第72話「お兄ちゃんは桜だけのお兄ちゃん」
「んぅ……」
小鳥さんのさえずりの様な綺麗な鳴き声で目が覚めた桜は、いつもと違うお布団の感覚に違和感を覚える。
あれ……?
動けない……。
何かに優しく包まれてる様な――そんな感じがする。
それに何か目の前に硬い物があって、枕の感触もいつもと違うの。
段々と目が覚めてくると、その理由がわかった。
桜は今、お兄ちゃんに抱かれてるんだ。
桜の目の前にあるのは、男の人のなのに綺麗な肌をしてる、お兄ちゃんの首だった。
そっかぁ……昨日、お兄ちゃんが一緒に寝てくれたんだ……。
桜は雷が凄く苦手なの。
だから雷が鳴ってる日は、いつもお姉ちゃんが一緒に寝てくれたんだけど……昨日は、お姉ちゃんが居なかった。
それで、お兄ちゃんに我が儘を言って一緒に寝てもらったんだった……。
昨日は雷が怖くて一杯一杯だったけど、結果的にお兄ちゃんに一杯甘えられたんだよね……。
ギュッて抱きしめてもらえたし、ナデナデもしてもらえて、それに一緒に寝てる時は一杯お話をしてくれたの。
だから、昨日は雷に気を取られてたのが勿体なかったなぁって思っちゃった。
……もういつもなら起きてる頃の時間だと思うけど、折角お兄ちゃんと一緒に寝られてるから少しの間このままでもいいよね?
お兄ちゃんと一緒に寝ていたかった桜はそう考えると、お兄ちゃんの腕から少しだけ頭を下げて、お兄ちゃんの胸板に甘えるように頬をスリスリとする。
一回、これをしてみたかったの。
でも、そんなチャンスは中々無いの。
お兄ちゃんにさせてってお願いするのも、お姉ちゃんが居るから出来ない……。
最近、前以上にお姉ちゃんがお兄ちゃんを独り占めするようになったの……。
桜だってお兄ちゃんに甘えたいのに……。
この二日間は一杯甘えさせてもらったけど、もうちょっと甘えたかった。
だから今は、お兄ちゃんにスリスリと頬をこすりつけて甘えるの。
――それから二時間ほど、桜はお兄ちゃんにくっついて甘え続けた。
でも、お兄ちゃんは中々目を覚まさないの。
一体昨日何時に寝たんだろ……?
桜がそう思ってると、お兄ちゃんが目を覚ました。
「あれ……? どうして桜ちゃんが居るの……?」
お兄ちゃんは寝ぼけているみたいで、眠たげな目で桜の事を見てる。
「おはよう、お兄ちゃん。昨日は一緒に寝たんだよ?」
桜はお兄ちゃんに笑顔でそう言うと、お兄ちゃんは昨日の事を思い出したみたいで、頭を抱えちゃった。
桜と寝た事に後悔してるみたい。
お兄ちゃんって結構こういう事を気にしてるけど、兄妹だから一緒に寝るくらい良いのにね?
桜的にはこれから毎日お兄ちゃんと寝たいのに。
今日目が覚めた時、桜は凄く幸せな気持ちだったの。
だって、大好きなお兄ちゃんに抱かれたまま目が覚めたから。
だから桜は、毎日こんな幸せな朝を迎えたいと思った。
でも……お姉ちゃんが知ったら怒るから、それは出来ないんだよね……。
……いっそお父さん達に頼んで、三人でも寝られるような大きなベッドを買ってもらえないかなぁ?
そしたらお兄ちゃんとお姉ちゃんと一緒に寝られて、みんな仲良く出来ると思うのに……。
「桜ちゃん、今日は何処に行きたい?」
桜がお兄ちゃんと一緒に寝られるようになれないかなぁって考えてると、優しい笑顔を浮かべたお兄ちゃんがそう尋ねてきた。
お兄ちゃんは前髪が長くて髪に目が隠れてしまうみたいだけど、背が低い桜が近くから見上げると、お兄ちゃんの目もきちんと見えるの。
だから、お姉ちゃん達より得してるって思った。
そして桜はお兄ちゃんが向けてくれる笑顔が大好きなの。
これからもずっと、お兄ちゃんにこんな笑顔を向けて欲しい。
それに、お兄ちゃんは桜だけのお兄ちゃんなの。
いくらお姉ちゃんでも、妹のポジションだけは譲れないと桜はこの時思うのでした――。
2
「――なぁ、どうしたんだ?」
「……え?」
家に帰ってきた咲姫に俺が声を掛けると、少し遅れて咲姫が反応した。
さっきからこの調子だ。
咲姫は家に帰ってきてから、ずっとボーっとしている。
何かあったのだろうか?
「ごめん、何でもないよ」
咲姫はそう言って笑顔を浮かべるが、全然何でもない様には見えない。
俺は桜ちゃんに視線を移す。
桜ちゃんは俺が見ている事に気付くと、困ったように首を横に振った。
どうやら桜ちゃんも咲姫の違和感に気付いている様だが、流石に原因まではわからないみたいだ。
如月先生に聞いてみるか?
……いや、あの能天気なポンコツ教師が咲姫の違和感に気付いてるとは思えない。
一昨日だって、咲姫が雲母にされた事を聞いても怒りを見せずに、ただ苦笑いを浮かべてただけだったしな。
あの人は普段の行動といい、何かと物事を軽く考えすぎてる気がする。
まぁ、その後あの場を治めてくれた事には感謝をするが……。
ただ、あの時は意外に凄い人だなと思ったのに、最後には駐禁の切符を切られるというオチがついた。
そんなオチが付くところが、やっぱりあの人はポンコツだという事なんだろう。
だから如月先生に聞いても意味が無い気がする。
それなら、咲姫が話してくれるまで待つしかない。
それに、今の俺はそれどころではないしな……。
あと数日で、父さん達が帰ってくる。
そして父さん達が帰ってくれば、そのまま父さんの実家に帰る予定になっているのだ。
長期間病院を閉めるのはどうかと思わなくも無いが、こればかりは毎年の恒例だから仕方ない。
何より、俺の誕生日に祖父母の家に帰ってなければ、俺が地獄を見る事になるし……。
帰らないなんて言った日には――あのヤンデレ従妹が家にまで押しかけてくるのは間違いないだろう。
というか、実際に俺が中二の時に父さんについて帰らなかった時、当時小六の従妹は祖父母の家で大暴れした後、父さんと一緒に俺の家にまで来た。
そして、俺は従妹の手によって軟禁されたのだ。
それまでは大人しくて可愛いと思っていた従妹だったが、俺はその時から従妹の事が苦手になった。
軟禁されて俺達が何をしていたかと言うと――延々に従妹を膝の上に乗せた状態でアニメを見させられた。
そう――従妹はオタクだったのだ。
俺がオタクの道を歩み始めたのはその時だったんだが、あれはオタク系のアニメが面白かったというのと同時に、現実から目を逸らすためでもあった気がする。
結局は色々と良い作品が知れてよかったのかもしれないが、あの時の俺は生きた心地がしなかった。
俺の従妹はある特殊な見た目をしているのだが――いや、そのせいでまるでアニメから出てきたような可愛い子に見える。
俺はそんな可愛い従妹を凄く可愛がっていたが、今では会うだけで恐怖を感じている。
昔祖父母の家に遊びに行ってる時に、知り合った女の子と仲良くなって遊ぶという事が結構あった。
だが不思議な事に、数日後にはその子が俺を見かけると、怯えた様な表情をして逃げていくという奇妙な事が起きた。
しかもそれは、俺と仲良くしていたはずの女の子達全員だ。
その時の俺は何が起きてるのかよくわからず、遊んでいた友達がいなくなったせいで従妹の相手をしていた。
しかし――俺が軟禁された時に、その真実を知ったのだ。
従妹が俺と遊んだ女の子達に脅しをかけていたという事を――。
あいつはアニメや漫画で出てくるヤンデレに間違いない。
だから、俺は祖父母の家に帰りたくないのだ。
なのに今年は咲姫や桜ちゃんまで居る。
あいつが咲姫達の事を知れば、一体どんな行動をとるのか……。
今からその事を考えるだけで、俺の胃はキリキリとするのだった――。