第225話「もう終わりにしよう」
「ア、アリス、これやばいんじゃないの……?」
海斗に対して拳を構えるアリアを目にし、私はアリスに問いかける。
アリアは足技のみを極めてきたとアリスは言っていたけど、どう見ても拳にも自信がありそうだ。
海斗が女の子に手を出せないってのも本当だろうし、さっきまでしていたカウンターがアリアの動きを先読みして行われていたのなら、戦い方を変えられてしまえばもう通じない。
それともまだ海斗には何か策があるの……?
「――動きを読まれているという事は、当然研究をされている。それは予備動作にまで及んでいるかもしれない。だからアリアさんは足技での攻撃方法を変えるのではなく、思い切って足技自体を捨てたんでしょう。そしておそらく行うのは、インファイトですね」
私の質問に答えたのはアリスではなく美少年だった。
インファイト――確か、ボクシングの戦術の一つで、簡単に言うと相手との距離を詰めて殴り合いをするものだったはず。
そっか、同じインファイトでもアリアには攻撃を受けるというリスクがない。
つまりこれほどうってつけの戦術もなかったというわけだ。
「やばいじゃん……」
攻撃のみに全ての神経を注がれたら、アリアの攻撃スピードは更に上がる。
それではもう海斗が反応するのは不可能なはず。
しかし――。
「この状況においてはもっとも適切な判断。だけど、それが落とし穴だったというわけだ」
そう口にしたのはやはり隣にいる美少年。
今のは私に言ったというよりも独り言に近い感じだった。
彼の言っている事がよくわからず私がハテナマークを浮かべていると、私を挟んで美少年とは真逆に立っているアリスが口を開く。
「ごめんね、アリア。アリアがそういう答えを出すとカイは読み切っていたよ」
アリスがそう呟いた頃、丁度アリアが海斗に殴りかかっていた。
だけど次の瞬間――気付いた時にはなぜかアリアは仰向けで畳に倒れ込んでいた。
「えっ……?」
天井を見上げているアリアは何が起きたのかわかっていないようで、戸惑ったようにボーっとしてしまっている。
いや、何が起きたのかわかっていないのはアリアだけじゃない。
外から見ていた私やアリア親衛隊のみんなにも何が起きたのかわからなかった。
「今、何が起きたの……?」
「殴りかかったアリアさんの右手を海斗が手刀で払ってバランスを崩させ、そのまま重心の乗っていた左足を軽く蹴る事によってアリアさんを転ばせたんです。合気道の技を応用した感じでしょうか」
「合気道を完璧に身に着ける余裕はなかったからね。カイがやりやすい戦い方に合気道を取り込んでみた」
私の疑問に対して美少年とアリスが答えてくれた。
この二人には海斗の動きが見えていたんだ……。
いったいどんな動体視力してるのよ……。
二人には見えていたのに自分には見えなかった事を悔しく感じた。
だけど今大事なのはそこじゃない。
今海斗は、先程よりも圧倒的にアリアを上回っている。
ボーっとしていたアリアは我に返るとすぐに立ち上がって海斗に殴りかかり、その度に簡単に転ばされていた。
まるで子供と大人のような戦いになってしまっている。
海斗にはもうアリアの動きが先読み出来ないはずなのに、先読み出来ていたさっきまでよりも海斗に余裕が感じられていた。
どうしてそうなっているのかが私にはわからない。
普通に考えると先読みが出来ているほうが余裕があるはずなのに。
「言ったでしょ、アリアは足技のみを鍛えてきたと。いくら先が読めているとはいえ、極められている技にママが教えた技を決めるのは簡単じゃない。でも、アリアはその極めた足技を捨ててしまった。万が一の事を考えてボクシングも少し取り入れて鍛えていたようだけど、所詮は付け焼き刃。無駄な動きがある洗練されていない動きじゃあ、鍛え抜かれたカイには通じないよ。なんせ相手にしていたのは化け物と呼べるレベルのママやニコニコ毒舌なんだから」
アリスは実に得意げに喋っている。
自分の妹が何度も何度も転ばされているというのに気にした様子は見えない。
だけど多分、内心では本当は嫌なんだろう。
アリスの目は何処か悲しげだった。
「――もうやめにしないか」
いったい何度アリアが転ばされた頃だろうか。
この状況に飽きたのか溜め息交じりに海斗が口を開いた。
もう誰が見てもアリアに勝ち目がない事は明白。
それなのにアリアが諦めないのは、未だに海斗がアリアに攻撃をしていないからだと思う。
ただ転ばせているだけ。
普通ならそれでも心が折れそうなものだけど、アリアには諦める気配がなかった。
「ふざけないで! だったら私を気絶でもさせてみなさいよ!」
当然海斗の誘いに乗る事もない。
攻撃を喰らっていないとはいえ今までのカウンターで受けた痛みはあるし、体力自体もかなり消耗しているはず。
このままだとアリアは本当に倒れるまで戦いを続けそうだ。
――一瞬、海斗がこちらを見た気がした。
いや、多分アリスを見たんだ。
おそらく次アリアが仕掛けた時、海斗は何かをする。
「はぁあああああ!」
大声を上げ、気力のみで殴り掛かるアリア。
ここまでは何度も見た光景。
だけど次に起きたのは初めて見る光景だった。
「いたっ!」
「いいか、ここで降参しろ。じゃないとお前の右腕を折るぞ」
海斗はアリアを転ばせるのではなく、右腕を捉えて関節技を決めていた。
完璧に決まっているんだろう。
アリアは激痛によって顔を歪めている。
「だったら折ってみなさいよ!」
「そうか」
「~~~~~っ!」
海斗の冷たい声と共にアリアの右腕から嫌な音が聞こえた。
それによってアリアが言葉にならない声を出す。
だけど本当に腕を折ったわけではない事はわかる。
多分脅し程度のもの。
だけど次は本当に折りかねない。
そう思わせるくらいの雰囲気を海斗は放っていた。
――でも、表情を見てわかる。
今の海斗は凄く心配したような表情でアリアの事を見ていた。
自分が痛めつけているのに、それで痛がっているアリアを見て心を痛めているんだ。
背中を海斗に向けているアリアにはわからないけど、アリア親衛隊には海斗の表情が見えている。
だから、アリアを痛めつけている事に怒りを覚えていながらも戸惑いを生んでいるようだった。
このままアリア親衛隊が黙って見ているとは思えないけど――――――まぁ、そうするか……。
私がチラッと隣を見ると、目的の人物の姿は既にそこにはなかった。
そして少し前に視線を向ければ、天然の金色に染まる綺麗な髪を長く伸ばしている目的の人物が海斗たちに向けて歩を進めている。
どうやら、いよいよ幕引きらしい。
「――ごめんね、アリア。もう終わりにしよう」
そして、決して大きな声ではないにもかかわらず、澄んだ綺麗な声が武道場内に響くのだった。