勇者は冷めた朝食をとる
家を出てみると、朝一番だというのに、宴会騒ぎは既に始まっていた。呑気な歌声や、下手な楽器の音色まで聞こえてくる。その宴会騒ぎが行われている広場に近づくと、僕の姿に気づいたメイズが声を上げる。
「ああ! やっと来た! ほんっとにユーシャは呑気なんだから!」
メイズは僕の所まで駆け寄ると、僕の手を引いた。そして小さなテーブルの横を通り過ぎながら、広場の真ん中の大きな丸テーブルへと連れてくれる。すでにそのテーブルに座るべき他のメンバーは揃っていた。彼女は僕に切り株でできた椅子に早く座るよう促すと、その隣の切り株に彼女も腰掛ける。
「ちゃっかり隣に座ってるところが憎めないんだよねぇ」
「まったくだな、しかもさっきと席を替えてるしな」
僕の向かい側で、ヒイラとブレインがパンを頬張りながら、こそこそと何かを話しているのが聞こえる。
「ははは、健気なことだ。ユーシャに一番大きなチキンを譲ったんだろう」
タンクがその二人の会話に対し、豪快に笑う。確かに僕の前に置かれたチキンは、他のよりも大振りに見える。僕は思わずメイズに尋ねる。
「譲ってくれたの? 遠慮なんていいのに」
「いやいやいや、全然全然全然? まあ私これでもレディだし? ダイエットだよ、やだなあ」
やたら早口で言うメイズ。なぜか顔を背けられるので、その表情は分からないがほんのり赤い気がする。
「ダイエットなんてしなくていいのに。むしろもっと食べないと倒れるよ?」
「いやいやいやそんな滅相もないですありがとうございますでも大丈夫ですお構い無く!」
その赤い顔をブンブンとメイズは横に振る。そのときにアッシュピンクの彼女の髪も揺れるのが、どこか可愛らしかった。
僕が彼女を凝視していたからか、その視線を断ちきるように、メイズはヒイラたちをみる。
「そもそも席替えるもなにもうっかり忘れただけだし! だいたい三席しか残って無かったんだから、隣になる確率高くて当然じゃん! チキンだって男のユーシャに大きいの渡すの普通でしょ!」
「だがその残りの一席に座る予定の村長も男だぞ」
ブレインが眼鏡の奥でメイズを馬鹿にした目をしながら、からかうように言う。
「……いや、だって、そりゃユーシャのほうが若いし? それが道理っていうか?」
しかしそう苦し紛れそうにでも返した様子を見ると、そこまでメイズにとって痛い一撃ではなかったらしい。むしろヒイラの
「うん、だからそれが当然で普通で道理なのにそんなに慌ててるから、メイズって本当に可愛いなって思うんだ」
という微笑みのほうが、かなり強烈だったらしい。小声でタンクとブレインの「ヒイラは敵にまわすまい」「意義なし」という会話が聞こえた。
「なんだなんだ、おめぇらまた目の前のご馳走ほっぽって青ぇ話してんのか? そのチキン要らねぇなら俺が貰うぞ」
急に肩を組まれて酒臭い息をかけられたと思ったら、僕の目の前からチキンは消えていた。振り返るとにやにやと笑いながら、ヴァルトンがチキンを見るからに美味しそうに頂いていた。
「ヴァルトン、こんな朝から酒飲んでるの? また奥さんに男の勲章増やされるよ?」
ヴァルトンは悪びれる様子もなく、無精髭の生えた顎をさすってみせた。
「なぁに、今日は特別だろ。なんせ」
そこでヴァルトンは言葉切り、ふと空を仰ぐ。僕もそれに倣って上を見上げると、青に青を重ねたような空が広がっていた。
「お前たちの門出の日だからなぁ」
ヴァルトンはいつものひょうきんさに似合わない顔で、しみじみと言った。
「なあ、おめぇら、あんな……」
真面目くさった口調で何かを言いかけるヴァルトン。その様子に僕は奇妙な緊張を覚えた。彼の言葉を遮るように、僕たちのテーブルにどん、と大きなコップが置かれる。
「そうそう、今日は特別な日なんだ。あんたらも一杯どうだい」
一気に六つのコップを運んできた酒屋のシュダンさんは、そう快活そうに笑う。その声に先ほどの緊張はほどけた。ヴァルトンは奥さんの登場に苦笑した。僕も笑う。
「こんな臭いのキツイお酒、例え成人していたとしても遠慮してるよ」
「同感だ。この騒がしすぎる朝食の後には、一応セレモニーがあるんだぞ」
ブレインも呆れ顔で同意する。しかしシュダンさんは
「セレモニーっつたって、いつも顔を合わせる村長がちょびっと長い話をするだけじゃないか」
と悪びれる様子はない。シュダンさんは少しため息をついてまくしたてる。
「まったくそうやってなんでもかんでも大袈裟に言うから、この呑んだくれも寂しく感じるんじゃないか。勇者だかなんだか知らないけど、その門出だからって一生の別れってわけでもないのにさ」
ねえ? とシュダンさんはヴァルトンを横目でみる。なるほど、さっきヴァルトンの様子がおかしかったのは、彼なりに僕たちとの別れを惜しんでくれていたからなのか。
「なんだなんだ、ヴァルトン殿。私たちとの別れが寂しいのか。嬉しいことを言ってくれるじゃないか」
タンクがそう言うと、ヴァルトンは「うるせぇ」と声を荒げる。もちろん、タンクはよくこういうことを言ってしまうが、まったくもって悪気は無いのだ。タンクはよくヴァルトンに稽古に付き合ってもらっていたし、その付き合いにおいてヴァルトンは恐らくいつも下品に笑っていたはずだ。だから、彼が寂しがっていることが本当に意外で、そして嬉しかったのだろう。
「いや、俺は筋肉むきむきの酒臭いオヤジがしょんぼりしているのは、正直見たくないが」
ブレインはそう言うと、シュダンさんが置いたワインではなく、もともとあったミルクを飲む。ヴァルトンはブレインを睨み付ける。もちろん、ヴァルトンのその眼光も本気のものではない。
「んだと、おらぁ! おめぇはほんっとに可愛げがねぇよなぁ」
ブレインはヴァルトンの声などまったく聞こえてない様子で、ミルクを飲み続ける。ブレインは冷たそうな外見とは裏腹に、ミルクとか甘い物とかが好きだ。ヴァルトンは自分がミルクに負けたことが少し堪えたのか、一人で喋り続ける。
「いやいや違ぇよ? 俺だって別に寂しいわけじゃねぇのよ。ただこんなガキ五人に世界かかってるとか不安要素しかねぇだろ? そういう意味で心配なだけだっつうの」
シュダンさんはこいつは素直じゃないんだから、と小さく呟いて苦笑した。それに気づく様子もなく、ヴァルトンは僕を見る。
「そこんとこどうなんだよ、勇者のユーシャ殿? 怖じ気づいて村に籠るんなら今の内だぜ」
「……心配してくれてありがとう、ヴァルトン。大丈夫。ヴァルトンもこの村も世界も、僕たちが絶対に守るよ。僕たちはこの村で皆に育ててもらった、だからここの大好きな人達に恩返ししたいんだ」
僕はヴァルトンの目をみて、はっきりと言う。ヴァルトンは一瞬、ほんの一瞬だけ目を伏せた。しかしすぐに大きな声で笑う。
「だっはっは、ったく大好きだの恩返しだの何の臆面もなく言いやがる。……そっか、そうだな、すまん、俺の杞憂だったみてぇだ。なんだったらついでに、俺たちを村長の介護から解放させてくれよ。最近ボケに磨きがかかって手がつけられねぇ」
「こぉら、誰がボケとるというんじゃ」
ヴァルトンの背後から手が現れたと思うと、それは垂直にかなりの速さでヴァルトンに降りかかる。冗談にしては現実味のある鈍い音が聞こえるか否か、ヴァルトンは叫ぶ。
「いっってぇな!」
ヴァルトンは振り返り、村長の姿を確認する。村長はいつもの温厚そうな顔を浮かべている。村長はその体が小柄で目がつぶらなこともあり、どこかマスコットじみた可愛らしさすらあるように見える。
しかし僕たちはちゃんと目撃している。つい先ほど村長は視線だけでヒグマも卒倒させそうな形相で、無慈悲な暴力行為を働いたことを。その威力はこの屈強なヴァルトンに痛いと言わしめるものだったことを。
ヴァルトンはすぐに表情を変え、手もみする。
「これはこれは村長じゃねぇですか。いきなり拳骨たあ随分なご挨拶で」
しかし当然僕たちは気づいている。ヴァルトンのこめかみが怒りに小さく動いていることに。
「拳骨? なんのことじゃ? わし年寄りじゃから覚えてないのう。ごめんね?」
語尾にハートマークが付きそうな口調で、村長は上目遣いに言う。ヴァルトンの拳が震えていることは、確認しなくてもわかる。
「そいつぁかなり進行してるみてぇですなあ。こりゃ村長のお役目を続けるのは大変でしょう。どうです、隠居して怪物どもと愉快な山暮らしっつうのは」
「それはきつい冗談じゃのう。おお、おかげで思い出せそうじゃ。……そうそう、殴った覚えは無いが、そういえば手が滑って誰かにあたった記憶がなきにしもあらず……」
僕たちは面倒臭いおっさんを面倒臭いおじいさんが相手してくれているので、これ幸いと朝食を食べ進める。
「え、なに、ひょっとしてヴァルトンにとっては、あれしきのボデエタッチがそんなに痛かったんかの? いやいや、さすがにそれはないよのう。すまんすまんじじいの戯れ言じゃ。」
「ははは、まさか。なーんか爽やかな風が吹いたと思ったら? 良い年した村長が? 顔真っ赤にしてたんで? あ、ひょっとしてこの人俺殴ったのかなぁ気づかなかったなぁでも痛がらなかったらこの人立つ瀬が無いよなぁという思いやりから? ちょっと一芝居うっただけに決まってるじゃねぇですか」
それにしてもこのチキン本当に美味しいなあ。艶やかな色にほんのりついた焦げ目があるという見た目もなかなかなのに、食べてみると皮はパリッ、肉汁ぶわっって感じだ。それだけにヴァルトンに大部分を奪われて、ヴァルトンとの不毛な会話の間に冷めてしまったことが悔やまれる。おのれヴァルトン。
「あ、本当? いや、それならいいんじゃよ、それなら。ただもしも、万が一いや億が一、痩せ我慢をしてるんなら、全然それは無駄な虚勢なんじゃよ? あれしきのボデエタッチが身に堪えるくらいお前が脆弱でヘタレでも、なんにも恥じることはないんじゃからな。自分の弱さを認めるところから始めればいいだけなんじゃぞ、な?」
先ほどブレインが美味しそうに飲んでいたミルクも、ハチミツのほんのりした甘さがほどよく、そしてかといって後味もしつこくなく絶妙だ。この季節にホットミルクは早い気もするが、この朝の寒さを考慮すれば、それも計算なのだと納得できる。それ故にヴァルトンとの会話の間に冷めてしまったことが以下省略。おのれヴァルトン。
「あぁくそ、俺の手も滑りそうだわ、いやてか滑っても良いよなぁ? なぁにただのボデエタッチレベルだレンガくれぇは粉砕出来るかもだけどな、くたばれくそじじいぃっ」
ああ、ついにキレたか。僕は食べ終わった朝食の皿を重ねながら、呆れつつ拳を固くしているヴァルトンに視線を送る。
ヴァルトンの拳が振り上げられたその瞬間、何かがヴァルトンの頬を掠める、のを辛うじて認識できた。いや、気のせい? そう一瞬思ったが、すぐにそうではないとわかる。ヴァルトンの頬から血が一筋だけ流れたからだ。ヴァルトンの後方にある木をよく見ると、フォークがそれはたいそう垂直にそして深く突き刺さっていた。そしてその木とヴァルトンの反対側の延長には、優雅に口元をナフキンで拭くヒイラの姿。
彼女はブロンドの髪を風になびかせながら、静かに笑った。
「ああ、ごめんね、ついうっかり手が滑っちゃった。たまたま偶然奇跡的にセレモニー開始の予定時刻だから、そろそろ朝食会はお開きにしよっか」
この言葉だけでヒイラには別にヴァルトンに暴力をふるって欲しくなかったわけでも、村長を庇いたかったわけでもないことは、理解できるに余りある。
いつの間にか大騒ぎだった広場は静まりかえっており、どことなく皆顔色が悪い。中でも村長とヴァルトンは冷や汗すらかいている。
「ね、みんな」
ヒイラがそう念を押すと、周りの人たちは急いで朝食の片付けを始めたのだった。