第十三話 図書室の魔法書
飛杖船内、広間――リビングダイニングをそう呼称することにした――にて、ハルカとヨシノはテーブルに向かって頭をひねっていた。
「時間優先で必要最低限? 念の為ありったけ持っていく?」
「そもそもガスは無事なのでしょうか。お米があっても炊けないなら……」
「それはほら、鍋があるなら最悪、飯盒炊飯的な……」
「ああ、直火で出来ますわね。ん……そもそもわたくし達の知識では、考えても知らないことの方が多い気がします」
「たしかに。あまり急がないなら、あるだけ運んだ方が良さそうかな」
ざっくりと方針を固める。
フウに聞いたところ、リンユオの革袋――大小袋というらしい――の容量はハルカを五百人入れられる程度だとか。
自分の体積に換算されてもまるでピンと来なかったが、教室より広く体育館よりはずっと狭いくらいだろうと無理やり理解した。この飛杖船は本来ならかなりの大容量らしいが、すでにヨウフォンの家を収納しているため、大小袋の十倍ほどだとか……。
いや、それでも十分な広さだし、動く家のようなこの杖にさらに家を仕舞っているってどういうことだ。
結局、どの程度詰め込めるのかはよく分からなかった。考えるより入れられるところまで入れた方が早そうだ。
収納魔法の中ではモノ同士が干渉しないだとかで、下敷きになった物が潰れるということもないらしい。
「あとは入れる方法だけど、さすがに一つ一つ手で運ぶのは無理があるよね」
時間もかかるし、体力的にも女子で子供なハルカとヨシノには不可能だ。
<移動魔法を使用してはいかがでしょう? 図書室に使用法が記された本があります>
「それ簡単? わたしでも使えるかな?」
<初歩であり、魔力消費も小さい魔法です。問題はないかと>
フウに示されたドアを開ける。
昨日はすぐに寝て中を見られなかったが、そこはたしかに図書室だった。細い棒きれの中に、よくもこれほどの空間を収めるものだと改めて魔法という存在に感動する。
広さはそれほどあるわけではない。広間と同じく十畳ほどだろうか。
だがその密度は凄まじく、四辺の壁は下から上までびっしりと本がひしめき、さらにその間にも人がギリギリ通れる程度のスペースのみを残して本棚が並んでいる。机や椅子の類はなかった。
<少々お待ちを――これです>
特に待つこともなく、フウはすぐに一冊の本を見つけ出した。
革張りの表紙の、ずしりと分厚い本だ。初心者向けの軽い本が出てくると思っていたハルカは少しだけ面食らった。
<移動魔法のほか、ありとあらゆる初級魔法が網羅されています。魔法は繰り返し使うことで体に馴染むので、暗記するよりは一つずつ実践されることをおすすめします>
初級魔法、ずいぶん多いんだな……。
魔法が体に馴染むというのはよく理解できなかったが、使っているうちに体が覚えるとか、習うより慣れ……というような意味でいいのだろうか。
「ここのご本は、自由に読んでも?」
<ハルカ様がよろしいなら。この飛杖船は今朝を持って完全にハルカ様の所有物となりましたので>
「もちろんいいよ。わたしだけじゃとても読み切れないし」
図書室は快適に本を読むにはやや薄暗かったので、とりあえずはフウに渡された一冊だけを手に広間へ戻る。
「そういえばさっき光の矢の魔法を使ったとき、昨日よりなんか大きくて速かったような気がしたんだけど」
<それはこの杖の力です。杖は術者の魔力を効率的に魔法に変換しますので、同じ魔力消費量でも威力・精度などが大きく向上します>
「じゃあ魔法を使うときは杖を持ってた方がいいんだ」
<そうですね。体の一部にでも触れていてくだされば補助は可能です。しかし可能であれば、手に持たれている方が望ましいでしょう>
どの道この杖を手放すという選択肢は存在しない。ただ持っているだけでお得、というならやらない手はないだろう。
<ちなみにこの飛杖船の動力も魔力です。現在はヨウフォン様が貯蓄された大量の魔力結晶によって賄われておりますが、それが尽きれば自動的にハルカ様ご自身の魔力を消費して動きますので、あしからず>
「魔力結晶?」
<ハルカ様も先ほど魔物の体内から回収した、あの欠片です>
「あー!」
合点がいって手をぽんと叩く。
ヨウフォンが”色々役に立つ”と言っていた意味がようやく分かった。あの欠片はつまり固形物として保存できる魔力、電池のようなものなのだ。
「なるほどねぇ、色々あるんだね~」
<詳しいお話は、追々。まずは……>
「うん。スーパーに着くまでにぱぱっと読んじゃおう」
§
<――ハルカ様>
「あ、着いた?」
<はい。目的地はもう目の前です。しかし……>
見た方が早いとばかりに窓の外を指され、ハルカは読みかけの本を置いて窓辺に寄った。
眼下に広がる景色を目に入れて、眉をひそめる。
「なに……あの穴……」
スーパーマーケットの手前、広い駐車場に巨大な黒い穴が空いている。
底は見えない。代わりに小虫のようななにか――魔物が絶えずその穴から出入りしていた。
<あれは”根”と呼ばれるもので、あちらの世界でも頻繁に確認されていました。その正体には二種類あり、一つは魔物の巣――もう一つは、地下通路の入り口です。その多くは国中に網の目のように張り巡らされ、魔王城にも通じています>
「ん……待って、魔王がいるの!?」
初めて聞く単語が飛び込んできて目をむく。
フウの方も意外そうに首をかしげた。
<ハルカ様は魔王をご存知なのですか?>
「いやそれは物語の定番っていうか……え、魔王って、魔王? すごく強い魔物の親玉的な……」
<その認識を私は肯定も否定も出来ません。魔王は居城の外に出ることは基本なく、人間はその姿を見たことがありませんので。こちらの世界にはまだ訪れていないと思われますので、とりあえず忘れて頂いても問題ありません>
忘れとと言われても、それはつまり、上位魔人とやらよりもさらに上の存在がいるということではないのか――。
敵の規模がどんどん途方のないものに思えてハルカは目眩を覚えたが、今気にかけるべき事項は他にある、と無理やり頭の端に追いやった。
問題は、あの穴が通路だというなら、あれを通じて魔物が増える可能性があるということだ。
「――あの穴、塞げる?」
<可能です。しかし放置していればいずれ同じ穴を掘られるでしょう。それを防ぐには、結界が必要です……が、ヨウフォン様が保管されている結界決石を使うには、現在のハルカ様の魔力では難しい>
「あそこにいる魔物、全部倒したら?」
<十分な量です。ただし、ハルカ様にはそれほどの魔力を貯蔵する器はありませんので、討伐後、一時間から二時間以内に結界魔法の行使を行わなければ間に合いません>
そういえば、魔物を倒して得た魔力は、数時間で体から抜けてしまうのだったか。
ちらと再び地上に目をやる。ここから見える範囲で数は昨日の駅前広場の半分といったところか。穴の中や付近の建物にも隠れているかもしれない。
ひとつ深呼吸をしてから、ハルカは広間の中央――外へ出るための円柱へと歩み寄った。
「――行ってくる」