第160話「アリアの戯言」
「今は、意見を求めてないわよ?」
「あっ……! 出すぎた真似をして、申し訳ございません!」
意見を申した女の子は、アリアの一言に怯えたように頭を下げた。
別にアリアはキツく言ったりとか、睨んだりなどはしていないのに、この怯えようはアリアに嫌われる事を恐れているのだろう。
それに気付いたアリアは、珍しくも優しい笑顔を浮かべた。
「ごめんなさい、意見をもらえるのは凄く有難いの。でも、今は私一人に考えさせてほしいのよ」
アリアのその一言に、女の子は安堵の表情を浮かべた。
そして、アリアの笑顔に見惚れてもいる。
他のお付きたちも全員、同じような感じだ。
なるほど……朝比奈さんの言う通り、アリアは自分の仲間には優しいようだ。
長い付き合いというのも考えて、彼女たちの絆は強く結ばれていると考えたほうがいいな。
恐怖や脅しなどで支配しているのであれば付け入るのは簡単だと思っていたが、安易な行動に出なくてよかった。
そう考えると、アリアのお付きが全員システム会社の関係者なのも、囮だったのかもしれない。
システム会社の関係者なら、KAIが付け入りやすいからな。
KAIを誘き出し、俺の言い逃れができない証拠を得る算段だったのかもしれない。
全く……本当に色々とめんどくさい女だよ、お前は……。
「――いいわ、受けましょう」
少しの間考え込んでいたアリアは、不敵な笑みを浮かべて了承の言葉を口にした。
「成立だな」
「えぇ、そうね。――紗里奈」
「はい、ここに」
アリアが名前を呼ぶと、お付きの一人が一枚の紙とペンをアリアに差し出した。
アリアはそれに目を通し、何やら下のほうに文字を記入する。
そして、俺に渡してきた。
「念のための契約書よ。問題なければサインしなさい」
俺はアリアから紙を受け取ると、内容に目を通す。
アリアが記入していた部分は、下のほうだけ。
それなのに、紙の上側から今回の勝負に付いての決め事などが書かれているという事は、先程アリアに紙とペンを渡した女の子が書いたものと見ていいだろう。
いつの間に書いたのかはわからないが、執事やメイドでなく、わざわざあの子が書いたという事は――。
俺は、念入りに内容に目を通す。
……やっぱりな……。
アリアがあの子に指示を出した場面はなかった。
つまり、これはあの子の独断だ。
だが、アリアの満足そうな表情から察するに、おそらくアリアの意思でもある。
意思を確認せずあいつの望み通りに行動し、少しでもあいつが有利になるよう手を回すなんて、やはりお付きたちも曲者揃いと見たほうがいいだろう。
…………有難い。
悪いが、俺とアリアでは見ているものが違う。
これは、俺にとっても好都合だ。
俺はあえて内容に気付かなかったふりをし、アリアが記入した部分に目を通す。
「俺が負けた場合――高校卒業後、平等院システムズに入社する事……か。それでいいんだな?」
アリアが記入した部分は二つ。
一つは、自分のサイン。
もう一つは、今回の勝負で俺が負けた場合の要求内容だった。
そこに、俺が平等院システムズに入社するよう書いてあったのだ。
「えぇ、もちろんよ。これであなたが私の会社に入れば、私はあなたを顎で使う事が出来る。今までの鬱憤を晴らし放題よ。そして、私の会社の大きな利益にも繋がる。それに、あなたが私の会社に入るという事は、雲母からあなたを奪えるの。あの子が凄く悔しそうにする表情が、目に浮かぶわ。当然、入社したからって私の許可なしに辞めるのは禁止だから」
アリアは凄く嬉しそうにこの要求にした理由を語ってくれた。
この場にいる多くの生徒はなんの話かわからないだろう。
一つ目や三つ目の事はともかく、どうして俺が入社する事によって、アリアの会社が大きな利益を得る事が出来るかなんて。
まぁ理解されていても困るのだが。
アリアのお付きの生徒たちが驚いた表情をしなかったのは、おそらく俺がKAIだという事を聞いているのだろう。
KAIと平等院システムズの契約はあるが、KAIとして俺はアリアに会っていない。
ましてや、平等院システムズの俺とやりとりした男や、その場に居合わせたアリスさんがアリアに報告したわけでもない。
いや、それよりも、俺がその契約内容について口にすれば、その時点で自分がKAIだと認める事になる。
アリアがKAIの事をこの子たちに話したという決定的な証拠を得られるはずもないし、ここは黙認するしかない。
アリアも、そこまでを見越して信頼できるこの子たちには話しているんだと思う。
「いい性格してるよ、お前は」
俺は契約書にサインをしながら、いろんな意味を込めてアリアに皮肉を告げる。
契約書は念のため、スマホで写真に収めておく。
「ふふ、ありがとう」
どこまで俺の言葉の意味を理解しているのか、アリアは笑顔でそれを受け止めた。
随分と、余裕な態度だな。
まぁ、いいか。
アリスさんとの約束や、雲母を西条財閥から追い出されないようにするために、どうしても平等院システムズに入るわけにはいかないが、これでアリアは今回の賭けに本気で臨んでくれるはずだ。
どう動くかはまだ読めないが、俺は俺のするべき事をしておこう。
「さて、話はまとまったし、俺はもう行くよ。お腹も空いたしな」
一緒に食事をさせてくれと言いながら、食べものを持って来ていない俺は何も口にしなかった。
残り時間はあと少ししかないが、少しでも桜ちゃんの弁当を腹に入れよう。
「あ、じゃあ、俺も」
俺が席を立つと、九条君も一緒に席を立った。
九条君、なにげにあの空気の中で自分が持ってきた食堂の料理を普通に食べていたんだよな。
一体どんな神経をしているのか。
ただ、一人でこの集団の中に残る程図太い神経はしていないようだ。
「――神崎さん、お待ちください」
俺たちと同じように席を立って俺の事を呼び止めたのは、一番最初に俺の対応をした不知火さんだ。
「まだ何か?」
「…………私は、あなたの事を尊敬しておりました」
「尊敬? おかしな話ですね。俺とあなたは、今日初めて会ったはずです」
「そうでございましたね。今のはお忘れください。ただ……アリア様のお話を聞いて、あなたは酷い御方なのだと思いました。ですが今日直接お話してみて、意外とお話がわかる御方なのだと、認識を改めた所でございました」
過去形……か。
つまり、今はそう思っていないというわけだ。
「別に私たちと同じように、アリア様を敬ってほしいと申すわけではございません。ましてや、謝罪をして頂きたいわけでもございません。過去にアリア様とあなたの間であった事はもう既に幕を閉じ、私の与り知らずの事だったので、私がその事を蒸し返すのもおかしいと思っており、あなたを問い詰めたり責めるつもりもありませんでした。ですが……あなたは、明確にアリア様に敵意を向けました。私はその事が許せません」
明らかな敵意を含めた瞳。
俺がここに現れた時、彼女はその表情をしなかった。
あれは表面上ではなく、俺への個人的な感情はともかく、同じ学園生として本当に受け入れるつもりだったのかもしれない。
それが今、明確にアリアの敵となった。
自分の尊敬したアリアに喧嘩を売った事が、彼女には許せないのだろう。
「つまり、あなたも俺と賭けか、勝負をするつもりですか?」
「いいえ、そのつもりはございません。ここで私があなたに勝負を挑んだりすれば、アリア様との賭けに水をさしかねませんから。ただ……これだけは覚えておいてください。私たちとあなた方は同じ学園生。この学園にいる間は同じ立場です。ですが……この学園を一歩外に出れば、格差が生まれます。私生活の違いなどについて申し上げたいのではございません。私が裕福な生活を出来るのはお父様たちのおかげであって、私自身の力ではございませんから。当然偉ぶったりするつもりでもございません。ですが……それでも、どうしても立場の違いというのは出来てしまいます。敵意を向けるとなれば、尚更でございます。あなたが敵意を向けた御方――いえ、御方たちがどれ程の立場にいらっしゃるのか、一度身の程をわきまえたほうがあなたご自身のためでございますよ? 例えあなたがどれ程凄い御方であろうと、所詮個人でしかございませんので」
御方たちとは、お付きの生徒たちも含んだのだろう。
アリアを敵に回すという事は、必然彼女たちも敵に回す事になる。
そして不知火さんが言いたいのは、悪い言い方をすれば、『社会的に潰すぞ』って事だろうな。
平等院財閥ご令嬢のアリアは言わずもがな、他の生徒たちも日本中で名が知られる名家のご令嬢だ。
システム会社一筋の家系の生徒もいるが、多くはシステム会社に力を入れているというだけで、他分野の会社も持っている。
つまり、それだけ顔が利くという事。
下手すれば、どこにも就職出来ないよう手を回されかねない。
彼女たちのつながりは、目に見える部分だけじゃないからな。
元いたお嬢様学園の生徒たちに声をかければ、それも容易だろう。
ましてや、KAIが仕事を貰ってくるのはシステム関係だ。
彼女たちが最も手を回しやすい分野である。
一応こちらでは雲母という西条財閥がバックについてる形ではあるが、あいにく雲母の立場から西条財閥の支援は期待できない。
雲母の立場については、彼女たちも知っているだろうからな。
それに、アリスさんがどれ程の力を持っているかも知らないから、彼女は俺を個人といったのだろう。
「忠告、胸に刻んでおきますよ」
彼女が言う事は正論であるが、生憎俺はその部分について一切心配していない。
もし手を回されたとしても、最悪別国から仕事を貰ってくればいいだけだからな。
それに、他人の力を借りるようでカッコ悪くはあるが、アリスさんや龍もいる。
だから俺は笑顔で彼女に言葉を返したのだ。
「口だけ、でございますね」
「るか、無駄よ。その男はそんな脅しが通じるような相手じゃないもの」
「そのようでございますね……。一切私の言葉が神崎さんの心に届いていないのがわかりました。これ以上は無駄のようでございます」
アリアに声を掛けられ、不服そうに不知火さんは席についた。
「ねぇ、カイ。最後に一つだけいいかしら?」
「なんだ?」
「私ね、あなたが大っ嫌いなの」
「わざわざ言われなくても、それくらい普通に気が付いているが?」
「そうね。でも、ここで言いたいのは違うの。お姉ちゃんにあなたが気に入られているのは、お姉ちゃんがあの子の面影をあなたに重ねて見ているからよ。何事もなく成長してれば年齢が同じで、きっと今のあなたくらいの高い技術があった。だから、お姉ちゃんにはあなたがあの子に重なって見えてるのよ」
「……なんの話だ?」
アリアが指しているのが誰かわからず、俺は顔をしかめる。
しかし、アリアは俺の質問を無視して話を続ける。
「そうじゃないと、説明がつかないもの。初めて会ってからたった数ヶ月しか経ってないあなたの事を、お姉ちゃんがあれ程までに気に入ってるのは。私はね、あの子に返しきれない程の恩があるの。きっとあの子がいなければ、お姉ちゃんは――そして、私も今のようにはいられなかったから。だからこそ、あなたがムカつく。あの子のおかげでお姉ちゃんに気に入られているだけなのに、さも当然のようにお姉ちゃんの横にいるあなたの事がね」
今までとは違う、凄く真剣な表情。
よくわからないが、こいつにとって絶対に譲れない部分なのだという事はわかった。
だが――。
「凄い言いがかりだな……」
俺としては、そう言うしかない。
実際アリアが言ってる事は言いがかりだし、その人物の事を俺はよく知らない。
何より、俺にはアリスさんとのきちんとした思い出がある。
それを知らないこいつに文句を言われる筋合いはない。
「言いがかりだというのはわかってる。だけど、例えお姉ちゃんが望んだとしても、あなただけは絶対に認めない。それを言いたかったのよ」
「そうか」
別にアリアに認めてもらわなくてもいい。
アリスさんの横にいる相手をこいつに決める権利はないのだから。
全く……姉の友達関係にまで口出しするとか、こいつは姉以上にシスコンだな……。
――アリアの戯言を最後に、俺は食堂を去るのだった。
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