第209話「甘えん坊の義姉」
「おばけ、じゃないよ……?」
目の前にいる得体の知れない何かに体を強張らせていると、様子を窺うような――そして、耳障りのいいかわいらしい声が聞こえてきた。
その声は俺にとってもう馴染み深いものとなっている声だ。
となるとこの子は――。
「咲姫……? えっ、なんで咲姫が俺のベッドにいるの……?」
声から目の前にいる子が誰だか理解した俺は、どうして俺のベッドにいるのかを聞いてみる。
もう驚くほどの元気はなかった。
ただ、理由だけが知りたいという感じだ。
咲姫が答えるのを待つ間に段々と暗闇に目が慣れていき、次第に部屋の中がうっすらと見え始める。
すると、目の前には恥ずかしそうに上目遣いで俺を見つめる咲姫がいた。
その頬には俺の右手が添えてある。
どうやら、俺がベッドに寝転がった時に触れたものは咲姫の頬だったようだ。
ほんのり温かく、そしてプニプニとしていて凄く触り心地がいい。
ずっと手を添えていたくなってしまうくらいだ。
「か、海君が寝ぼけて私のベッドに入ってきたんだよ?」
頬の触り心地に満足していると、咲姫が白々しい嘘をついてきた。
どうしてこの子はこんなすぐにバレる嘘をつくのだろうか。
内装がどう見ても俺の部屋なのだから咲姫のベッドのわけがないのに。
――プニッ。
とりあえずおしおきとして頬を抓っておいた。
「い、いひゃいよ……」
「咲姫が嘘を付くからだろ。それで、本当はどうして俺のベッドに潜り込んでいたんだ?」
俺はバクバクと速くなっている鼓動に気付かれないよう、あえて素っ気ない態度を取りながら咲姫に尋ねる。
その間もプニプニと咲姫の頬を摘まんでいた。
こうしていると不思議と疲れがなくなるようだ。
「むぅ……」
頬で遊ばれて不満を抱いたのか、それとも俺が素っ気ない態度を取ったのが不満だったのかはわからないが、咲姫が俺の手を掴んで頬を膨らませた。
そしてすぐに俺の指を頬から放させ、もう一度頬に添えるように手を置き直させる。
どうやら頬を撫でろと言いたいようだ。
抓った事が気に入らなかったらしい。
「ほら、頬を膨らませて誤魔化さずに理由を教えてよ」
あまり拗ねる態度を取られて長引いても辛いので、今度は優しい声を意識して尋ねてみる。
もちろん、ちゃんと頬を撫でる事も忘れずに。
「ラ、ラノベを読んでて……そのまま寝ちゃいました……」
「ラノベ?」
咲姫の言葉を聞いてベッドを手当たり次第触ってみると、確かにラノベらしき本が手に当たった。
本当にラノベを読んでいて咲姫は寝落ちしたらしい。
寝転びながら読むと眠気が襲ってくる時もあるし、今回ばかりは仕方ない――わけがあるか!
そもそもベッドに入ってる事自体がおかしいし、俺がさっき聞いたのもベッドに入っていた理由だ。
その事に対して寝落ちは全く関係ない。
――俺がもう一度ちゃんと聞こうとすると、咲姫が俺の右手を手に取り先程と同じように自分の頬へと誘った。
ラノベを探しに咲姫の頬から手を放したのだが、まだ頬を撫でてほしいらしい。
こうもあからさまに甘えられてしまうと断れないんだよな……。
甘えてくる咲姫がかわいすぎて胸は凄く高鳴るし、もっと甘やかしたくなってしまうのだ。
しかし、このままだと胸がドキドキし過ぎて余計に疲れてしまう。
今は咲姫を問い詰めるんじゃなく、さっさとベッドから出て行ってもらおう。
明日に疲れを残さないようにするには仕方がない。
「咲姫、もういいから自分の部屋に戻りなよ」
「えっ……?」
眠たいのか目を細めていた咲姫に部屋へ戻るように言ったら、なぜか戸惑った表情で俺の顔を見つめてくる。
「どうした?」
いったいどうしてそんな顔をしているのかわからず、俺は首を傾げて咲姫を見つめた。
すると咲姫はなぜか恥ずかしそうに口をパクパクと何度か動かした後、意を決したように俺の顔を見つめて口を開く。
「戻らないと、だめ……?」
「――っ」
咲姫は俺の右手に自分の左手を添え、甘えるように甘い声を出して聞き返してきた。
暗闇のせいでわかりづらいが、多分目も潤ませている。
最近咲姫の甘え具合は酷くなっていたが、まさか自分の部屋に戻りたくないみたいな事を言うなんて思わなかった。
ここ数日相手をしていなかったからそのせいだろうか……?
俺は甘えたそうにこちらを見つめてくる咲姫にドキドキとしながら、どう答えていいのかわからなくなってしまい口を閉ざす。
相変わらず俺の中では咲姫との事に対して答えが出せていない。
アリアとの事を優先して先送りにしているのが理由だが……咲姫にはそんな事、関係ないんだよな……。
下手な心配を掛けたくなくて咲姫にはアリアとの事を説明していない。
だから俺が咲姫との事を先延ばしにしていても、もう一人の当事者である咲姫にはリアルタイムで進行中なのだ。
咲姫がグイグイと来ているのはその認識の違いがあるのだろう。
とはいえ、咲姫は態度で示すばかりで言葉にした事は一度もない。
だからずるくはあるが俺はまだ先延ばしにする事が出来る。
アリアとの事が終わればちゃんと考えるから、それまで待っていてほしいというのが俺の考えだ。
だけど告白をされたわけでもないのに待っていてほしいなんて言うわけにはいかない。
もし言葉にすれば自信過剰もいいところだ。
咲姫が何か言ってこない以上、俺も言葉にする気はなかった。
……それに、俺の胸の中にはなぜかしこりがある。
これがいったいなんなのか、それを確かめる時間もほしい。
そのため咲姫には待ってもらう事になるが、その代わり咲姫がしたい事はしたいようにさせる。
下手な抑止は面倒ごとの火種になりかねないからな。
「咲姫が後悔しないならこのままでいいよ」
「ほんと!?」
俺が許可をすると咲姫は嬉しそうに声を弾ませた。
まさかオーケーされるとは思っていなかったのだろう。
先程とはうって変わってご機嫌に見える。
「えへへ……ありがと、海君」
「――っ!」
そ、そこまでやるのか、咲姫……。
俺が息を呑んだ理由――それは、咲姫が俺の胸へと自分の顔を押し付けてきたからだ。
どうやら今日はこのまま寝るらしい。
…………こんなの寝られるわけないじゃないか……。
どう考えても緊張して寝られない状況に、俺はわずか数秒で先程の決断を後悔してしまった。
むしろ咲姫はこんな状態で寝られるのか尋ねてみたい。
視線を咲姫に向けると、咲姫も俺の顔を上目遣いに見つめていた。
至近距離から交り合う視線に胸が更にドキドキとしてしまう。
今の心拍数は全力ダッシュをした時よりも凄い事になってるかもしれない。
それくらい、咲姫にくっつかれて胸がドキドキとしていた。
――結局この後は寝る事が出来ず、次の日の特訓はやめざるを得なくなった。
しかも咲姫と一緒に寝た事など話せるはずもなく、アリスさんの家に居る間はスマホを没収という事になってしまう。
元々確認する余裕もなかったため電話以外でスマホを弄ったりはしておらず、没収されても問題はないのだが――なぜかアリスさんが凄く拗ねていて、俺は更に疲れる事になったのはここだけの話。