第23話「我慢の限界」
――現在、俺は全身に冷や汗をかいていた……。
なぜなら――
『はぁ……はぁ……き……気持ち……いい……』
『だめ……なのに……図書……室で……こんなこと……』
――と、一人のヒロインが学校の図書室で、一人で致してるシーンの声がモニターから流れていたからだ。
だがしかし、これが一人で見ているのなら問題ない。
そう、一人で見ていたのならな……。
俺は気まずく思いながらも、凄い近い距離で同じ画面を見ている桃井の方をチラッとみる。
「……」
……目から光が消えてる……。
ただ、桃井はそれでも画面を見続けている。
それは凄いと思った……。
だって、俺もう画面が直視できないもん……。
まじで、気まず過ぎるんだが……。
あぁ――どうして俺はこのゲームをチョイスした!?
折角、あんな事があった後だったのに――。
2
「ふぅ……終わったぞ」
俺は部屋を掃除し終えると、パソコンの画面に向き合っている桃井に声を掛ける。
……なんでジュースをぶちまいたはずの桃井が、掃除をしていないかだって?
そんなの桃井が掃除をするわけないだろ――と言う訳ではなく、我に返って率先して掃除をしようとした桃井を、俺がパソコンに向かわせたのだ。
ただそれは、桃井にそんな事させたくないとか、桃井の綺麗な手を汚させたくないとか、そんな馬鹿な理由じゃない。
さっさと作業を終わらせて、お引き取り願うためだ。
今の俺はもう、心に限界が来ていた。
これ以上の負担に耐えられる自信がない。
だから、桃井にはさっさと作業を終わらせて部屋に戻ってもらいたかったのだ。
……もう、今日は何も起らせないでください、神様――。
「ねぇ?」
「ん? どうした?」
――俺が心から神様にお祈りを捧げていると、桃井が俺に呼び掛けてきた。
「ちょっと来てくれる……?」
「あ、あぁ……」
……珍しいな……。
今までは俺が近づくだけで怒っていたのに、自分から近寄るよう言ってくるとは……。
もしかして、この前すぐパソコンを直した事により、俺の評価は上がったのだろうか?
俺はそんな期待をしながら、桃井に近寄った。
すると桃井は画面の方指差しながら、口を開いた。
「これ……何?」
「え? 何……が……? …………はぁ!?」
え、ちょっ、どういう事だ!?
なんでこれが画面に映ってる!?
桃井が指さしたのは、俺が隠しファイルにしていたエロゲ―のアイコンだった。
馬鹿な!?
これはただ隠しファイルにしていただけじゃないぞ!?
数個のフォルダの中に隠した上で、隠しファイルにしていたんだ!
少なくとも、桃井が普通に作業をしていただけなら絶対見つかるはずがない。
俺はエクスプローラー(フォルダなどがある所)のURLを見る。
あ――!
こいつ、追ってやがる!
俺がエロゲーを隠していたフォルダまで探し探しして、辿り着いたんだ!
「お、お前、探したのか……?」
「えぇ。オタクのあなたの事だもん。絶対これを持ってると思ってたわ。……本当、高校生なのにいやらしい人」
……意味わからねぇ!
こいつ、わざわざ人の部屋にまで来て、作業するんじゃなく人のエロゲーを探してたの!?
あ、だからあの時、エロゲーをしてるのかって言ってきたのか!?
しかし、なんでこんな事をするんだ!?
あれか、西条の事をこいつはそこまで根に持っていたのか!?
「ねぇ、こんなゲームして最低だと思わないの? あなたはどれだけ変態なのかしら?」
そう言って、桃井が俺に勝ち誇った笑顔を向けてきた。
――もう色々と限界に来ていた俺は、その笑顔を見た瞬間、ついに我慢の限界を超えた。
「お前……最低だろ……」
「え……?」
「はっきり言うわ――俺、お前の事本気で嫌い」
俺はそう言って立ち上がり、部屋を出ようとする。
すると――
「ま、待って!」
――と、桃井が俺の腕を泣きそうな表情で掴んできた。
「……なんだよ?」
俺はそんな桃井の事を睨む。
桃井は泣きそうになるのを我慢しながら、俺の方を見ていた。
「お願いだから、待って……」
「こんな最低な事する奴の事なんか、知るかよ」
俺はそう言って、桃井の腕を振りほどこうとする。
だが、桃井は頑なに離そうとしなかった。
「し、仕方なかったの! こうするしか方法がなかったの!」
「……何が?」
俺はそう桃井に聞くが、桃井が何と言おうと許すつもりはなかった。
こんな男の尊厳を踏みにじるような真似するなんて……正直、桃井がここまで最低な奴だとは思わなかった。
「だ、だって……」
俺はそう言い淀む桃井を睨む。
桃井は、床へとへたりこみ、口を弱々しく開いた。
「だって、こうでもしないと……あなたと仲良くする方法がわからなかったんだもん……」
「……え?」
……どういう事だ?
仲良くする方法?
これだと、どう考えても嫌がらせにしか見えないから、嫌われるだろ?
「男の子は……エロゲーを一緒にしてもらうと……喜ぶって書いてたから……。だから……エロゲーを馬鹿にして……前みたいに……あなたから薦めてくれるように……しようとしたの……」
あぁ……確かに、あのラノベには書いてたな……。
でも、実際どうなんだ、それ?
あれってHシーンが流れたら絶対気まずくなるだろ……?
とは言え、エロゲーって凄くシナリオが考えられていて、かなり面白かったり、泣ける感動的な物がある。本当に、アニメ化や映画化してもおかしくない物が結構あるんだ。
実際アニメ化した作品も結構あるしな……。
だからそういったのを一緒にするのは楽しそうと思う。
それに、俺もエロゲーの事を理解してくれる女の子の方がいいが……こいつはそれを俺にしてくれようとしてたって事?
え、という事は、こいつは俺と本気で、家族として仲良くしたかったの?
俺はここ最近の桃井の行動を思い出してみる――。
……全く、その素振りがなかったんだが……?
こいつ、怒られない様に嘘ついてるんじゃないだろうな?
俺はそう思って、桃井の方を見る。
その桃井は泣きそうな顔――というか、ポロポロと泣き出していた。
えぇ……。
俺、そんな泣くような事言った……?
……あ、いや、言ったな……。
『嫌い』――と。
だがしかし、あの桃井がそれだけで泣くか?
まぁ、少なくとも演技ではないよな……?
つまり、本気でそう思ってくれてたんだろう……。
手段には色々問題があるが……。
それに、桃井が桜ちゃんみたいになる事はたまにあった。
それを俺が、桃井のイメージに合わないからって理由で、記憶から忘れ去ろうとしていたんだ……。
というか………………うわぁ……泣かしといてあれだけど、今の桃井、凄く可愛い……。
でも、その分罪悪感が込み上げてくる。
いつか泣かしてやろうと思ってはいたが、こんな風に泣かれると、心が痛む。
だって今の俺って、家族になろうとして歩み寄ってきてくれた女の子を振り払って泣かせたようなもんだろ……?
……いや、そもそも桃井の歩み寄り方に問題があって、こんな事になったんだが……。
でも、今の桃井を放っておけないよな……?
「それなら……一緒にやるか……?」
俺はへたりこんでいる桃井の顔の高さに合わせて膝をかがめ、戸惑いながらそう声を掛けた。
「い、いいの?」
「あ、あぁ……」
「ありがとう」
桃井の問いかけに俺が頷くと、桃井の表情がパァっと明るくなった。
……やめろよ……そんな笑顔を向けられたら……勘違いするだろ……?
俺は桃井の笑顔にドキドキしているのを悟られないよう、エロゲーの準備に入った。
俺がパソコンの前に座ると、桃井がテクテクと歩いて来て、俺の横に座った。
しかし、かなり距離が近かった。
そう、まるで桜ちゃんが横に座っているみたいに……。
……まぁでも、折角桃井がやりたいって言ってくれたんだ。
ここはあの泣ける名作をやらせてあげるべきだろう。
あれならきっと桃井も気に入ってくれるはずだ――。
3
――と、あの時の俺は思っていた。
いや、最初の辺は良かったんだ。
桃井もオープニングを見ながら、『アニメ見たいで凄い!』って驚いていたし、『わぁ、キャラの表情コロコロ変わるし、絵が可愛い! それに、声優さんの声も可愛い!』っと喜んでくれていたんだ。
……誰だよ、その子とか言わないであげてくれ。
俺も散々思ったんだ……。
きっと、こっちの桃井が本性なんだろ……。
そうじゃないと、さっき泣き出した桃井の話の辻褄があわない……。
それで、そんな桃井が今死んだ魚の眼をしているのは、明らかに俺のせいなんだがな……。
この作品、魔女っ娘物なんだが、実際は動物から魔法を使える存在になった使い魔みたいな子と契約し、代償を払う代わりに人の心の欠片を一定量集めたら願いが叶うって奴なんだ。
心の欠片を集めるには、その人の悩みを解消してあげれば集まるって感じで、どのルートも感動的で凄く良い話だった。
特に一番のメインヒロインのルートなんて、やった人のほとんどが泣いた作品なんだ。
だから、俺も桃井に薦めた。
きっと桃井も喜んでくれるだろうと思ったからだ。
だが――そんな名作にも落とし穴があった。
その一番感動できる女の子の代償が、性欲が異常に高まる事だったんだ。
そして、主人公と関わるようになるのが――今のシーン、一人で行為を行ってる所を主人公に見られる……って所なんだよ……。
つまり、開始して20分くらいのとこで、そのシーンが来るんだ……。
普通のエロゲーなら、こんなシーンが来るのはルートに入ってからだから、作品にもよるが、四時間くらいはプレイしないといけないのだが――このゲームのキャッチフレーズが『一人行為から始まる恋もある!』なんだよ……。
あぁ……本当失敗した……。
これじゃあ、好感度下がるだけだろ……。
「も、桃井……もう止めるか……?」
俺は、自分からやりたいと言ったせいで止める事が出来ないであろう桃井にそう声を掛ける。
だが、桃井は首を横にフルフルと振った。
まじか……続けるのかよ……。
でも、桃井がそう言うなら仕方ないか……。
まぁ、明日は土曜日だから学校は休みだし、俺が会社に行くのも午後からだからいいか……。
俺はそう判断したのだが――この時止めとくべきだったと、俺は後悔した――。
4
「も、桃井?」
「何?」
俺が桃井に声を掛けると、桃井がマウスをクリックするのをやめ、不思議そうに俺の方を見る。
もう桃井は普段――とは言わないが、普通に話せるくらいには戻っていた。
……それもそうだろ……。
現在午前4時――22時から桃井とエロゲーを初めて、もう6時間も立っているんだから……。
「もうそろそろ寝ないか……?」
「何言ってるの!? 折角ヒロインが主人公と再会した感動のシーンなのに、終われないよ!」
「そ、そっか……」
……こんな感じで、桃井が一切やめようとしないのだ……。
俺がそろそろ寝ないと不味いなって思った時に聞いた時の返答が――
『え、今主人公がヒロインの女の子に告白して、女の子は自分の気持ちを確認しながらモヤモヤしてるのに、やめちゃうの!? こんなとこで止めちゃったら、私もモヤモヤして寝られないよ!?』
『お、おう……そうだな……』
と言う会話になり、俺は『まぁ、明日休みだし、寝る時間が多少遅くなっても問題ないだろう』っと思った。
だから、その時は引き下がったんだが――
『桃井、いくらなんでもそろそろ寝た方が……』
『えぇ――!? 今、主人公達がお別れに対して最後の思い出を残してる大切なシーンだよ!? 神崎君は一度プレイしてるからいいかもしれないけど、ここでやめたら私、先が気になって寝られないよ!』
『あ、あぁ、確かにそうだな……』
俺は桃井の迫力に押され、この時も引き下がった。
そして――
『も、桃井、一旦キリが良いとこまで行ったから――』
『何処が!? 何処がキリが良いの!? 今主人公たちがお別れした所だよ!? そりゃあ、主人公の方はスッキリしたかもしれないけど、ヒロインの子は全然スッキリできてないよ!?』
もう本気で寝たかった俺は、ヒロインが過去にタイムスリップしたせいで主人公達はお別れし、記憶を失った主人公が、時空の辻褄合わせにより新しく現れたヒロインとやり直そうとする――ってとこで、ホーム画面に戻った時に、桃井に終わるよう促した。
あわよくば、これでルートが終わったと思わせ、明日続きからやらせようと思ったのだが――桃井はホーム画面に出たリスタートと言う文字を見逃さず、すかさずリスタートしたのだ。
……駄目だ、こいつ、最後までやり切る気だ……。
というか、最初はあんな死んだ魚の眼をしながらHシーンを見ていた桃井は、途中から頬を赤く染めながら、逆に直視は出来なくなっていたが、チラチラと画面を見て進めていた。
……わかるだろうか……?
そんな女の子がずっと真横に居た男の気分が……。
俺、ここまで理性を試されたのは初めてだぞ……?
しかも、普段の桃井ならともかく、なんだか今の桃井は凄く可愛いし……。
……俺、生殺しの気分なんですが……?
――結局そのヒロインのルートが終わるまで桃井は続け、朝の六時になっていた。
「う~ん、面白かった! 凄く良い話だったね!」
「あぁ……そうだな」
やり切った感を出す桃井に対して、俺はゲンナリとした声で返す。
「なんで、そんなに元気が無いの?」
そう言って、桃井は不思議そうに首を傾げる。
その桃井にはやはり、今までのとげとげしさがなく、普通の女の子みたいな性格だった。
……ははは、こいつ、実は馬鹿だろ!?
「お前な、流石に徹夜でするのは予想外だろ!?」
「わ!? 怒ってるの!?」
「当たり前だ!」
俺はそう言って桃井に怒る。
……まぁ、本当なら途中で無理矢理でも止めるべきだったんだが……。
あんな楽しそうにエロゲーをしている桃井に、無理矢理やめさせるのは気が引けた。
それに、もうやってしまった物は仕方ない。
だから、次から徹夜プレイをされないように、ここで釘を打っておこう。
……次もやるのか?
なんだろ、そんな約束はしてないのに、桃井の表情を見る限り、そんな気しかしない。
「え、えっと、ごめん……」
桃井が俺の言葉にシュンっとした。
……だから、誰だよお前……。
いや、もうこれが桃井なんだよな……。
ここまで付き合ったんだ。
気になっている事は全て吐いてもらおう。
「それで、今のお前が本当のお前なんだな?」
俺はそう桃井に聞いた。
……あれ?
なんかこんな言葉、最近聞いた気がするぞ……?
しかも俺、その事に対して馬鹿にしてたような……?
「う……うん……」
俺がいつ聞いたのか思い出そうとしていると、俺の問いかけに桃井が上目遣いで頷いた。
うん、頷いただけなんだが――何で!?
ただ頷いただけで、何でこんな可愛く見えるの!?
「えと、なんで今まであんな冷たい性格をしてたんだ?」
「その……中学時代に男子に付きまとわれて……。だから高校では同じようにならないよう、冷たく接して拒み続けてたの……」
なるほど……そう言う事か……。
とすると、凄い演技力だな?
俺は普通に本気で罵倒されている様にしか見えなかったぞ?
……うん、あれ、本当に演技なの!?
「なぁ、それって無理して冷たく演じてたって事? ほら、俺に言ってた悪口とか本当は思ってなかったとか」
「あ、ううん! 一年生の後半くらいからは、全部本音だよ?」
…………それ、演技じゃねぇじゃん!
バリバリ本性じゃん!
「桃井……」
「ん?」
「…………どうしてその、冷たい性格じゃなくなったんだ? それが本音だったんなら、今のお前が出てくるのはおかしいだろ?」
桃井に文句を言おうとした俺は、桃井が可愛らしくキョトンっとしたせいで、別の事を聞いてしまった。
……あれかな、徹夜のせいで、俺も桃井も頭がおかしくなってるのかな……?
「誰のせいだと思ってるの……」
「え……?」
桃井が俺の質問にそう答えて頬を膨らませていたが、本気で俺には理解できなかった。
「何でもない! それで、聞きたい事はそれだけ!?」
桃井がなんだか顔を赤くして、大声を出してきた。
「あ、待て。最後に一つ、お前実はラノベとかアニメ大好きだろ?」
「うっ――」
俺の言葉に桃井が顔を引きつらせる。
もうここまで来たら誤魔化す事なんて無理だろ。
「そ、そうだけど? 何、私が好きだったら悪いの?」
そう言って、桃井が顔をプイっと背けた。
あれ……前の桃井が若干戻ってきたぞ?
まぁ、そんな事今はどうでもいいか……。
「別にいいんじゃないか?」
「え?」
俺の言葉に桃井は不思議そうに見つめてきた。
「どうした?」
「だって、おかしいでしょ? 優等生の私がそんなオタク趣味持ってたなんて」
「なんで? ラノベやアニメを好きになるのって、別に優等生とか関係ないだろ」
「――っ!」
俺が言った言葉に、桃井が驚いた表情をする。
え……そんな驚く事?
……あぁ、そう言えば俺も、桃井がラノベとか読まないって決めつけたりしてたな。
つまりそう言う事なんだろう。
だから、こいつは趣味を隠そうとする。
でも俺としては、好きな作品について話せる友達が欲しい。
だから、桃井にはこう言おう――
「他の奴がどういうか知らないけどさ、少なくとも俺は変だと思わないし、桃井がラノベやアニメを好きなら俺の持ってる物見ていいからさ、また語らないか?」
――と。
「あ――うん!」
桃井は俺の言葉に、可愛らしい笑顔を返してくれた。
俺はその笑顔に笑いかける。
なんだかんだ喧嘩して――というか、今日は本気でブチ切れたけど、最後には仲良くなれた。
これは俺達にとって大きな進歩だろう。
……というか、あんだけキレといて、本当は自分に歩み寄ってくれてたってわかった瞬間仲良くしようとするなんて、俺桜ちゃんの事言えないくらいチョロ過ぎない……?
俺はこれがまた、自分から不幸の海に飛び込んでいる事に、この時は気づいていないのだった――。