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夕方になる頃、学校の鍵を借りて、屋上へ皆で行った。
屋上でいつも天体観測をするらしい。
校庭が見えた。運動部の奴らが、目下青春を謳歌している。
風がどこかからふいてきて、流れていった。すぐ裏の山から、虫の声が聞こえてきたような気もする。山があるせいで、異常に蜘蛛が多い。やること?蜘蛛のいない所に近づかないようにして、春風を感じながらただ屋上で喋るだけだ。
「はじめて屋上に来た気がする」
「部員以外は、ほとんど入れないからね。わたしたちの特権だよ」
「独り占め?羨ましいね。今度から昼、ここ使わせて貰おうかな」
手すりに肘を突きながら、街を見下ろしていた。
坂は人と車で一杯だ。坂の外では街が大きな車道に沿って、どこまでも広がっている。
「もう二年になったのに、高校では始めて部活に入ったよ」
「あたしは人生で始めて部活に入ったけどね」
「いつもは、ここから星を見るわ。冬だったら、よかったけど」
夕方の月が見える。もう空の青さはくすんでしまっていた。限りなく白に近い蒼、不完全な月が浮かんでいる。月の中のくすんだ蒼は、クレーターの色だ。
こんな月は、久しぶりに見た。外を歩いていて、上を向く機会なんてなかなかない。たぶんいつもそれはあったのだろう。ただ、自分が気づかなかっただけだ。気づいていないことなんて、見えないことと同じだ。
雲と青空を固めたみたいな色の月は、ただ浮かんでいる。
浮かぶこと以外知らないみたいに。
「で、なんでここに来たわけ?」、結城が言った。黒が混ざった金髪は一体なにに似ているのだろう。だが、なにかに似ていた気がする。
空が完全な球体であることがわかるぐらい、空は丸かった。
人の顔は見ていない。ただ景色だけをぼんやりと眺めていた。
「活動場所の紹介をしただけよ。それに、気分転換でここに来ることも多いわ」
「そうだな・・・・・・」、相づちを打った。
「矢神君って、空が好きなの?」、月波は俺に聞いた。どこかで聞いたことのあるような、優しい声だった。会った時から思っていたが、子守歌の声色に似ているのかもしれない。
「わからないけど、嫌いじゃない。小学校の時、よく空を見ていたと思う。昔はそれだけで楽しかった気もするけど、今はそこまでじゃない。なんか、昔はなんでも楽しかったような気もするけど、今はそうじゃない気もする。気がしてばっかだ。だけど、それだけだね」
「ヒロー。それはわらわといて楽しくないってことかのー?」
後ろからカナンにほおを指でさされた。
「そういうわけじゃないよ。でも、なんだかそんな気がしただけだ。昔はもっと空が綺麗で、もっとなんでも大きく見えてた気がしたからさ」
「そうかもね。昔はもっと空が綺麗だったなぁ」、カナンは金の右目を閉じて、空を見た。
「それは、目で見ているからよ。空は、心と望遠鏡で見ればいいの。文明の利器を使えば、きっと昔よりもよく見える」、二階堂。
「でも、道具を使わなきゃ、よく見えないだろ。普段の話だよ」
「そういうときは、心で見ればいいのよ。一番綺麗な空を心に思い描けばいい」
「心か・・・・・・」
心で空を見る。悪くない響きに聞こえた。目で見えなければ、心で見ればいい。きっと空想よりも綺麗な空は、この世界に存在しないのかもしれない。
「じゃあ、なんで空を見る必要があるんだ?想像のが綺麗なら、一々現実を見る必要がないじゃないか」
「それは、空を想像する時役に立つから。たぶん、何事においても言えることだと思うわ」
「知識が世界を広げてくれるって事か」
「ま、そういうことね。広くない方が幸せなことも、あるけれど」
俺はうなずいて、街を見ていた。
雲がゆっくりと、ゆったりと流れて、空はまだ青い。澄み渡る空気が雲の輪郭さえ魅せてくれる。青い月と、青い空と、白い雲と、夕暮れと、そして心地よい喧噪。
ここを自由に使えるのは、高校生活最大の特権かもしれない。
しばらくは、そよ風に吹かれていたかった。




