16
いつの間にか、目が覚めた。時刻は昼の4時。朝になる頃、床で眠っていたみたいだ。体がそこら中痛くて、動かすたびにびりびりとした痛みが走った。
そういえば、今日の夜に久屋大通や栄に行くんだったな。辺りを見回すと、三人がにやにやしながら俺を見下ろしていた。カナンが俺にスマホを向けてる。
「おはよう」と、三人がほとんど同時に言った。
「なにか面白いことでもあったか?」
「ふふっ。出かける準備してね」
俺は準備をしようと洗面台に向かった。そうすると頭になにか尖った物がついてる。
これ猫耳じゃねーか!なんてことするんだよ!猫耳を外して、準備を終えた。中学の文化祭の時、女子にメイドのコスプレをさせられた事がある。今でも、時々うなされるほど記憶に残ってる黒歴史の一つだ。あの時は、皆にはやし立てられて、写真を撮られたりして散々だった。
残念なことに、ソシャゲの課金でお金が無くて、あまり遊び歩かないように決めた。場所はオアシス21にした。地下鉄で中心部まで行った。そして、日が落ちて、ライトアップが始まるまで、南北に延びる久屋大通を満喫した。都心の方はあまり行ったことが無かったから、結構新鮮だ。
栄の方では、ラジオの生放送が道から見えたり、観覧車があったり。街でバンドやアイドルが演奏をしていた。沢山の店が並んでいて、沢山の人が歩いている。色んな人生を、自分なりに生きている沢山の人がいる。
人には誰でもやらなきゃいけないこととか、面倒なことが沢山ある。将来のことを悩んだりする人もいるだろう。でも、皆それぞれの人生を生きている。そういうのが見られることが、楽しかった。
テレビ塔のあたりに戻った。すると、なんとかフェスというのがやっていた。沢山の人が、沢山の屋台に殺到している。
「ねぇ、あれ行かない?なんかやってるよ」
「いいね。行ってみよう」
人だかり、沢山の人だかりだ。そこら中で皆がお酒を飲んでいる。それで、知らないバンドがなにか演奏をしている。
「これなに?」
「ベルギービールフェスティバル?だって」
「へー。だから皆ビール飲んでるのか。でも俺たちは飲めないな」
「っていうか高くないこれ?お祭り価格過ぎるでしょ」
「まぁ、祭りだからな・・・・・・」
皆で適当な食べ物を買って、座れる場所に座った。ロックが聞こえてくる。
歩き疲れて、椅子でぼう、としていた。飲み物を飲み終わって、容器を捨てに行った。
服が引っ張られたので、後ろを向いた。茶の髪の毛がぴょこりと揺れるのが見える。カナンの、作られていない声が聞こえた。冷蔵庫みたいに冷えた声。
「ねぇ、ふたりでどこかに抜けだそっか」
「皆はどうするんだ?」
「いいから、ね」
人波をかき分けて、人混みを越えて、喧噪に別れを告げた。少しだけ静かな場所へやってきて、二人で座った。緑、日色、地面の赤煉瓦。ビルとビル。人と車とアスファルト。ささやかな風、揺れる木の葉、万華鏡みたいに揺れる影。くるくる、さらさら。回り続けて、元通り。それで、椅子に二人。それだけだ。
カナンはビルの間の空を見上げて、雲の向こう、更に向こうの見えない星を見ているような目をしていた。そんなことをしても、まるで見えやしないのに。
「私、あんまり人が好きじゃないんだ。人が怖い」
鳥のさえずりが聞こえた。だが、まだ人の声の方が騒がしい。
「いや、違うかも。正確に言うと、遠くと近くの人は好きだけど、中途半端な距離の人と、近すぎる人は怖い。敵にも味方にも、すぐに変わっちゃうし。変わったら、一番激しい敵になる。私は、キミが一番怖い。キミに嫌われるのが怖い」
「嫌われる要素がどこにあるんだ?」
「いつかはわかることかもしれない。そうじゃないかもしれない。それが新しく出来るかもしれない。なにも私にはわからない。それが嫌なんだ。たぶん、お人形がほしいのかもね」
「俺は、人形?」
「違うよ。だから一番怖い」
「世の中、怖いことばっかりだ・・・・・・」
俺は相づちを打つかわりみたいに、そうやって返した。
ビルばかりでろくに見えない空を見ようとして、顔をあげた。何もかもを怖がって、逃げ出すことも怖がって、ただ雲みたいに空に浮かぶだけだ。
「全部私の思いどおりに行ったらいいのに。それで、全部思い通りになったら、ヒロをハムスターにして、部屋で飼ってあげるのに」
「よりにもよってハムスターかよ・・・・・・」
ハムスターになった自分を想像した。楽だろうなぁ。欲しい物は全部飼い主が与えてくれるし。
「衣食住完備で好きなところまで、肩に乗せて連れて行ってあげるよ。寿命は好きなだけでいいし」
「楽しそうでいいな」
会話が途切れて、何を話そうか迷っていた。話すべき事を話してしまえば、またなにか起こってしまうかもしれない。話すべき事だと俺が勝手に考えているだけかもしれない。
何も言わずに、ただ人と車を眺めていた。
「めんどくさいなぁ。なにもかも壊れてしまえばいい」
カナンは横になって、空に手をかざした。
「壊して、その次は?」
「次のことなんかどうでもいい。ただ壊れてしまえばいいだけ」
長いすの木を撫でた。それで?ただため息をついただけだ。
そうしていると、電話がかかってきた。
「ちょっと、どこ行ってるのよ」、二階堂の声。
「カナンが気分悪くなって外に出たいって言ってたから、こっちまで連れてきたんだ」、息を吐くみたいに、嘘をついた。
「そう。大丈夫?そっちへ行くわ」、人肌よりも温かい声色だ。場所を伝えた後、電話が切れた。
「こっちへ来るってさ」
「昔のことを全部知られるのも嫌だ。言ったことなんかより、もっといろいろやってたんだから・・・・・・」
昔それほど、なにかしていたらしい。かける言葉を見つけるためには、時間もなにもかも足りなかった。しばらく待っていると、三人がこちらへやってきた。
カナンは声を切り替えて、またあの明るい口調に戻った。仮面を被って、踊り続ける。本人が好きでやっているなら、それでいいと思う。だけど、それを好きでやっているようには見えなかった。
また、街を歩き回った。
そして、夜がようやく墨で描かれたみたいな色になった。あたりは、街灯の光と、ビルの光以外なにもない。薄暗く、儚いオレンジ色の光ばかりで照らされている。
水の宇宙船を見に行くことにした。光は闇の中で際立つ。だから、これぐらいになるまで待った方がいい。調べたら、水の宇宙船というガラス張りの建物は2700平方メートルもあって、ライトアップも日本トップクラスらしい。
月波や二階堂の楽しみだね、なんて声が後ろから聞こえた。結城はスマホで写真を撮って、ラインやインスタグラムにアップしているみたいだ。カナンの方を見ると、少しだけうつむいていた。
「やっぱり、怖いか?」、俺は小声で聞いた。
「うん」
「でも、もうすぐ凄く明るいところに着くから」
「服、握っててもいい?」、震えて消え入りそうな声でカナンが言った。
「ああ」
カナンが俺の服の後ろを、つまむように握った。そして歩いているうちに、光量が段違いな場所に着いた。眩しいぐらいの輝きだ。
オアシス21という場所だ。下から見上げると、楕円形の硝子とそれを支える白く丸い鉄の支柱が、アメジスト色のライトアップで照らされていた。まばゆいばかりの紫色だ。時間帯によって、紫、緑、蒼などに変わるらしい。
「うわ、綺麗な色してるね」
硝子張りのエレベーターに乗った。表示が動き、エレベーターの横についている巻き上げ機は、黒く汚れた油で覆われている。巻き上げ機が回り続けた。それが止まった頃、扉が開いた。外を見ると、真ん中のガラス張りの場所に水が張られていて、それを囲むようにガラスの道があった。
金色に照らされたテレビ塔や、栄の観覧車やビルが見えた。急に色が変わって、全てが深い青色に染まった。サファイアみたいな色だ。他には誰もいない。水と風の音だけが聞こえる。
「凄い・・・・・・」、誰かが呟いた。
水も、地面も、なにもかも蒼色だ。月波とカナンが踊るように駆けだして、はしゃいでいる。水色の磨りガラスで出来た地面に、金属の骨組みの影が映っている。そこだけが黒で、後は俺たちはそれを見ていた。
「名古屋って、なんにも無いと思ってたけど意外とあるもんだね」、結城が言った。
皆でゆっくりと歩いて、まわっていた。
「いいところ、知ってんじゃん」、結城がスマートフォンのカメラであたりを撮っている。
「教えて貰っただけだよ」
「今度、港の方のいいところ連れて行ってあげようか。バイクであんたが後ろに乗ってさ。あたしが前」
「じゃあ、いつか頼むよ」
「別に、車で行けばいいじゃない。運転手がいるわ」、二階堂がほんの少しだけほおを膨らして会話に入ってきた。二階堂の黒髪は、遠く向こうの夜空と見分けが付かない。
「え-。二階堂さんともあろう方が嫉妬ですか-?」、結城がにやにやしながら、二階堂を煽った。その後脇腹を肘で軽くつついた。
「そんなんじゃないわ!早とちりしないで」、二階堂はそっぽを向いた。
「あーあ、すねちゃった。矢神のせいだかんね」
「俺のせいかよ」、俺は笑った。
そんな感じで、前に二人、後ろに三人で歩いていると、急にカナンが振り向いて、立ち止まった。冷たい風が宇宙船を吹き抜けた。まるで晴れた朝のようにさわやかな風だ。
「ねえ、皆。今日はありがとう。私なんかのために、こんなにいろいろしてくれてさ。私、こんなに誰かになにかをしてもらったことなんて今まで無かった。私さ、昔は嫌な奴で。昔、私が暗闇を怖がるようになってから、その分が帰ってきてさ。私がしたことと同じようなことをやられて、始めて自分が怖いと思った。自分が最低だったって、わかっちゃったんだ。皆に謝った。高校で変えようと思ってたけど、あそこでまた暗闇が怖いってばれて、皆にまた馬鹿にされると思ってた。なのに、ここまで真剣になってくれた・・・・・・」
カナンは感涙しているのか、ほとんど涙声になっている。
「馬鹿にする奴なんていないよ。少なくとも俺たちは違う。他の奴らがなにを言おうと関係ない」、俺はそう言った。彼女は目を袖で拭いてから、「ありがと、ヒロ」、なんて、そう言った。
その言葉に少しだけ、安心した。
もし、昔なにかあったとしても、今は許される。そういうことがあったっていいと思う。呪いに捕らわれ続ける必要なんてない。
誰もが、誰をも永遠に許さないなんて、息苦しすぎる。
「あんたは、優しすぎるよ。世の中は、反省も後悔もしない奴ばっかりなのに。あんたはずっと苦しんでる」、結城は椅子に腰掛けながら、蒼に光る海を見ていた。
「違う。私は、怖がってるのを、昔のせいにしてるだけ。罰だと思い込んでるだけなの」
「だったら、その思い込みをやめなさい。なにも怖がる必要は無いわ。あなたには、幸せになる権利があるはずよ」
「わたしも、そう思うよ。ねぇ、カナンちゃん。もう大丈夫だから。全部、大丈夫」、月波はカナンを抱きしめた。
カナンが、泣きじゃくるような声を出し始めた。俺は笑って、蒼に光る海を眺めた。
「ほら、また紫に変わった」
街が少しだけ、微笑んだような気がする。




