第227話「真相」
「――いい加減にしなさい、アリス!」
直後、アリアの怒号が武道場内に響き渡る。
そして無理矢理俺の拘束を振り払おうとアリアは暴れ始めた。
おそらくアリスさんに飛びかかるつもりなのだろう。
逆鱗に触れられたアリアにはもうアリスさんに対する怯えはないようだ。
しかし、男と女では力が違う。
いくら暴れたところで俺がアリアを放す事はない。
「放しなさいカイ!」
「駄目だ。放したらお前、アリスさんに飛び掛かるだろ」
「この女は頬でも叩いて目を覚まさせないとだめよ!」
うん、そんな事を言われれば余計に放すわけにはいかない。
アリスさんを傷付けるなど許せずはずがないからな。
アリアはきっと、先程のアリスさんの言葉を聞いてこう捉えたんだろう。
『アリスは死んだ少年をカイに重ねているのではなく、カイが死んだ少年だと思い込んでしまっている』と。
本当にそれが思い込みなら確かに目を覚まさせなければならない。
だけどそれが思い込みではない事に俺は気付いていた。
というよりも、アリスさんの言葉によって話が繋がった感じだ。
アリスさんとアリアが言っている死んだ少年とは――多分、俺の事だろう。
アリスさんに視線を向けてみるとバッチリと目が合ってしまった。
そして目があった理由がなんとなくわかった俺は小さく頷く。
それに対してアリスさんは申し訳なさそうにしながらも笑顔を返してくれた。
どうやらアリスさんは全てを話すつもりらしい。
彼女がそうすると判断したのなら俺には文句はない。
例えそれが不利益に働いたとしてもアリスさんの事を恨んだりはしないだろう。
「ねぇ、アリア。アリアは天才中学生とアリスがやりとりをしていた事は知っていても、内容を全て把握していたわけではない。それなのにどうしてその子が死んだと言いきれるの?」
アリスさんは澄んだ綺麗な声でアリアに問い掛ける。
その声には怒りや動揺など負の感情は一切こめられていなかった。
こめられているのは優しさだけだ。
決して相手を傷付けようとするのではなく、先生が教え子へ――母親が子供に教えるように、優しさに溢れた雰囲気でアリスさんはアリアに問い掛けている。
「そ、それは――」
「ニュースでそう言ってたから? それとも平等院グループの役員たちが、天才中学生が失くなってしまった事で慌てていたから? でもそれって、結局天才中学生とやりとりもした事がない人間たちだよね?」
根拠を持っていない人間たちがただ騒いでいた情報を鵜呑みにしているだけじゃないのか?
アリスさんはそう言いたいのだろう。
だけどアリアの様子を見るにそれだけではなさそうだ。
「それだけじゃない! お姉ちゃんだって凄く取り乱してた! だから私は――」
「アリスがあそこまで怒ったのは、天才中学生を追い詰めてしまったからだよ。あの子は――うぅん、当時のカイは、大切な人に裏切られて心に傷を負い、そして不運が重なって精神はかなり危ない状態にまでなっていた。それをアリスは時間を掛けて治すつもりだったのに、父親が余計な事をしたせいで更に追い打ちを掛けてしまったんだよ。一歩間違えれば本当に取り返しのつかない事態になっていた。これで怒らないわけないよね?」
やはりアリスさんたちが言っていたのは当時中学生だった俺の事みたいだ。
『天才中学生』、『死んだ少年』という二つのワードが結び付く事や、アリスさんが俺を指すような表現をした事で予想はついていたが、この場で話題にされた理由は今一わからない。
どうやら俺が追い詰められた理由にはアリアが関わっていたらしいが、その話を突き詰めていったところでアリアを改心させるような話題には思えないのだ。
だからこの場で持ち出す必要がないように思える。
しかし、俺の考えとは裏腹にアリアには動揺が走っている。
その理由はいったいなんなのだろうか?
「それじゃあどうして私には何も言わなかったの!? お父様にあの子の事を教えたのは私! アリスはその事に気付いてたんでしょ!? 私が教えさえしなかったらあんな事にはならなかった! それなのにどうして私の事は責めなかったの!?」
中学時代、アリスさん側で起きていた事を俺は知らない。
だけどアリアの言葉を聞く限り、どうやらアリアが俺を父親に売り、それが元で注目集めに使われてしまったようだ。
そしてアリスさんはその事に対して父親は責めてもアリアの事は責めなかったらしい。
アリアが知りたかった情報から話題が逸れている気がするが、興奮してしまっているアリアは気付いてないのだろう。
とにかく気に入らない事を目先から噛みついている、ただそれだけのような気がする。
どうしてアリスさんがアリアを責めなかったのか。
その真意はアリスさんにしかわからないだろうけど、多分俺が同じ立場であってもアリスさんと同じ判断を下しただろう。
だからアリアが例え俺を売っていたとしても、その事について責めるつもりはない。
「ねぇ、カイ。多分君なら気付いてると思うけど、アリアは何も喜んで君を父親に差し出したわけじゃない。当時のアリアにはそうするしかなかったんだよ」
まるで俺の考えを読んでいるかのように――いや、実際今の話を俺が聞いてどう解釈するかは読んでいたのだろう。
その上でアリスさんはわざと言葉にしている。
それは俺に対するケアというよりも、周りの――アリア親衛隊に対するケアだ。
アリアが最低な人間だと誤解をされないように彼女たちにもわかるようアリスさんは言葉にしている。
何処までも妹の事を考えている人なんだよな、この人は。
だからこそこの人には協力したくなるんだが。
「子供が親に逆らえない、そんなのは珍しい事ではありません。特にお金持ちの世界――ましてや平等院社長が相手となれば尚更でしょう。だから俺はあなたと同じでアリアを責めるつもりはありませんよ」
話を振られてしまったため、アリスさんが当時考えていた事を俺が代わりにアリアへと伝える。
その際にわざとお金持ちの世界と持ち出す事で他のご令嬢たちにも共感を持たせるようにした。
彼女たちも親には絶対逆らえない口だろうから、アリアが行った事は仕方なかったんだと解釈してくれるだろう。
そして今俺が言葉にしたように、当時のアリスさんがアリアを責めなかったのはどうしようもなかったと理解していたからだ。
それなのにアリアを責めてしまえばアリアは板挟みにされてしまう。
アリスさんはその事を理解していたからこそ、アリアの事を責めたりはしなかった。
しかし――
「わかったような口を利かないでよ!」
――どうやらアリアには納得してもらえなかったらしい。
「私のせいであの子は死んだ! 私がお父様にあの子の事を教えなかったらあんな事件は起きなかったの! それなのに何!? 私が気にしないで済むように二人で口裏を合わせてるわけ!? 馬鹿にするのもいい加減にしなさいよ!」
もうまるで暴れ馬だ。
全身を激しく動かし、無理矢理にでも俺の拘束を解こうとしているのがわかる。
これじゃあこちらが何を言ってもアリアには届かないんじゃないだろうか?
――俺がそう考えた時、『パンッ!!』と大きな音が武道場内に響き渡った。
音がしたほうに視線を向けてみればアリスさんがアリアの両頬に手を添えていた。
どうやら今の音はアリスさんがアリアの頬を叩いた音だったらしい。
暴力を嫌う彼女がこんな手段を用いるのは素直に驚いた。
でも、それが必要な事だったから彼女は行ったのだろう。
ここで口を挟むのは野暮だ。
アリスさんの事を信じ、俺は黙ってアリスさんたちのやりとりを見つめる事にした。
「口裏なんて合わせてない。カイはアリアが死んだと思っている少年だよ。中学時代にアリスたちがしていたやりとりなら全部取ってある。そしてそこには、KAIという存在が生まれた時のやりとりも残っているよ。天才中学生が自殺をしたという事で姿を消した時期とKAIが活動を始めた時期、天才中学生の名前が神崎海斗だった事。他にも全ての辻褄が合うから調べてみるといい」
発音が変わった事から、アリスさんが『KAI』の事をアリアに教えたというのがわかる。
これだけは事前に確認がとられていた事だ。
KAIの正体を明かすのはかなりのリスクがある。
この場にはアリアだけでなく、日本で名が知れた財閥のご令嬢たちがいるのだからな。
ましてやアリアは雲母との賭けにKAIが関わっていた事を立証出来る事になった。
――だけど、もちろんアリアがそれを持ち出してきたところで叩き潰せるだけの準備を整えている。
他のご令嬢たちに知られる事に関しても、俺はもう西条財閥の経営する会社に入る事になるのだからKAIの正体を知られた所で困りはしない。
会社に入る以上別名を使って正体を隠しながら仕事を引き受ける必要はなくなり、必然KAIという名前も不要になる。
そのため近いうちにKAIという名前は捨てる事になるはずだ。
だから正体を知られたところで差し支えないだろう、という判断で俺はKAIの話をする事に同意した。
アリアは言いたい事がまとまらないのか、口を開いては閉じてを繰り返している。
そんなアリアを見てアリスさんは優しい笑顔のまま続けて口を開いた。
「それにね、アリアがカイの事を父親に話してしまったと気付いた時、アリスはすぐに父親と約束を交わした。そしてしばらくの間は公表をする動きは見せなかった。だからアリアも安心していたんだよね? でも、あの男がすぐにカイの事を公表しなかったのはアリスとの約束があるからじゃなかった。カイがもっとも注目を集める瞬間を待っていただけだったんだよ。結局はあの男がアリスたちを裏切って起きた出来事。だからアリアが責任を感じる必要は何処にもないの」
アリスさんはそう言うと、優しくアリアの頭を撫で始める。
とても優しく、そして大切そうにアリアの頭を撫でているアリスさんを見て、俺は段々と彼女の狙いがわかってきた。
やはりちゃんとこの話題にも意味はあった。
後は、アリアにアリスさんの気持ちが伝わっているかだが――。