第215話「一生後悔していろ」
「なんでしょうか、アリスさん」
俺は普段と変わらず、今までアリアとのやり取りがなかったかのように笑顔でアリスさんに話し掛ける。
周りから見ればかなり異様な光景だろう。
敵対している相手の姉に対して敬語を使っているのもそうだが、こんな場面で笑顔になる人間はまずいない。
いるとすれば、頭がおかしい奴か、何か企んでいる奴だけだ。
だからこそ、周りの生徒たちの想像を駆り立てる事が出来る。
「平等院財閥を潰しに西条財閥と紫之宮財閥が動けば、日本経済に大打撃を与える。その責任は誰がとるの?」
アリスさんは俺の傍まで歩いてくると、アリアを庇うように俺とアリアの間へと体を割り込ませた。
そのせいで、アリアの顎を持ち上げていた俺の指が外れる。
まぁもうアリアの顎を持ち上げて無理矢理こちらを向かせなくても、アリアが俺たちから視線を外す事はないだろう。
今だって、驚いたように大きく開かれた瞳が俺たちへと釘付けになっている。
「責任? さぁ、どうでしょうね?」
俺はアリスさんの質問に首を傾げてとぼける。
そしてそのまま視線をアリアへと向けた。
「その責任もアリアに被せるつもり?」
俺の視線の動きがどういう意味なのか、周りの生徒たちにわかるようにアリスさんが言葉にする。
「俺は別に何も言ってませんよ」
「目が言ってる」
「そうですか」
敢えてここは否定しない。
これだけで生徒たちは深く考えずに、俺にはアリアに全て責任を被せる手があるのだと勝手に想像するだろう。
特に、今完璧にやられたばかりのアリアは人一倍悪い想像をしているはずだ。
「そんな事、出来ると思うの?」
「どうでしょうね?」
「言い方を変える。させると思ってるの?」
「お姉ちゃん……」
アリスさんが自身の手で妨害する事を暗に示すと、アリアが目を潤ませながらアリスさんの事を見つめた。
いつも強気なアリアが初めて見せた弱い部分。
やはりこいつにとってアリスさんは頼れる存在で、頼れる存在が傍にいるからこそ強がらずに弱い部分を見せるようだ。
そして一度あらわになった弱い部分はアリアの心を蝕み始める。
今までアリアは気の強さとプライドの高さで辛い事に耐えていた。
しかし甘えが出てしまった今では、見た目には気の強さや高いプライドは残っていても、心の中には残っていない。
辛い事に対してアリアを支えるものが自身からアリスさんに変わった時点で、アリアはもう自分で自分を奮い立たせる事は出来ないのだ。
そんな奴の心を折るのは簡単だった。
「あなたを相手取るのは厄介だ。とはいえ心配はいりません。あなたも、平等院財閥に対して西条財閥や紫之宮財閥が仕掛ける事はない、という事に気付いてるんですよね? 気付いているからこそ、それだけピリピリとしているはずだ」
「えっ……?」
俺の言葉を聞き、アリアは訳がわからないといった様子で俺の顔を見上げる。
アリスさん以外の他の生徒たちも同じ反応だ。
それもそうだろう。
先程まで平等院財閥に対して西条財閥と紫之宮財閥で潰しにかかるという話をしていたのに、今度はそんな事態にはならないと言っているのだ。
聞いてる奴等からしたらこいつは何がしたいんだ、と思っている事だろう。
「なぁアリア、お前にはどうしてそんな事態にならないかわかるか?」
「……わからないわよ……」
俺が投げ掛けた質問に対してアリアは俺を睨みながら答える。
だけどその声には覇気がなかった。
先程まで迎え撃つ姿勢を見せていたのに、アリスさんの登場でその気がなくなったのがよくわかる。
「簡単な事なんだよ。俺としてはお前を潰せればそれでいい。正直平等院財閥なんてどうなろうと構わないんだ。だったら、平等院社長と取引をすればいい」
「まさか……!」
「そう――俺は平等院財閥を潰されたくなかったら、アリアを寄越せと平等院社長に持ち掛ける。だから経済戦争なんて起こらない」
「そ、そんな……」
ここまで強気な姿勢を見せていたアリアは、俺の狙いを理解して膝からくずおれてしまう。
一瞬教室が静寂に包まれるが、その静寂はすぐに破られた。
「――平等院社長がそのような条件を呑まれるはずがないでしょう!」
俺たちの会話に割り込んできたのは、先程からちょくちょく口を挟んでくるアリア親衛隊の一人だ。
普通なら彼女が言ってる事が正しい。
親という生きものは例え自身の立場が危ぶまれようとも子を守るものだ。
――だけど、それにだって例外はいる。
そして俺は平等院社長がその例外側に属する人間だと知っていた。
「呑むさ。それはアリアの様子を見ればわかるだろ?」
「アリア様……」
アリア親衛隊の少女は、床に両手をつき、顔を上げようとしないアリアを痛々しいものでも見るかのような目で見つめる。
それほど絶望にひしがれるアリアは見ていられるようなものじゃなかった。
しかし、今大切なのはそこじゃない。
今大切なのは、本当に平等院社長がアリアを守るのであれば、どうしてアリアが絶望しているのかという事。
平等院社長をよく知るアリアがこのように絶望しているという事は、平等院社長がアリアを守らないという事を物語っているのだ。
そして、それは概ね正しい。
アリスさんやマリアさんから聞いた話とネット上での噂でしか平等院社長の事を知らないが、平等院社長は保身のためなら平気で娘を切り捨てるような人間だと思う。
おそらくアリアだけなら躊躇なく切り捨てるはずだ。
平等院社長からすれば、アリアがいなくともアリスさんさえいればいいからな。
だからアリアは自分が見捨てられると思い込んでいる。
……まぁ本当は、敵に回すとこの上なく厄介なアリスさんを平等院社長が敵に回すとは思えないため、おそらくアリアは見捨てられないだろう。
アリアを見捨てればアリスさんが怒り狂うのは目に見えている。
一度アリスさんの怒りを買い、とんでもない目に遭わされた過去を持つ平等院社長が同じ轍を踏む事はない。
再び同じミスをするような人間が大手企業のトップに君臨出来るはずがないからな。
だけどアリアはその答えに行き着く事は出来ない。
アリスさんに対してコンプレックスを抱くアリアは、平等院社長の中で自分はどうでもいい存在だと思い込んでいるからだ。
「なぁアリア、因果応報って言葉を知ってるよな?」
「…………」
俺の問いかけに対してアリアは何も答えない。
だから俺は言葉を続ける事にした。
「お前は雲母から全てを奪った。だから今度は俺がお前から全てを奪うんだ。お前が雲母を陥れなければ俺と雲母が出会う事もなく、こんな未来が待ってる事もなかった。他人の人生を奪うというのはそういうもんなんだよ。雲母から全てを奪った事――俺に尽くしながら一生後悔していろ」
俯いてしまっているアリアに対して、俺は冷たくいい放つのだった。