第61話「払拭出来ない不安」
「海斗ってさ――優しいよね」
アリスさん達と別れた後家に帰ってる最中、雲母が急にそんな事を言い出した。
雲母は今も尚手を繋いでるのが嬉しいのか、幸せそうな笑顔で俺を見上げてきている。
俺はそんな雲母に戸惑いつつも、手を離すのをためらわれたため、なるべく感情を表に出さない様にしていた。
「俺が優しい?」
雲母の言葉に疑問を抱いた俺は、眉を顰めて雲母に尋ねた。
「うん。だってアリスが取引を持ち出さなくても、本当はアリアに何もする気がなかったんでしょ?」
俺は雲母の言葉に頬を指でかく。
俺がアリアのインサイダー取引の証拠を手に入れた事や、アリアを追いつめる事は、雲母に教えていなかった。
しかしあの場の雰囲気からか、普段の俺を見ているからかはわからないが、俺が決定的な事をしないとわかっていたみたいだ。
だけど、俺がアリアの人生を終わらせる気がなかった理由は、優しさではない。
それに、アリアにあれだけの事をされておきながら、アリアに何一つ罰を与えなかった雲母の方が優しいだろう。
「別に見逃そうと思ったのは、優しさじゃないぞ?」
「え? じゃあ、なんで?」
俺がアリアの人生を終わらせる気が無かった理由は複数あるが、もっとも大きい理由はアリアがアリスさんの妹だからだ。
アリスさんは俺にとって恩人であり、大切な人でもあった。
だからアリアがどれだけ屑であろうと、アリスさんの妹である限り、決定的な所まで追い詰める気はなかった。
アリスさん自身、アリアに改心をしてほしいとは思っていても、居なくなってほしいとは思っていなかった。
なのに俺が、アリアの人生を終わらせるなんて出来るはずがない。
それはアリスさんの気持ちを、裏切る事にもなるのだから。
しかし、この事を雲母にそのまま正直に話す訳にはいかないだろう。
きっとアリスさんの事を話してしまえば、俺達の過去についても話さないといけなくなるだろうから。
だから、別の理由を雲母には言う事にしよう。
「そもそも、今回俺が取引した相手ってのは、アリスさんなんだよ」
「え!?」
俺がアリスさんとの取引の事を言うと、雲母が驚いた声を上げた。
それもそうだろう。
なんたってこれじゃあ、アリスさんは妹を裏切ったという事になるのだから。
……まぁ事情はどうあれ、裏切ってる事には変わりないが……。
「アリスさんはお前の事を助けたかったのと、この勝負でアリアに改心して欲しかったんだよ。だから俺と取引をして、情報をくれた。その情報が無ければ俺達は勝てなかったし、アリアのインサイダー取引の証拠も手に入れられなかった。そしてもちろん取引という事から、アリスさんからも条件が出されていた。それが雲母に予め言っていた、報酬について融通を利かせて欲しいという事だ。だけど、言葉にはされなかったが、そこにはアリアの最低限の保証も含まれていた」
「それは何?」
雲母はアリスさんとの取引の中に有った、最低限の保証が何なのかわからず、首を傾けて俺を見上げてきた。
俺は雲母に何処まで教えるかを悩んだが、出来る限り本当の事を教える。
「今回の事は、俺がアリアのインサイダー取引の証拠を手に入れた事以外は、全てアリスさんが把握していたんだ。そして、アリスさんにはこちらのインサイダー取引を証明する証拠だって手元にある。だからもしアリアの人生を終わらせれば、俺も一緒に終わってたってわけだ」
アリスさんが持つ証拠というのは、もちろん俺がKAIだと証明できるという事だ。
なんせあの人は、KAIが使っている口座やサイトなどを全て把握している。
一応はKAIがこの勝負自体に関わっていても、株を購入する際には関わっていないという道を作ってはいるが、それもアリスさんが本気になれば、意味を成さないだろう。
だから、俺はインサイダー取引を行った事を証明され、罪を問われる事になる。
だけど、そこに雲母は含まれない。
俺が一切平等院システムズの情報を教えなかったのと、雲母は俺がKAIだという事を知らない。
つまり、雲母にインサイダー取引を問い詰めたとしても、決定的な証拠も出てこないのだ。
それにもし俺がインサイダー取引を行った事を証明されれば、白兎に話を持って行ったのは俺だという事実も、公表するつもりだったしな。
――とは言え、アリスさんが俺がKAIだとバラす事はまずないと思う。
「アリスが持ってる証拠って、海斗がKAIだという証拠? やっぱり海斗はKAIなの?」
アリスさんが証拠を持っていると言っただけでその考えに至るというのは、やはり雲母は頭が良くて察しが良いだろう。
「それは違うな。俺はKAIではない」
しかし、雲母にKAIだと教える訳にはいかないため、俺は首を横に振って誤魔化した。
「そ、そうだよね……」
俺が否定すると、雲母は苦笑いを浮かべて頷いた。
恐らくは、まだ疑っているだろう。
俺がプログラムに精通している事は、咲姫との一件で知っているしな。
「雲母って、アリアがどんな風に育ってきたのか知ってるのか?」
俺は話を変えるために、アリアを決定的にまで追い詰めなかったもう一つの理由を話す事にする。
「ううん、知らない。あいつとは小学校からの付き合いだけど、仲が良いわけじゃなかったし……」
「そうか。俺はアリスさんから聞いたんだが――あいつも、相当酷い育て方をされてきたらしい。だから、その生い立ちに同情して、あいつの考えを改めさせたいと思ったんだよ。なのに人生まで終わらせてしまったら、あいつはやり直す事が出来ないだろ?」
俺の言葉に納得した様に雲母が頷く。
俺は今回アリアに、雲母と同じ人生が終わる絶望と、周りの人間から見放される気持ちを味わわせる事に成功した。
人生をわざわざ終わらせなくても、一瞬とは言え本気で絶望しただけでも、十分効いただろう。
とは言え、罰自体は与えるつもりだったんだけどな……。
でも雲母がそれを拒否するのなら、俺が言い出す訳にもいかない。
しかし、あの様子だと恐らく改心はしていないだろう。
明日もう一度アリスさんと話す事になってるし、その時にアリアの様子を確認してみよう。
……世間が許さない行為を三つも犯した俺に、アリスさんは怒るだろうか……?
俺は今回、雲母を絶対に助けたかった。
それに俺の人生は、俺の周りに居てくれる人の為に使うと決めているから、俺自身がどうなろうと構わないという気持ちもある。
自分が人として最低な事をしている自覚はあるし、それで大切な人を守れるのならそれでいいじゃないかとも思う。
だけど――俺がやっている事は、本当にこれでいいのだろうか……?
大切な人達を助けたいからと言って、罪に問われる様な事をしてまで助ける事に、意味はあるのだろうか……?
「海斗……?」
俺が一人悩んでいると、雲母が心配したような表情で俺の顔を覗きこんできた。
「あ――悪い、なんでもない」
俺が咄嗟に誤魔化すと、雲母が一瞬顔を曇らせ、しかしすぐに明るい笑顔を向けてきた。
「ねぇ海斗――結婚して!」
雲母は笑顔でそう言うと、俺の首に抱き着いてきた。
「お、おい! なんでいきなりそうなるんだ!」
「いいじゃん! 人生を賭けた戦いを共にしたんだから、もう私達は運命共同体だよ!」
「意味わからねぇよ!」
「えへへ――いいって言うまで、離してあげないもん!」
雲母はそう宣言すると、更にギュッと俺の首にしがみ付いてきた。
こんな事をしているせいで、周りからは何とも言えない視線を向けられている。
何より、俺自身が雲母にくっつかれて平静を保っていられなかった。
きっと雲母は俺が何か思い悩んでいたから、それに気遣ってくれたんだろう。
しかし――気遣うなら、もっとまともな方法にしてほしかった……。
結局この後はもう悩んでいた内容など忘れてしまい、雲母に振り回され続けるのだった――。