第44話「縮まる距離感」
「うぅ……」
「ほら、もうお店に着くから、そこでゆっくり休もう」
俺は、涙目で俺の服の袖を握って放さない桃井に声を掛ける。
ジェットコースターに乗った後から、桃井はこの調子だ。
……いや、少し違うな。
ジェットコースターに乗った後の三十分くらいは、桃井は再起不能になっていた。
涙目でベンチに座り込んで、一切動かなくなったのだ。
全く……ジェットコースターが苦手ならそう言えば良いのに……。
まぁ俺もちょっと調子に乗って、日本一怖いんじゃないかと言われてるジェットコースターを選んだのは悪かったと思うが……。
それに正直言えば、ジェットコースターに乗る順番が近づく度に、桃井の顔が引きつって涙目になっていくのには気付いていた。
でも、ちょっと桃井に振り回されてモヤモヤしていた俺は、『まぁいっか』と考えて、気づかないふりをした。
……ちなみに、そのジェットコースターがそんな風に怖がられているという事も、桃井には伝えなかった。
……だって、逃げる気しかしなかったからな。
ただ――俺は桃井の誕生日に何をしてるんだ……。
楽しませなければいけない筈なのに、トラウマを植え付けてどうする……。
まぁそれも、もうすぐ着く店で直ってくれると信じよう。
今俺達は、如月先生の街にある『喫茶店さくら』というお店に向かっていた。
暗くなれば夜景を見に行くというのもあるが、ここのお店は華恋さんのお勧めらしい。
なんでも、友達がバイトをしていて華恋さんも最近利用するようになったらしいが、ケーキが凄く美味しいらしい。
そして華恋さんが口利きをしてくれるという事で、俺はそのお店で暗くなるまで時間を潰す事にしていた。
と言っても、乗り物を乗る待ち時間のおかげでほぼ夕方になりかけているため、そこまで時間を潰す必要は無いだろう。
後は桃井が回復してくれればいいだけだ。
まぁ元々喫茶店に行く予定が無くても、桃井がこの調子だったらあのまま遊園地で遊ぶのは無理だっただろうな……。
それと、喫茶店にあまりながいもするわけにはいかない。
華恋さんや如月先生が住む街は都内にあるのだ。
だから、俺達が住む街からは少し時間がかかる。
ただ、県境を越えているとはいえ、お互いの街が都と県の端にあるため、想像よりは離れていない。
それでも夜遅くまで遊んでしまうと桜ちゃんに心配をかけてしまうだろうから、早めに帰ろうと思っている。
「あ、着いたぞ」
俺はそう桃井に声を掛ける。
「早く休みたい……」
「わかったわかった」
もう本当にゲンナリしてしまっている桃井に、俺は苦笑いを返す。
学校一のモテ女のこんな姿、誰が想像できようか……。
「いらっしゃいませ~」
俺達がお店に入ると、茶髪でショートツインテールの可愛らしい店員さんが出迎えてくれた。
「二名様ですか?」
「はい。あ、それと、お店で神崎って伝える様に言われているんですが」
「あぁ、君が華恋ちゃんが言ってた人なんだ! うん、じゃあ案内するね!」
店員さんは笑顔でそう言うと、お店の奥の席に連れて行ってくれた。
『華恋ちゃん』と呼んだという事は、この人が華恋さんの友達なのだろう。
ただ、俺が華恋さんの知り合いだと知った途端フランクになったが、店員がそれで良いのだろうか?
まぁ、気にするべき事ではないか。
多分、彼女はコミュニケーションが得意な人間だ。
人懐っこい笑顔に、平気で相手と距離を詰める事が出来る。
まだ少ししか会話をしていないが、こういう人間は相手との距離感を掴むのが上手い。
相手が踏み込まれると嫌な領域を、しっかりと把握しているのだ。
まぁ、平気で相手の領域ガツガツと踏み込んでくる奴もいるけどな。
例えばポンコツ教師とかな……。
それと、彼女は俺達の事をジロジロと見たり、物珍しそうに見ない。
それだけで好感が持てる。
ギュゥウウウ――!
「ちょっ! イタイイタイイタイイタイ! おい、どうしたんだ!?」
何故か急に、桃井が俺の手の甲をつねってきた。
「店員さんの方をジッと見てた……」
俺が桃井の方を睨むと、桃井が頬を膨らませて拗ねていた。
えぇ……。
確かにあの店員さんの事を考えてたから見てたけど、なんで怒ってるの……?
あれか、女の子をジロジロと見る男は最低と言う奴か?
先ほどの店員の女の子が、苦笑いでこっちを見てるし……。
とりあえず、俺達も早く席に行った方が良いだろう。
俺はそう思うと、桃井を連れて席に着いた。
「それじゃあ、すぐに準備するから待っててね」
そう言うと、店員さんは厨房へと行ってしまった。
「随分と仲が宜しい事で……」
そう言って、桃井が光を無くした目で俺の事を見てくる。
おぉい……。
なんでこいつ、こんな目をしてるわけ……?
ていうか、さっきまでジェットコースターに怯えて涙目だった可愛い女の子は、一体何処に行ったの……?
俺はそんな風に現状の桃井に面喰いながらも、桃井の誤解を解くことにする。
「仲が良いって、俺とさっきの子は初対面だぞ?」
「へぇ……?」
俺は桃井に事実を告げたはずなのに、桃井が疑っている様な目で俺の方を見てくる。
おかしいな……。
先程の俺と店員さんの会話を見ていたのなら、初対面だとわかるだろ……?
ただ、今の桃井にどれだけそんなことを言おうと、意味が無いだろう。
だって、この目をしてる桃井は正気じゃないもん……。
「あの店員さん、注文を聞いて行かなかったのはなんで?」
少し時間が経ってから、桃井がそんな風に聞いてきた。
どうやら正気に戻ったようだ。
「もう注文は済ませてあるんだよ」
「え?」
俺の言葉に桃井が首を傾げた。
ただ、わざわざ説明する必要はないだろう。
それではサプライズにならないし、俺の視界には先程の店員さんが入っていた。
「おまたせ~!」
そう言って店員さんが桃井の前に誕生日ケーキを置いた。
そのケーキは実に凝っており、ハート型にされたホールケーキに『誕生日おめでとう』と書いてあるだけではなく、イチゴやフルーツが綺麗に盛り付けられている。
それに、皿にはチョコクリームで猫などの動物が描かれていた。
流石華恋さんがオススメしているお店だ。
桃井はケーキに釘付けになっていた。
意外――ではないか。
今の桃井だと、ケーキが好きでも全然おかしくない。
「実はこれ、お店のメニューに無いの。だけど、華恋ちゃんに頼まれたから特別だよ? まぁ、本当は華恋ちゃんが作ってくれるように頼んだ人はここ最近忙しくて居なくて、店長が作ってくれたんだけどね」
店員さんはそう俺に耳打ちすると、ニコッと笑った。
「それは申し訳ない事をしましたね」
俺はそう言って、店員さんに頭を下げる。
まさか、わざわざお店に無い物を作ってくれていたとは思わなかった。
「いいのいいの。だって友達の友達は、結局は私の友達だもん」
そう言って、店員さんは手を振ってテーブルを離れて行った。
俺はそんな店員さんと華恋さんに感謝をすると、桃井の方を見る。
桃井は眼をキラキラとさせて、待ちきれないと言った感じになっていた。
ちなみに俺の前にはコーヒーとパンケーキがある。
甘い物を食べられないわけではないが、あまり好きではない。
だから甘すぎず、少しはお腹の足しにもなるパンケーキにしておいた。
今日、昼飯を食べ損なっているんだよ……。
「桃井、誕生日おめでとう。じゃあ、食べようか」
「あ――ありがとう!」
俺が桃井の誕生日を祝うと、桃井は嬉しそうに笑ってケーキを丁寧に食べ始めた。
幸せそうにケーキを食べている桃井を見ていると、こちらまで幸せな気持ちになってくる。
ただ、これでまだサプライズは終わっていない。
桃井にはこの後の予定の事も当然伝えていないのだ。
だから、ここでは誕生日を祝うだけで、プレゼントは渡していない。
だけど、桃井はここで誕生日を祝われた事と時間的に、今日はもう終わりだと思っているだろう。
最後にもっと喜んでくれるといいな……。
俺はそう思いながら、パンケーキに手をつけるのだった――。
2
「それじゃあ行こうか」
俺は桃井が食べ終わって少しして、外が暗くなっている事を確認すると桃井に声を掛けた。
「うん、帰ろ!」
桃井は俺の言葉に笑顔で頷いた。
その表情からは満足しているという気持ちが窺える。
俺は桃井の表情を確認すると、会計を済ませに行く。
「あ、私もお金払うよ?」
桃井がそう言って財布を取り出そうとする。
「いや、俺が払うから良いよ」
俺はそんな桃井を制止した。
今日は桃井の誕生日だし、ここは俺が勝手に予定に入れたものだ。
桃井にお金を出させるわけにはいかない。
「そうそう、こういう時は彼氏が出すべきだよ」
俺達の会話を聞いていた華恋さんの友達である店員さんが、笑顔でそう言った。
俺に同意してくれるのは有難いが、誤解をされるのは困る。
「いや、俺達付き合ってませんよ?」
「え、そうなの!? でも――」
店員さんは俺の言葉を聞いて驚きながら、桃井の方に視線を向ける。
俺がそれにつられて桃井の方を見ると、桃井がバッと俺から顔を逸らし後ろを向いた。
何故かその頬には、両手をあてている。
俺は何故桃井に顔を背けられたのかわからず、首を傾げる。
「ハハ……これは女の子も苦労するだろうなぁ……」
俺が桃井に首を傾げていると、店員さんがそんな風な事を呟いた。
「どういうことです?」
俺は彼女が言った言葉がよくわからなかったため、尋ねてみた。
「ううん、なんでもないよ。それより、タクシーが待ってるんだから早く会計済ませちゃおうよ」
店員さんの言葉に店の外を見てみると、本当にタクシーが来ていた。
これは、先程桃井が食べ終わった後に呼んでもらっていた。
目的の所に行くには、自転車がない俺達にはタクシーが必要だったからだ。
まぁそれでも、途中からは歩いて登らないといけないらしいが……。
「バイバ~イ」
俺が会計を済ませて店を出ようとすると、店員さんがそう言って手を振っていた。
俺と桃井はそれに頭を下げて外に出る。
そしてタクシーに乗ると、俺は目的地を告げた。
駅に向かうわけじゃない事に気付いた桃井が驚いた表情をしたけど、何も言ってはこなかった。
それどころか、心なしか笑顔を浮かべている気がした。
3
タクシーが目的地に着くと、俺と桃井は階段を使ったり坂を登ったりしていた。
こんなに歩くと桃井が音を上げるかと思ったが、意外と平気な顔をしていた。
そう言えば、こいつ運動も出来るんだったな……。
本当、どれだけスペック高いんだよ……。
俺はちょっと理不尽さを覚えながらも、桃井のペースに合わせながら坂を登っていく。
「ちょっと、こわいかな……」
段々上に登っていくと街灯がかなり少なってきたため、桃井が不安そうな声を上げた。
「まぁ大丈夫だとは思うけど、あまり離れない様にな」
俺はそんな桃井を気遣う。
すると――桃井が手を繋いできた。
服の袖を握ってくるくらいはしてくると思って構えてはいたが、これは予想外だ……。
ただ、今の桃井を振り払うわけにはいかないし、手を繋ぐのは今日だけでもう三回目なので、俺は桃井に何も言わなかった。
「えへへ……」
そうしていると桃井がまた笑い出し、俺の手をニギニギと握って遊び始めた。
俺は表面上では平静を保ちながら桃井の好きにさせるが――当然、内面は凄い事になっていた。
……一体何なんだ、この桃井は!?
いくらなんでも可愛すぎるだろ!
こんなの普通に勘違いしてしまうじゃないか!
というか、手汗とかかいてないか!?
どうしよう、わからねぇよ!
もしかいてたら嫌われるんじゃね!?
俺はそんな風に、頭の中がグチャグチャになっていた。
だって仕方ないじゃないか!
こんな可愛い子にこんな態度とられたら、誰だってこうなるって!
俺が頭の中の自分にそうやって言い訳をしていると、目的の丘に到着した。
「わぁ――綺麗……」
丘からの景色を見ると、桃井が感嘆の声を上げた。
ここから見える景色――それは、清水町というこの街の光だった。
ただそれは、住宅街から見える光やお店などの光だ。
本来なら生活の為に使われている光が、密集している事とそれを遠くから見ている事により、一つの芸術にも見えた。
俺達の周りが真っ暗なせいか、その光はより一層綺麗に見える。
「話には聞いていたが……良い眺めだな」
俺はそう言って、この夜景にのめり込んでいる桃井の横に立った。
「うん……凄く綺麗……。なんだか、幻想の世界に居るみたい……」
俺はそんな事を言う桃井の表情に見とれてしまう。
その顔はとても愛おしい物を見る様な優しい目をしており、興奮からか頬が赤くなっていた。
それはとても色っぽく見える。
俺はそんな桃井を見ていて、自分の鼓動が速くなっている事に気付いていた。
ただそれは、今の桃井が可愛いからなのだろう。
決して恋愛感情ではないはずだ。
――と、俺は自分に言い聞かせる。
家族として慕ってくれている桃井に、その感情は絶対持ったらいけないものだからだ。
俺は再度自分を戒めると、桃井の誕生日プレゼントをポケットから取り出す。
そして、桃井に声を掛ける。
「桃井、ちょっとこっちを向いてほしい」
「ん? どうしたの?」
桃井は首を傾げながら、俺の顔を見上げた。
「二度目になるけど――誕生日おめでとう、桃井」
俺はそう言って、桃井に誕生日プレゼントを渡した。
「わぁ……凄く嬉しい……。開けてみても良い?」
俺は桃井の問いかけに頷くと、桃井は丁寧に袋の包みを開けた。
そこから出てきたのは、羽をモチーフにしたペンダントだ。
ただそれだけではなく、羽の根元には七月の誕生日石である小さいルビーが埋め込まれている。
とはいえ、それはガラス細工で作られた偽物だ。
流石に本物を使っていると値がはるため、彼氏じゃない男が高い物を贈ると引かれるとネットで調べていたため、そこまで高くない物にしたというわけだ。
しかし、しっかりと羽自体も丁寧に作られており、見た目的に気に入ったので俺はこれにした。
「……ねぇ、海君?」
「ん?」
「これ……海君から私に着けてもらってもいいかな?」
そう言って桃井が俺にペンダントを渡し、自分の髪を手で持ち上げた。
……まじで?
俺が桃井に着けるの……?
俺はそう思って桃井を見るが、桃井の目を見て桃井が引かない事を理解すると、桃井の首の後ろに手を回し、ペンダントを着けてあげた。
そのせいで桃井の顔が凄く近くにあり、若干抱きしめている様な形になる。
「えへへ……ありがと」
桃井はそう言うと、凄く愛おしそうにペンダントを手の平で持ち上げた。
そして、また俺の方を見上げる。
「ごめん……もう一つ、我が儘を言ってもいいかな?」
「なんだ?」
「あの……これからは、咲姫って呼んでほしいの……」
桃井は恥ずかしそうに目を逸らしながらそう言ってきた。
……そうだよな。
桃井が海君って呼んでくれてるんだ。
俺も家族なら、桃井の事を苗字呼びするのはおかしいよな……。
「うん、わかった。これからは咲姫って呼ぶよ。改めて宜しくな、咲姫」
「あ――うん! よろしくね、海君!」
俺が咲姫と呼ぶと、咲姫は凄く嬉しそうに笑った。
本当、こいつは無邪気だよな……。
俺はそんな咲姫の表情を見て、自分の中に広がるモヤモヤから逃げるように、丘から見える夜景へと目を逸らすのだった――。