第四話 最初の一匹
「た、玉坂さんっ!! うしろ――!!」
焦って声をあげるが、間に合わない。玉坂さんに向かって魔物が一直線に突進してくる。
「――ごめんっ!!」
考える前に、玉坂さんにタックルをかまして二人一緒に倒れ込んだ。
ぶつかり損ねた魔物はそのまま走り抜け、数十メートルのところでようやく止まる。
現実味がわかないなんて思っていたが、これは前言撤回だ。
イノシシに似た風貌でゾウに近い大きさの動物なんて、教科書に載ってるマンモスくらいしか知らない。当然だが現代にいるはずもない生き物だ。
黒いドロドロに飲み込まれた東京駅。空にぽっかりとあいた大穴。そしてこの怪物。
ああ、どう見てもファンタジーだけど、現実だ。
「あの野郎、一番危ないとこに降ろしやがって……無茶振りもいいとこだっての!!」
魔物は前脚で地面を撫でて次の突進の準備をしているようだ。
まともに当たればよくて骨折悪くて死ぬだろう。
「玉坂さん、アイツが走り出したら……」
「……はい。わたくしは左に」
「じゃあわたしは右に」
空気が張り詰める。怪物の動きに全神経を集中させる。
――動いた!
間髪入れずにこちらも駆け出す。街路樹では壁にならないだろうから、その先の障害物になりそうな……なにもない!!
なんでここはこんなに、だだっ広いんだ!
とりあえず放置されているトラックの裏に逃げ込もうと曲がり……視界の端に、こちらに向かってくる魔物が映った。
「いや曲がれるんかいワレェ!!」
イノシシっぽい見た目してるクセに!! いや本当にイノシシが真っ直ぐしか走れないのかも知らないけど!!
裏に回るのは中止して、一度立ち止まる。
そしてあと三メートルほどの距離まで引きつけて――横に飛び退いた。
魔物はそのままトラックに突っ込む。
――よし! 急な進路変更はできない!!
思わぬ自身の検討に浮かれかけたが、衝突したトラックが数秒の間を置いて地面に激突したのを見て、ピタリと動きを止めた。
……トラックが、空を舞った……?
そして、舞い上げた本人はすでにこちらに向き直り、助走をつけていた。
「ば、化け物ーーーー!!!」
脱兎の如く、来た道を走る。これは無理だ。勝つとか負けるとかじゃない。無理だ。
くねくねとヘビ道状に走りながら、しまったと思ったがもう遅い。遮蔽物ひとつない開けた場所に逆戻りしてしまった。
そして気がつく。
いつの間にか駅から、いや、そこらじゅうから魔物が集まってきていることに。
距離はまだあるが、完全に取り囲まれている。ぐるりと見渡したが、逃げ道はない。
「あ、これ、死んだ……?」
兄を助けに行くつもりだったのに、まさか学校を出て十分もたたぬ内に死ぬことになるとは。
儚きかな我が青春、我がいのち……。
絶望的な状況に生存を諦めかけたが、不思議なことに、おびただしい数の魔物はハルカを取り囲みながらも、一歩も動かずに距離を保っていた。
……?
そのうちの獅子に似た黒い魔物がばっと飛び上がり――そばにいたマンモスのような魔物に踊りかかった。
――? あ……、わたしを取り合ってる……!?
魔物はヒトを喰うとリンユオは言っていた。ならばこの魔物たちは、無数にいる自分たちに対して、ハルカという一匹しかいないエサを巡って争っているのか。
「……わたしのためにもっと争ってー」
小声でささやかな応援をしつつ、逃げる隙を狙って目を走らせた。
魔物たちは互いに牽制し合ったり、争ったりしている。
そして、気がつく。
あれ……なんか、もしかして……。
ビッ、と一番図体の大きな魔物を指差す。
まさか、まさかだよね?
「悠の名のもとに……力に名を、名に形を与える。――ロウジエン!」
指先が火をつけたよに熱を持ち、唱え終えると同時に、まばゆい光が射出された。
それは勢いを失うこともなく真っ直ぐ、指差した先にいた魔物の腹を突き抜け、さらにその向こうにいた一体をも貫いた。
「や、った……?」
じわりと体が熱くなる。歓喜による高揚だけではない。
先ほどまでなかったなにかが、自分のなかに入ってくるのを感じた。
「これが魔力……?」
妙に心地良い、例えるなら広い湯船につかったときに似た感覚にほうけていると、真後ろに重い足音が迫ってきた。
「……っ!?」
反射で避けたつもりが、勢い余って地面に滑り込む。
だが休む間もなく次の魔物がハルカめがけて飛びかかる。
「――!」
ごろごろと転がって避ける。そうしながら腕を突き出し、先ほどと同じ呪文を唱えた。
「ロウジエン! ――ロウジエン!」
ろくに狙いも定まらないまま放った光の矢の一本が魔物を貫き、その巨体がどうっと倒れた。
今度は襲ってくる気配はなく、他の魔物は遠巻きに見ていた。
つまり、あれか……ただの美味しそうな小ネズミだと思ったら噛みつかれて、敵認定されちゃったと……。
ハルカが倒したのは三体だが、周囲には数えきれないほど――おそらく五十をゆうに超える――魔物がひしめいている。
彼らにとって一息に三体仕留めたハルカは脅威に映ったのか、とりあえずは警戒態勢に入ったようだが、いつ襲ってくるか分からない。
……これは、下手を踏んだかな。一体ずつ撃ってなんとかなる数じゃなし、どうしたものか……。
試しに端から撃ってみるか、とハルカがヤケクソと言えなくもない戦法を実行に移しかけたとき――
「無茶してるわね、お嬢さん」
駅前広場の空が紫に輝き、雲から伸びた無数の閃光が一帯に落ちた。