第52話「勝負の鍵はお前だ」
「――はい……」
俺が雲母の家のインターフォンを鳴らすと、落ち込んだような声で雲母が返事をした。
らしくないな……。
俺はそう思いながらも、雲母に声を掛ける。
「海斗だ、話がしたいから開けてほしい」
「え!? 海斗!? ちょ、ちょっとだけ待って!」
雲母は慌てた声を出すと、ドタバタし始めた。
それから五分後――やっと雲母が出てきた。
「待たせてごめんね……」
「あぁ――いや、気にするな」
雲母が出てきて、何故彼女が中々出てこなかったのかわかった。
今の雲母の顔には、うっすらと涙の痕があり、目も若干赤い。
恐らくは、泣いていた事を俺にバレない様に必死に誤魔化そうとしていたのだろう。
ならば、そこに触れないのが優しさだ。
「上がって」
雲母は俺に家の中に入る様に言ってきた。
だけど、女の子が一人暮らしをしている所に上がるべきではない。
「外で話をしよう」
「えぇ……でも……」
雲母はそう呟くと、自分の服装へと視線を向ける。
俺は雲母の顔に目線が言っていたせいで気づかなかったが、彼女はもう部屋着に着替えていた。
態々(わざわざ)着替えさすのは手間かもしれないが――やはり、家に入るわけにはいかない。
「海斗は、そんなに私の家に入るのが嫌なの……?」
雲母は目をウルウルさせながら、俺の事を見上げてきた。
「うっ……」
「そんなに嫌がられると傷つくよ……」
「わ、わかった! わかったからそんな顔をするな!」
悲しそうな表情をする雲母に負け、俺は頷いてしまった。
……俺って、本当に意志が弱いよな……。
「やった! じゃあ、上がって上がって!」
俺が了承した途端、雲母は明るく俺の手を引っ張ってきた。
……さっきのは演技だったのか?
……いや、空元気か……。
雲母の声はいつもより高いし、手は若干震えている。
無理して明るくしようとしているのだろう。
「それで話って?」
雲母は俺を先に座らせ、俺にくっつく様にして座ってからそう尋ねてきた。
本当なら振り払うべきなのだろうけど、無理して明るく振る舞っている雲母にそんな事はできなかった。
「その前に二つ程聞きたい事がある。無粋な質問にはなるが、雲母の小遣いって実際どれくらいあるんだ? 誤魔化さずに教えて欲しい」
俺は失礼な質問だと自覚しながらも、雲母にそう尋ねた。
俺がとる策にはどうしても重要になる部分だからだ。
「えと……1億円ほど……」
「そ、そっか……」
俺は雲母の言葉に若干ギクシャクしながら頷く。
……おかしいだろ!
なんで学生が一億もお小遣いを持ってるんだよ!
いや、アリスさんは恐らくそれと桁違いの額をもってるんだろうけど……。
とは言え、あの人は昔自分で稼いでいた。
だから、たくさんのお金を持ってるのはわかるが――雲母の場合、お小遣いでそれって……。
やはり、日本の経済はおかしい。
子供にそんな大金が渡せるくらいなら、一日を生きるのも苦労している人達にお金が行くようにするべきだ。
ただまぁ、今は雲母がお金を持っていた事は有難かった。
「俺も二億準備した。雲母のそれと合わせて合計三億だ。……ただ、それでも心もとないが……」
「え!? ちょ、ちょっとまってよ! なんで海斗がそんな大金を準備できるわけ!?」
当然雲母は俺の言葉に驚く。
だけど、俺はそれに答えるわけにはいかない。
本当なら、これから雲母に求める事に対しての信頼感を増すために、KAIと打ち明けた方が良いのだろう。
雲母は日本屈指の大手財閥の娘だから、KAIの名は聞いた事があるだろうし、KAIならそんな大金を手に入れれても不思議じゃない。
ただ、それでも俺は雲母にKAIだと言う訳にはいかなかった。
別にそれは雲母を信用していないわけではない。
今の雲母なら話しても大丈夫だと思う。
きっと俺がKAIと知っても、無理に西条財閥に引き込もうとはしないだろう。
だが――俺がとる策から雲母を守るには、雲母が俺をKAIだと知るのもまずい。
最悪失敗したとしても、俺だけで済むようにしなければならない。
「それは言えない。ただ、変な闇金融から借りてきたわけじゃないから、心配するな」
「いや、流石の闇金融でも2億とか貸したりしないでしょ……。それに心もとないって……今回の勝負は資金10万と決まってるんだよ?」
雲母はそう言って、怪訝な表情を俺に向けてきた。
「それは勝負する最終的な金額に使用するものだ。勝負として提示するお金にその資金が含まれていなければ、他の事でお金をどう使おうと問題ないんだよ。なんせ、平等院がそういう縛りにしたんだからな」
「まさか、アリアも同じことをしようとしてるわけ……?」
俺が大金を用意した事により、雲母は俺が株価を上げようとしていると考えたみたいだ。
だが、俺がするのは寧ろ逆だ。
「なぁ雲母。お前、平等院がいろいろと戦略を用いて株価を引き上げてくると思ってるだろ?」
「え……? 違うの……? だって、あのアリアだよ? きっと色々仕掛けてくるに決まってる」
「そもそもの前提が違うんだよ。お前、あいつは株の知識が無いと本人が言っていただろ? なのに、複雑な戦略がとれると思うか?」
「でも、それだって嘘かもしれないじゃん。寧ろ、そっちの可能性が高いよ」
俺は雲母の言葉に首を横に振る。
「いいや、それはまずない。あいつはボイスレコーダーを使っていたんだ。それでお前に逃げる事は出来ないと言ってきただろ? もし平等院が嘘をついていたらお前は勝負を無効にすることが出来るのに、あいつがそんなヘマをすると思うか?」
「あ、いや……それはないかも……」
「だろ? だから、あいつがとる戦略は単純なんだよ。そして最も確実であり、尚且つ株の知識がある人間なら絶対にしない事だ」
多分、雲母の頭にも一瞬くらいはその考えが過っていたはずだ。
だが、それはまず無いと思い直し、もう気にしていなかったと思う。
「その戦略って?」
「それは――」
俺が説明をすると、雲母は凄く驚いた表情をした。
「何それ!? あいつ狡すぎでしょ! 完全に犯罪じゃない!」
「そうだな。だが――あいつはそうならない様に、手を回すだろう」
「だったら、どうしたらいいの? こっちに勝ち目がないじゃん」
「だから俺が降りるべきだと言ったんだろ……?」
「あ――そうだった……」
俺が呆れたように言うと、雲母がシュンっとした。
こいつのこんな表情は中々見る機会がないよな。
……まぁ、見たくもないがな……。
「心配しなくてもいい、ちゃんと勝たせてやれる」
「ほ、本当……?」
「あぁ、その代わり――俺に人生を掛けてくれるか?」
俺は真剣な表情でそう雲母に尋ねるのだった――。
2
俺が雲母の人生を俺に掛けて欲しいと言ってから、数分後――雲母はゆっくりと口を開いた。
「うん、掛けるよ。だって、海斗が凄いって事は私が良く知ってるし。それに――どっちみち、これで私が負ければ私の人生は終わるから……」
雲母は俺に笑顔を見せた後、苦笑いをしながら自分の人生が終わる事を言った。
そう、この勝負は元から雲母の人生が掛かっている。
だから、それを俺に掛けるのは聞く限りでは大して変わらないだろう。
だけど、自分の人生を他人に託すと言うのは、簡単にできる物じゃない。
俺は俺を信じてくれた雲母に感謝をする。
そして、雲母をここまで追い詰めたアリアにはそれ相応の罰を受けてもらうつもりだ。
「じゃあこれからの流れを説明するが――その前に、雲母は株の流れを読むのにどれだけ自信がある? これも正直に答えてほしい。なんせ、この勝負の鍵になるのはお前なんだから」
この勝負は元々雲母とアリアの勝負だ。
俺はあくまで雲母に手助けをするだけで、この勝負は雲母の手によって勝てたとするのがベストだろう。
それにアリアが買う予定の株は、大手企業のせいでかなりの株価だ。
だから、三億円を使ったとしても、変動する株価はせいぜい数円単位。
今回株を買うタイミングはシビアだ。
俺はその株を買うタイミングを読むのを雲母に任せるつもりだ。
まぁ、最終的にタイミングの判断を下すのは、俺が裏をとった後であり、その事は雲母には言わないが……。
だから、雲母的には自分の判断で読み勝ったと思ってくれるだろう。
これでアリアに負けて逃げた事を雲母が気にしなくなってくれれば、上出来だ。
「えと――前にも言ったように株自体に手を出したのはそんなに多くないけど、経営の勉強にもなるからずっと流れを読む事は続けていたよ。だから、それなりには読めると思う」
雲母は俺の目をしっかりと見ながら、そう答えた。
俺はその言葉に嘘や虚勢はないと判断する。
ならば、問題ないだろう。
雲母自身が優秀な人間なのは俺が知っている。
きっと、アリアにも負けないだろう。
「だったら、今から言う会社の株の流れを読んでほしい。そして、この二週間の間に一番株価が下がるタイミングが知りたい。恐らく平等院が買うタイミングがそれだからだ」
「どうしてそんな事がわかるの? だってアリアは株の知識が無いんだから、株の流れなんて読めないでしょ?」
「今回の勝負、あいつは一対一なんて一言も言ってないだろ? あいつは別の人間に流れを読ますのさ」
そしてそれがアリスさんだ。
あの人は俺にヒントをくれた。
俺がアリアに株の知識があるのかと尋ねた時あの人は、『アリアは株の知識が無い』と答えた。
つまり、別の人間にはあるという事だ。
そしてあの時話していたのは俺とアリスさんだけだから、引き合いを出すのは彼女自身しかいない。
ただそれだけじゃなく、彼女は態々(わざわざ)自分が関わる事を明言し、俺の質問で株の流れを読む事を無言で肯定した。
それはつまり――彼女が読むことにより、アリアが株を買うタイミングがこの二週間の間で一番株価が下がる、ベストのタイミングと言う事だろう。
株の流れなど正確に読める人間はいないはずだが――相手はあのAさんだ。
あの人の凄さを俺はよく知っている。
だから、まず間違いないだろう。
そして俺がとる戦略は、先程言った様に株を買うタイミングが命だ。
絶対にアリアが株を買ったタイミングがわからないといけない。
だから、アリスさんはあんなヒントを出してくれたのだろう。
とは言え、アリスさんが絶対読める保証はないのと、雲母がもし失敗しても大丈夫なように、俺はきちんと自分のやり方で裏をとっておく。
そしてこれはアリスさんとの話ではしていない事だが――俺は雲母をここまで追い詰めたアリアには、雲母と同じ思いをしてもらうつもりだ。
人を食い物にして生きてきた人間の末路というものを、教えてやるよ――アリア。
俺は雲母に株の流れを読んでもらう理由とこれからの事を説明する傍ら、頭の中ではそんな事を考えるのだった――。
3
「ただいま――」
「あ! やっと帰ってきた!」
俺が家に入ると、すぐにリビングから咲姫が顔を出した。
「えと、どうした?」
俺はそんな咲姫に戸惑いながらもそう尋ねてみる。
「どうしたもこうしたもないよ! 一体、いつまで遊び歩いてるの!」
なんだか咲姫は腰に両腕をあてながら、なぜかプリプリとしていた。
俺は時計の時間を見る。
……確かにいつもより遅いかもしれないが、まだ20時を過ぎた所なんだけど?
というか、前に咲姫と遊んだ時の時間の方が遅かったのに、そこまで怒られる事か?
「そんなに西条さんとのデートは楽しかったってわけ?」
どうやら、今の咲姫は学校での咲姫が混ざっている様だ。
目が凄く冷たいし……。
「色々と有って遅くなっただけだよ」
「色々って何!? もしかしてご休憩してきたの!? というか、デートを否定しなかった!」
何があったか説明するわけにはいかないせいで俺は言葉を濁したのだが、咲姫は余計反応してしまった。
というか、なんだよご休憩って……。
そりゃあ、遊んでるんだから休憩もするだろ……。
しかも、なんか自分からデートって言っておきながら、俺が否定しなかったら怒りが増してるし……。
めんどくさ……。
最近の咲姫は可愛いけど、たまによくわからない事でめんどくさくなる。
「そもそも西条とは昼に別れたから、そんなに遊んでないぞ?」
まぁ、その後もっかい会ってるけどな……。
「え、そうなの? じゃあ、一人で何処かに寄ってただけ?」
「あぁそうだよ」
俺がそう答えると、途端に咲姫がニコニコし始めた。
……これはヤキモチだったのだろうか……?
いや、違うな……。
弟にヤキモチなんか焼くわけが無いし、単に雲母と仲良くするのが気に入らないだけだろう。
その気持ちもわかるんだが――色々と知ってしまった俺には、雲母を無下に扱うのはもう無理だ。
流石に咲姫には悪いと思ってるけど、きちんと割り切れるほど俺は大人じゃない。
「ねね、だったら早くご飯食べてお風呂入って――あのゲームの続きをやろうよ!」
機嫌が直った咲姫はそう言って、俺を急かしてきた。
あのゲームとは例の、金髪ヒロインばかりのゲームだ。
最初はあれだけ不機嫌になっていた咲姫も、シナリオがお気に召したらしく、今では凄く気に入っていた。
……最後のルートやらせたら、泣くんだろうなぁ……。
だけど今の俺はやらないといけない事があるから、咲姫にゲームをさせてあげる事は出来ない。
「ごめん、今日から当分はまた忙しいから、ゲームをさせてあげる事はできない」
「えぇ!? またおあずけなの!? どんだけ海君は焦らすのが好きなの!? 焦らしプレイは女の子に嫌われるよ!?」
「ばっ――! お前、いきなり何言ってんの!? 女子がそんな言葉使うなよ! というか、また勝手に人に変な性癖をつけるな!」
一体咲姫はどこからこんな言葉を覚えてくるんだ!?
あれか!?
エロゲが原因なのか!?
つまり俺か!?
それに確かに俺はそういうのが好きだけど――お前にそんな事した記憶がないんだが!?
なんで『どんだけ』とか言葉が付くんだよ!
まるで俺が何度もしてるみたいじゃないか!
「もういいよ……。じゃあ、また海君のラノベ読む!」
「……何処で?」
「海君の部屋!」
「駄目だ」
「なんで!?」
俺が咲姫を拒否すると、咲姫が悲痛な声を上げた。
咲姫には悪いが、当分部屋に入れる事は出来ない。
俺がしようとしている事を咲姫が知ると、面倒な事になる。
それだけ駄目な事を俺はしようとしている。
……本当、俺ってアリアの事を言えないくらい、人間として最低だよな……。
だが、それで雲母を守れるのなら――それでいい。
ただ、本当に線引きだけは誤らないように気を付けなければ……。
「――お兄ちゃん……ご飯、冷めちゃう……」
俺が咲姫の抗議を流していると、リビングから桜ちゃんが顔を出した。
その表情は若干曇っている。
「ごめんごめん、すぐ行くよ!」
俺はそう言って、未だ文句を言い続けている咲姫を連れながらリビングに入る。
すると、桜ちゃんが俺の顔をジーっと見つめていた。
「どうかしたかな?」
俺は優しく桜ちゃんにそう尋ねる。
桜ちゃんは一瞬咲姫の方を見ると、咲姫に聞こえない様に小さい声で耳打ちをしてきた。
「あまり……無理しないでね……?」
「――っ!」
俺は桜ちゃんの言葉に驚き、桜ちゃんを見る。
桜ちゃんは困ったような笑顔を浮かべ、すぐに台所に向かった。
……あの子は本当になんなんだ?
どう考えても、俺が何かしようとしていると気付いてるよな……?
前から思っていたけど、あの子は人の感情の機微を察するのが上手すぎないか?
それとも、俺が分かりやすいだけ……?
この後俺は、自分が顔に出しやすいタイプなのか気にしながらご飯を食べるのだった――。
――ちなみに、部屋に戻った後すぐ、久しぶりに花姫ちゃんがおはよう、おやすみ以外でメッセージを飛ばしてきてくれた。
とはいえ、俺はしないといけない事があったので、少しだけやり取りをしてその日はパソコンに集中するのだった――。