第192話「脈略のない要求」
「さ、咲姫!? 大丈夫か!?」
俺は倒れている咲姫に駆け寄り、ゆっくりと上半身を抱き上げる。
咲姫は苦しそうに息を荒くしているが、一瞬頭を過った最悪の事態にはなっていないようだ。
俺はその事に安堵しつつ、咲姫に呼び掛けてみる。
しかし、咲姫は返事が出来ないようだ。
うっすらと開かれている瞳は焦点が定まっておらず、虚ろになっている。
その様子から、意識が混濁としているのがわかった。
「熱いな……」
額に手を当ててみれば、体の温度が平温よりもかなり高そうだった。
体温計で測らなければ正確にはわからないが、三十八度くらいは出ていそうだ。
下手をすると、三十九度までいっているかもしれない。
「くそ、どうしてこんな時に限って父さんや香苗さんはいないんだ……」
朝起きると、父さんたちは家に帰ってきていなかった。
おそらく急患が入ってしまい、病院で手一杯になっているのだろう。
今までも時々あったから珍しい事ではないが、何もこんな時に重ならなくてもいいのに。
俺は文句を言いたい気持ちになりながらも、とりあえず咲姫をベッドに寝かせた後、父さんや香苗さんに電話をしてみる。
だが、やはり電話は繋がらなかった。
病院に電話をしてみれば受付のお姉さんがとってくれたのだが、父さんも香苗さんも今朝方入ってきた患者さんに掛かりきりになっているとの事。
このままタクシーを使って父さんの病院に行くというのも一つの手だが、父さんたちの手が空いていないのなら咲姫を待たせる事になってしまう。
娘だからという事で優先する親ではない。
いや、むしろ他の患者さんを優先するだろう。
父さんはそういう人だ。
普段は優しいが厳しい一面も持っている。
医者として、自分の家族よりもよそ様の命を優先するはずだ。
その考えは医療に携わるものとして立派だと思うが、家族としてはやはり思うところがある。
だがここで文句を言っていても状況は好転しない。
俺はすぐに別の連絡先に電話を掛けた。
『……もしもし……』
電話越しから聞こえてきたのは、眠たさを含んでいるかわいらしい声。
この人は普段からこの様子なため、寝起きなのかどうかが判断付きづらい。
「もしもしアリスさん。すみません、朝から急に……」
『うぅん……いいよ……。どうしたの……?』
「実は――」
状況を説明すると、アリスさんはすぐに医者を俺の家に手配してくれると言ってくれた。
咲姫に気を遣って女性の医者を手配してくれるところが、さすがアリスさんだ。
「ありがとうございます、アリスさん」
『気にしないで……。今日はゆっくり……休ませてあげてね……。それとカイも……今日はお休み……』
「そうですね、学校は休みます」
テストがあるが、俺はそこまでテストを重視していない。
咲姫を一人にするわけにはいかないから、後日の補習で十分だ。
『違う……。トレーニングも……お休み……』
「あっ……でも、その頃には親が――」
『そろそろ……体を休める必要があった……。だから……ちょうどいい……。それに……病気の時は……心細いもの……。桃井の子は……カイに傍にいて……ほしいはずだよ……』
俺は、今もなお苦しそうにベッドへ横になっている咲姫を見つめる。
咲姫が俺の事をどう思っているかは、一応理解しているつもりだ。
確かに逆の立場で考えると、俺も同じように思うだろう。
「……わかりました、今日は休ませて頂きます。マリアさんにもそうお伝えください」
『うん……素直でよろしい……。こっちの事は……心配しなくていいから……』
一瞬、アリスさんの言い方が引っ掛かった。
しかし、多分マリアさんも怒らないという意味で心配ないと言ってくれたのだと思い直し、俺は別れの挨拶を済ませて電話を切った。
「――海……君……」
休む旨を伝えるために学園に電話をしようとすると、弱々しい声で咲姫が俺の名前を呼んだ。
どうやら意識がハッキリとし始めたようだ。
「すぐにお医者さんが来るからな。しんどいだろうけど、横になっててくれ」
「…………学園……行かないと……」
「何言ってるんだよ? そんな状態で行けるわけがないだろ?」
「でも……テストが……」
咲姫はベッドから無理矢理体を起こし、立ち上がろうとした。
俺はそんな咲姫の体を掴み、ゆっくりと丁寧にベッドへと寝かせる。
さすがに、病人相手に感情的になって強く寝かせたりはしない。
あくまで、気を遣わなければいけないのは咲姫の体なのだから。
「咲姫の今までの成績なら、一度テストを休んだくらいでは評価には響かないよ。むしろ今日無理をして明日以降も体調を崩すほうが問題だぞ?」
優しく、言い聞かせるように俺は咲姫を説得する。
今までの付き合いでわかるが、咲姫はこういう時怒ったりしたら拗ねて反発してしまう。
逆に優しく言うと、素直に聞いてくれる事が多いのだ。
――だけど、今日の咲姫はいつもと違った。
それは熱のせいなのか、はたまた別の理由かはわからない。
咲花は寝かせている俺の腕からどうにか抜け出そうと、体を無理矢理動かし始めた。
「だめなの……! 今日は行かないといけないの……!」
「そこまでテストが大事なのか? この先テストの成績ならいつでも取り戻せる。しかし、体を壊せば最悪死んでしまうかもしれないんだ。何が優先か、頭のいい咲姫ならわかるだろ?」
俺は病気で亡くなる人を目の前で見ている。
咲姫だってそうだ。
いったい何を優先しないといけないのか、こいつならわかっているだろうに。
「だってこのままだと……あの人に負けちゃう……。あの人に海君をとられちゃうの……」
俺の腕から抜け出す事を諦めた咲姫は、涙を流しながら学園に行きたい理由を話してくれた。
咲姫が言っているのは、アリアとの賭けについてだろう。
多分咲姫は勘違いをしている。
本来なら、その賭けはアリアが勝手にしたものであって、俺がそのルールに従う必要はない。
だがしかし、俺はアリアとの賭けを既に行っており、負けた場合はなんでもアリアの言う事を一つだけ聞くと明言している。
だからこそ、アリアと咲姫の賭けは成り立っているのだ。
もし今回咲姫がテスト勝負で勝てば、アリアは俺との賭けで得た命令権を咲姫に譲るつもりだ。
そうでなければ、例え咲姫が勝ったとしても俺は命令を聞く必要がないからな。
つまり、アリアは今回の賭けで勝ったところで命令権をキープ出来るだけであって、新たに得られるわけではないのだ。
だからアリアが勝ったところで少しプランが狂うだけであって、実質的な損害はない。
要は、俺が自分の賭けで負けなければいいだけだからな。
それよりも、咲姫が最近本当に直球になってきている事のほうが気になった。
照れを顔に出さないのも大変なんだが……。
「ここで咲姫が休んでも俺がアリアの元に行く事はないから、ゆっくり休みなよ」
「本当……?」
優しく頭を撫でてあげると、咲姫は潤った瞳で俺の顔を見上げてきた。
熱のせいで頬は真っ赤になっているし、苦しくて『はぁ……はぁ……』と息が荒くなっているから、今の咲姫には妙な色っぽさが出ている。
「あぁ、本当だよ」
俺は変な気持ちになるのを我慢しながら、繕うように笑顔を浮かべた。
すると咲姫は――
「だったら……手、繋いで……?」
――脈略のない要求をしてくるのだった。
いつも読んで頂き、ありがとうございます(*´▽`*)
もうすぐ『ボチオタ』2巻の情報を発表致しますので、楽しみにして頂けると嬉しいですヾ(≧▽≦)ノ
本当に素敵なイラストを描いて頂けてて、皆さんに早く見て頂きたいです(^^♪