32
日はもう沈んで、真っ暗な夜。とはいっても、星ヶ丘はいつも店の明かりで眩しい。もう時間も遅く、他の天文部の皆は帰っていた。
坂をゆっくりと下る。高校生や大学生で溢れかえっている。その中を、一人ゆっくりと歩いていた。坂の広場にパフォーマーが来ていて、なにか芸を披露していた。警官が一人、坂に立ってただぼうっとしている。店のあたりの椅子は学生が座っていて、ちょっとした憩いの場所で、男子高校生が寝転がっていた。
心地よい騒がしさが耳に入ってくる。
なぜ下っているのかというと、カナンから、歩道橋に来てとメッセージが届いていたからだ。その通り、今歩道橋へ向かっている。そして、階段を上ると、そこにカナンがいた。
吹き下ろす風で、カナンの茶髪が揺れた。茶髪が、金色の光と混ざって、硝子細工みたいに輝いていた。
「ヒロ。ここは、明るいね」
カナンに従うようにして、歩道橋の欄干に二人で並んで肘を乗せた。
「ああ。とても綺麗だと思う」
実際、ここの夜の景色は綺麗だ。いつも、柔らかく、暖かな金色の光であたりが包まれている。夕暮れそのものみたいな金色の坂だ。
「私がなんでこの高校に来たかっていうと、夜がこんなにも明るいからなんだ。夜でも、ここなら怖くないって。駅も坂の下にあるしね」
「やっぱり?なんとなく、そうだと思ってた」
「でも、綺麗だね。ま、ここら辺で明るいのはここしかなくて、後は暗くて静かな坂ばっかりだけどね」、カナンは頬を緩ませた。
「全部が綺麗なところなんてないよ。一部だけだ」
「そうだね。でも、初めて見たときは結構感動したよ」
「そうだな。ここだけ明るいから、星みたいだった」
少し間が置かれて、またカナンが話し始めた。
「ヒロには、ここで言いたかったんだ。一番、私のために頑張ってくれた。私、迷惑かけたし、ヒロを突き飛ばしたり、エアガンで撃ったりしちゃったし、不良にも殴られたし、何度も逃げ出した。すごく大変だったよね。ごめんね」
「いいよ。友達だろ。でも、確かにしんどかったよ」、俺は笑った。カナンが微笑み返した。
「ありがと。諦めないでいてくれて」
「それ以外、あんまり取り柄ないからね」
俺たちには出来ることはほとんど無いかもしれない。俺は地位もないし、権力もないただの若者だ。でも、沢山の人たちで協力し合うことで、やり遂げた。校長や教頭や、川中とは違う。そんなことで諦められない。俺はきっとまだ若いし、恵まれてるから。あいつらみたいに社会の嫌なところや、暗いところばかり見てるわけじゃないから。そういう奴は、きっとなんにもやる気がなくなってしまって、全てをあるがままに受け入れるのだろう。
だけど、俺はまだ違う。
まだ俺は、現実を受け入れられない、青二才だから。理想を叶えたい。だったら、やり続けるしかその方法はないんだ。
そう考えていると、カナンは俺の肩を掴んで、こちらを向かせた。
「ねぇねぇ。ちょっと目を瞑ってて!」
「え?」
「いいから、早く!」
俺は言われるとおりに目を瞑った。少しの時間、待っていた。これはまさか、キスとかですか!?やばい、緊張してきた。手に汗が出てきて、心臓の鼓動のペースが跳ね上がってきた。やばい、ばれてないかな。心臓の音が、ずっと聞こえてる。
そうしていると、唇に、指が当たった。
目を開けると、カナンが俺の口に人差し指を当てて、目の前で笑っていた。
「今、期待してたでしょ」
小悪魔みたいな微笑み。だけど、カナンも顔が紅くなっている。
「いやいや!?全然してない、してないよ!」
隠しきれない動揺をそのままにして、身振り手振りまで付け加えてしまった。
「嘘つき」
そう言うと、カナンは幸せそうな笑顔を見せてくれた。
「たぶん。これからも皆に頼るし、皆に迷惑かけると思う。何度も夜中に電話しちゃうかも。それも、何時間もさ。迷惑だと思うけど。でも、それでも許してくれる?」
「うん」
「耐えきれなくなったら、いきなり呼び出しちゃうかもしれないけど、いい?手首は切ってないけど、メンヘラで、お薬飲んでて、重い女かもしれないけど、許してくれる?」
「もちろんいいよ」
「ありがと。本当に、ありがとう」
カナンは涙ぐみ始めた。ぬぐった手の甲の涙の跡に、金の光が反射していた。優しい笑顔で、泣いていた。
「おいおい、泣くなよ」
「ごめん。でも、嬉しくて」
「俺も、また学校来てくれて嬉しいよ」
「もうこれからは出来るだけ休まないようにするね」
「いいよ。来たいときに来て、休みたいときに休めばいいって。もう大丈夫なんだろ?」
「たぶんね」
そう言うと、また視線をショップの光の方に戻した。
すると、カナンは懐からなにかを取り出した。金色のメダルに、帯がついている。
「これ、一個あげるよ」
「なんだ、これ?」
「見てごらん」
メダルの表には、野球をしている人間が彫られている。裏には、デポ杯優勝という文字。
「優勝メダルだよ。あの雷の日に、ヒロが触ったメダル」
「そんな大切なもの、もらえないよ」
「いいの。私、7個は優勝メダル持ってるんだ」
やっぱり、カナンのいたチームは凄く強かったらしい。
「いいのか?」
「お礼だよ。私からヒロへの、金メダル」
「わかったよ。大切にする」
「首にかけてみて」
言われるとおりに、首から金メダルを提げた。
「似合ってるよ」
金色のメダルが、金の光を受けて、さらに光り輝いていた。だけど、カナンの瞳の方が、もっと金色に光っている。
「昔、野球やソフトしてたとき、本当に楽しかった。私が投げて、打って、勝って。まるでヒーローみたいだった。だけど、その影では、レギュラーになれなかったり、負けて、悔しくて、泣いた人もいるもんね。私がそうやって喜べたのも、一生懸命やって、負けてしまった人がいるからなんだと思う。そして私達を支えてくれた皆がいるからなんだ。その時は、その幸せに気づきもしなかったけど。だから、やっぱり、私は皆に感謝したい。本当にいい思い出だったよ。でも、もうこれからは今を生きなくちゃね。私は、過去ばかり見てた。ずっと昔のことばっかり思い出して、嫌になったりして、自暴自棄になって、それで落ち込んでた。昔凄く楽しんでいても、出来なくなったことを思い出して、それでまた嫌になって。でももうそれも終わり。たぶん、こんないい思い出には、後悔よりもっと似合う気持ちがあると思う。それは、ありがとう、って言葉」
そして、カナンは光の海を眺めた後、俺を見た。
「そう思わせてくれたのは、ヒロのおかげだよ」
「それは、カナン自身の力だと思う。俺は、手助けしただけなんだ。そんな、美しい思い出を持ってたのは、カナンが自分で手に入れたから。だから、そうやって思えるんだと思う。他人の力だけで手に入れた美しい思い出なんて、すぐに色褪せてしまうよ」
そして、二人で黄金みたいな輝きを眺めていた。
金色の光が、星ヶ丘の坂を包んでいる。まるで星達が坂を照らしているような、そんな優しい光だ。人々が、ずっと坂を下ったり、上がったり。人の数だけ、思い出はある。数え切れないほどの人に、数え切れない思い出。地球には70億人分の思いがある。
それがどれだけ楽しくても、辛くても、それは思い出だ。
美しいかもしれない。醜いかもしれない。
誰かのもつ思い出が、理想が。誰かを苦しめるものでなく、美しいものであってくれたらと、そう思った。
「あれ?皆は帰ったんじゃなかったっけ?」、カナンが言った。
二階堂と、結城と、月波が歩道橋の上に上がってきた。
「あれー?お熱いね、お二人さん!」、月波が俺たちをからかった。
「やっぱ、二人ってそういう感じ?」、結城だ。
「違うよ」
そういった瞬間、二階堂が少し不機嫌になっていたのが見えた。
「嫉妬深い女の子は嫌われるよー?」、月波が二階堂を肘でつっついた。
「嫉妬って、そんなことしてないわ」
「もー、かわいいんだから」
「今日は、ボウリングしない?私の奢りでいいわよ」
「さすがとーかちゃん、太っ腹!」
「太っ腹なのはこのはらかー!甘い物ばっかり食べてると太るぞー!」、カナンが二階堂の腹をむにむにと触った。
「ちょっ、やめて!」
皆でひとしきり笑いあった後、ボウリングに行くことになって、坂を降りた所にあるカフェで食べた後、坂を皆で登りはじめた。
「ボーリングの後は、とーかちゃん家で朝まで遊ぼうよ!」
そう言い終わると、急に月波が足を止めた。
「その前に、あれやろっか。皆円になって右手を合わせて!」
言われるとおりに、皆で手を合わせた。
「星ヶ丘天文部!えい、えい、おー!」
そうして、右手を皆でかかげた。
「えいえいおーってなによ」
「やろうって言ったけど、思いつかなかったんだ」
「そういうときもあるよね」
「でも、どんなときも天文部の皆がいるから、平気だよ!」
「それ関係ないよな」、俺は笑った。
「ちょっと-!いい話にしようとしてるんだからやめてよ-!」
そうして、皆で笑いあった。
これからもきっと、青春が続いていくだろう。
楽しいことがあるだろう。面白いこともあるだろう。喧嘩もするかもしれない。泣きそうになるほどつらいことがあるかもしれない。
だけどなにがあっても、きっと、皆でなら乗り越えられる。
そんな気がしたんだ。




