28
歩道橋を降りて、もっと東に向かった。星が降る丘からずっと東へ。
そこの通りに面した一つのカフェを見つけた。あたりはだいぶ暗くなっていて、車が少し通るだけだった。少し坂を外れるだけで、眠った子猫みたいに静かだ。
川中が前を歩いて、そのカフェに入った。カフェの中は、黒と茶を混ぜたような色の木材で作られている。ライトも、黄色に近い色だ。どこにでもあるような、落ち着いた店。カフェと言えば、誰もが思い浮かべるような見た目をしている。客は誰もいない。
「いらっしゃいませ」、聞き慣れた声。奥から、人が出てきた。探していた相手だ。
「カナン」、俺は呟いた。
「なんで、ここに!言わないって約束だったでしょ!」
メイド服を着たカナンが声を荒げた。全身白黒の配色にスカート。アクセントに黒い猫耳をつけていた。
とてもよく似合っている。しっぽは着いていないみたいだ。
熱病でうなされているみたいに、嫌な顔をしている。きっと俺が来ることはもはや悪夢とでも思っているのだろう。本当に申し訳ない。
「金を貰った。とっとと終わらせろ」
「しつこいよなんでそんなにしつこいの!?私なんて放っておけばいいじゃん!あんなに強く首を絞めても、まだ着いてくるんだ。あれで、嫌ってくれると思ってたのに」
「放っておけるかよ!カナンは俺の友達だろ。だったら見捨てなんかしない」
これは本心だ。そしてもうここまで来たら後になんて引けない。自分の行動が引き起こした責任ぐらい、自分で取る。
カナンがコーヒーカップの中身を、俺に向かってかけようとした。代わりにその中身全てを川中が浴びた。カナンの手元が狂ったみたいだ。川中は舌打ちをした。
「座れ。話があるらしい」
「仕事中だから」
「仕事は後だ。座れよ」
川中は手を振り上げた。カナンは両手で頭を抱え込むようにして、ふるふると震えている。川中はため息をついた。そしてカナンの胸ぐらを掴んで投げ飛ばして、ソファーに座らせた。酷い音がした。
「ちょっと!」、二階堂が叫んだ。
「いいよ。昔私、よくこいつのこと蹴ってたもん」、カナンは力なく笑った。
俺たちは、同じ席に座った。かわりに川中はカウンターに座って、どこからか取り出した古い警棒を触っている。カナンは下を向いて、黙っている。
なにも言わなければ、なにも始まらない。話を切り出さないとダメだ。
「あのさ。迷惑かもしれないけどさ」
「迷惑だね、本当に」
「俺は、友達を失いたくないんだ。最初からずっと言ってるように」
「マスター。ごめんなさい。少しだけ、友達と話させてもらっていいですか」、カナンが店内に呼びかけた。カフェの店長らしき、中年の男性が出てきて、店の外へ出ていった。白髪が多く、中年も後半と言ったところだろう。閉店の看板を下げに行って、そのまま外の暗闇の中へ消えていった。
「どこまでも、追いかけてくるね。逃げたら、逃げた分だけ。まるで現実みたいに」
「それは、戻って欲しいからだよ。こんなことで、人生を狂わされて欲しくはないんだ」
カナンはじっと黙った。
「ねぇ。きっと迷惑だってわかってる。でも、かき回した責任ぐらいは取らせて欲しいの。あなたが学校に復帰する、お手伝いをさせてもらえるかしら」
まだ、黙ったままだ。長い時間の後に、口を開いた。
「だって、私のことが皆に広まったじゃん。もう、私は無理だよ」
「元々、その話を広めたのは、川中でしょう。結城さんを刺そうとして、おまけにその話まで広めた。あなたは二人に危害を加えたのよ」、二階堂が川中を責めた。
「仲間内で話してたら広まっただけだ。おれの仲間は全員元から知ってるだろ?たぶんそっから林が広めたんじゃないか?推測だけどな」
全く悪びれることも無く、適当な態度で言っている。
「知らないのか?林は柊が嫌いだ。花田は柊が好きだからな。だから林は柊にどっか行ってほしいんだよ。まぁ柊は」
「ちょっと!」、柊が叫ぶと、川中は黙った。
「まさか、じゃあ林が嫉妬でその話を余計広めたってことか?」、俺は聞いた。それなら、話は通る。林の、あの敵意の裏にはなにかがあったはずだ。
「だから言ったろ。的を間違えるなってな」
「でも、花田くんは私になんか態度がとげとげしいんだけど・・・・・・」、カナンは疑わしそうに言った。
「あいつ、照れ隠しって言ってたぞ。これ言っちゃダメだったっけな」
勝手に、いつの間にか思いをばらされる花田不憫すぎる。デリカシーがない奴に秘密を喋ってはいけない。カナンは声を絞り出すように、呟いた。
「確かに、林さんは私のこと嫌いだよ。それだけじゃなくて昔、林さんをどこかで見たことがあるような気がするんだ。思い出せないし、それが理由かどうかもわからないけど」
「スポーツで顔を合わせたとか、実は同級生だったと言うことは、ないかしら」
「わからないよ。沢山のチームと戦ってきたから。同級生ってことは、たぶんないと思う」
それきり口をつぐんだ。
窓の外はもう真っ暗で、マスターが外で煙草を吸っているのが見えた。少しこちらに会釈したような気がした。上でむき出しの大きなファンが回っている。机に影が出来て、それが回転木馬みたいに回り続けている。
「適当に嘘ついて満足させてやりゃいいだろ。学校変わってもついてくるぞ、こいつら」
「私だってそうしたいよ!皆に心配や迷惑かけさせたくないし。皆のこと本当に優しいなって思ってる。ヒロにも、皆にも感謝してる。でも、どうにも出来ないんだよ。だからいつも、あんな風にしてたのに、こんなことになっちゃって」
川中は深くため息をついて、天を仰いだ。そして目を開いた。
「なぁ。なんで暗闇を怖がる。片目が見えなくなったのはそんなに酷いことか?」
「それだけじゃない。この街も、景色も、人もなにもかも見えなくなることが怖かった。学校で立場を失うことも、世界を失うことも、なにもかも」
「目に怪我しなくても、肘が潰れてできなくなってる。抑えも肘を壊したのに、それより肘が悪かったお前が壊さないわけない」
「やめてよ!」
カナンが大声を張り上げて、目から涙をこぼし始めた。口が震えて、目が見開かれて、それで涙が止まらなくなっている。それでも、顔はこちらを向いたままだ。
「そうだけどさ。確かに、私は肘が痛くて、もう投げるのも精一杯だったよ?最後は、一球ごとに肘が焼けそうだった。でもなんで現実から逃げて、ここで楽しくしてたのに、ここでもまた現実を突きつけられなきゃいけないの」、声が震えている。
「泣けば済むと思ってるのか?」、なんの感情もない、心ない言葉だ。
「人の心をちょっとは考えなさいよ!」、二階堂が叫んだ。
「だまれ!昔俺を殴ったりした奴が、こんな風だと自分が惨めになる。こんな奴にやられてたのかと思ってな。こんな女に・・・・・・」
さっきまで表情がなかった川中が声を荒げた。
「昔、カナンはお前にそんなにいろんなことをしたのか?」
「ああ、まぁな。だが柊だけじゃない。もっと沢山の奴がやってきた。そこら中で殴られてたからな」
「カナンは皆に謝って回ったみたいだけど、だったらお前に謝ったのか?」
「時間の無駄だ。いったいそれでなにが変わる?」
「許してやろうっていう気はないのか」
そういうものは被害者が選択することだ。だが、つい口を出してしまった。自分が傲慢だなんて、最初から知っている。自分がひいきしている人間は、全て許されるべきで、うまく全ての事が運ぶべきだと思っている。それを正義でくるむ。そんなものは、自分勝手な虚飾だ。
「人類全員地獄へ送ってやりたいね。おれは柊が憎いんじゃない。人類が憎いんだ」
「その増大した被害妄想に付き合わされる方も可哀相ね。あなたが人にどれだけ加害したと思うの?」
川中は少し目を開いて、手の動きを止めた。そして少し時間をおいた。
「柊は俺の頭を後ろからバットでフルスイングしてる。他にも滅茶苦茶やってきたぜ。秘密にしておこうと思ってたけどな」
俺はカナンを見た。カナンはうつむいて、少しだけ笑っている。諦めたような微笑。
「本当か?」、俺は聞いた。とても信じられなかったからだ。
「うん。だから言ったでしょ、本当って。でも、今まで秘密にしててくれたんだね」
「待って。じゃあ、なんで今まで秘密にしていたの?それをすれば、膨大な復讐心を少しだけ満たせたのに」、二階堂が突っ込んだ。確かに、それは俺も思ったことだ。
「責任を一人にかぶせる気はない。人類の性だろ。弱かったからやられただけだ。それに、やるならナイフを使う」
「でも、高校になってから、Twitterのフォロワーになったんだろ。昔やられてたなら、普通は関わらないようにするんじゃないのか」
「おどおどしてばっかだったから、面白かったんだ。ごめんね、なんてまとわりついてきたのを無視してどっかに行けば、ひっついてきて、ごめんね、ごめんねだぜ。笑えるよ、全く」
「どうかしてるわ」、二階堂が感情のない声で言った。川中は鼻で笑って、カナンは顔を変えなかった。
「ごめん。たぶん、野球が嫌いになったのも、私のせいだよね。全部、私のせいだね」
カナンは力のない微笑みを浮かべて、つぶやき続けた。川中は席から立ち上がって、カナンの胸ぐらを掴み上げた。暴力を振るう時以外で始めて感情的な姿を見た。自分で激しい感情は毒だと言っていたのに、今はその毒を飲み込んでいる。それほど、頭に来たみたいだ。
「そんなんはどうでもいい!いつか飽きてたことだ。しっかりしろ!一番の謝罪は、もうこれ以上情けない姿を見せるなってことだよ、エース!」
川中はなにかに気づいたように手を離して、座った。エースとは、柊のことらしい。たぶん、昔そう呼んでいたんだろう。
「憎くてたまらなかった。女なのに、才能だけでエースになったお前が。おれを殴って、威張り散らしてるお前がな。だが、マウンドで投げてた姿は好きだった。天才的なコントロールと、ばれない変化球で打ち取ってた所がな。まるで漫画だと思った。紅一点が愛知最強を打ち取りまくったことがな。だが今じゃそんな風だ。だったら、もっと落ちこぼれてる、人生になんの栄光もないおれは一体なんなんだよ。これ以上おれを惨めにしてくれるな、エース」、そう言うと、口をつぐんだ。
まさか、こいつみたいな奴がそんなに、人に対して強い感情を持っていたとは思わなかった。自分が惨めになるから、そういう理由でずっと関わらないようにしていたみたいだ。
輝きを無くした宝石を見つめ続けるのは、目を焼かれるほどに酷なことかもしれない。
「ごめん、でもそんな気分じゃないんだ。もうしっかりするのは疲れたよ。誰かに甘えて、優しくしてもらいたい気分なの。なにも言われずに、ただ抱きしめて貰いたい気分なんだ。だから、情けないままでいさせて」
カナンはそうやって、自分の弱さをさらけ出した。
川中がカナンを睨み付けた。
「ごめんね、ごめん」、カナンは力なく謝った。
川中はため息をついた。
「おれが間違ってた。どうやらもうお前は完全に打ちのめされていたらしい。元々、人に生き方を押しつけるなんて、おこがましいことだ。矢神に抱いてもらえよ。じゃあな、柊」
そして川中は警棒をくるりと回して、カフェから消えた。複雑で、屈折した感情。たぶん、カナンに自分で立ち直って欲しかったのかもしれない。虐げられて、憎くて、憧れていて。そんな存在が、高校で顔を合わせたら、変わり果てた姿になっていた。
言うこととやっていることも、なにもかも異なりすぎていて、その人間性がどれだけ複雑骨折しているのかはわからない。どれだけ虐げられて、鬱屈した感情を抱えているんだろう。それとも、本人がそう思い込んでるだけかもしれない。俺には想像のつかないことだ。
店の外は真っ暗になっていた。ガラスに俺たちが映り込んでいる。夜はいつも人を正直にさせる。エースはこっちを向いて、俺に抱きついてきた。
「ねぇ、なにも言わずに、抱きしめて」
俺は手を背中に回した。最初は手を背中から浮かせていたが、完全に手を回させられた。オタクパワーが高いので、現実の女性に接触ができません。てへ。てへじゃないんですけどもね。
本当に俺がすべきだったことは、なにも言わない、そういうことだったのかもしれない。全て黙って、包み込んでやればよかったのかもしれない。俺は余分なことばかりしていたな。そう考えてしまいそうだった。そうしていると、二階堂が口を開いた。
「私は、あなたに立ち直って欲しいと思ってる。私はなにも言わないなんてことはないわ。諦めたりしない。あなたが絶対に学校にまた来られるように力を尽くすわ。林を黙らせてくる」
「余計なこと、しないでよ。私にはヒロだけいれば充分なんだから」
「矢神君だけに頼り切り?それがどれだけ矢神君の負担になるかわからないの?私はさゆりに酷い負担をかけたことがあるのよ」
「うるさい、うるさい、うるさい!放っておいてよ」
「あなたは、私の昔みたい。結局、そういうときは依存できれば誰でもいいの。依存して、依存されて、どんどん酷くなっていくスパイラルなの。よくなることなんてない。たぶん、矢神君もあなたもダメになってしまう。二人揃って高校をやめるのがオチね」
「もうちょっと、私に優しくしてよ」
「優しさは、甘やかすことじゃないわ。それは、破滅よ。そんなことをしていても、堕落するだけ。立ち上がりなさい。今ここで立つのをやめたら、あなたはずっと立ち上がれないわ。そんな、誰かの好き嫌いの話のために、心を壊されて、黙っていられるの?あなたは他人の嫉妬とか、恋愛の話で人生を破滅させかけられているのよ?そんな不条理なことがあっていいわけがない」
「いやだ。二階堂さんみたいな恵まれた人にはわからないだろうけど。だいたい、それも私のせいだし。もし罰を受けて、それで堕ちていくって言うんだったら、私はそれでいいよ。ねぇヒロ、いいでしょ?」
カナンが俺を上目で見つめた。期待が混ざったような声で。反論しようとする二階堂を手で制した。二階堂は止めないと、いつまでも反論し続ける。それはカナンにとっては苦い毒だ。
だが、確かに二階堂が言うように、俺がもし必要以上に優しくしてしまえば、それもカナンにとっての甘い毒になる。一緒に共倒れだ。二人揃って、暗い部屋の隅で向かい合ってるのかもしれない。少し、それでもいいと思ってしまった自分を恥じた。そんなことは誰のためにもならない。
「カナン。昔カナンがどうだったかなんて俺にはわからない。カナンがいじめっ子だったり、人を見下してた奴だったのかもしれない。でも、謝って、許してもらったんだろ」
「うん。全員にね。許してもらったかは、別だけどね」
「問題なのは今のカナンなんだ。好きで好きでやってたことがやれなくなるのも、景色が見えなくなることも怖いよな。全部怖いよ。俺がカナンだったらもっとふさぎ込んでたかもしれない。もうすでに学校をやめてたかも。でも、怖くていいんだよ。怖かったら、また俺たちを頼ってくれていい。また停電の時も、呼び出してくれても構わない。行けるときならいつでも行けるからさ。行けないときは、通話をかけてくれよ。皆で一緒にスカイプで話そう。俺たちがカナンの目になるよ。それならいいだろ?二階堂」
二階堂は頷いた。
「そうね。沢山の人で分担するなら、一人一人の負担は減るもの。私達だけでなく、うちの風間を呼んでもいいわ」
なぜだか、無性に頭を撫でたくなって、カナンの頭を撫でた。
「俺は自分勝手で、わがままで、子供だから。カナンに、少しだけ生き方を押しつけるかもしれない。ずっと迷惑かけたよな。俺のことを嫌がってくれても、嫌ってくれてもいい。だから、俺の自分勝手を許してくれ」
少しだけ間が空いた。カナンの口がわなわなと震えている。
「うん、いいよ!」、少女は叫んで、ぼろぼろと涙を流し始めた。鼻をすすったりしている。俺の袖で、カナンは涙をぬぐった。
外に出ると、誰もいなかった。まるで世界が滅んだみたいに。鳥の寂しいさえずりだけが時々聞こえてきて、まだ地球が滅びていないことを感じとれるぐらいだった。
あたりはもう真っ暗だ。
「俺が、皆に話をつけるよ。それで、もう何か言われることは無くなる」
ようやく、俺の本当の出番だ。




