第五話 魔人襲来
魔物は一瞬の断末魔をあげて、その全てが消滅した。地面に焼き付いた煤だけを残して。
――いまの、雷……?
「魔法のない世界ってどんなトコロかと思ったけど、けっこう勇敢な子がいるのね。お姉さん、嬉しいわ」
「……!?」
至近距離で高いソプラノが響き、慌てて周囲を見渡すが、人影はない。
ささやき声は耳元で聞こえているのに、誰もいない。
「やだ、いま見えないんだった。ちょっと待ってね」
急に声の聞こえる場所が変わって空を見上げると、何もない空間に滲み出すようにして、杖にまたがった栗色の髪の女性が現れた。なめらかな曲線美を強調する服装をした、美しいひとだ。この土砂降りの中で深いスリットの入ったスカートは寒そうにも見えたが、妙なことに女性は傘もさしていないのに、全く濡れていないようだった。
「ふ、藤白さん……っ!」
「玉坂さん――!」
その後ろからひょっこりと顔を出したのは玉坂さんだ。膝をハンカチで抑えているのは、ケガしたのだろうか。
「はじめまして、私はヨウフォン。あなたがハルカちゃん?」
「えっと……」
「そうです、 ありがとうございます……っ!」
ハルカが返事するより先に、玉坂さんが大きく頭を下げた。
どうやら彼女がハルカを助けるよう頼んでくれたらしい。
「さてと、急ぐわよ。のんびりしてたら次が来ちゃう。ふたりとも、そこに転がってる小石を拾って」
「小石?」
ゆっくりと降下して着地したヨウフォンはその場にかがみ込んで、なにかを拾い上げた。
「こういう、色付きの透明な石が散らばっているでしょう? 大切な戦利品だから、出来る限り集めてね」
言われて地面に目を向けると、掲げて見せられた赤い欠片と似た小石がそこらじゅうに転がっていた。
ヨウフォンが自分の背丈ほどもある杖を一振りすると、ざあっと風に掃かれたように欠片が舞い、杖にくくりつけられた革袋に収まっていった。
魔法だ……。
とはいえあまり広範囲には使えないのか、ヨウフォンは歩きながら同じ作業を繰り返していく。すっかりずぶ濡れだが、今さらだ。
ハルカはその反対方向に落ちている場所を見つけ、地道に手で拾っていった。
「それは魔物の体内で結晶化した魔力の塊。色々と役に立つから、大事に使うのよ」
「色々って……?」
「イロイロよ。追々わかるわ」
あらかた拾い終えたと見ると、ヨウフォンは杖の中央を両手で持ち、すっと左右に引いた。
杖はそれに従ってするりと柄を長く伸ばし、元の倍ほどの大きさになった。
「さあ、乗ってちょうだい。ここはもうダメよ」
「ダメって……」
「こいつらはあくまで先遣隊の低級魔物。これから大物が出てくるわ。さすがにゲートの目の前では、勝ち目はないの」
あんなに強いのに?
焼け焦げた地面と”勝ち目がない”というヨウフォンの言葉が釣り合わないように感じたが、駅舎の方からまた魔物が近づいて来るのが見えて、とりあえず手招きされるまま杖に腰を降ろした。
「私の腰にしっかり捕まっていてね」
ハルカがヨウフォンの腰にしがみつき、玉坂さんがハルカにしがみついた。
リンユオに運ばれたときとは違い、ふわりとなだらかに上昇した杖は、静かに進みだした。
「あの、兄が……この近くにいるかもしれなくて」
「ああそれなら……なんて言ったかしら? あの通信アイテムを見てみて」
スマートフォンのこと? 訝しみながらとりあえずニュースアプリを開く。
そこには堂々と、自衛隊が駆除を実行中であると大見出しが出ていた。
「誰かが戦い方を教えたのね。五分ほど前に最初の駆除が成功したと、あっちの塔の鏡が言っていたわ」
「塔の鏡?」
「ビルの大画面のことみたい……」
なるほど、そういうふうに見えるのか。
なんとなく文化の違いを理解してきた。彼女たちは本当に、ファンタジーの世界からやって来たのだ。
「同時に救助も順調に進んでいるみたい。大きなカラクリ車や鳥型の飛行具に大勢乗せられていたわ」
自衛隊の車両とヘリコプターだろうか。なら安心だ。
リンユオのやり方で駆除しているのだとしたら自衛隊も魔法を得たはずだし、そうでなくてもプロだ。
「良かったですね、白藤さん」
「うん……。じゃあ、わたし達も避難所に?」
「いいえ、ひとかたまりになるのは下策。あなた達は……」
ヨウフォンが言葉を切った直後、落雷の前兆と似た光が空を包みこんだ。
進行方向の反対――東京駅の方から、すさまじい重量物が地面に激突したような轟音が立て続けに鳴り響く。
「不味い、もう来たの……!? 速度を上げるわ。振り落とされないでね……!!」
ぐんっと後ろに引っ張られる感覚。びゅうびゅうと通り抜けていく鋭い風。
な、なに……!?
「ど、どうしたんですか?」
「上位魔人が現れたの! このパーティで勝てる相手ではないわ。とにかく、どこか遠くへ……っ!!」
ヨウフォンが言い終える前に、頭上からの一撃が振り落とされた。
巧みに杖を操ってかわすも、すれすれの距離を黒い植物の蔓が通り抜けていった。
それはそのままアスファルトに突き刺さり、さらに二本三本と同じような蔓がハルカらめがけて飛んでくる。
蔓全体に自分の指ほどもある鋭い棘があることを視認し、ハルカはぞっと背筋を冷やした。
「あちらの家畜が逃げ出したという話は聞いていなかったが……ああいや、野良がまだいくらかいたな。その生き残りか」
空に反響するかのように響き渡ったのは、酷薄な男の声だった。
家畜? 野良? それは……ヨウフォンを指して言っているのか? とてもではないが、人間に向けて使う単語ではない。
「……ヨシノちゃん、ハルカちゃん、よく聞いてね」
ぎゅっと杖を握り込んで、張り詰めた声でヨウフォンは言った。密着した腰からはかすかな震えが伝わってくる。
「あなた達、信じる神はいる? もしいるならそこへ行って。信仰が集まる場所は自然と強い結界が生まれている。奴らも手出しはできないわ」
神? 突然そんなことを言われても、無宗教のハルカにはピンとこなかった。
ヨウフォンは構わず続ける。
「この世界は……数日もしないうちに、これまでとは全く違う姿に変わるわ。悲しいけれど、侵略は止められない。これからあなた達には、すごく大変な日々が待っているでしょう……。でも焦らないで、機を待つのよ。最後に勝てれば勝ちだと思って」
ヨウフォンは腰をひねって振り返ると、ハルカの額に唇を落とした。
はじめて間近に顔を見て、その瞳が澄んだ紫だと知る。目元の泣きぼくろと相まって、とても魅力的だと思った。
ハルカをはさんだ先の玉坂さんには手の甲にキスをして、そのまま手になにかを握らせた。
「ペンダントはヨシノに、杖はハルカに、私からの餞別よ」
ひらりと杖から降りたヨウフォンは、空中に立って空を睨んだ。その両足にはいつの間にか、小さな翼がついている。
「ヨウフォンの名のものとに、杖の所有権を此処に継承する。最後の命の終了をもって、現主ヨウフォンから次代ハルカへ」
待って、なにを言っているの? 杖をくれる? 餞別?
「……なにも出来なくてごめんなさい。いつかきっと、自分の世界を取り戻してね」
ハルカがなにも状況を把握できずにいるうちに、ヨウフォンは叫んだ。
「さあ――行って! 我が杖よ、二人を安全なところへ!!」