第三話 魔物遭遇
このサイレン、どういう時のだっけ。
馴染みのない嫌な音がけたたましく響くなか、ハルカは水浸しの道路を歩いていた。
女子生徒のほとんどは、まだ校舎で考えあぐねているらしい。
ハルカはと言うと、熱に浮かされた男子生徒の波が引いたあとから、とくに決断もないまま外に出ていた。
とりあえず出てきたはいいものの、どこへ向かおう?
一匹倒せと言われても、教わった呪文の心許なさを思えば、それは逃げるときの切り札に取っておきたい気がした。
しかし――
兄からの返信がない。スマートフォン端末をしばらく睨んでスカートのポケットにしまったとき、自然と足は駅の方へ向いていた。
線路沿いを歩けばいずれはたどり着くだろう。
幸いというか、少年がくれた不思議な袋のおかげで傘とスマートフォン以外は荷物がない。
「数に限りがあるから公平に決めろ」と言われてジャンケンで勝利した20名に与えられたこれは、一見ただの小さな革袋で、ポケットにおさまる程度のサイズしかない。
しかしこの袋は物理法則に反して、私の通学カバンを丸ごと飲み込んだ四次元ポケットである。「四次元ポケットじゃん!!」と見ていた多くの生徒の叫びは「なにそれ?」と否定されていたので言い方は違うらしいが、四次元ポケットである。
「待ってください……!」
革袋の中をのぞくなどしながら足早に駅に向かっていると、後ろから声がかかった。
傘で顔は見えないが、うちの生徒らしい。
「ふ、藤白さん……! わた、わたくしも一緒に……」
息を切らして駆け寄ってきたのは、クラスメイトの玉坂吉乃だった。
「一緒に来る?」
「は、はい……やっぱり行った方がいいかなって思ったのですが、一人だと不安で……」
玉坂さんはクラスでも特に温和でおとなしい子だ。
意外に思ったが、人数が多くて不都合なこともないだろうと了承した。
「び、びっくりしましたよね……。海外でもニュースになっているみたいで……未曾有の災害ですって……」
「……実感わかないなァ。動画いくつか見たけど、映画のCMみたいで」
「ええ、わたくしも信じられなくて……でも校舎の周り、まだ燃えているんです。不思議と人が通ろうとすると炎が避けてくれて……本当に魔法みたい……」
ちなみに玉坂さんは敬語キャラかつ、おそらくだが良いところのお嬢様だ。でなければ現代日本、目立つ杭は叩かれる教室で一人称わたくしなど貫けるはずもない。
「玉坂さん、家には帰らなくていいの? なんか地下にシェルターとかあったりしない?」
「あ、あるにはあるのですが……でもわたくし一人でそこに篭っても……仕方がないと言いますが……」
あるにはあるんだ。
すごいな。東京23区内でシェルター付き一軒家に住んでるの? これまさか、玉坂さんが怪我したらわたし、おうちの人に殺されるんじゃ……?
「藤白さんも、あの方の仰る”まずは一匹”を実行されるのでしょう?」
「まあ……て言っても、出来るか分からないけど……」
「でしたら、わたくしも」
不安でと言った割にしっかりとした返答に、ハルカは認識を改めた。
意外と勇気ある人なんだな……。わたしはむしろそこまで考えていないというか、とりあえず行くくらいのアレなのだけど。
というか、もしや謀られているのでは、とも思わないでもない。ただ職員会議でも方針が決まらなかったというこの事態に、他の対処法など知らないわけで。
駅が近づくに連れ、人が増えてきた。電車は止まったままだが、ホームで運転再開を待つ者もいるらしい。
「送ろうか?」
「きゃあ!?」
急に背後から声をかけられて飛び上がる。
振り返ると、先ほどの銀髪の少年が電柱の上にいた。
「用があるってどっか行ったんじゃ……」
「そう、とりあえず軽く狩って魔力の補充にね。けどよく考えたら、一人くらい見届けておかないと、キミらがどこまでやれるか分からないし」
とんと軽やかに着地した少年は、自衛隊すら倒せないという怪物相手に気軽な事を言う。
「送るって、東京駅に?」
「そう。俺なら五分かからない」
「じゃあ……お願いします」
玉坂さんとアイコンタクトを取ってから頭を下げると、次の瞬間には腰に腕が回って抱えられていた。
「――!?」
俵よろしく肩に担がれるという予想外の事態に言葉を失う。
「いくよー」
軽い掛け声とともにぐんと体が引っ張られる感覚に襲われ、あっという間に私と玉坂さん、そして少年は駅の屋根の上にいた。そしてアスリートも真っ青の……もしや電車並みなのではと思う速度で少年は駆けている。
「風除けの魔法をかけてある。しゃべっても大丈夫だよ」
言われてみれば、通り過ぎる景色の速さの割に、風を感じなかった。
「この……速く走るのも魔法ですか」
「いや、これは普通に走ってるだけ。ここに来るまで魔力を消費しすぎてね、ちょっと節約中なんだ」
つまり地でこの速さ? 異世界人って人間じゃないの?
「そうそう、俺はリンユオ。好きに呼んで」
「あ、藤白悠です」
「玉坂吉乃です……」
リンユオ、リンユオ……。耳慣れない発音だったが、多分覚えた。
「どっちが名字?」
「先にくる方」
「じゃあハルカとヨシノ。がんばってネ。生きてたらあとで会おう」
「え?」
どういう意味と聞き返す言葉も虚しく、リンユオは唐突にハルカ達を降ろし「じゃあね~」と去っていった。
「えっと……」
「あ、あ……藤白さん、大変です……! 東京駅……着いて、しまいました……」
えっ
言われてようやく周囲を見るとたしかに、見慣れたあの赤レンガの駅舎が目に入った。
しかしその大部分は黒々とした水飴のような何かに覆われ、いつもは常に人通りのある駅前は無人だった。
そして駅舎の上空には、ニュースで見たのと同じ――。
「待って、てことは、ここ……」
空からは黒い豆が降り注いでいる。この距離で豆なのだから、実物はもっと――。
「た、玉坂さんっ!! うしろ――!!」