第247話「アリスルート9」
「出来た……」
神崎さんとアリアさんがお話しをされている頃、アリス様は厨房で焼き菓子をオーブンから取り出しておられました。
私やメイドたちが見守る視線を意に介した様子はなく、出来立てホヤホヤで綺麗に形どられた焼き菓子を嬉しそうに見つめられております。
アリス様は基本的に感情を表情に出されませんが、ある一定の条件下では表情豊かになられるところがあります。
今回もその例に漏れず、と言ったところでしょうか。
「さすがアリス様ですね。お店で売られている焼き菓子と遜色ない出来栄えです」
「まぁ……ここ最近……お菓子作り……ばかりしてたしね……」
アリス様は決して謙遜をされません。
自分の実力ですら第三者の視点から見つめられているためでしょう。
それにしても、まさかあのアリス様がお菓子作りをされようとは……。
アリス様は幼い頃から受けてきた英才教育によって、たくさんの事を高いレベルでこなす事が出来ます。
しかし、料理やお菓子作りなどは必要ないという事で当然英才教育は受けておられませんし、アリス様自身ご興味を示されませんでした。
それなのに……少し前から、料理やお菓子作りをされるようになったのです。
もちろん、その理由は一目瞭然。
神崎さんに自分の手料理を振る舞いたいからでしょう。
アリス様は体力がおなりにならないせいかめんどくさがりの部分があるのですが、お気に入りのお相手にはお世話焼きになられる一面があります。
今回もその延長線上だと思われます。
アリス様は幼い頃から色々な事をされていたおかげでやはり器用でいらっしゃいます。
そして平等院財閥が抱えている一流のシェフや、業界で有名なパティシエをスカウトしてきてアリス様に指導をして頂きましたので、アリス様の腕は日々とてつもない速さで上達されております。
男性を振り向かせるなら胃袋を掴めという事もお聞きしますし、きっと神崎さんも喜ばれるでしょう。
……もし喜ばれなければ、その時はその時ですね。
アリス様を傷つけるような態度を取った瞬間、それ相応のお礼をさせて頂きませんと。
「何……物騒な事……考えてるの……」
もし神崎さんが失礼な態度を取った時の対応に思いをはせていますと、アリス様が白い目を私に向けてこられました。
「いえ、神崎さんは幸せ者ですね、と思っていただけです」
「絶対……嘘……」
「それよりもアリス様、アリアさんの事は放っておいてよろしかったのでしょうか?」
アリス様に誤魔化しが通じないのはわかっていますので、私はアリス様が興味を示される話題に変える事にしました。
もちろん、私の浅ましい考えなどアリス様は見抜かれておられますが、私が物騒な考えを持つ事は普段からの事なので、アリス様も自分が興味のある話題へと意識を切り換えてくださったようです。
「というと……?」
「最近目に見えて神崎さんにべったりです。あのまま放っておくと――」
「――恋心が芽生える……?」
アリス様の言葉に私は頷きます。
アリス様のおっしゃられる事は絶対です。
アリス様がアリアさんの神崎さんに抱く感情が恋でないとおっしゃられるのでしたら、それは間違いないのでしょう。
しかし、それはあくまで現時点の話です。
これから先、アリアさんが恋心を抱かないとは限りません。
そして懸念すべきは、そうなった際にアリス様がご自身の気持ちを抑えてアリア様に譲ってしまう恐れがある事です。
アリス様は妹であるアリア様をご自身の事よりも優先されますので、そのような事態になる可能性は十分に考えられます。
でしたら、そうなる前に手を打たなければなりません。
――ですが、私の言葉を聞いてアリス様は笑みを浮かべられました。
「ニコニコ毒舌……勘違いをしたら……だめ……」
「どういう事でしょうか?」
「あくまで……選ぶ権利は……カイにある……。誰が……カイの事を好きになろうと……そこは……変わらないんだよ……」
こういうところがアリス様の器が大きいと思わされる部分です。
決して、焦りはしない。
どこか達観されていて、全てを見通しているのではないかと錯覚させられるくらいに余裕をお持ちなのです。
「ですが、好意的に接する事や好意を持つ事による自分を見てほしいという欲求からの行動で、神崎さんが抱く印象も変わってきますよね?」
「まぁ……言いたい事は……わかる……。だけど……アリアも……カイも……お互いを……異性とは……見てない……。だから……不要な……心配……」
「アリス様がそうおっしゃられるのでしたら……」
「うん……。それにね……自分の妹と……好きな相手が仲良くしてくれると……嬉しいよね……」
そういうアリス様は、とても嬉しそうにしながら温かい笑みを浮かべて私の顔を見てこられました。
言葉の通り、アリスさんと神崎さんが仲良くしてくださっている事が嬉しいのでしょう。
おそらくアリス様を含め今の御三方の関係は、アリス様が中学時代に実現したいと思われていた関係。
それがやっと今になって実現した、という事なのでしょうね。
ですから、アリアさんが神崎さんにベッタリとなってしまっている事にも適当に言い訳をつけて目を瞑るという事ですか。
相変わらず、妹にはとても甘い御方です。
ですが、アリス様がそれで満足をされていらっしゃるのでしたら、私が口を挟む事はありません。
アリス様にとってアリア様が第一優先のように、私にとってはアリス様が第一優先ですから。
――と思っていたのですが、言葉や頭では理解していたとしても、感情は本当にその通りかといえばどうやら違うようです。
それは、嬉しそうにアリス様が焼き菓子を神崎さんのお部屋に運ばれた時の事です。
驚かせようと思われたのか、アリス様は音を立てないように静かにゆっくりとドアを開けられました。
そして目に入った光景は――とても楽しそうにお話をされているアリアさんと、神崎さん。
二人はお互いの肩がくっつきそうな距離まで近付いており、アリアさんがグイッと顔を神崎さんの顔の近くまで寄せていました。
傍目からは、付き合いたてのカップルのように見える光景です。
その光景を目にしたアリス様はといえば――
「本当……仲良くなって……何よりだね……」
――普段の声色から数段トーンを落とされて笑みを浮かべておられました。
先程は二人が仲良くしてくれて嬉しいとおっしゃられておりましたが、あまりにも仲良さげの光景にどうやらやきもちを焼かれてしまったようです。