第229話「勝敗」
「――それにしても、明日から私はこの学園で馬鹿にされるのでしょうね」
アリスさんのプレッシャーに肝を冷やしていると、腕の中にいるアリアがボソッと小さく呟いた。
もうこれからの事に思考を切り換える余裕があるようだ。
そしてアリアが呟いた言葉の意味についてはなんとなくわかる。
今までアリアは学園生たちに偉そうな態度を取り続けていた。
それなのにもかかわらず、今回の勝負でアリアは無様な姿を晒し続け、挙句の果てに最後の勝負にまでも負けてしまった。
うちの学園の生徒たちがアリアに喧嘩を売れる度胸があるかは甚だ疑問だが、陰口を叩かれるようにはなるだろう。
アリアはその事を言っている。
――だけど、そんな状況にさせるつもりはない。
それではなんのために俺たちが頑張ってきたのか、となるからだ。
「アリア、今回の勝負についてだが――お前の勝ちという事にするぞ」
「えっ……?」
俺が声を掛けると、アリアは戸惑ったように俺の顔を見つめてくる。
いったい何を考えているのか、アリアがそんな感じの事を考えているのがわかった。
というか今更なのだが、まだアリアが腕のなかにいるせいで顔が近い距離にある。
アリアも俺と同じように汗を大量にかいているのに、なぜか花のようないい匂いがしていた。
やはりアリアも女の子という事なのだろう。
相手はアリアだというのに、今はアイルのコスプレをしているせいかなんだかドキドキしてきてしまった。
このまま抱きしめているのはまずい気がする。
「――カイ?」
俺がアリアの体を放そうとすると、アリアが俺の手を抱えている腕に力を込めて顔を覗きこんできた。
顔を覗きこんできたのはおそらく俺が黙り込んでしまったから話の続きを知りたいという事なのだろうが、なぜ腕に力が込められたのかがよくわからない。
こいつはまだ自分がどういう状況になっているのかわかっていないのだろうか?
こちらから指摘して放すべきだとは思うが、アリアの場合下手をすると急に暴力を振ってくる可能性がある。
となれば、このまま話をするしかない。
――多分アリスさんがさっきから怒っているのは俺がアリアを抱きしめていたからなんだろう。
アリアの事を凄く大切に思っているから、男の俺に抱き締められているのが我慢ならない感じか。
後でおしおきは本当に覚悟しておかないといけなさそうだ。
「私が勝ったようにするってどういうつもり……?」
「なんのためにこの勝負が始まる前に俺が学園生からのヘイトを集めていたと思うんだ。ここで俺が負けた事にすれば、明日からアリアを見る学園生の目は変わる。少なくともお前を受け入れてくれる生徒は多いだろう」
「でもそれって、あなたが馬鹿にされる事になるんじゃ……?」
「いいんだよ、それで。今回の事は俺が仕掛けた事だ。だから自分がやった事の始末は自分でする。それに俺は今更周りにどう思われようと構わないからな」
アリスさんを始めとし、雲母や桜ちゃんのように俺の事をわかってくれている子たちがいる。
咲姫に関しては若干反応が読めない部分はあるが、多分大丈夫だろう。
そういうふうにちゃんとわかってくれる子が傍にいるんだから、関係ない奴らにどう思われようと俺はいいんだ。
それよりもアリアが学園生と対立する事になるのを避けなければならない。
妹が悪く言われる状況をアリスさんが喜ぶわけがないからな。
俺はアリスさんが楽しい学園生活を送れるようにしたいんだ。
そのためなら自分が悪者になる事なんて構やしない。
「そんなのだめよ。私は勝負に負けた。今までの事を償っていくというのなら、まずはちゃんとこの事実を受け止める。少なくともここであなたを犠牲にして自分は安全圏に行くだなんて今までと何も変わらないじゃない」
随分と先程とは考えが変わっているものだ。
俺に対する怒りもまだあるはずなのに、これは中学時代の俺に対する罪の意識か?
中学時代にアリアとやりとりをした記憶はないし、他に考えられる要素はない。
それとも他に何か俺が知らない事があるのだろうか?
――少し気になる部分ではあるけど、多分今アリアに聞いても答えないだろう。
それならばまた後程アリスさんにでも聞いてみればいい。
今はアリアに言う事を聞かせるのが先だ。
「悪いけど、今回の事でアリアに拒否権はない。お前は俺との勝負に負けたんだ、ちゃんと言う事を聞いてもらうぞ?」
「あ、あなたそれを狙ってあんな賭けを――! でも、それはお姉ちゃんに変わったはず……!」
「なんだ、アリア? お前勝負に負けて姉を差し出すのか?」
「うわ、この男ずるい!」
俺がアリスさんを盾にすると、アリアが信じられないといった感じで俺の顔を見てくる。
確かに俺が勝った時の報酬はアリスさんを好きにしていいという事で決まったが、ここで俺が代案を提示した事によりアリアには選択肢が生まれた。
俺の要求に従うか、それとも予定通りアリスさんを俺に差し出すか。
さっきまで怒り狂っていたアリアなら喜んでアリスさんを差し出しただろうが、今は冷静になっていて、過去の過ちと向き合ったアリアにアリスさんを差し出す事が出来るはずもない。
「いや、でも、カイを犠牲にするわけには……うぅ、お姉ちゃん! お姉ちゃんはこれでいいの!?」
何をそんなに躊躇う必要があるのかわからないが、アリアは『ぐぬぬぬ』と唸り声を上げながら考えた後、助けを求めるようにアリスさんに話題を振った。
困ったらお姉ちゃん頼りになるところは変わっていないようだ。
しかしアリスさんに頼るのは無駄だろう。
この過程に入る前に俺はアリスさんを既に説得している。
勝手に俺が泥を被るような真似をすればアリスさんが怒る事はわかっていたからな。
だから今更彼女に話を振っても意味が無い。
「仕方ないよ、アリア。こういう時のカイは頑固だからアリスの言う事も聞かない」
「でも――」
仕方なさそうに笑うアリスさんに対してアリアはまだ食い下がろうとする。
しかし、そんなアリアの言葉を止めるようにして一人の男がアリスさんとアリアの間に入ってきた。
――そう、アメリカにいるはずなのになぜかこの武道場に現れていた龍だ。
「アリスさんも人が悪い。そうならないで済むように僕が来たっていうのにね」
龍は苦笑しながらそう言うと、優しい笑顔を俺に向けてくるのだった。