第208話「疑念」
「はぁ……」
アリスさんと別れた俺は、玄関に入って大きめの溜息をついた。
一人になるとドッと疲れが押し寄せてくる。
――いや、さっきまで気を張ってた分、いつも以上に疲れているかもしれない。
しかしそれでも、なんとかアリスさんを説得出来てよかった。
このまま終わるのでは不完全燃焼もいいところだったからな。
それにしても……アリスさんのあの冗談には凄く驚いた。
今もまだバクバクと鼓動が速くなっている。
春花、雲母に続いてアリスさんにまで告白をされようものなら、俺の人生はいったいどうなってるのかと自問自答してしまうところだ。
今まで不幸だった分の幸せがきてるのかと思うが、それにしても幸せが偏りすぎている気がする。
まぁ結局アリスさんのは冗談だったが、それでも驚きだった事には変わりない。
……ただ、一つ疑問は残る。
アリスさんがあんな冗談を本当に言うだろうか?
正直、全く言いそうにはない。
それに、アリスさんがあの冗談を言ってきた時俺は驚いて彼女の顔を見たが、アリスさんの表情は彼女自身が驚いているように見えた。
まるで無意識のうちに言ってしまったかのように。
あの言葉が本当に無意識に出たものなら――あれは、アリスさんの本心から出た言葉になる。
という事は、彼女は――――――いや、やめておこう……。
アリスさんが冗談だと取り消した以上、これ以上の詮索は無粋だ。
何より、今の俺に彼女の事を考えているほどの余裕はない。
アリアと咲姫の事でもう手一杯なんだ。
これ以上は抱えてしまうと絶対に何かをやらかしてしまう。
だから、アリスさんがどんな考えで発言していたとしても冗談と言ってくれて有難かった。
そのおかげで俺は冗談だったんだと流し切れるのだから――。
俺はそう考える事で高鳴る胸をどうにか落ち着かせられた。
――もう大丈夫だ。
さっきまでの事はなんともない冗談だったと割り切れた。
胸の高鳴りを落ち着かせた俺は、ふと普段とは違う家の様子に気が付く。
いつもなら俺が帰ってきた際にまるで飼い主を待っていた仔犬かのように駆け寄ってくる女の子が、なぜか今日に至っては未だに姿を現さないのだ。
その代わりに姿を見せたのは髪を左右に結ぶ小柄な少女。
とても優しくてかわいらしい桜ちゃんだ。
「おかえり、お兄ちゃん」
桜ちゃんは人懐っこい笑みを浮かべ、かわいい声で『おかえり』と言ってくれた。
このかわいい笑顔を見るだけで少し体が楽になる。
病は気からというが、疲労も気持ちに左右される部分があるのだろう。
「ただいま、桜ちゃん。咲姫はどうかしたの?」
「お姉ちゃん? お姉ちゃんは自分のお部屋にいるよ。ご飯を食べてお風呂から上がった後、すぐにお二階に上がっちゃったの。お勉強でもしてるんじゃないかな?」
へぇ、この時間から自分の部屋に引きこもるなんて珍しいな。
桜ちゃんは勉強だと思っているが咲姫の事だからラノベでも読んでいるのだろう。
新作で出たラノベでも咲姫が好きそうなものは見つけ次第全て買ってるから、当分暇を持て余す事もないはずだ。
唯一残念なのは俺が読めていないから感想を言い合えない事だな。
俺は咲姫とラノベの感想を言い合う事が好きだ。
ラノベの楽しみはただ読むだけでなく、気が合う友達と感想を言い合うという事にもある。
それに、咲姫との意見交換は楽しい。
まるで花姫ちゃんを相手にしているかのようだからだ。
咲姫と花姫ちゃんの好みはよく似ている。
昔花姫ちゃんが好きだって言っていたキャラを咲姫も好きだと言っているし、花姫ちゃんが苦手だと言ってたキャラは咲姫も苦手と言っていたからだ。
本当、ここまで好みが似るのかってくらいに咲姫と花姫ちゃんの好みは似ている。
だから話していて楽しい。
「お兄ちゃん、お風呂とご飯は?」
「ん? あぁ、今日も済ませてきたよ」
「そっかぁ」
桜ちゃんは俺の答えを聞くと少し寂しそうに笑った。
当分の間はご飯がいらないと伝えているはずだが、もしかしたら一緒に食べたかったのかもしれない。
だけど、今の俺は訓練が終わると疲労が酷いせいで食事を摂るのがやっとになる。
だからご飯はアリスさんに無理矢理食べさせられているのだ。
家に帰ったら食べなくなるという事で、訓練後はお風呂に入れられた後強制的にアリスさんが用意したお店に連れて行かれる。
そこはあの人が行くだけあってとても高そうなお店で、出てくる料理も凄く美味しい。
ただ、全てアリスさんの奢りなためいつもバツが悪かった。
本当にあの人は俺なんかのためにどれだけ金を使うつもりなのだろうか……。
「――あっ、そうだ。ごめん、桜ちゃん。俺明日からアリスさんの家に泊まらないといけなくなったから」
「えっ……?」
アリスさんの家に泊まると言うと、桜ちゃんは戸惑ったように俺の顔を見つめてくる。
急に同級生の女子の家に泊まりに行くと言われれば当然の反応だろう。
別にやましい気持ちはないが変に誤解されていると困る。
――しかし、アリスさんに及ばずとも桜ちゃんは察しがいい子だ。
俺がフォローをする前にニコッと笑みを浮かべた。
「そっか、無理しないように頑張ってね、お兄ちゃん」
「……ありがとう」
心を読まれた気がして一瞬驚いたが、俺は素直にお礼を言った。
この子が何処まで察しているのかはわからない。
だけど曇りけのない澄んだ瞳で俺の顔を見つめてきている以上、フォローの言葉なんて必要ないと判断したのだ。
「それじゃあごめん、ちょっと疲れてるからもう寝るね」
「一人で上がれる?」
「うん、大丈夫だよ」
「そっか、おやすみなさい、お兄ちゃん」
「おやすみ」
俺はかわいい妹に見送られながら階段を上る。
桜ちゃんがいたから気を張ったが、正直もう意識が途切れそうだ。
自分の部屋の前に着いた俺は、普段ならなんとも思わないドアに重みを感じながらゆっくりと開ける。
すると視界に入るのは廊下の光でうっすらと照らされる自分の部屋。
もう電気をつけるのも億劫だったため、廊下の電気を切ると部屋の電気をつけずに記憶を頼りにしてベッドへと向かう。
ベッドに辿り着くと、布団をめくるのもだるくてそのまま横になった。
――直後、俺以外の何かが息を吸い込む音が耳に入る。
そして、何やらとても柔らかいものが俺の手に触れた。
「……え?」
どう考えてもありえない感触に目を開けると、目の前には何か人の顔らしきものが見える。
「ゆう、れい……?」
自分のベッドに人らしきものがいたため、俺は咄嗟にそう口走るのだった。