第219話「鞭と飴」
「君がアリスに用? 珍しい事もあるものだね」
アリスはジッと不知火の顔を見つめる。
まるで射貫くような視線の強さに思わず不知火が一歩引いたのがわかった。
「どうして下がるの? 何かやましい気持ちでもあった?」
「…………」
不知火はアリスの質問に対して口を開こうにも開けずにいる。
たった僅かなやりとりなのにもかかわらず格付けが終わってしまっていた。
別にアリスが何か怒っているとかそういう事はないけど、話の主導権を握るためにわざと強めな態度を取ったんだ。
「いいよ、聞きたい事があるんだよね?」
怖気づいてしまっている不知火に対して今度は優しい笑みを浮かべてアリスが話し掛ける。
鞭からの飴かぁ……やっぱりこの子は相手を掌握するのがうまい。
というかこんな笑顔を向けられたら男ならコロッと落ちちゃいそう。
……海斗っていつもこんなかわいくて魅力的な笑顔を向けられてるんだよね?
本当にアリスの事をなんとも思ってないのかな……。
いや、なんともってのはおかしいか。
絶対に海斗はアリスの事が好きだ。
だけどそれが、恋愛的な意味じゃないのかどうかが気になってしまう。
「あの、アリスさんはいったい何をお考えなのでしょうか?」
私が別の事へ意識を向けている中、おそるおそるといった感じで不知火がアリスに尋ねる。
それは先程私がしたのと同じ質問だ。
不知火も気付いているんだと思う。
アリスが海斗と敵対するような子じゃないという事に。
それをアリアに進言していない理由はわからない。
この子にはこの子なりの考えがあるのだろう。
そして多分――アリスは不知火の考えも見抜いている。
「何を考えているとは?」
「えっと、アリスさんも神崎さんも演技されておられましたよね? どうして神崎さんは悪役を買い――そして、あなたは彼の敵役になられたのでしょうか?」
素直に驚いた。
普段の海斗とアリスを見ていれば二人の仲がいい事は明白。
他の生徒たちはそれを上辺だけの付き合いと見ていたけど、実際はそうじゃない。
そんな事海斗かアリスのどちらかを知っていればわかる事。
そして不知火は私と同じで幼い頃からアリスを知っている。
だからアリスが海斗と敵対するような子じゃないと気付いてもおかしくない。
だけど――どうして海斗が悪役を自ら買っている事に気付けたのか。
噂や人づてで聞いた海斗ではなく、ちゃんと彼の事を知っていないと無理な事だ。
「やはり気付いていたんだ? だからアリアに突っかかるカイを止めようとして躊躇した」
そういえば、確かに不知火は海斗に伸ばし掛けた手を止めていた。
あの時はまだ海斗の煽りは酷くなかったけど、兆しを不知火は感じていたのかもしれない。
「あなたはアリア様をどうなされたいのでしょうか? どうしてこんな事を……姉であるあなたが裏切っていたと知れば、アリア様はもう本当に誰も信じる事が出来なくなりますよ?」
今の発言でどうしてアリアに進言しなかったのかわかった。
不知火が言ってる事はもっともだ。
アリスが裏切っていたと知ればアリアはきっと怒り狂う。
そしてもう誰も信じようとはしないはず。
だから不知火はこんな真似をしたアリスを問い詰めにきたんだ。
「アリスがアリアをどうしたいか? そんなの決まってる。アリスはアリアに幸せになってほしい。その過程がどうであろうと、結果さえよければいいんだよ」
それは本心なのかどうなのか。
海斗なら理解出来たのかもしれないけど、私や不知火ではアリスの考えを理解出来るほど彼女の事を知らない。
本心を見せてもらっていない以上私たちにはわからないのだ。
ただ、不知火はアリスの言葉に納得していない。
「結果さえよければって……こんな裏切りをしておいて何が結果さえよければですか。私からすれば最悪の結果しか見えません」
「それは君が知っている情報全てを用いてそういう結論になるという事だよね? それが答えだよ」
「…………?」
不知火はアリスの言葉に怪訝そうな表情をして首を傾げる。
アリスはたまにこうやって相手を試すところがあるから厄介だ。
多分自分についてこれる人間かどうかを見極めようとしているんだろう。
今アリスが言ったのは、不知火が持つ情報だけでは最悪の結果になる。
だけど、不知火が知らない情報が結果を変えるという事だ。
そしてその情報を私も持ってはいない。
いったいこの先に何があるのか――海斗たちは何をしようとしているのか。
まだアリスを問い詰めようとする不知火を横目に、私は海斗を見つめながらこの先に待っている事が気になるのだった。