第29話「俺が避け続けているポンコツ教師」
「――はぁ……」
「……お兄ちゃん、心配なのはわかるけど、さっきから溜息つきすぎだよぉ……」
俺がため息をつくと、桜ちゃんが困ったような笑顔を浮かべていた。
あぁ――本当、俺の妹は可愛いな……。
……何言ってんだ俺……。
ちょっと現実から目を逸らしてしまった……。
とは言うのも――
「だってもうすぐ20時だぞ? 一体何をしてるんだよ、あいつは……」
そう――もう20時を迎えようとしているのに、未だに桃井が学校から帰ってこないのだ。
生徒会があるとはいえ、最終下校時刻が18時半のため、いつもならもうとっくに帰ってきている時間だ。
そして、桃井にいくら連絡しても、返信が返ってこない。
ちなみに、桃井に連絡したのは桜ちゃんだ。
…………俺は桃井の連絡先を知らないんだよ……。
……前はともかく、今なら聞けば教えてくれると思うんだが――なんだか気恥ずかしい。
だって、女子に連絡先を聞くのなんて、どう聞けばいいかわからないんだよ……。
桜ちゃんは自分から教えてくれたしな……。
ちなみに、西条の連絡先も知らない。
あいつには何度も交換を申し込まれていたが、全て拒否している。
だって――あいつに教えたら、絶対一日中通知が止まない気しかしないからだ……。
まぁでも、少し前までならともかく、あいつがきちんと自分のした事と向き合った今、それも可哀想だよな……。
でもなぁ……一日中通知とか、トラウマを思い出しそうになるんだよ……。
まぁ、西条にはいつか教えよう。
いつかな!
……とりあえず、西条の事は今置いておこう。
それよりも――
「やっぱり、何かあったのかな……?」
「――っ!」
俺がまた桃井は何をしてるんだって考えようとして、桜ちゃんが呟いた言葉に反応してしまった。
「俺、ちょっと今から学校行ってくる!」
「え? ちょっ――お兄ちゃん!?」
俺は桜ちゃんが驚いている声を背に、学校に向け駆け出した。
――馬鹿か俺は!
あの滅茶苦茶可愛い桃井だぞ!?
こんな夜中に一人で歩いてたら、すれ違い様に襲われてるかもしれないだろうが!
なんでもっと早く行動しなかったんだ!
ちっ――ともかく、今は一刻も早く桃井のとこに向かおう!
俺は桃井がまた変な事に巻き込まれているんじゃないかと心配して、学校を目指して全力で走ったのだが――
「――ふ、普通に……ハァ……ハァ……生徒会室に……ハァ……ハァ……明かりがついてるじゃねぇかぁ……」
――学校に着いた俺が目にしたのは、生徒会室の窓から漏れる光だった。
つまり、桃井はまだ生徒会室に居るのだ。
たく……この時間まで一体何をしてるんだよ、生徒会は……。
俺はそう思いながら、窓から生徒会室を覗く。
すると――
「え……?」
――そこには、桃井が一人でパソコンに向き合っている姿があった。
何で一人なんだ……?
他の奴らはどうした……?
「おい」
俺は生徒会室のドアを開けて中に入ると、桃井に声をかけた。
「――っ! え……? どうして神崎君がここに……?」
俺が声を掛けると、桃井は驚いた様に振り返った。
ドアを開ける音が聞こえないくらい、集中していたみたいだ。
「お前、今何時かわかってるわけ?」
俺は桃井の質問を無視してそう尋ねると、桃井は気まずそうに視線を逸らした。
もうとっくに最終下校時間を過ぎていた事は、自覚していたらしい。
まぁ、それもそうか……外はもう真っ暗なんだ。
これで気づかない方がおかしい。
「それで、なんでこんな遅くまで残ってるんだ?」
「その……作業が溜まってて……」
桃井は弱々しく、声を絞り出すように答えた。
俺が怒っている事に気づいているのだろう。
「作業が溜まってる? じゃあ、他の奴らはなんでいないんだ? もしかして、お前が自宅に持って帰ってまで作業をしていた時、他の奴らは家で何もしてなかったんじゃないだろうな?」
俺は目を細めて桃井に尋ねた。
桃井は俺と目が合わない様に、俯く。
別に俺は桃井を追いつめたいわけじゃない。
正直、今の桃井にこんな事を言うのは気がひけるし、胸が痛い。
でもこういう言い方をしないと、こいつは他の奴らの事を庇って、本当の事を言わないだろう。
「だって……みんな、パソコンでキーボード入力するのが凄く遅いんだもん……。だから私が引き受けた方が効率が良いから、いつも一人でしているの……。作業が終わってる皆を残らすわけにもいかないし……」
まじかよ……。
まぁ、このネット社会でも未だにパソコンを使えない奴ら多いしな……。
しかもここ最近だとスマホが普及したせいで、パソコンを使わない人間も急増しているし……。
「じゃあ、生徒会の顧問はどうした? 事情を説明して、その人に手伝ってもらえばいいだろ?」
俺がそう尋ねると、桃井は首を横に振った。
「あの人……機械音痴だから……。今は職員室で私が終わるのを待っててくれてる」
……。
「……生徒会は、勉強が出来るだけのポンコツばかりか……」
俺は思わず、そう呟いてしまった。
「それは流石にひどいよ……? 誰もがみな、神崎君みたいにキーボードを見なくても文字が打てるわけじゃないんだから……」
「いや、そうだけどさぁ……。いくらなんでも、生徒会役員が五人も居て、キーボードがきちんと打てるのが一人で、挙句顧問は機械音痴ってどうなんだ……? それに、今時タッチタイピングが出来る人間なんて珍しくないぞ?」
――タッチタイピングとは、別名ブラインドタッチともいうのだが、手元を見ずにキーボード入力をする事だ。
頭でもキーボードの位置を覚えている人間も多いが、基本そう言う人間は指がキーボードの位置を覚えている。
そして体が覚えているという事は、頭で考えていないため、より早くキーボード入力が出来る。
それに入力ミスは画面を見てればわかるし、資料に目をやりながら入力をする事も出来る為、普通より早く入力が出来る。
そしてそれは本当に、手元を見なくてキーボード入力が出来る人間はそこら中に居る。
「それよりも、なんで遅くなることを連絡しないんだ? 桜ちゃんから、何回もメッセージが来てただろ?」
俺がそう言うと、桃井が気まずそうにスマホの画面を見せてきた。
……真っ暗なんだが……?
……もしかして、こいつ……。
「充電するの忘れたのか……?」
俺が尋ねると、桃井がコクンっと頷いた。
おい……全国模試上位常連の優等生さんは何処に行った……。
こいつも含め、やっぱり生徒会はポンコツばかりじゃねぇか……。
「ち、違うの!」
俺が呆れた顔をしていると、桃井が慌てたように声を出した。
「……何が?」
「その……これは、ここ最近浮かれてたせいであって、決して私が抜けてるわけじゃないから!」
「「……」」
桃井の言葉に俺が返事をしなかったため、二人で無言で見つめ合う形になった。
「――はいはい、そうだな」
「あっ、ひどい!」
桃井の言い訳を聞いて馬鹿らしくなった俺は、それを軽く受け流した。
俺の後ろでは桃井が涙目で文句を言っているが、一々取り合うのも馬鹿らしくて無視っている。
――浮かれてたせいって、結局はお前が抜けているって事だろ……。
………………え?
ここ最近浮かれてた?
それって――
「――てい!」
――ドンッ!
「いってぇ!?」
いきなり桃井が変な掛け声とともに、強めにチョップをしてきた。
「何すんだよ!?」
「私を無視する神崎君が悪い!」
俺が頭を右手で抑えながら桃井の方を見ると、桃井が涙目で頬を膨らませていた。
なぁ……こいつ、一々可愛すぎない……?
というか、精神年齢何歳だよ……。
少なくとも、桜ちゃんより下の気しかしない……。
「はぁ……こんな事してても時間の無駄だ。とりあえず、どれだけ作業が残ってるんだ?」
「あと……こんだけ……」
そう言って桃井が見せてきたのは、A4用紙30枚位の紙の束。
え……?
俺、生徒会役員になった事がないからわからないけど、こんなに作業あるものなの……?
それとも、ここの生徒人数が遥かに多いのと、施設が充実してて機材とかがたくさんあるせいか……?
まぁ、この学園は一学年10クラスもあるんだし、仕方ないとは思うが……。
「お前、これ本当に他の奴らに手伝ってもらえよ……」
あまりの仕事量に、俺は思わず桃井にそう言った。
だってこれは、流石に俺でも結構時間がかかる。
それがタッチタイピングが出来ない桃井となると、終わるまでにどれだけかかることか……。
「他のみんなには、別の作業をお願いしてるから……」
「だからって、これを一人でこんな時間までしてるんなら、仕事の分担がきちんと出来てないって事だろ?」
「でもぉ……」
俺の苦言に桃井は退こうとしない。
はぁ……本当、真面目だよなこいつ……。
「どれが急ぎの作業だ?」
「え……?」
「だから、明日までに終わらせないといけない奴だよ」
「あ……それはもう終わってる。後のは全部日が有るけど、早めに叩いていかないと溜まる一方だから……」
なるほどな……。
きちんと優先順位を立てて、仕事をやっていたわけか。
まぁ、その辺は流石優等生だな。
「それなら、家で俺の――は、今使えないんだったな……」
俺は前みたいに家で俺のを使って作業すればよかったのにと言おうとして、ここ最近俺が独占しているから使えないと言うのを思い出した。
ここで我が儘を言ってこないとこは、素直に良い子だなと思う。
仕方ない。
桃井のパソコンを俺のお金から買ってやるか。
「それなら今度パソコンを――いや……やっぱなんでもない」
「……?」
桃井が俺が言葉を言いなおしたせいで、キョトンっと首を傾げていた。
……すまん、桃井……。
やっぱ、パソコンを買ってやる事は出来ない……。
だってそれは――今後桃井がエロゲーをするために、俺の部屋に来なくなるという事だから……。
…………なんだよ?
うるさいな……ずるいなんて事わかってるんだよ……。
それに、桃井がお風呂上りに来るのが困るのも本当だ……。
だけど、桃井が遊びに来なくなるのはそれはそれで嫌なんだよ……。
……俺、本当どうしちまったんだよ……。
これもそれも全部、桃井が可愛すぎるせいだ……。
俺は思わず、顔に右手を当てて天を仰いだ。
「えっと……どうかしたの?」
俺の行動に桃井が戸惑ったような声を出した。
「いや、なんでもない……。それより、ちょっと作る奴の資料を見せてもらってもいいか?」
「え――あ、はい……」
俺は桃井から紙束を受け取ると、資料に目を通す。
ふむ……。
「これって、こことかって全部入ってる文字一緒だよな? 違うのはこういう部分のとこだけか?」
「え? あ、うん、そうだけど……」
「じゃあ、これをE〇CELで一度作ったのをコピーして回して、違う値の所だけ直すようにしたらどうだ?」
「あ、でもそれだと、この資料だとこの設備に関しては一つしか入力するものはないけど、こっちだと三つもあるでしょ? そう言う場合、三つあるやつは名前を一つだけ入れてそれに関連している事がわかる様に三つくっつけて表示するから、修正しながら作業をして見落とすより、一から作った方が確実で早いかなって思ったの」
なるほどな……。
「後は、部活動とか生徒会予算でフォーマット――いや、書式の事なんだが、それが書類の種類で作る形が違うだけで、全部似た様な感じか?」
俺がそう尋ねると、桃井はコクンっと頷いた。
「うん、わかった。じゃあ、帰るぞ」
「え? でも、これやらないと後がしんどいんだけど……」
「いいから、とりあえず今日はもう遅いんだし、終わっとけ」
俺がそう言うと、渋々ながら、桃井は頷いた。
「桃井、とりあえずパソコンの電源を切って、片付けと戸締りを頼めるか?」
「え、う、うん……」
桃井は俺の言葉に一瞬戸惑ったが、すぐ言う通りに動き始めた。
俺は桃井を手伝えない事を悪いと思いながらも、気付かれないうちにフォーマットが別の書類を数枚スマホのカメラで撮るのだった――。
2
「――我が儘を言ってしまい、申し訳ありませんでした。それと遅くまで残っていただき、ありがとうございました」
桃井が今年教員二年目のポンコツ教師――いや、如月先生に頭を下げた。
俺はその光景を、廊下の曲がり角に隠れて見ている。
流石にこんな遅い時間に桃井と一緒に居て、何か言われるのはめんどくさいから、隠れて待つ事にしたのだ。
……いや、な?
いくらつり合わないと言っても、こんな遅い時間に二人っきりで居たら流石に疑われるからな……?
だから、そんな痛い目で見るなよ……。
というか――生徒会の顧問って、如月先生かよ……。
見た目が可愛い事だけが取り柄の、本当のポンコツ教師じゃねぇか……。
如月梓先生――とにかく物事を軽く考え、迂闊な行動をすぐとり、なんやかんだで失敗をやらかしまくる家庭科の先生だ。
しかもあろうことか、困った時は生徒に泣きつくのだ。
……それが、主に俺なんだがな……。
あの人、コミュ障の俺が断るの苦手なことわかってて、涙目で俺に助けを求めてくるのだ。
最初は会話すらまともに出来なかった俺も、流石に一年生の終わりごろにはこの人に慣れていた。
だけど、二年生になっては関りが全くない。
俺がこの人と関わらなくなった時の事なんだが――一年生の終わり頃の放課後、『家庭科室の鍵を落としたから助けて~』と泣きつかれた時の事なんだが、一緒に二時間ほど探したのに全く見つからなかったんだ。
そして、その鍵は何処から出てきたと思う……?
――あの人の服のポケットの中だよ!
その時の会話がこれだ。
『やっぱり、どこを探しても見つかりませんね……』
『うわ~ん、どうしよう~……。また、教頭先生に怒られるよ~……』
『あなたは一体、何回鍵を無くせば気が済むんですか……』
『いやね、今回はちゃんとポケットにしまったの覚えてるんだよ? なのに、不思議な事にポケットからなくなってるの!』
『へぇ……? ちなみに、ちゃんとポケットの中は見たんですよね……?』
『あ、何その目!? ほら、ちゃんと――あ……』
『……なんでしょうかねぇ、その「あ」は……?』
『あ、あはは、ポケットの中にあったみたい……』
『さようなら』
『あ、まって、見捨てないで~!』
――流石にあの時の俺は怒鳴ったりはしなかったが――というか、コミュ障の俺にはいくら相手がポンコツ教師だろうと、怒鳴るなんて無理。
ただ、呆れてもう物を言わなかった。
そして、それ以降俺はこのポンコツ教師の事を避け続けているのだ。
いや、何もそれだけがこの人を見放した理由じゃないぞ?
この人、凄くめんどくさいんだよ……。
どんだけシスコンなんだってくらい、妹の自慢をしてくるんだ……。
なんでも、俺達と同じ学年の妹が桐沢学園と言う高校にいるらしいが、天然系でフワフワした凄く可愛い妹らしい。
だから気付けばいつの間にか、その子についての話を永遠に聞かされているのだ。
当然俺は、このポンコツ教師の言う事を話し半分どころか、これっぽちも信じていないが、もう聞き飽きた話を何度もされるのは流石にこたえた……。
だから、俺はもうこの人と関わりたくないし、姿を見かければ気付かれる前に逃げている。
「――あはは、いいよいいよ。それよりごめんね、手伝えなくて」
「いえ、ここまで残って頂けただけでも、有難い事です」
――それにしても、桃井のこのクールモードは久しぶりに見たな……。
この桃井を見ていると、本当別人にしか見えないんだが……。
「では、失礼します」
そう言って、桃井が俺の方に歩いてきた。
「待たせちゃってごめんね? それじゃあ、一緒に帰ろ」
そう言って桃井がニコッと微笑んだ。
「~~~~~~~!」
俺は口を右手で抑えて、すぐに桃井から顔を背ける。
ヤバイヤバイ!
やっぱこいつ凄く可愛い!
てか、この桃井を知ってるのは俺だけだと思うと、なんだか凄く嬉しいんだけど!?
そんな俺の姿を桃井は首を傾げて不思議そうに見ていたが、俺はもう桃井と目を合わせる事が出来ないのだった――。