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星に、願いを。  作者: 桜花陽介
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「ねえ、とーかちゃんの家に行かない?プリントもたまってることだし」


月波はプリントの束を広げて、俺と結城に向かって言った。皆でまた地下鉄に少し乗って、近くの駅までついた。


東の方だ。坂の上にある、星ヶ丘と似たような街だ。坂、坂、家、木、坂、坂。そんな具合だ。静かな場所。名古屋の金持ちは、たいていこういう場所に住んでいる。


月波に従って歩いていると、広大な敷地にそびえ立っているとも言うような大きな家があった。一瞬重要文化財とかなにかと勘違いしそうになるぐらいの豪邸だ。俺は驚いて、立ち止まってしまった。名家と言っていたが、ここまでとは思わなかった。


「こ、これ、二階堂の家?」


「うん。すごい広いよね。ここにお邪魔させてもらうと、おいしいケーキも食べられるよ。とーかちゃんが好きで、よく買ってこさせるんだって。時々食べ過ぎちゃうよ」


今日の月波はのんきで、間が抜けたみたいな話しかただ。


「ちょっと、これってさすがに家が広すぎるんじゃない?」


ようやく長い長い敷地の端から、玄関らしき所までたどりついた。月波がチャイムを押すと、二階堂のシャープな声が聞こえた。


「はい、入って」


大きな木の扉を月波が押して、中が開いた。本当の金持ちとはこういうものなのかと驚かされるぐらいに広い。


入ってすぐの右に、蔵があった。これが焼かれた蔵なんだろう。土台の石に焦げた後が残っている。月波は蔵の方を悲しそうな目で見て、家の方へ目を移した。


「あの一番大きな家がとーかちゃんの家だよ。メイドさんがいるから、その人にプリントを渡すんだ」


「メイドとかいるのか?凄い家だ」


「業者から派遣されてる人らしいけどね。漫画みたいな感じじゃないよ。普通の服だし」


「夢が無いな」


「そういう服着てるの見せてほしかったけど、見せてくれないんだよね。とーかちゃんに命令させれば着るかもしれないけど」


「あんたら、そんなにメイドが好きなの?」


「結構かわいい服だと思うんだけどなぁ」


そうしているうちに、家のドアまでついた。いきなりドアが開いて、黒いスーツの女性がたたずんでいた。冷たい瞳を持った、黒髪短髪のクールな美人だ。黒い手袋を着けている。



「月波様と、ご友人がた、お待ちしておりました。二階堂様は居間にいらっしゃいます」


「風間さん。お花の調子はどうですか?」


「よく咲いております」


月波がプリントを渡すと、彼女はどこかへ消えていった。月波に合わせて、そのままついていくと、西洋画とか絨毯とか調度品とか凄く豪華な物ばかりで、いったいいくらなのかわからないような品もあった。


そしてようやく居間にたどりつくと、二階堂が座っていた。学校の応接間なんかよりよっぽど立派だ。そして人数分の陶磁器全てに紅茶が注がれている状態だった。ソファーの隣に一つだけ、枕が大きくなったみたいなクッションが置かれている。


「かけて」、二階堂が言った。


俺もみんなもソファーに座ったが、結城は居心地が悪そうだった。この陶磁器を割ったらいったいいくらになるか考えもつかなかった。月波だけ、人をダメにするクッションに吸い込まれている。顔を埋めたままあーとうめいていた。


「なにか変わったことはあった?」


「カナンの暗闇恐怖症がクラス全体で話題になって、カナンがクラスメイトを押し飛ばして気絶させた」

二階堂は額に指を当てた。


「信じられない。というより、なぜ今頃そんな話題になったのかしら。さゆりは、そのビリヤード場での話は噂として聞いたことがあるの?」


「いや、聞いてなかったよ。気絶させたのは有名になったけど」


「じゃあ、噂の出所は少なくとも私のクラスでは無いわね。ビリヤード場も、ほとんどは見たことが無い顔ばかりだったもの」


「ってなると、やっぱり川中かよ・・・・・・」、俺は呟いた。あいつの口止めは無理だ。たぶんカナンの言うことはギリギリ聞くかもしれないが、他は無理だ。カナンもきっと、そんなことをしている精神的余裕はないだろう。


「あっ、でも。とーかちゃんが停学になったのは話題になってるよ」


「それって、私がやったことは微妙に無駄になったってこと?」


「そうみたいだね。れおちゃんが暴れたからね。なんで停学なんだーって」


「結城、校長室まで怒鳴り込んでってさ。校長を殴ろうとしてるの抑えるのが大変だったよ」


月波がなぜかクッションからずり落ちて、床に寝転がった。そして、打ち上げられてから10時間ぐらいたった魚みたいに、そのまま床に寝転がっていた。


「あなたまで停学になったらなんの意味もないじゃない」、二階堂は呆れてため息をついた。


「あんたは人として正しいことをしたから、処分した先公やサツに頭に来た。でも、あんたが金でなんとかしたのだけは気に入らなかった」


「二つとも仕方のないことよ。私が正しくても、社会がそうするのも当たり前だし、私の家がそうするのも当たり前」


「やっぱり金持ちは嫌いだ」、結城が呟いた。


「じゃあ暴力だったらいいのかしら?校長を殴ればそれで済むことだった?」


二階堂は感情を込めずに言った。結城は眉をしかめた。


「もうそのことは置いておこうぜ。一番困るのは、カナンが学校に来てないことなんだ、それから」


「停学になっただけではないのかしら」


「違う、自分で休んでる。クラスでは結城が注意したけど、カナンはもうそのことで噂されてる」


今のカナンみたいなタイプは、凄く人のことを気にするはずだ。人のことを気にしないタイプなら、あんな風に仮面をかぶらない。もっと自由に振る舞っているはずだ。昔みたいに。自分を悪いと思っていなかった頃は、傍若無人だったのかもしれない。だけど、今は違う。


二階堂や結城もそうだ。昔はやり場のない怒りに振り回されて、周りを振り回して。でも、二階堂と結城は痛みを乗り越えた。だからもうそのことについては平気だし、立ち直って自分の足で歩いている。じいさんが死んだことも、蔵が焼けたことも、親友が妊娠させられて捨てられても、厳しい家庭環境でも立ち直ってきた。


月波はわからない。だが、二階堂と一緒にいたはずだ。じいさんのことも、蔵のこともたぶん知っている。誰かを傷つけるためだけの言葉で夢を否定されても、またすぐに立ち直った。


カナンは違う。縮こまってしまって、繊細で臆病になってしまった彼女には、そんなことは出来ない。誰かが自分を嘲笑することが怖い。自分が一人になることも、誰かに嫌われるのも、全てが怖い。だから全てを隠して、笑顔の仮面をつける。そして陽気に踊り続ける。どれだけ傷つこうとも。だがその仮面は剥がれた。


「カナンはきっと怖いんだ。誰かに嫌われることが。だから、誰にもそういう風に弱みを見せなかった。弱さを見せると、嫌われると思ってる。だから俺たちにもほとんど言わなかったし、皆に言われてるのがショックなんだ。現に、クラスの奴らの一部はあいつの頭がおかしいと思ってる」


「弱さを見下すのは、冷淡で残酷な人間がやることよ」


「でも実際にクラスの奴らはそうだ。川中はカナンを嘲笑してる。突き飛ばされた花田の仲間の数人はカナンのことを嫌ってる。女子の、カナンがいたグループも、カナンのことを頭がおかしいって言ってる。それに、林のグループは元から嫌いだろうし」


「カナンがなにをしたっていうの。ただ怖くて、押しちゃっただけじゃん!あいつらのがよっぽどおかしいって!」


「世間はそんな風には思ってくれないわ。社会っていうのは、そういうものよ」


「そんな世間とか、社会なんておかしい!」、結城が興奮して立ち上がった。


「子供ね。でも、私もそう思うわ」、二階堂が答えた。


「カナン、また学校来るのかな。しばらく休んでるし、あいつ、来なくなるかもしれない」


不登校になってしまうかもしれないことが心配だった。そうしたら、俺は大事な友達を一人失ってしまう。そんなことは許されない。


「もしかすると、俺たちがやったことが無駄になって、カナンは不登校になって、そのまま退学とかするかも」


皆が黙った。長い沈黙が流れて、二階堂が口を開こうとした。少しだけ二階堂の口元が震えて、またつぐまれた。


「あなたは、なにをやっても無駄だと知ったことはあるかしら?」


質問の意味がわからなかった。俺は黙ったままだった。


「私はあるわ。四年前におじいさまが死んだときと、三年前にその蔵が燃えたとき。おじいさまが癌で死んだときは、悔しかった。どうにもできなかった私を責めたわ。私は、なにも出来なかった。塾で勉強していたら、そのときに死んでいたらしいの。死に目すら見られなかった」


言葉言葉の一部が震えていた。まだ親族がぴんぴんしている俺には、それがどれだけつらいことなのかは実感できない。


「三年前、冬のある日だった。中学生だった私は、おじいさんの旧い収蔵品が置いてある蔵でよく遊んでいた。昔を思い出して、泣いた日もあった。水墨画、茶器、巻物とか槍や刀剣みたいな物があって、きっと歴史的価値もあったはずだわ。でも」、二階堂は言葉を切った。


「そんなことは私にとって価値は無かった。私に価値があったのは、それがおじいさまのものだったってことよ。それなのに、いきなり誰かに燃やされた。誰かが火をつけた。気がついたら、蔵が燃えていた。目の前で焼け落ちていく記憶に、私の心は壊れそうになったわ。私は、酷く落ち込んだ。これが、なにをやっても無駄だったこと。死にも、火にも私は勝てなかった。でも、さゆりは私を励ましてくれた。だから立ち直れた」


二階堂は唇を嚙んで、床をつま先で突っついた。


「だから、もう私がすることは全て無駄になんてさせない。私の友達に、つらい思いなんてさせたくない。あなたもよ。あなたは彼女のそばにいてあげなさい」


「わかったよ」


二階堂は、ずっと苦しんできた。二回も彼女の尊敬する人は殺されてしまった。その苦しみは、彼女の親友によって鎮痛された。痛みは誰かが一緒に分かち合ってくれる。それが親友というものなんだろう。


「俺たちからの電話は、カナンはたぶん取らないと思う。今から、カナンの家に行こうぜ」


「あなたが話すべきだわ。私たちはフォローにまわる。あなたがメインよ」



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