第218話「推測」
武道場に移動した海斗とアリアが向かい合って立つ中、私――西条雲母はアリスの隣に立ち、ジッと彼女を見つめていた。
「いったいどういうつもりなの?」
「何が?」
声を掛けてみると素知らぬふりをしてアリスが私の顔を見てくる。
その雰囲気はいつもの気だるげな様子ではなく、凛とした――正面に立つ事さえ戸惑ってしまいそうな威厳があった。
彼女がこの雰囲気になる時は本気になっている時っていうのを前に聞いた事がある。
なんでそんな漫画みたいなキャラ設定があるのって思ったけど、本人からすれば本当にこの姿は疲れるようで元に戻った時にはいつも少し元気がなくなっていた。
だからアリスはこの姿になる事を嫌うし、必要がなければこの姿にはならない。
そんな彼女が先程からこの凛とした姿になっている。
あまつさえ、教室で海斗とやり合っていた。
二人の関係を知らない者からすればただの駆け引きにしか見えなかったあのやりとりも、二人の関係を知る者からすれば違和感満載の会話でしかない。
アリスが海斗の敵になるつもりがない事なんて最初からわかっている。
だったらあの茶番はいったいなんだったのか――うぅん、あんな茶番までしてこの場を用意した真意が知りたかった。
ずっと海斗の傍に居たからわかる事――それは、海斗にアリアを殴るなんて出来ないという事。
海斗は見た目や素っ気ない態度に反して根はとても優しい。
いくら敵対しているとはいえ、女のアリアに手が出せるわけがないの。
だからこそ私は一つの推測を立てていた。
それは先程、海斗が悪役を買う事によってアリアに集まるはずだったヘイトを自分に集めていた事にも繋がる。
要は海斗は、ここでアリアにわざと負けようとしているんじゃないかという事。
そうすればアリアは学園のみんなに受け入れられる。
海斗が凄く追い詰めたせいで今はアリアに同情する生徒が多くいるし、そんな中元凶を自らの手で打ち倒せば必然的に好感度が上がるというもの。
だけどそれは逆に、この学校で海斗の立場がなくなる事を意味する。
周りから馬鹿にされ、蔑まれる目を向けられる可能性が高かった。
――もちろんそんな事になれば私は黙っていないし、海斗に何かしようとする輩にはそれ相応の報いを受けてもらうけど、そもそもそんな事になる前に手を打っておきたい。
だから本当に海斗がここでわざと負けるつもりなら、二人には悪いけど私は黙っているわけにはいかない。
だって私にはとっては海斗が大切だから。
冷たいと思われるかもしれないけど、アリアのために海斗が犠牲になる事なんてないと思ってる。
……でも、それだと一つわからない事があった。
例えここで海斗が負けたとした場合、アリアが余計に調子に乗ってしまうだけになる。
そんな事を海斗とこのアリスがわかっていないはずがない。
もっと言えば、わざわざ二人がそんな状況になるように事を運ぶとは思えなかった。
学校で浮き気味になるアリアを気にしてみんなに受け入れてもらおうとするんだったら、何もこんな事をする必要なんてない。
今やこの学校での海斗の発言力は大きくなっているし、私だって海斗が望むならアリアを受け入れてもらうようみんなにお願いをした。
同じように発言力を持っている咲姫だって、色々とあってアリアの事を嫌がっているようだけど、海斗が望むならきっと同じようにしたと思う。
それなのに頭の切れる海斗とアリスがわざわざこんな回りくどい事をする?
私にはそうは思えなかった。
だから自分の中で辻褄が合わず、二人が何を企んでいるのかが気になってしまうのだ。
「――その話、私にもお聞かせ願えますでしょうか?」
私がアリスを問い詰めようとしていると、優雅な仕草で不知火が近付いてきた。
今から主人の決闘が始まろうとしているのに落ち着き払っているように見えるのは、多分やせ我慢をして取り繕っているだけなのだろう。
不知火は礼儀正しくていい子だけど、心は意外と弱い。
少なくとも、ここで平然としていられるほど強い子じゃない事は長い付き合いだけあって知っている。
「なんの用?」
「一緒の学園にいたにもかかわらず、お話するのは随分とお久しぶりですね雲母さん。お元気そうで何よりです」
私が歓迎していない雰囲気を出した事に対して気にした様子も見せず、不知火は呑気に挨拶をしてきた。
――うぅん、こういうふうに惚けたふりをしないとこの子は私に話し掛けてこられないんだ。
この子が、中学時代に私にした酷い事を気にしないでいられる性格じゃない事を私は知っている。
本当は海斗たちの事が気になるけど……海斗がアリアの服を指摘した事によってアリアは慌てて着替えに行ったし、まだ時間はあるはずよね。
先程下着を見られて騒いだくせに、制服で戦おうとするなんてアリアは意外と抜けてる。
というより、今まではあまり男子の視線を気にしていなかった事が原因になるんだろう。
同性なら見られても別に困らないから、幼い頃から女だけの環境で育ってきたアリアはその辺が疎い。
でも恥じらいはあるようで少し安心する。
海斗も海斗で女の子には慣れているはずなのに、下着を見ると頬を赤らめて照れるところはかわいいと思った。
――と、そんな事考えてる暇じゃなかった。
こうしてる間にも時間は過ぎていくのだから。
「うん、久しぶり」
本当は『よく話し掛けてこられたわね』って返そうとしたんだけど、そういう過去の事をネチネチ言うのはよくないと思って接し方を変えた。
もう過去の事は引きずらないって決めたんだし、こんな一面を持ってて海斗に嫌われたくないからね。
「でも、いいの? 他の子たちから離れて私と話なんてしてたら、後でアリアに怒られるわよ」
アリアがまだ私の事を敵視しているのは明らか。
だから私と話をしてたらアリアがいい顔をするはずもないし、他のアリア親衛隊の子たちからだって睨まれる。
……まぁとはいえ、アリア親衛隊の中でもこの子は特別なのかもしれないけど。
「別にお話しては駄目とは言われておりませんので、問題はございません。それに私がお話をしたかったのは、雲母さんではなくアリスさんですので」
不知火はそう言うとアリスの顔を見つめる。
その瞳には確かな疑いの意志が宿されていた。