名残を残し、人型だった。
兜にあたる部分、つまり頭部は存在しない。デュラ坊と同じだ。
色は真紅。肩、膝、肘、背中、つま先、踵……あちこちに凶悪な突起があり、先は鋭利で中には凶悪な返しがついてる刺もあり、突き刺さったら人族はひとたまりもないだろう。
サイズは元の五倍以上。身長は8メールに達しようかという、オーガのオガ介も超える巨躯だ。
ディザスター・アーマー。
目の前の魔物にアタシが付けた名称だ。
もとは装着者の精気を吸って身体能力を上げる程度の、名もない魔鎧。
そこに精霊が宿りし鎧・デュラハーンのデュラ坊の魂が呪紋とともに移植された。
そして自我と魔力の器を形成し、ガルパとディードリヒという贄を捧げられ、災厄の魔剣ディザスターを取り込み核として、完成したのがこの新種の魔物というわけだ。
「趣味の悪い……アタシのデュラ坊を、よくもこんな異形にしてくれたね」
正直に言えば、アタシが魔王バルマリアとしての力を行使すれば、たとえ目覚めたばかりの今でもとるに足らない相手だ。
けど、魔物を操る呪紋は、ただでさえ引き剥がすのが難しい。
そこに更に、ガルパとディードリヒが〈怨霊合魔〉で融合してしまった。
おかげで、下手な殺し方で消し飛ばしてしまったら、デュラ坊をデュラ坊として復活させられなくなってしまう。
「めんどくさ……デュラ坊め、生き返ったらキッツイおしおきだからね」
アタシは手にしていた雑兵の剣を構えた。
魔王バルマリアの愛剣・シュバルツェンレイカーとは比べるべくもない、魔界の小枝の方がまだマシなレベルの剣だけど。
(魔力を表面に這わせれば、災厄の魔剣程度が相手なら何の問題もない)
「……香苗?」
最愛の人の声が、背中から響いた。
戦闘準備に入ろうとしてしたアタシはビクッと体を震わせる。
「香苗、だよね……?」
振り返ると、日々華がターニャ姫を背中に庇ったまま、潤んだ目でアタシを見つめていた。
アタシは、ニカッと笑う。
「何言ってんのー? 当ったり前でしょ」
日々華を傷つけるわけにはいかない。
それは肉体的に、というだけではなかった。
(アタシが魔王だとバレたら、日々華が勇者サリアの記憶を思い出す引き金になりかねない。そうなったら……)
前世でサリアは、アタシを殺した。
それでも彼女と共にいることを選び、アタシは仲間たちを見捨てて転生したんだ。
そんな事を知られてしまったら、サリア=日々華は自分を責めるだろう。
「……!」
ふと考え込んでしまった、その隙を突かれた。
「香苗あぶないっ!!」
「しまっ——」
ディザスター・アーマーの拳が、アタシを捉えた。
とっさに最低限の魔力を這わせた剣で防御したけれど、ふんばりが弱く吹っ飛ばされてしまう。
ドゴォン!
アタシは観戦席のバルコニーに備えられた、結界を発生させる宝玉に激突した。
玩具のように宝玉は割れて、結界は消失する。
「うわぁああああ!」
「魔物だっ! デカいぞ!!」
「ガルパ様が、魔物に!」
「退避だ! 黒魔術師もいない今、態勢を整えなければ勝てないっ!!」
バルコニーの観戦席に集まっていた瘴気の影響を逃れていた者達は、ハチの巣をつついたような騒ぎになって逃げ始めた。
邪魔になるから、逃げてくれていいんだけど。
「やば、ミスった……」
アタシは突っ込んだ柱の瓦礫をどけて、立ち上がる。
「カ、カナエ嬢……!」
そこに声をかけてきた人がいた。
ロウナーだ。
あれお姉さん、偽物の王の瘴気にやられて、動けなくなってたんじゃ。
「これ、を……」
まだ真っ青な顔色のまま。彼女がアタシに向かって差し出したものは、宝剣・レーヴァテインだった。
「ロウナーさん」
「そんな剣では、戦えないだろう……これを、使ってくれ」
ガクガクと震えたまま、それでも驚異的な精神力で立ち上がり、ロウナーはアタシに剣を差し出している。
確かに、持っていた剣はアタシの魔力に耐えられずボロボロになっていた。
「……いいの? ロウナーさん。アタシを魔族だって疑ってたでしょ」
アタシの問いかけに、彼女は頷く。
「ああ。今は、むしろ……確信している」
「だったら」
「けど、それでも君は、君たちは、姫様を救う為に動いてくれた。戦ってくれた。ワタシが君たちを信用するには、始めからそれだけで充分だったんだ……気づくのが遅過ぎた。すまない」
「いいよ。ロウナー」
アタシは白い鞘に入ったままのレーヴァテインを受け取って、応える。
「貴女はターニャの臣として、為すべきことを為しただけ。これまでアタシを疑ってきたことも、今こうして宝剣を預けてくれることも、立派な態度だとアタシは思う」
「……カナエ嬢」
「ロウナーは、間違ってなかった。えらいと思うよ」
そう言ってアタシは、まだ震えているロウナーの頬に指先で触れた。
それは、瘴気が彼女に与える悪影響を抑える為だった。
「あっ……」
瘴気と同じ魔属性のマナをほんの少し分けてあげることで、人族の起こしてしまう拒絶反応を緩和させたんだ。
これで少しは楽になったはず。
「……カナエ嬢……」
あれ? ロウナー、震えは止まったみたいだけど、今度は顔が赤くなってる。
マナの配分間違えた?
その時だった。
「香苗ぇぇぇっ!!」
日々華の絶叫が響いた。
振り返ったら、ディザスター・アーマーがアタシらのすぐ近くに!
また拳を振りかぶって、さっきのパンチを放とうとしている。
日々華はターニャを守って、退避せざるをえなかったんだ!
「ゴオオオオオオッ!!」
咆哮とともに、ディザスター・アーマーが再び拳を繰り出した。
「おっとぉ!」
二度も喰らうか!
アタシはロウナーを片手でがっしり抱きしめ、横っ飛びに躱す!
ドゴォン!
「オオオォッ!」
ガゴォン! バギャン! ズゴォン!
三発目、四発目、五発目が繰り出される。
アタシはロウナーを抱きながら、円形に闘技場を囲んでいる観戦バルコニーを駆ける! 駆ける!
……アタシ達にはカスリもしないが、ディザスター・アーマーによって次々と破壊されていく建物。こりゃイチから建て直しだね。
「ゴオオォッ!」
焦れたような咆哮を上げ、またも腕を振りかぶるディザスター・アーマー。
バカめ、いつまでも調子に乗るなッ!
「この剣さえあればっ!」
アタシは少し距離を取ったところで、白い鞘からレーヴァテインを抜き放った。
日々華は、この剣でアタシがボン吉たちを退けたことを知っている。
後で「どうして香苗にあんな力が?」って聞かれたら、「それは前と同じ、勇者の宝剣レーヴァテインの力だよ」って言えばいいんだ!
よし、言い訳オッケー!
いくぞっ!
「よっしゃデュラ坊! ちょっと痛いぞ歯ぁ食いしばれー!!」
レーヴァテインに力を込め、迫りくるディザスター・アーマーを迎撃して——
キィィィィィィン!!!
なんでぇぇぇぇぇ!?
柄の宝玉が光った!?
日々華でも光らせられなかったのに!
「いっ……けぇぇぇぇーーッ!!」
とりあえずアタシは、レーヴァテインから溢れ出る聖属性のマナの輝きを刀身に纏わせ、そのまま相手に叩きつけた!
***
いや。
いやいやいや。
おかしいって。
レーヴァテインの輝きが収まると、そこに転がっていたのは、気絶した小デブとメタボのクソ親子。
邪悪な力が浄化された鎧に、地面に突き刺さった魔剣ディザスター。
そして人には見えないだろうけど、魔物を操る呪紋が綺麗さっぱり消え去ったデュラ坊の魂がフヨフヨ浮いていた。
「い、いったい何がどーなって……」
訳が分からない。どうしてこんなことが?
とりあえず、レーヴァテインを鞘に納めて袴の腰ひもに差した。
「なんで……アタシがこの剣の破魔の力を、使えるはずが……」
混乱しているアタシの足元が、不意にぐらついた。
もともと吹っ飛ばされて激突した、建物の瓦礫の上に立っていたんだ。
それがさっきの技を放つ為に踏ん張った衝撃で、崩れそうになっていた。
「あぶなっ……ロウナー!」
同じく呆然としていた銀髪美女ロウナーをまた抱えて、アタシは安全な地面に飛び降りた。
「香苗っ!」
「カナエ様! ロウナー!」
そこに、日々華とターニャが駆け寄ってきた。
瘴気はすっかりレーヴァテインの輝きに吹き飛ばされて、二人とも普通に動けるようになったみたいだった。
「すごい! すごいよ香苗っ! どうやってあの怪物を一撃で!?」
「さすがです、カナエ様! やはり貴女もヒビカさんと同じ、勇者の魂を持っていたんですねっ!」
あれ? ターニャ。どうして日々華はさん付けで、アタシは様付け?
なんか距離を感じるなー。そりゃアタシは、日々華ほど親しみやすい人間じゃないかもしれないけどさ。
「……ねえ、香苗」
最初は皆が助かった安堵と、アタシが凄い技を出した興奮で、目をキラキラさせていた日々華だったけど。なんか、急に低い声を出してきた。
「香苗はいつまでロウナーさんのこと、お姫様抱っこしてるの?」
「あ」
「えっ? あっ、す、すまないっ!」
ロウナーは慌てて、自分からアタシの腕を抜けて降り立った。
「ヒビカ嬢、そしてカナエ嬢。この度の事、誠に恩に着る。まさか王が魔物……」
そこまでロウナーが言ったところで、四人ともハッとした。
「そうだっ!」
「お父様は!?」
「そうだ、あの野郎ッ……!」
アタシは日々華、ターニャ、ロウナーの前に慌てて立った。
そして睨みつける相手は、もちろん。
「バカな。どういうことだ……」
いまだ一人、まだ一部だけ崩れていないバルコニーの観戦席からこちらを見下ろし、ブツブツ言ってるかつてアルレシア王だった者。
その正体を、アタシは知っている。
「……どういうつもりなの、アンタ」
アタシの問いに彼は答えず、ただこちらを見ながら茫然としている。
レーヴァテインの光の影響を受けた訳でもないのだろうけど、今はあふれ出していた瘴気も落ち着いていた。
男はブツブツと何か呟いている。
「……勇者だった? 違ったというのか? こんな屈辱的な真似までして、間違っていただと!? 魔剣を手にする事ができたのは、呪いを勇者の力でねじ伏せた? いや、しかし……」
「ちょっと! 答えなさいッ!」
アタシの詰問に反応せず呟きなが、こちらを探るように、瞳の奥を覗こうと凝視してくる。
「この、無視しやがってコイツ……」
「俺の事を知っていると言うのか? 娘よ」
男はようやく、アタシに言葉を投げかけた。
知ってるのかって、当たり前だろ。
何十年、いや魔界の頃から数えたら何百年の付き合いだと思ってんだ。
お前はかつて我と共に魔界を支配した、副王ラセ——
「俺を知っているということは、お前はやはりバルマリア陛下なのか!?」
アタシは慌てて顔から表情を消した。
ダメだ。
コイツはおそらく、アタシと日々華をこの世界に出戻り召喚させた黒幕だ。
人族との戦いに日和った魔物たちを操って、異世界からの召喚魔法を持つアルレシア王国の内部に潜り込んで、宰相を利用して王に成り代わり、召喚の儀式をさせるなんて。
こんな面倒くさい事をした理由は。
それもこれも全部アタシ、勇者と異世界に駆け落ちした魔王バルマリアを呼び戻して……
「答えろ。お前が魔王陛下なのかッ!?」
アタシを呼び戻して、めっちゃ怒る為だーーー!
ラセツ! このクソマジメ魔族ぅーーーーー!
ダメだ! コイツにだけは絶対に、バレたらダメだ!!
「何をバカなことを言っているのっ!」
日々華が、アタシを押しのけるようにして前に立った。
そしてラセツに向かって叫び続ける。
「香苗が魔王? なに頭のおかしいこと言ってるの。それよりも! この国の王に化けて、大勢の人を魔物に殺させた首謀者は、アナタだったのね?」
そう言って日々華は、アタシの腰からレーヴァテインを引き抜いた。
わお!
「許さない! ターニャ姫の本当のお父さんはどこ? まさか殺して成り代わったんじゃないでしょうね?」
そして剣を構え、切っ先をラセツに向ける。
やめて日々華、ラセツってばアタシの次に強いんだから!
勇者の力を思い出していない日々華が、敵う相手じゃない!
「娘。ヒビカと言ったか」
アルレシア王の姿をしたままのラセツが、初めて視線を日々華に移した。
「なによ」
「お前では、レーヴァテインの宝玉は光らないのだな」
「……だから、なんだって言うの」
「いや。そこのカナエと比べて、随分と力に差があると思ってな」
「!! ……舐めないでッ!!」
急にブチ切れた日々華が、剣を構えたままラセツに向かって突進した!
「えっ、ウソぉっ!?」
「ヒビカさんっ!?」
アタシとターニャの驚きをよそに、日々華はディザスター・アーマー戦で崩れた瓦礫を足場にして跳躍、ラセツに迫る!
「ダメだって日々華ッ!!」
慌ててアタシも地面を蹴って、日々華を制止しようと追いかける。
本気を出せば、まだ力を思い出していない日々華ならすぐ追いつけ——
「ハアッ!」
ラセツめ、ピンポイントでアタシだけ狙って、圧縮された瘴気を叩きつけてきやがった!
この程度で止まるアタシじゃないけど、一瞬だけ動きは鈍らされる。
その一瞬で日々華は、ラセツに届く間合いまで駆け上った!
嘘でしょ速いッ!
「このおおおお!!」
その勢いのまま、日々華はラセツの喉元を目掛けて突き技を繰り出した!
ダメだっ、万全の体勢で待ち構えている相手にいくら速くても!
「この程度か」
ラセツは人の王の姿をしていても、実力は前と同じままだ。
人差し指を一本前に出し、優しくとしか形容できない柔らかさで、レーヴァテインの突きを横に捌いた。
「む?」
「ハアッ!」
日々華は剣先を激しく回転させていた。
その勢いで、突きを捌かれてズレたスピードも利用して身を捻る。
そうだった! 日々華の必殺技は、いつも怒涛の二連撃!
突き技は相手の構えを崩す為、本命はその後の!
「胴ォォォォッ!!」
横薙ぎの一閃が、ラセツを両断した。