24
高校での昼下がり、俺はあいつを探した。川中は地べたに座り込んで、空を眺めている。いつもの仲間はいない。
俺がそっちを見ると、川中はこの世の全てに関心を持っていないような目で、こちらを見た。空洞みたいで、ぞっとするような目だ。だがすぐに、空に目を戻していた。
「話がある」、俺は声をかけた。
「なんだ?」
「今日は一人なんだな」
「不眠症で、おまけに今日はそういう気分だ。人生に疲れる日がある。それが今日だ。話ってなんだ」
「人の事なんて気にもとめてないお前が、なぜ時々俺たちの言うことを聞くのか考えた。カナンに関わることだけ、お前は言うことを聞く」
川中は肩をすくめて、おどけた。
「だが他の奴の言うことだって聞くときもある」
「お前だって、カナンを助けたいと思ってるんじゃないのか。昔なじみで、今だってそれなりに仲が良いだろ。女子に嫌われてるお前と普通に接するのはあいつだけだ。カナンをお前からも説得してくれないか?」
川中は女嫌いで有名だし、女子も川中を嫌ってる。女とみると、どんな可愛い女子でも、邪険に扱うし、とたんに機嫌が悪くなる。
「説得って、なにをするんだ?他人の人生に偉そうに口出しをしろってことか。おれはお前ほど偉くないからな」
「どうしてそういうことばっかり言うんだよ。憎まれ口を叩いてばっかだ。普通に喋れないのか?」
川中は少し黙った後、こちらを見た。
「昔野球を一緒にやってた。おれもあいつのことは気に入らなかったし、あいつもそうだった。ばれないように変化球を投げるのを提案したのはおれだ。それで奴は肘を痛めた。チームメイトってだけだった。その程度だ」
「カナンの肘を潰したのは、お前か?」、怒りがわき上がってきた。変化球は肘を痛めるから、小さい頃投げるのは禁止されている。そんなの、誰でもわかってる。強くても、それは麻薬だ。それを勧めるなんてどうかしてる。
「じゃなきゃ、あいつは先発ですらなくなってたかもな。北区のチームに、西区のよそ者の女が参加してたんだぞ。コーチ達はあいつを外そうと必死だった。第一、抑えが最初っから最後まで投げた方が強いしな。抑えの肩はいかれるだろうが」
「だけど!」
「自分でやったことだ。選択するのは自分だし、一瞬のために未来を潰したのはあいつだ。それに、酷使したのは監督だ。おれのせいだと思うか?」
「待てよ。コーチは外したがってたのに、監督が酷使ってどういうことだよ」
「前座だったんだよ、あいつは。抑えは中学で先発として日本代表に入るぐらいだ。そいつの肩のために使い潰されたってことだよ。いい所は全部抑えが持ってく。外せないなら、いいように使ってやろうってことだ。そうやって話していたのを聞いたことがある。ま、柊には言わなかったけどな」
俺はうんざりし始めていた。なんでこんな事を立て続けに聞かなきゃならないんだ?他人の性格の悪さが引き起こした、不幸な出来事の顛末を延々と聞かされ続けている。しかも、結局抑えも肩を壊している。救いようが無い話だ。
「なんでそのことを言わなかったんだよ」、非難じゃない、純粋な質問だ。
「知らねぇよ。自分の行動を全て説明なんて出来るわけがない」
「だから、カナンに罪悪感があるってことか?それでカナンの言うことを聞くってことか?」
「罪なんて気にしない。あいつが勝手にやったことだ」
何もかも、自分が関係ないような態度をしているのが気に入らなかった。ちょっとは、反省のそぶりを見せて欲しかった。だけど、実際こいつに罪はほとんどないだろう。少なくとも、その頃こいつは被害者だ。そんなことはわかっているのに、身勝手な感情だと思う。
「本当に思ったことはないのか?なんとかしてやりたいって」
「ないね。全て関係の無いことだ」
「俺がお前ならそう思わない」
「おれはお前じゃない。もういい加減にしてくれ。お前と柊の粘膜接触のための過程にどうしておれが関係あるっていうんだ」
「粘膜接触?」
「性交のことだ。お前と柊の壮大な痴話喧嘩に巻き込まれたくないって事だよ。夫婦喧嘩だけじゃなくて痴話喧嘩にも付き合わなきゃいけないのか?」
意味を理解したとき、余計にいらだった。人助けをそんな風にあざ笑われるとは思わなかった。
「俺とカナンは付き合ってないし、関係ないだろ。困ってる女の子を見たら、助けようとは思わないのか」
「女が困ってたらなんなんだ?なにがあっても見捨ててやるぜ」
「嫉妬か?」
「嫉妬?醜い肉細工どもの恋愛や性交には興味がない。生殖活動と愛情は人類の罪だ」
頭に血が上ってきた。自分以外の全ての人間をゴミ扱いするなんて、生まれて初めて聞いた。
「なんでお前は、そんなに人に、友達に、女の子に冷たく出来るんだよ!」
「おれは誰に対しても平等だ。おれが失明したぐらいで暗闇を怖がるようになると思うか?」、川中は失笑と嘲笑を合わせた表情をした。一瞬俺は絶句して、なにを言うべきか全く思い出せなくなりそうになった。
「仲良くしてただろ!なんかしてやろうとかしてあげようとか思わないのかよ!」
「外交関係を知らないのか?その場だけ仲良くして、後は知らん。そんなもんは医者の仕事だ。薬でも一生飲んでろよ。それにやめたからってなんだよ?おれだってやめた。膝をやられたし、今は別件で肩をやっちまってる。あいつらのせいで勝ちまくって、出もしない試合で5時に起きて延々引きずられて夜に帰る。やめて良かったぜ。補欠を続けるなんて馬鹿のやることだ。補欠がやることなんてクソみたいな雑用と声出しだけだぜ」
「この野郎!お前だって引きずってるじゃないか」
俺は拳を握りしめた。殴りかかろうとしたわけじゃなかったけど。川中は大きく笑った。
「引きずってたら、30人ぐらい刺し殺してやらなくちゃならねぇ。この世界で最も価値がある生物たるおれ様の温情だ。ありがたく思って欲しいね」
「聞いた俺が馬鹿だった。お前は人の痛みがわからない」
「お前は地球の裏側で人が死んだ時少しでも気に掛けたことがあるのかよ。そんな奴、毎秒葬式あげて勝手に泣きわめいて死んでりゃいい。第一そういうのは、好感度が高い奴がやった方が効果がある。お前は好かれているから、お前が適任だろ。人間なんてチョロいもんだ」
「なんで、チョロいとかいうんだよ。人のことをなんだと思ってるんだ」
人を軽く見ている態度が気に食わなかった。これなら、人に嫌われる理由も納得だ。スルーできずに一々頭に来る俺も、おかしいのかもしれないけど。
「人間なんて毛皮のない喋れるだけの猿だ。だから今まで生きてこれたんだ。人など絶滅すればいい」
こいつの頭の中は、敵意と、差別心と、怒りと、憎しみと、復讐心と嫉妬心とか、無関心とかそういうものばかりに思えた。 この世界の負の感情を一身に集めたみたいな、暗く燃える炎が心臓にともっている。
「お前がかわいそうだよ。そんな性格になったことが。きっとお前は、そうやって一人で死んでいくんだ。この世を恨みながら、皆がお前のことを嫌い、風呂場で腐った肉の水になって死ぬんだ」
「人肉スープだな。ついでに赤ん坊の肉でもつけとけよ。おれは一人で生きて、一人で死ぬ。そんなことにまで口を出されたくない。恋愛主義者どもめ。誰かと一緒じゃないと発狂するのかお前は」
「小学校の時は、そんな風じゃなかったってカナンから聞いた。お前も、中学でなにかあったんだろ」
川中は鼻で笑った。
「特に何も無いし、全部があったとも言える。強いて言うなら、何も変わらなかったことだ。もう人生に飽き飽きしてる。小学校の時も、滅茶苦茶やられてたよ。それでも人生がいい物だと信じて疑わなかった。だがもう耐えきれなくなった。おれは人間が憎い。時々たまらないほど、人を殺してまわりたくなる。その時は、柊も殺してやる・・・・・・」
「お前みたいな奴は、牢屋で閉じこもっていればいい。誰とも話さず、ずっと壁に向かって話してればいいんだ。誰もお前に関わらないし、お前も誰とも関わらず済む」
川中は深いため息をついた。まるで呆れたように。心底人を馬鹿にしている。
「生まれたことが間違いだったと言ってるだろ。ああいうのを治すより、銃で頭をぶち抜く方がよっぽど早いぜ」
自分の全てを否定された気がした。思ってることとか、なにもかも、全て。
俺はとうとう頭に来て、川中の胸ぐらを掴んだ。洗ってない髪から、油粘土みたいな臭いがしてきた。
川中は眼鏡を外して、ポケットにしまった。目つきだけで、手を離しそうになった。白目のあたりが充血で真っ赤になっている。背筋がぞっとした。
「殴りたいのか?好きにしろよ」
俺はためらっていた。
「むかつくんだろ?目を潰してみろよ、柊みたいに」
怒りが頂点になった。殴った。何度も殴った。殴ってるうちに今までのいろんな事を思い出してきて、更に腹が立ってきて、思い切り殴った。はっとして、手を離した。俺はなんてことをしたんだ。
「満足したかよ。次はおれの番だ」
両手で首の裏を捕まれた次の瞬間、激しい痛みが腹を襲った。膝を食らった。そして、引っ張られて、体が宙を舞って、いつの間にか見上げることになった。頭のすぐ横に、足が降ってきた。
にやりとしていたのが見えた。そして、そいつは離れた。
いらだって、立ち上がった。
川中が腰に飛びついてきて、俺は倒された。胸に乗られて、顔を殴られた。顔を背けると、腕を首に巻き付けられて、横にされた。そして川中は袖からナイフを出した。湾曲していて、鎌みたいだ。
刃のきらめきで、鼓動が早くなった。それは恐怖ではなく、記憶から来るものだ。
「無責任に他人を引っかき回す青春ごっこは楽しいか?お前と二階堂は執着心が強すぎる。なにか他に理由でもあるのか?普通そこまで断られたら、諦めるだろ。それに今はあいつと連絡は取れんぞ」
昔のことを思い出した。中学の時、酷いことになったことがある。確かにそれは理由のうちの一つだ。だけど、それは嫌な記憶で、今思い出したくはない。
「カナンのことも、どうでもいいのか?」
川中は立ち上がって、ナイフをしまった。
「なにも感じるな。なにも考えるな。なにも言うな。なにも聞くな。なにも見るな。同情はするな。面倒なことはするな。他人の不幸を笑え。苦しいなら黙って眠れ。そうすれば、だいたいのことはやり過ごせる」
言い終わると、急に川中が笑った。
「泣いてんのか。激しい感情は体に毒だぜ」
「悔しくて泣いてるんだよ」
自分が涙を流していることを、今知った。目を手でこすった。
苛立って、むかついて、涙が出てくるほど悔しかった。今更、なにもかもが怖くなった。しばらく貯まっていた苛立ちや後悔だとか、色んなものがぐちゃぐちゃになって、今なにもかもが爆発した。
「そのままそこで一生泣いてろ」
川中は去っていった。俺は地面を殴って、ちくしょうと、叫んだ。
「矢神君、大丈夫!?」
月波の声が聞こえて、俺は月波に連れていかれた。




