第一話 侵略の狼煙
――そう、たしかに思った。壊れてほしい、と。
昨日も今日も明日も明後日も、毎日続く同じ今日に飽きて、派手な刺激を求めていたのは事実だ。
世間に衝撃を与えるビッグニュース。あるいは、何者にもなれずくずぶっているわたしを非日常に誘うなにか。
でもまさか、夢にも思わないじゃないか。
今日突然、日本が侵略されるだなんて。誰も本気では思わない。
それがまさか――異世界から現れた魔物に、支配されるだなんて――。
<臨時ニュースです。先ほど、東京駅の上空に巨大な穴のようなものが出現しました>
<同時に、周辺地域では突然の猛烈な雨が振り始め、降水量は1時間に約100mmにもなる見込みです。また強風により周囲の物が吹き飛ばされる被害が相次いでいます。非常に危険な状態であるため、近隣の方は外に出る際細心の注意を――>
<気象庁は異常気象の一種であるとの見解を示していますが、依然詳細は不明です。このような現象に前例はなく――、――これによる津波への影響は現在――>
昼休み、誰かがイタズラでつけたテレビからそんなニュースが流れてきたとき、誰もが思った。
「えー、やだー」
と。女子生徒の一人が代弁した一言が、全員の総意であり、感じたことと言えばそれだけだった。
液晶に目をやればたしかに、雨で霞んで見づらいが、厚く黒い雨雲をぽっかりとくり抜く大穴が画面いっぱいに広がっていた。
面白半分に窓際へ大挙した人々はなんとか肉眼で見ようと目をこらすが、さすがに難しかったらしい。窓際の席についている私もチラと視線を向けたが、制服のスカートしか視界に入らず、すぐに断念した。
「100mmの雨ってどれくらい?」
「さあ? どうしよう、傘持ってきてないのに~」
「わたし置き傘あるよ」
口々に帰り道の心配を交わす。
空にあいたという穴に興奮する者も一部にはいたが、異常気象と言われてしまえばそれまで。
異世界への入り口だったらどうしよう、とそういう娯楽小説を好む一人が冗談めかして言う。
ハルカはどのグループに加わるでもなく、でも心の内では密やかに、それと似た期待を抱いた。
異世界、バッチコイ! でも雨は来るな! ただし、明日休校になるなら許す!
まあ、その程度である。ちょっとした非日常に胸をときめかせ、漫画のような展開を期待しながらも、現実的な憂鬱がやや勝った。
だが――
「やばっ! おいこれ!!」
「こら、授業中にスマートフォンは……」
教師の叱責も無視して、ひとりの男子生徒が最大まで音量を上げてライブニュースを再生した。
<臨時ニュースです。一時間ほど前、東京駅上空に出現した穴から、謎の未確認生物が飛来し、地上で民間人を襲う事態に発展しました>
教室に、奇妙な静寂がおりた。
「……え?」
「え、なに? なんて?」
ようやく数人が声を発したが、ほとんどの生徒は――教師も含め――あまりに突飛なニュースにフリーズして、言葉を失っていた。
<あっただいま被害情報が出ました! えー現在、確認されているだけで死者4名、重傷23名――>
具体的な数字が提示され、ハルカはひゅっと首筋が冷えるのを感じた。
「は、はああ!? 待っ……東京駅そこじゃん!! これやばいんじゃないの!?」
「どうしよう!! お父さん働いてるの駅前なんだけど!!」
途端、教室が――学校全体が騒乱に包まれた。
隣のクラスから駆け込んできて騒ぐ者もいる。とにかく誰もが混乱していた。
東京駅は千代田区だから、ここからそう遠くない。駅まで歩く時間を含めても10分強といったところだろう。
いや、そんなことより。
今朝先に家を出た兄を思い出し、ハルカはじっとりとにじむ嫌な汗を握り込んだ。
お兄ちゃんの学校はたしか、千代田区じゃなかったか……。
あまり口をきかない兄の高校の所在など詳しくは覚えていないが、どうか駅から遠い場所であってほしい。
<先ほど自衛隊が出動し、未確認生物の駆除にあたっていますが――>
<総理はこの事態に緊急の対策本部を設置し――>
<近隣の方は近くの建物に入り、自衛隊が救助に来るまで待機を――決して自主避難はしないよう――>
教室の喧騒の中、途切れ途切れに音声が耳に入る。
緊急事態。本物の、楽しんではいけない緊急事態だ。
開いたSNSは当然混乱に満ちていて、トレンドのほとんどを一連のニュースに関する単語が占めていた。
いつもなら怒る教師は、先ほど放送で呼び出しがかかって教室を飛び出していった。今頃は職員室で会議をしているはずだ。
とにかく無心で、現地の情報を漁った。
外に出るなというアナウンサーの呼びかけも虚しく、SNSには現地の往来で撮ったと思われる動画や写真が次々と投稿されている。そこには確かに、獣に似た、しかしライオンやクマよりも大きいように見える生き物が映っている。それも一匹二匹ではない。溢れかえるほどの猛獣がビルの壁面や、車道をうろついている。
兄からLINEの返信はない。
嫌な焦りがつのる。指先が震える。頼むから一報、無事を報せてくれ――。
「逃げた方がいいよ」
頭上から、くぐもったような知らない声が響いた。誰だと思う前に、それまでの騒ぎが嘘のように静まったことに気づいた。
不思議に思ってみんなの視線をたどると、ハルカのすぐ左上、窓の外に、窓枠に足をつっかけるようにして、銀髪の少年が立っていた。