第18話「何はともあれ、約束を破った俺が悪いよね……」
「――ただいま……」
「あ――おかえり、お兄ちゃん。もうご飯できてるから、お姉ちゃんと一緒に食べよ?」
そう言って、桜ちゃんがニコっと微笑んでくれた。
あぁ――この笑顔だけで癒され……あれ?
なんだろう……?
桜ちゃんが俺に向けてくれている笑顔はいつもどーり可愛いのに、なんだか違和感がある。
「どうしたの、おにいちゃん?」
俺が桜ちゃんを見つめていると、桜ちゃんはニコッとしたまま首を傾げる。
あれ……いつもだったら、キョトンっとしてるはずだよな……?
と言っても、その違和感が何なのかわからないし、今日はもう疲れ切ってしまっているから、これ以上考えるのはやめよう……。
何故俺が疲れているのかと言うと――もちろん西条のせいだ。
今日の下校時、くっついたまま離れない西条のせいで、俺はひたすら歩き続けた。
何故ひたすら歩き続けたかって……?
あいつの要望通り寄り道してしまうと、長時間拘束される気しかしなかったからだ。
だからと言って、あいつを侍らせたまま家に帰るわけにはいかないから、俺はあいつがさっさと諦める様に歩き続けた。
しかし、あいつは意外と根気強くて、結局こんな遅い時間になってしまったし、最終的には西条の家まで送り届けて引き剥がしたのだが……。
それにしても、あれは意外だった――。
2
西条を家に送り届けた時――
「――え……? ここがお前の家?」
俺は西条の家を見上げながら、西条に尋ねる。
「うん、そうだよ? あはは、意外だったよね?」
俺の質問に答えた西条は、困った様に頬を掻いていた。
西条の家――それは、独身の普通の会社員が住みそうな、ただのアパートだった。
西条の実家がこの辺じゃないのかもしれないが――それにしても、大金持ちのお嬢様が住むにしてはおかしかった。
何せ、部屋の鍵はちゃんとかけれるのだろうが、セキュリティはそれだけだった。
ドアの自動ロックセキュリティや建物に入る玄関に一切セキュリティがない。
……どういう事だ?
「えっとね、後から知られて嫌われるよりも、先に知っといてほしかったんだけど……私、親からあまり援助してもらえてないの」
そう言う西条は、まるで笑い話をする様に話していた。
「もしかして、仕送りをされていないのか?」
俺の問いかけに、西条はコクンっと頷く。
「今の生活は――ここの家賃も、私の貯金からお金を出してるの」
「……だから、こういうとこに住むのが限界って事か?」
一体、西条の両親は何を考えているんだ?
もし一人暮らしの経験をさせたかったとしても、住居ぐらいはセキュリティがちゃんとした所に住ませてやるべきじゃないのか?
元々、俺達の学園でヒエラルキー一位をとらなければ縁を切られると言うのも変わった話だし……。
ある程度の実力をつけさせたいのはわかるが――それだけお金持ちの世界はシビアなのだろうか?
「――あ、それは違うよ? 私貯金はスッゴク持ってるもん。私がこの家を選んだだけ」
俺の先ほどの質問に、西条は首を横に振った。
あぁ、そうか……。
親から仕送りされていないとしても、今までお小遣いを溜めていた分があるのか。
そのお小遣いの額は、日本屈指の大手財閥の娘である西条の事だから、桁違いの額をもらっているのだろう。
だから、学校の奴らに恵んでやれているわけだし。
だが、それならそれでまた新たな疑問が出てくる。
「なんでわざわざこんな所を? もっとセキュリティがきちんとした所に住んだ方が良いんじゃないか?」
俺の質問に、西条はまた困ったような表情をする。
そしてその西条の表情は、桃井を追いつめていた時の表情や、クラスメイト達に少し上から目線で話をしている時とは違い、なんだかか弱い女の子に見えた。
「これは――私が自分に科した罰なの」
「罰……?」
「そう――私は中学時代に一度逃げた事があるの。そのせいで両親からは失望された。でも、お父さん達は私に最後のチャンスをくれた」
「それが学校のヒエラルキーで一位になると言う奴なのか?」
西条はコクンと頷き、言葉をつづけた。
「お父さん達は私の今まで溜めていたお金だけで、高校生活を乗り切るよう言ってきたんだけど……。正直、私の今のお小遣いなら数年間遊んで暮らせるだけあるからね。だから、私は自分で自分の生活を縛ろうと思った」
「なぜそんな事を?」
「だって――楽な生活をすると、また逃げちゃいそうなんだもん。私は一度逃げた自分が許せない。だから、もうそんな事したくないし、ならない様に頑張ってる」
そう語った西条の眼は、覚悟を宿している様な眼になっていた。
西条が何から逃げたのかは気になったが、西条がわざとその部分を話さないで良い様に会話を誘導していたため、俺は聞くのをやめた。
しかし、西条が学校であんな交渉術の本やら色々読んでいたのはそれが理由だったのか……。
恐らく逃げた事に関わる内容なのだろうな……。
それに、なんだか思いつめている言い方にも聞こえる。
だから、手段を選ばずあんな事をしたのか?
しかしそれなら――
「言いたい事はわかったけど、だからと言って、ヒエラルキー一位になるために桃井に何か仕掛けるとかしないよな?」
俺は念のため、その事を今一度西条に聞いてみた。
これだけの覚悟を決めた奴が、そう簡単に諦めると思えなかったからだ。
だが西条は――
「しないよ? だって、そんな事したら海斗に嫌われるじゃん」
――と、笑った。
こんな目を向けられると、なんだか一瞬疑った事に罪悪感が出てくる。
それに、未だにどうしてこいつがこんな風に俺に接してくるのか、理解できなかった。
「ならいいけど……じゃあ、どうするつもりなんだ?」
「もちろん、自分の力でしっかり頑張るよ? それで一位になれなかったら、もう仕方ないよね」
そう言う西条の表情は笑顔だった。
……驚いたな……。
「それでいいのか?」
俺は思わずそう聞いてしまう。
なんせ、一位になれないという事は、こいつは西条家と縁を切られる。
つまり、将来が潰れてしまうのだ。
「うん、それでいいの。だって、もう西条の名に拘る必要は無いと思ったから」
西条は何か意味有り気な笑顔で俺の方を見ながら、そう答えた。
俺は西条が言った言葉の意味を考える。
……わからないな……。
何が西条の考えをそんな風に変えたんだ?
家を――それも日本屈指の財閥の家を捨てても良いと思うようになるんて……。
この前の俺達との事で考え直してくれたと言う事か?
人を陥れるやり方で上に上がっても意味がないと――。
まぁ、俺としては西条が誰かを陥れる事をしなければそれでいいのだが……。
「じゃあ、中に入ろっか?」
俺が考え事をしていると、西条が笑顔で俺の腕を引いてきた。
……は?
え、何してんの、こいつ!?
「ちょ、ちょっとまて、何で俺が中に入る必要がある?」
俺の質問に、西条が不思議そうに首を傾げて俺の方を見てくる。
だから、なんでこいつは不思議そうな顔をするんだよ?
どう考えても、おかしいのお前だろ?
「ここまで来て、何をおかしなこと言ってるの?」
……表情どころか、言葉にしてきやがった……。
「意味がわからない。俺はお前を家に送り届けただけだが?」
俺の言葉に西条は『えぇ~!』っと、少し大げさに驚く。
「送りオオカミになりに来たんじゃないの!?」
「はぁ!?」
本当、なんなんだこいつは……。
何がどうなったら、俺が送りオオカミになる結論に至るんだ……。
駄目だ、俺にはこいつの思考回路が本気で理解できない。
もうこいつに関わられたくない……。
ただ、それよりも、一つ気になる事が出てきた。
「なぁ――お前そんな状態なのに、よく俺の事調べてもらえたな?」
俺の質問に、先程俺が拒んだせいでいじけた表情をしていた西条が、ニコッと笑う。
「あ――それは簡単だったよ? お父さんに、クラスメイトの男子に言い寄られてるから、その人の中学時代が知りたいって言ったら、執事総出で調べてくれたよ?」
西条はそう悪気もなく言った。
……はい?
え……今こいつなんて言った?
「も、もう一度言ってくれるか?」
俺が冷や汗を垂らしながらそう聞き返すと――
「だから~、クラスメイトの男子に言い寄られてるから、調べてって言ったんだよ」
――と、本当に悪気が無い笑顔で西条は答えた。
「おぉおいいいいいいいいいいいいい! お前、何言ってくれてんの!?」
「え?」
「『え?』じゃあねぇよ! お前ふざけんなよ!? それって、俺がお前に付きまとってるみたいな悪い印象をあたえてるじゃねぇか! 俺思いっ切り西条財閥に目をつけられてるぞ、それ!?」
俺の言葉に西条が面白そうに笑う。
なんで、こいつ笑ってんだよ!
いや、笑うわな!
お前からしたら完全に他人事だもんな!
俺もアニメキャラがそんな展開に陥ったら、笑ってみてるわ!
「大丈夫大丈夫、心配いらないよ」
そう言って、西条がニコッと笑う。
「な、何が心配いらないんだ? あぁ、あれか? 調べてもらった後に誤解を解いたとか――」
「――ううん、海斗が警察に捕まっても、私が養ってあげるから大丈夫ってこと」
「――何処が!? それの何処が大丈夫なんだ!? お前がそう言うって事は、下手すると警察に捕まる恐れがあるってことじゃねぇか!」
駄目だ……こいつ本当どんな思考回路してるんだ?
養うから大丈夫じゃなく、捕まらない様にしてくれよ……。
と言うか、俺が捕まらないといけない理由がないんだが……?
寧ろ俺が付きまとわれてるほうだよ?
「あはは、冗談冗談。お父さん達には心配いらないって伝えてるから、何もしてこないよ」
「本当だろうな……?」
「もちろん! だって、海斗が捕まったら私も困るからね! だから、感謝してくれていいよ?」
そう言う西条は何だか誇らしげなんだが……そんな危険に陥ったのってお前のせいだよな?
お前が謂れもない嘘を勝手について、俺が勝手に目をつけられただけだよね?
寧ろ、お前が謝るべきだよね?
俺は頭の中でそんな事を考えていたが、もう最後には考えるのを止め、西条が油断しているうちに腕を解き、帰ったのだった――。
3
――そんな事があったのだが……どうやら今日の俺に降りかかる不幸はまだ終わってなかった様だ……。
「な、何これ……?」
俺は自分の目の前にだけ並ぶ晩御飯を見て、思わず桜ちゃんの方を見る。
「どうしたのかな、お兄ちゃん?」
そこには、可愛らしい笑顔を浮かべる桜ちゃんが居た。
「い、いや……なんでもないよ……」
「そっか、冷めないうちに早く食べてね?」
俺は桜ちゃんの言葉を聞きながら、目の前に並ぶ料理らしき物を見る。
俺の目の前に並ぶ料理は、魚らしき真っ黒焦げの物体、真っ黒こげになった野菜炒めらしきもの。
そして、多分ご飯なんだろう真っ黒の物体がお茶碗につがれていた。
……え、他の二つはともかく、真っ黒のご飯ってどうやって作ったの?
まぁ、多分俺の見立ては間違ってない。
だって、桜ちゃんと桃井の前にはきちんと焼かれた、鮭と野菜炒めがあるのだから……。
なんで俺だけこれ……?
何これ……もしかして桃井が嫌がらせで作ったの?
俺が疑わし気に桃井の方を見ると、桃井がため息をついて話しかけてきた。
「スマホを見れば、原因がわかるわよ?」
「スマホ……?」
そう言えば西条に振り回されていたせいで、スマホを一切開いてなかったな。
まぁやり取りをする相手も花姫ちゃんしかいないんだが……。
俺は桃井に言われるまま、スマホを見てみる。
そこには――
「え!?」
――たくさんの通知が来ていた。
俺は慌ててその内容を見る。
『先についちゃったから、待ってるねお兄ちゃん』
から始まり――
『えっと、何か先生の手伝いをしてるのかな?』
とか――
『大丈夫? なにかあったの?』
みたいな内容がいくつも来ていた。
もちろん、内容の文面からわかる様に、桜ちゃんからだった。
俺の全身に嫌な冷や汗が流れる。
俺達の中では一緒に帰れない時だけ連絡をして、それ以外は一緒に帰る約束になっていた。
そして――今日は突如西条に捕まってしまったため、桜ちゃんに連絡をしていない。
桜ちゃんは大体20分おきくらいに、俺にメッセージをくれていた。
多分あまり頻繁に送ると、迷惑になると思って気を遣ってくれていたんだろう。
というか、これ……ずっと桜ちゃんが学校で待ってくれてたって事だよな?
うわー…………。
俺は恐る恐る顔を上げ、桜ちゃんの方を見る。
桜ちゃんは笑顔で俺の方を見つめていた。
そして、やはりその笑顔には違和感がある。
だが、俺はその違和感が何かもうわかった。
……これ、桜ちゃん怒ってる奴だ……。
今の桜ちゃんの笑顔の背景には、まるで『ゴゴゴゴゴゴ』という文字が見えるかの様だった。
そして、俺は最後のメッセージを見る。
そのメッセージは他のメッセージと違って、凄く短い言葉だけで終わっていた。
『ひどい』――と……。
やっちまったぁあああああああああ。
「ご、ごめん桜ちゃん!」
俺は慌てて、桜ちゃんに謝る。
「なんの事かな、お兄ちゃん? 桜は何も怒ってないよ?」
桜ちゃんはそう笑顔で言うが――嘘だ!
なんか威圧感が増したもん!
「はぁ……一つ教えてあげるけど、桜って約束を破られるのが一番嫌いなの。約束を破れば当然怒るけど――その怒りは楽しみにしてた割合に比例しているわ」
そう言って、桃井が解説してくれる。
そんな桃井の言葉に対して――
「やだな~お姉ちゃん。桜は何も怒ってないって言ってるじゃん」
――と、桜ちゃんが桃井に微笑んだ。
「そ、そうね……。ごめんなさい、私の勘違いだったわ」
桃井が桜ちゃんに謝った。
その顔は引きつっている……。
あの桃井が気圧されるくらい、今の桜ちゃんは笑顔で威圧感を発していた。
「ま、まぁ、私が生徒会が終わった後帰ろうとしたら、桜が居たから教えてあげたのよ。『神崎君は金髪美少女に腕を引かれて、だらしない顔をしながら帰ってたわよ』ってね」
「ちょっと待て! 何さらっと嘘ついてんだ!?」
「はぁ!?」
「――っ!」
俺が桃井に突っ込んだ瞬間、桃井からドスが利いた『はぁ!?』という声が返ってきた。
あ、あれ……?
い、今まで桃井と言い合いをした事は何回もあるが、こんな声を聴いたのは初めてだぞ……?
というか、気付いたらいつの間にか桃井の眼が据わってる!
え、何で!?
こいつの眼から光が消えてるんだけど!?
「本当、いい身分よね――可愛い妹を置き去りにして、楽しそうにデートだなんて」
「ま、まて……お前何か勘違いしてるぞ? あれは西条に無理矢理連れて行かれただけで――」
「でも、楽しそうにしてたもん……」
どこをどう見たらそうなるんだよ……。
てか、今度はなんでちょっと拗ねたようになってるわけ?
お前コロコロ表情変わりすぎだろ……。
どんだけ情緒不安定なんだよ……。
「だからそれは――」
「お兄ちゃん――?」
「ひっ――」
俺が桃井に説明しようとすると、笑顔を絶やさない桜ちゃんに呼ばれたのだが――あまりの迫力に俺は怯えてしまうのだった……。
結局その日は桜ちゃんと……ついでに桃井に謝り続け、二人と遊びに行く約束をして許してもらうのだった――。
……あれ?
なんで桃井とも遊ぶ約束してるの……?
なんか知らない間にそんな事になっていたのだが……。
ま、まぁともかく、俺はこの日、もう二度と桜ちゃんとの約束を破らない事を心に誓うのだった――。