第9話「義姉にラノベを貸そうとしたら、予想の斜め上を行ったんだが……」
「パソコン貸して」
突如、桃井が俺の部屋を訪れてきた。
桃井はお風呂上りなのだろう――髪が少しだけシットリと濡れていて、頬がうっすらと赤らんでいる。
何より、服装が大人っぽい黒色のパジャマ姿だった。
俺はその姿に、急激に緊張してしまう。
なんせ、今の桃井は凄く色っぽくて可愛いのだ。
いくらこいつの事が嫌いとは言え、こんな女の子が居たら見とれてしまうに決まっている。
しかしあまりジッと見ていると、この前の夜みたいに睨まれてしまう為、俺は慌てて目を逸らした。
「えっと、何で急に?」
俺がそう尋ねると――
「明日までに作らないといけない資料があるのだけど、下校時間が来てしまったから、データを持って帰ってきたの。だから、パソコンを貸してちょうだい」
「いや、お前持ってないのか?」
「持ってたら、ここに来てるはずがないでしょ? 本当あなたは理解力がないわね」
確かに桃井の言う通りなのだが……こいつ、それが人に借りようとする態度なのか?
「なら、父さんのを使えよ。父さんの部屋に今もあるはずだ」
素直に桃井の言う通りにするのは癪な為、俺はそう答えた。
だが桃井は――
「お父さんは今家にいないでしょ? 連絡もつかないし、勝手に借りられるわけないじゃない。それとも、あなたは人の物を勝手に使うの?」
そう言う桃井は、目を細めて俺の事を見てくる。
なんだろう……桃井が言ってる事は正しいんだが――凄く腹が立つ!
しかしこれ以上やり合っても、俺が口喧嘩で桃井に勝てるはずがなかった。
だが、どうする?
今のこいつを、俺の部屋に入れるのか……?
というか、こいつには危機感と言うのがないのか?
男の部屋で二人っきりになるという事が、どういうことかわかっていないのだろうか?
「お前、俺の部屋に入るの……?」
「出来たら入りたくないけどね。でも、あなたのパソコンはノートパソコンじゃないんでしょ?」
「……なんで知ってるんだ?」
「前に桜から聞いたの。……もしかして、桜は部屋に入れたのに、私は入れないとか言わないでしょうね? もしそう言うなら、あなたの事を今日からシスコンって呼ぶわよ?」
どんな脅しだよ……。
てかこいつ、シスコンの意味を妹好きだと勘違いしてないか?
シスコンには姉も入るんだぞ?
つまり、俺はお前の事も好きだという事になるんだが?
――とか言うたら、絶対に暴言しか返ってこないから言わないけどな。
それに……多分俺、シスコンなんだよな……。
決して桃井の事が好きというわけではない。
桜ちゃんが可愛すぎるのだ。
あんな子が妹になったら、十人が十人シスコンになるだろう。
まさに『十人十色』ということわざを打ち消す存在だ。
……俺は何を馬鹿な事を言っているんだ?
とりあえず何か言わないと、目の前の雪女が凄い顔をしている……。
「はぁ……わかったから、そんな目で睨むな。それと、勝手に部屋の物を弄るなよ?」
「弄らないわよ、汚い」
俺の注意に、桃井は興味なさげに答えた。
ただ、一言多い奴だ。
汚いなら、部屋に入るなと言いたい。
「へぇ……」
部屋に入った桃井は、何故だか感心したような声を出した。
その視線は、本棚の方に向いている。
だが、プログラミングの本が入っている棚ではなく、隣のラノベがたくさん入っている棚を見ていた。
「お前、ラノベに興味があんの?」
俺がそう尋ねると――
「ラノベ? 何それ? そんな物聞いた事がないわ。それよりも、早くパソコンを貸してちょうだい」
と、早口で捲くし立てられた。
「お、おう」
俺はその勢いにおされ、すぐにパソコンを起動させる。
そうだよな、こいつがラノベを読むわけないよな……。
桜ちゃんが友達から借りてたまに読むと言っていたから、桃井も読んだことがあるのかもしれないと思ったが、この優等生がそんなものを読むわけがない。
しかし――作業に入ったはずの桃井の視線は、時折ラノベがしまってある本棚に向いていた。
……これ、絶対興味があるだろ?
だが、下手な事を言えば暴言の嵐が返ってくるため、俺は黙って桃井を見ていた。
………………こいつ……本当に、黙ってれば可愛いのにな……。
「どうしよう……」
俺が桃井の作業が終わるのを待っていると、突然桃井がポツリとそう呟いた。
何かあったのだろうか?
「どうした?」
俺がそう尋ねると、桃井は俺の方を睨んできた。
「なんでもないわ。だから、近づかないでもらえるかしら?」
「はぁ……なんでお前って、そんな言い方しか出来ないの?」
「うるさいわね……ほっといてよ」
「はいはい、わかりましたよ」
俺は桃井に背を向け、ベッドに腰掛ける。
桃井は俺の方を一瞥だけして、画面へと向きなおした。
しかし、その手は止まったままだ。
解決策がわからずに、悩んでいる様だった。
俺はさっき画面が見えたから、今何が起こっているのかわかっているのだが、先程の態度がムカついたため助けてやる気はない。
2
しかし、それから一時間たっても桃井の手は止まったままだった。
こいつ、意地を張りすぎだろ……。
このままだと俺も寝られないし、仕方ないか……。
「桃井、ちょっと避けて」
俺が桃井にそう言うと――
「近寄らないでって言ったじゃない」
桃井はそう言って、睨んできた。
だが、俺はもう取り合わない。
「明日までに終わらせないといけないんだろ? すぐ終わるから、横に少しずれてくれ」
俺の言葉に、桃井は渋々ながら横にずれてくれた。
さて――。
俺はコマンドプロンプトを開いて、ルータに接続されてるかどうかを調べる。
やっぱり、ルーターとの接続が切れているな……。
桃井が使っている最中に、接続が途絶えてしまったのだ。
俺はすぐにルーターへと接続し直した。
「今……何をしたの?」
桃井は目をパチパチさせながら、俺の事を見ていた。
「ルーター……って言っても、桃井にはわからないよな。まぁとりあえず、ネットに接続出来るように直しただけだ」
俺がそう言うと、桃井は感心した様な目でこちらを見てきた。
桃井にそんな目で見られると、なんだか照れ臭い。
俺は誤魔化すように口を開いた。
「後、どれぐらいかかるんだ?」
俺の言葉に、桃井は目を逸らしながら――
「後……こんだけ……」
そう言って、手書きでメモされているA4サイズの用紙を四枚見せてきた。
「これをデータにまとめればいいのか? 何がわからなくて調べようとしたんだ?」
「えっと、これをグラフにしたかったんだけど……思ったようにならなくて……」
「なら、スマホで調べればよかったのに……」
俺がそう言うと、桃井が俯きながら答えた。
「だって……あなたのパソコンを壊しちゃったと思ったから、直さなきゃって……」
あぁ、だから自分でどうにかしようとしていたのか……。
素直に俺に聞いてくればいいものを……。
「貸してくれ、俺がやる」
「は? 生徒会役員でもないあなたに、やらせられるわけないじゃない」
そう言って、桃井が俺の方を睨んでくる。
こいつ、すぐ睨む癖はどうにかならないのか……?
「お前、これ見てもそんなこと言えんの?」
俺はそう言って、スマホの画面を見せる。
液晶の時刻は、もうすぐ0時になりそうだった。
「え……いつの間に……?」
「お前が作業に没頭している間にだよ……。ほら、わかったら貸せ」
そう言って、俺は桃井から用紙を奪い取る。
桃井は何も言わずに、俺の横に大人しく座った。
俺はすぐに、データを打ち込み始める。
これくらいならすぐ終わるだろう。
10分後――
「終わったぞ、桃井」
俺はUSBメモリにデータを保存し、桃井に声をかける。
「え、もう!?」
そう言って、驚いた表情で俺の方を見てきた。
なぜ横に座っていたはずの桃井が驚いたかと言うと――彼女は画面の方など見ておらず、ラノベの入っている本棚の方を見ていたからだ。
「あ、ありがとう」
俺からUSBメモリを受け取った桃井は、珍しく素直にお礼を言った。
そんな桃井に俺は――
「なぁ、お前絶対ラノベに興味あるだろ?」
と、聞いてみた。
すると――
「はぁ!? あんなオタクが読む物に興味ないわよ!」
桃井は顔を真っ赤にして、そう怒鳴ってきた。
こいつは否定したが、逆に俺は確信を持った。
「お前、ラノベについて知らないんじゃなかったのか? なんでオタクが読む物って知ってるわけ?」
俺の言葉に桃井が詰まる。
やっぱり、こいつはラノベが何かをわかっている。
「そ、それは……そ、そう! あなたが持っている物だから、オタクが読むものだって思ったのよ!」
なんて苦しい言い訳だ……。
だが、俺はふと面白い事を思いついた。
「お前、オタクオタクって言うけど、ラノベを読んだ事ないなら、一度読んでみたらどうだ?」
「え……?」
「読んだことも無いのに馬鹿にするのはおかしいだろ? 一回読んでみて面白くないなら、オタクが読む物って馬鹿にしろよ」
俺はそう言って、桃井を馬鹿にした様な態度をとった。
こうすれば、桃井は絶対に喰いつくと思ったからだ。
「……なるほど、あなたの言う事は尤もね。ちょっと本を選ばせてもらうわ」
俺は桃井に見えないように、ニヤリと笑った。
そうだよな、あんだけラノベの本棚を見ていたんだ。
良い言い訳が出来たら、お前が乗らないわけないよな。
――と言っても、別に桃井がラノベに興味があるという事を証明したかったわけではない。
ただ、俺の好きな作品のファンを増やしたかっただけだ。
桃井はラノベの本棚の前で、悩まし気に首を傾げていた。
「どれでも好きなものを持って行っていいぞ」
「そうは言っても、これだけあるとね……」
ラノベを眺める桃井の表情は、嬉しさを隠しきれていなかった。
その表情はいつもの冷たい桃井とは違い、まるで玩具を眺める子供みたいな表情だった。
なんだかここ最近、学校では見ない桃井の表情ばかりを見ている気がする……。
しかし、桃井は何を選ぶのだろうか?
桃井は先ほどから、ラノベを出しては入れ、出しては入れを繰り返していた。
やがて――
「あっ!」
桃井は何かを見つけたような声を出した。
一体、何を見つけたのだろう?
……え?
「私、これを借りるわ! じゃあ夜も遅いし、部屋に戻るわね! おやすみなさい!」
桃井はあるタイトルの本を全巻持つと、俺の部屋から出ていった。
貸すのは一巻だけのつもりだったんだが……あいつ、普通に全巻もっていったな……?
いや、それよりも…………あいつ、あれを読むのか……?
3
「やっちゃった~……!」
自分の部屋に戻った私は、ベッドにもぐりこんでいた。
先程自分がとった行動に、今凄く後悔してる……。
私は少しだけベッドから顔を出し、彼から借りてきた本の表紙を見る。
その表紙には――『彼女が、俺の持ってるエロゲーに興味を持ちすぎてるんだが……』というタイトルが書いてあった。
その本を見つけた瞬間、これしかないって思ったの……。
だって、私には流石にこの本は買えないんだもん。
タイトルにエロゲーって入ってるせいで、私はこれを買う勇気がなかった。
でも、海君がブログでこれを凄くオススメしてたから、絶対読んでみたいって思ってたの。
そしたら彼の本棚にこれがあって、気が付けば持って帰ってきちゃってた……。
しかも、彼は一冊だけ貸すつもりだったのだろうに、借りれるチャンスは今しかないと思って、全巻持って帰ってきてしまった……。
どうしようぉ……。
私は先程の彼の表情を思い出す。
――完全に呆気にとられた顔をしてたよぉ……。
明日からどんな顔で会えばいいのぉ……。
私はあまりの恥ずかしさから中学時代の性格に戻ってしまい、その日は眠る事が出来なかったのだった――。