第十七話 別行動
光の膜は波となって広がり、空を包み込むように視界の端まで流れていく。
その輝きは次第に薄れ、ハルカの目には見えなくなった。
「これで……いいの?」
<いいえ、続いて根の埋め立てを行います。結界は地中深くまで繋がっていますが、その向こうには数多の魔物が控えているので、万が一結界内に魔物が残っていた場合はここから魔物が溢れ出すことになり、大変危険です>
なるほどと頷いて、ハルカは右手を柄にかけたまま、杖から降りた。
杖に片手でぶら下がる――という形にはならず、ハルカが足を降ろした先に見えない足場が生まれ、自然と立つことができた。
先に習っておいた呪文を一度頭の中で反芻してから、口に出す。
「世界の理と悠の名のもとに、我が力は変性し我が手を離れ、大地の子となる。トゥーダンシャン・ダーディー・ルーディー」
唱え終えるなり、低い地鳴りが響き出した。魔法が作用しているのだろうが、ハルカには何が起こっているのか分からない。自分が口にしている言葉の意味すら理解できていないのだから。
だが不思議とその音は体に染み渡り、自身の一部が形を変えるような心地よさと共に、体の奥から魔力が流れ出していく。
次第に、ぽっかりと大地を切り取った黒い穴の底から蠢く何かが這い上がってきた。
魔物、と身構えたが、よく目をこらすとそれは土であった。
石塊混じりの色の濃い土が穴を埋めながらせり上がり、地上に向かって増殖していく。
まるで虫の大群のようでどこか気味が悪いとハルカは感じたが、見る間に大穴が塞がっていく様は快感でもあった。
――そして、呪文を唱えてからわずか十秒程の間に、大きな穴は土に覆われ、隙間なく塞がれた。
「……これ、わたしがやったの?」
<もちろんです。魔法と錬金術を合わせた大規模魔法、お見事でした。ハルカ様、魔力切れは起こしていませんか?>
「だ、大丈夫。むしろかなり……余裕かも」
おそらく、先ほどの魔人から得た魔力が大きすぎるのだ。
数値で見えるわけではないのであくまでも感覚だが、魔物の群れから得た魔力の数百倍はあるように感じる。結界魔法と土を生む魔法で消費した量など、物の数ではないほど。
これがあと数時間で消えるというのなら、もったいないどころではない。何かに使わなければ。
<魔人の魔力……まさか魔人の討伐に成功されるとは>
「あ、ううん。わたしが倒したわけじゃなくて……その話は後でするね」
ひとまずやるべきことを。ハルカは杖にまたがって方向転換し、スーパーマーケットの中に乗り付ける形で滑空した。放り出してきたのか、中は照明が点きっぱなしで、やや物が散乱していた。
自動ドアをくぐってすぐ、レジのそばに立ってハルカは杖を振り上げた。
「悠の名の元に、力に名を与える。イーレン!」
とにかくありったけの商品を持っていく。そのつもりで、ハルカは店全体に魔法をかけた。
カタカタとどこからともなく物音が鳴る。それは共鳴するように広がり、大きくなり、建物中がカタカタ、カタカタと騒ぎ出す。
だが、先ほど魔物を吹き飛ばした時とは違い、どれもその場から動こうとはしなかった。
<複数の物質をそれぞれ別の方向から集めるには、”物を移動させる、動かす”イメージだと失敗しやすいです。”自分のもとへ吸い寄せられる”というイメージで、自分の手を穴としてそこに集まる力の流れを思い描いてください>
自分のもとに、集まるように……。目を閉じて、フウに言われた通りに想像してみる。軽く頭の中で繰り返しただけで、魔法はわずかに動きを変えた。レジ横の陳列棚から、ふわりと軽い菓子箱が浮かぶ。
魔法となって流れ出した魔力が、今度は物を運ぶ力の川となり、ハルカの手の中に流れ落ちる。その動きを肌で感じるとより一層イメージが強固になり、次々と店中の商品が浮かび上がり、するすると動き出した。
「おお……」
圧巻だった。
押し潰されそうなほどの物の洪水がハルカに向かって押し寄せる。それは杖に届く前に大きさを変えて、元のサイズに関わらず見えない程に小さくなり、杖の中へと吸い込まれていく。
最後の一つがわずかに引っかかって、カタカタと箱を鳴らしてからやはり小さくなり、すぽんと吸収された。
<回収完了です。やや余計な物も混ざっていますが、問題ないでしょう。飛杖船の容量はあと五分の三ほどです>
「かなり余裕あるね。じゃああといくつか回ろう」
がらんとした、商品がなにもないスーパーをあとにしてハルカは再び飛び立った。
駐車場に残された誰かの腕が気になったが、根に一緒に埋めてしまうのは違う気がしたし、あとで誰かに言って、正しく埋葬してもらおう。
空っぽのスーパー。荒れた市街。アスファルトの駐車場の一部を土で埋め立てた大穴。
なんとも言えない、奇妙な感慨を感じながら、ハルカは飛杖船の中へと戻った。
「わたくし、別行動いたしますわ」
ソファに腰掛け、フウが入れてくれた水を飲んでようやく一息ついたハルカに、ヨシノは言った。
「なんで……?」
「この杖の中は安全ですが、ここにいてもわたくし、役立たずですもの。神社までの道すがら、先の魔物の残党を探しつつ、逃げ遅れた方がいないか、声をかけてみますわ」
「でも、それなら後で二人でやろうよ。歩きだと結構遠いし……なにより危ないよ」
「いいえ」
硬い意志を感じさせる声で、きっぱりとヨシノは言った。
「それだと非効率的ですわ。それに、文字通り藤白さんのお荷物となっているこの現状に、わたくしとても耐えられませんの」
「荷物だなんて……」
そんなこと、思ってもいないのに。
だがヨシノはもう我慢ならないとばかりに円柱の宝石に手をかざし、最後にもう一度ハルカを振り向いた。
「自宅避難をなさっている方がいるとしたら、きっと外の状態を知りません。お医者様を必要としている方ももしかしたらいるかもしれませんし、とにかく行ってみますわ。――藤白さん、後ほど神社で合流しましょう。楽しみにしていてください」
「楽しみって、なにを……あっ」
<行ってしまわれましたね>
慌てて窓に駆け寄る。ヨシノは移動魔法を自身に使ってゆるやかに地上へ降り立ち、ゆうゆうと歩き出した。
「つ、使いこなしてる……」
どうやら玉坂ヨシノという女性は、ハルカが想像していたよりずっと芯が強い人物らしい。この非常時にほんの少し安全地にいたくらいでお荷物だなんて、ハルカならきっと考えない。
ここから神社まで、徒歩でなら一時間かからないくらいだろうか。心配は多々あるが――ヨシノは強いし、今さら反対したところで、聞く相手ではなさそうだ。
「しかたない。わたし達も急いで済ませよう」
<まずはどちらに>
「ドラッグストアとスーパー、手近なところから。とりあえず最低限の薬と、生鮮食品とかを」