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第190話「二人きり」

「――ただいま……」


 あの後俺の答えを聞いたマリアさんに死ぬほどしごかれた俺は、体をふらつかせながら自分の家へと帰っていた。

 家までは平等院家の執事さんとメイドさんが送ってくれたとはいえ、正直歩くので精一杯だ。

 体なんて打撲で顔以外の全身がくまなく痛い。

 顔だけ避けてくれたのは、マリアさんの優しさではないだろう。


 ただ、他の人間に訓練の事を悟られないよう、見える部分に怪我を負わせなかっただけだ。

 これが後約一ヵ月続くとなると、本当にしんどいな……。


「――(かい)君、おかえり!」


 訓練の事を考えていると、パタパタと足音を立てて咲姫がリビングから出てきた。

 そして嬉しそうに俺へと駆け寄ってくる。

 その姿はまるでお預けを食らっていた犬が、しっぽを振って飼い主に駆け寄っているかのようだった。

 どうやら帰りが遅くなった事は怒っていないようだ。

 俺の部屋にあるものを好きに使っていいという事で話はついているため、当然といえば当然なのだが。


「ただいま、咲姫」


 俺は心配をかけないよう精一杯笑顔を浮かべて咲姫に声をかける。

 すると咲姫は嬉しそうに何かを差し出してきた。


「海君海君! 一緒にエロゲーしよ!」

「…………」


 いきなりの出来事に俺は絶句した。

 そして慌てて咲姫の手からエロゲーを取り上げ、口を押さえる。

 咲姫はモゴモゴと何か言っているが、今はそれどころではない。

 どうして俺が慌てているか――簡単だ。


 ここが、玄関だからだ。


 これが俺の部屋だったなら問題はない。

 もう当たり前となっているやりとりだし、今更どうしたという感じだ。

 しかし、こんなところで大声で『エロゲー』などと言えば、当然桜ちゃんの耳に入ってしまうだろう。

 あの純粋で可愛い妹に、俺たちがエロゲーをしているなんて知られたくない。


 今まで咲姫もわかっていて気を付けていたはずなのに、どうしてこんな事をしたんだ……。


「――ぷはっ。もう、急に何するの!」


 俺の手から無理矢理逃れた咲姫が、頬を膨らませて怒ってくる。

 だが何してんだというのはこちらの台詞だ。


「咲姫こそいきなり何してるんだよ……! 桜ちゃんに聞かれたらどうする気だ……!」


 俺はなるべく声を殺しながら咲姫を怒る。

 しかし、咲姫はキョトンっとした表情を浮かべて首を傾げた。


「桜、今日はカミラちゃんって子の家に泊まりに行ってるからいないよ?」

「……え?」

「だから、カミラちゃんって子の家に泊まりに行ってるの」


 咲姫の言葉を理解するのに時間がかかっていると、咲姫が同じ事をもう一度言ってきた。


 いや、うん。

 どういう事?

 カミラちゃんの家って事は、つまりアリスさんの家だろ?

 俺がいたのはトレーニングルームがある平等院財閥の建物だから、鉢合わせしなかった事はわかる。 

 でも、どうして桜ちゃんもアリスさんも教えてくれなかったんだ?


 別に妹の行動を把握しておきたいというわけではない。

 ただ、腑に落ちないのだ。

 カミラちゃんの家――いや、アリスさんの家には当然アリアがいる。

 賭けの対象にされた桜ちゃんが、その話を持ちかけてきた相手の家に泊まりに行く?


 頭が温い子だったり、ド天然な子ならありえなくもない。

 桜ちゃんも普段の様子だけ見ていると、その部類に入るだろう。


 しかし、あの子はああ見えてしっかりとしている。

 少なくとも自分から悪い奴の家に泊まりに行ったりはしない。

 また、何か考えがあっての行動なのだろうか……?


 とりあえずこの事をアリスさんが把握していない事はまずないだろうから、連絡だけはしてみるか……。

 俺はすぐにスマホを取り出し、アリスさんにメッセージを送った。


 ――クイクイ。


「ん? どうかした?」


 スマホを見ていると咲姫が服の袖を引っ張ってきたため、声を掛けてみる。


 すると――

「エロゲー……しよ?」

 ――上目遣いで、再度エロゲーをしようと誘ってきた。


 咲姫の表情を見た俺は、慌てて顔を背ける。

 この子、本当に俺に対して無防備すぎる。

 今のなんて完全に別の意味で誘ってきているようにしか思えないんだが……。


 いや、咲姫がそんなつもりで言ってきてるわけではない事は理解しているけど、さすがにもうちょっと色々と考えてほしい。


「そ、それどころじゃないだろ? 咲姫はアリアとのテスト勝負があるんだから、勉強しないと」


 桜ちゃんがいないという事は、父さんたちが帰ってくるまで咲姫と二人きりという事だ。

 しかも父さんたちが帰ってくるのはかなり遅い。


 だから二人だけの状態でエロゲーをしようものなら、雰囲気に流されて間違いを起こしかねないのだ。

 咲姫が俺の事をどう思ってくれているかは、一応理解しているつもりだ。

 だからこそ流されないように気を付ける必要がある。


 それに、体がボロボロなため正直早く休みたい。

 咲姫には悪いが、また当分エロゲーを一緒にするのは無理だ。


「海君が帰ってくるまで頑張ってやったもん! だから今日の分はもう終わりだから大丈夫だよ!」


 勉強の事を言われた咲姫は、今日の勉強は終わったからエロゲーが出来ると主張してきた。

 頬を膨らませて言ってきてるから、これはもう勉強しろと言っても聞かないだろう。


「ごめん、咲姫……。今日はしんどいから、また今度にしてくれないか?」


 勉強を口実に避ける事は出来なさそうなため、正直にしんどい事を伝えた。


「あ、うん……わかった……」


 俺の言葉を咲姫は素直に聞いてくれた。

 少し前までなら多分わがままを言ってきていただろう。

 わがままを言うのが少し収まったのは、俺がアメリカから帰ってきた頃くらいだろうか?

 きっと俺がいない間に、咲姫にも何かあったのだろう。

 まぁそれは今はいいか。

 それよりも――。


 俺は俯いてしまった咲姫の横顔を見る。

 咲姫は残念そうにシュンっとしてしまっている。

 俺とエロゲーをする事を凄く楽しみにしていた事がよくわかる。


 …………こんな顔のままでいてほしくないよな……。


「咲姫、一時間でよければ一緒にやろっか?」


 咲姫に悲しい表情をしてほしくなかった俺は、少しだけ譲歩する事にした。

 咲姫が持ってきたエロゲーは、まだ一緒にやった事がないやつなため共通ルートから始める事になるし、エロ要素は個別ルートに入るまで出てこない。

 一時間くらいなら、家に二人しかいないこの状況でやっても問題ないはずだ。


「いいの……?」


 俺の言葉を聞いた咲姫が、心配したような表情で上目遣いに聞いてくる。

 先程俺がしんどいって言ったからだろう。


「あぁ、一時間くらいなら問題ないよ。その代わり、明日からも勉強頑張ってな?」

「あっ――うん!」


 笑顔で言うと、咲姫はパァッと顔を輝かせて頷いた。

 そして自分の部屋へと移動する俺に、咲姫は嬉しそうに付いてくるのだった。

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[一言] なんだかんだで優しいなぁ…惚れた弱味もあるのか…でも個人的には将来のビジネスパートナーたるあの娘も応援したいしなぁ…
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