第175話「耳を疑う名」
「おみごと……ですか?」
予想外の言葉に、俺は思わず戸惑ってしまう。
もう少し、批判的な言葉が返ってくるものだと思っていたのだが……。
「あぁ、君の覚悟は実にみごとだよ。しっかりと私が求めるものを用意するだけでなく、私の判断で自分の要求を呑ませるように布石まで打った。よく――あの少年が、ここまでになったものだ」
俺は自分の策が見抜かれた事よりも、後半の言葉が気になった。
ただ単に、ボッチで根暗だった少年が――という意味にもとれるが、感慨深そうに言う西条社長の言い方が気になったのだ。
まるで、何か思い入れがあるかのような……そんな感じにとれる。
「もしかして、私の事に気が付いてるのですか?」
このまま有耶無耶にするのは気持ち悪かったため、一歩踏むこむ。
「あぁ、君が現れた時点で全てが繋がったよ。神崎海斗――その名は、数年前に自殺されたとされる天才中学生の名だ。いや、正確には最有力候補として挙がっていた名だがね」
やはり……気付かれていたのか。
KAIとして俺が現れた事で、その名と繋がってしまったという感じか?
同姓同名と考えるのは確率が低すぎると思ったのだろう。
しかし、余計に気になる。
二年前の俺はアリスさんとしか関わりを持っていない。
一歩踏み込んで考えたとしても、平等院財閥までだ。
どうして西条財閥の社長であるこの男が、感慨深そうにしているのだろうか?
「君には申し訳ない事をしたね……」
考えてこんでいると、西条社長が急に暗い声を出した。
「どういう事ですか?」
「あの時君を追い詰めてしまったという事だ。私も、君を獲得しようとした当事者の一人なんだよ」
「……そうですか」
別に、それ以外の言葉は出てこない。
俺はその事を知っていたからだ。
西条財閥ほどの大きな会社からの接触があれば、忘れるはずがない。
それにあれはもう全て終わった事。
アリスさんとの繋がりが戻った今、蒸し返すつもりもない。
「本当に、申し訳ない!」
しかし、俺が素っ気ない返事をしたせいか、『ガバッ!』と西条社長は机に手を付き頭を下げてきた。
「や、やめてください! もうあの時の事は気にしていないんです!」
「いや、それでも謝らせてほしい! あの時の私は我を忘れていた! 娘のために、君は絶対に手に入れないとだめだと思っていたんだ!」
娘のため……。
雲母のために、か……?
時期的にいえば、俺が多くの企業に追い込まれたのは、雲母がアリアに嵌められた少し後。
つまり……そういう事なのか……?
西条社長は、本気で雲母の事を考えていた……?
「西条社長、娘のためにとはどういう事ですか?」
彼の行動を止めるのはやめ、気になる部分を聞く。
「あぁ……それは、他を圧倒する才能を持つだけでなく、雲母と歳が同じという事で、あの子の大きな支えになってくれると思ったんだ。少し話は変わってしまうけど……平等院アリアさんには、双子の姉であるアリスさんがいる。紫之宮愛さんには、妹の楓さんがいる。しかし――雲母は一人っ子だ。あの子だけ、財閥を背負う時に支えてくれる相方がいないんだ」
「だとしても、顔も知らない中学生の私を西条財閥に入れるのは、些かリスクが高かったのでは?」
特にあの時は、俺が平等院財閥と繋がっている事は明確だったのだから。
「あぁ、そうだね。しかしそれでも、あの時の私は君がほしかった。それだけ余裕がなかったんだ。それに、君は平等院財閥に裏切られていたから、君がスパイをするなどの心配はしていなかった」
そうか、周りから見るとそうなるんだな。
確かに、俺は平等院財閥に裏切られた。
だから西条社長にとっては、平等院財閥との繋がりは心配なかったのか。
俺にとってはアリスさんがいたから、結局平等院財閥と繋がっているようなものだと思っていたが……。
「あなたに余裕がなかったのは、雲母がこのままだと完全に潰されると思ったからですか?」
「そうだよ。あの子一人で社会に出れば、絶対に潰されると思った。だから私はあの子に力を付けてほしかったし、あの子の力になってくれる存在がほしかった」
嘘は……言ってない。
確証はないが、多分本音だと思う。
俺は、一度目を閉じる。
西条社長が雲母のためと思って突き放していたのなら、俺の思い違いだったという事だ。
そう考えると、疑問だった部分の辻褄が合う。
例えば、雲母が家を追い出されてるにもかかわらず、大金ともいえる自分の小遣いを没収されていなかったり、あいつが俺に関しての情報がほしいという要求に対して、西条社長がすぐに手を貸した事とか。
この人は、突き放してもなお、非情になりきれなかったのだ。
やはり、噂通り優しい人なのだろう。
俺はこの人に謝らないといけないな。
勘違いをして、勝手に怒っていたのだから。
例えやり方を間違っていたとしても、あいつの事を思っての行動なら俺が言える事はない。
「西条社長、僕のほうこそ申し訳ございません」
俺はソファから立ち上がり、深々と頭を下げた。
一人称をわざと変えたのは、俺が距離を詰めた事をわかるようにしたのだ。
「どうして君が謝るんだい?」
「いえ、僕はあなたの事を誤解していました。正直、雲母を見捨てたと思っていたのです」
嘘偽りなく、正直に話した。
西条社長のような人には、心から向き合わないといけないと思ったからだ。
「……わかっていたよ。顔は笑っていても、君の目は笑っていなかったからね。強い意志がこもった瞳で私の事を見ていた事から、君が怒っている事は察していた。そして私がそれだけの事をしたとも理解しているから、怒っていないさ」
「そうですか……。一つ、いいでしょうか?」
「あぁ、なんでも聞いてくれてたまえ。君の質問なら正直に答えよう」
優しい笑みを浮かべる西条社長は、先程とは別人のようだ。
それなら一つと言わず、お言葉に甘えよう。
「先程の態度は、俺を試していたのですか?」
他にも気になる事はあるが、まずその事を聞いてみる。
明らかに態度が変わっていた事で、俺はそう結論付けた。
「あぁ、そうだよ。君の噂は聞いていたし、信頼出来る人間だという事も知っていた。しかし、私の目で確かめたかったんだ。君がどれだけの思いでこの場に来たのかをね」
なるほどな……。
やはり人の上に立つだけあって、優しいだけのはずがないか。
相手を見極める事に抜かりはないみたいだ。
そして、彼の中で俺は合格したというわけか。
「もう一つ教えてください。いつから俺がニュースで取り上げられた少年だと気が付いていたのですか?」
西条社長が俺の名を聞いたのは、おそらく雲母が連絡をした時だろう。
その時には既に気付かれていたのかが気になる。
もし気付かれていたのなら、どうして接触を試みなかったのかも。
西条社長は少し考えると、ゆっくり口を開いた。
「私が君とニュースで取り上げられた少年を結び付けた理由は――――アリスさんだよ」
思いもよらない名が出てきた事に、俺は耳を疑った。