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結婚は義務なのか、義務じゃないのか

結婚って義務ですか?

作者: 東風

 サラ・ライシャードは、中流の底辺に位置する子爵令嬢だ。

 二人の姉と一人の兄、そして一人の弟がいる。

 姉たちとは少し年が離れているため、二つ上の兄とともに育った。

 遅れて、三つ下の弟もその塊に合流する。

 結果として、サラは今、ここにいた。


 もうすぐ五十になろうとするも、老いを全く感じさせない騎士団長は、立派なデスクに両肘をつき、直立不動のサラを見上げていた。

 「結婚しないのか、ですか?」

 サラは、敬愛する騎士団長の手前、不機嫌な顔になるのをギリギリの理性で防ぎつつ、オウム返しのように、団長の言葉を口にした。

 「そうだ、結婚だ。ライシャードは、結婚するつもりはないのか?」

 同じ内容を、団長は表現を変えて言い直す。

 サラの形の良い眉がピンと跳ね上がった。

 「お言葉ですが団長。先日ついに私は三十になりました」

 これで全部わかるだろうと言いたげに、サラが黙りこむ。

 団長は頬に残る傷を歪めて苦笑した。

 「年齢と結婚と、何か関係があるのか?」

 「団長、いつの間に世の中から隔離されていらしたんですか?」


 この国で、女の適齢期は十代後半から二十代前半まで。

 サラはそこから五年ほど前に外れた。

 それまで寄せられていた見合い話もなくなり、母は彼女の顔を見るたびにため息をつき、兄弟と一緒にチャンバラに興じてしまった父は申し訳無さそうに目をそらす。

 あまりの居心地の悪さに、実家を飛び出したのも五年前だ。

 以来、騎士団の寮に一部屋借り受け、大好きな仕事に邁進している。

 女性初の近衛騎士団二番隊隊長という大役にもついた。

 国境付近に配備される騎士団に比べると体力では劣っていると言わざるを得ないが、王族を警備するにあたり、細やかな心遣いと先見性が買われ大抜擢された。

 女の騎士など使えないと見向きされなかった新兵時代。やる気があるならついてこい、と拾ってくれた現騎士団長には感謝してもしきれない。

 おかげ様で、サラを認めてくれる人は少しずつだが増えていて、サラのようになりたいという女性騎士も増えた。

 親からの手紙は途絶えて久しいが、その寂しさを埋めるように団長や仲間たちがかまってくれる。

 サラは結婚する必然性を全く感じなくなっていた。


 「だがな」

 団長は、速やかにこの実りのない会話を終わらせようとするサラを真っ直ぐに見つめ、言葉を続けた。

 「最近のお前には余裕がない。

 切り替えの下手なおまえのことだ、今でも休日は街を見まわっているんだろう?」

 サラは言葉に詰まり、黙りこんだ。図星だったからだ。

 随分前に、その頃はまだ団長ではなく隊長だった彼に、きつく注意されていた。

 私生活を大事にしろ、と。

 職務に忠実に生きるのはいいが、己の生活がないものに、他人の心を慮ることはできない、と。

 一騎士ならばそれもいいかもしれないが、人の上に立つつもりがあるなら改めるように、と説教され、サラは反発を感じつつも頷いた。

 納得できなくても、団長の言うことに誤りがあろうはずがない、と思ったからだ。

 しかし、一人部屋にこもっても何もすることがない。

 気づいたら、散歩の仮面をかぶった実質は王都の見回りを行うようになっていた。団長には内緒で。


 「…………善処はいたしております」

 沈黙が重くてそう続けると、団長が白髪の混ざった栗色の髪をワシャワシャとかき混ぜ、机に突っ伏す。

 サラは口元をほころばせ、敬愛する団長の頭に指を伸ばしかけ、団長が頭をあげたのですかさず指先を自らの太ももの横に戻した。


 「これだけは言いたくなかったんだがな。

 おまえの態度が改まらないなら仕方ない」


 団長は真剣な表情を作って、サラを見た。

 しかし目が笑ってる。


 「マーガレット様が、『サラの顔が怖いから、トーマスにしてほしい』とさ」


 わざわざ裏声で声まねまでしてみせるが、もちろん、若干六才の姫君には微塵も似ていない。むしろ、筋骨隆々の初老の男が目をぱちぱちとさせて出した甲高い声は、悪夢のようであった。

 そんなおどけた様もいつもなら可愛く感じるサラであったが、このときばかりは全身の血がすべて下に落ちた気がした。


 マーガレット様は、子沢山の王家において、最年少の姫君だ。

 上の子達よりも少し年が離れているせいで、ほかの家族からも国民からも大変可愛がられていて、サラがその専属護衛を任された時は誇らしさに胸が一杯になったものだ。

 それが……。


 「顔が…………怖いから………トーマスより………………」


 隊長の前でさえなければ、サラは両手両膝を床につき、涙に暮れたことだろう。

 何といっても、トーマスは数いる騎士の中でも最凶の強面。私服で街を散策していたときに、顔つきが怪しいということで複数の市民から警邏に申告があったほどだ。本人は至って心優しい、子ども好きの紳士なのだが。


 「私が……トーマスより……」

 男装の麗人、理想の王子様。

 男どもの羨望と女性達の黄色い声をあびてきたサラである。(女としてではないが)容姿を褒められたこそは数多くあれど、顔が怖いと言われたことはついぞなかった。

 しかも、あの心優しきマーガレット姫に!


 じっと床を見下ろし微動だにしないサラを気の毒に思ったのか、「まぁ、あれだ」と団長が喋り出す。

 「それだけ余裕がなくなっている、ってことだ。

 おまえは最近、思いつめすぎている。

 自覚はあるな?」

 「……っ!」

 息を呑み、頷くしかできない。

 ますます顔を上げられなくなる。

 「……………………俺のせいか」

 問いかけですらない確認。

 サラはぎゅっと手を握りしめ、床を睨みつけた。


 団長は間もなく団長職を退くことが決まっていた。表向きは自身の年齢と体力の衰えが理由となっていたが、本当の理由は妻の病だ。

 子どものいない団長は、妻の介護を自ら行いたいと考えていた。

 小柄で愛らしい奥方には、サラも何度も世話になっている。

 笑顔が愛らしく、折れそうに線の細い、美味しいシチューを作り出す優しい女性だ。

 サラとはことごとく正反対の……。


 「これは……私の問題です」

 気付かれている自覚はあったが、そのことに触れてほしいとは思わなかった。

 叶わぬ想いである。

 サラは目に力を込め、震えそうな足を両手で抑え、真っ直ぐに団長を見返した。

 「……団長がお気になさることではございません」

 女だてらにここまできたという矜持もあった。

 サラは、自分で自分を惨めにするようなことだけはしたくなかった。

 団長の探るような視線の前で、サラは一歩も引かずに睨み返す。

 この瞬間に団長室(ここ)に入ってきたとしたら、その人物はこの部屋でたった今、片方の長年の片思いがようやく打ち明けられたのだとは、とても思えなかっただろう。

 それくらい、サラの形相は敵を見るかのように険しいものだったのだ。

 実際は、サラは顔に力を入れていなければ、今にも床に蹲ってしまいたいほど動揺していたから、なのだが。


 団長は太く節くれだった手で慣れ親しんできた机を撫でると、引き出しから一枚の絵姿を取り出して、ゆったりとした動作でそれを机においた。

 「これを……見てくれないか?」

 サラは視線を絵姿に落としたまま、視線を上げられなくなった。

 どう見ても、見合い用の絵姿だ。

 正装に身を包んだ男性が描かれている様な気がする。

 団長は今、どのような表情をしているのか?

 いや、それよりも、先ほどのサラとのやり取りを、彼はどう思っているのか?

 迷惑? 邪魔? 気持ち悪い?

 下に落ちていたはずの血が一気に体を駆け上がり、頭の中をぐるぐると回り出す。

 目の前は真っ赤だ。

 絵姿を見ているはずなのに、誰の絵姿なのか、全く認識できない。

 歯を食いしばり、喉を締める。

 毅然としなければ。

 情けない姿を団長には見せられない。

 そう戒めるのに、こみ上げてくる熱い塊が喉を塞ごうとする。

 言葉は出てこない。


 気まずい沈黙が室内を支配する。それが長くなればなるほど、サラはますます顔をあげられなくなった。

 こんなことは、騎士団に入って初めてのことだ。

 ずっと抱えてきた恋心を、成就することのない想いを、どれだけ辛いと思っても視線を下げたことはなかったはずだ。

 自分はこんなにつまらない人間だったのか?

 まるでどこにでもいる当たり前の女のようではないか?

 ドレスを捨て、手に剣を持ち、敵の血に足を踏み入れ。

 そのどこかに疚しさと、嫌悪があった。

 だが、自分で選んだ道だ。

 たとえその道半ばから、目の前の男の横に立とうとすることが目指すものとなっていたとしても。

 すべての一歩は自分で決めて踏み出してきた。

 そのはずだ。はずだった。

 そこにあったはずの自負が、ガラガラと崩れていく。

 特別になりたくて我武者羅に突き進んで来たが、それはすべて当たり前の女性(・・・・・・・)になるには遅すぎたからではないか?


 サラは打ちのめされ、立ち尽くしていた。

 怒涛のように押し寄せる自己嫌悪に、吐き気さえする。

 

 衣擦れの音がし、わずかに上げた視界の端で、団長のくたびれた騎士服が動いた。

 サラは肩を震わせて後ずさったが、団長は近づいては来なかった。

 ホッとすると同時に、触れる価値さえないと言われたようで、絶望する。

 今更、淑女にはなれない。

 かと言って、団長に軽蔑され、そのうえ団長のいなくなった騎士団に残る意味もない。

 真剣に、人里離れていてかつ、自力で生きていけそうな土地の選別に入ったところで、窓側から団長の落ち着いた声が響いてきた。

 「運命ってやつを、お前は信じるか?」

 「は?」

 間抜けな声を返しつつ、反射的に顔を上げると、団長の背中の大きなシルエットが窓を塞いでた。

 盛り上がったたくましい背筋に、胸が震える。

 拒否されているとしても、斬り捨てるにはこの想いは深すぎる。

 目尻に浮かんだ涙を、サラはそっと拭った。


 「俺は、運命の女にあった」


 なるほど。自分がどれほど妻を愛しているかを語って、私を穏便に遠ざけるつもりか。

 しかしその程度、今までさんざん奥方と団長の仲睦まじさを傍らで見てきているのだ、どうということはない。

 たまに、自分は被虐趣味なんじゃないかと疑うほどだ。

 団長は思ったよりもサラのことをわかっていないのかもしれない。

 サラは苦い笑みを口に浮かべ、男の背中を見つめ続けた。


 「そいつは幼馴染でな。いつも口やかましくて、手が早くて、俺とは喧嘩ばかりだった。

 そいつに勝ちたくて、俺は騎士を目指した

 そいつがいう正義って奴を信じたくて、騎士になった」


 おや、とサラは頭をかしげた。

 団長の奥方は、清楚で小柄な女性だ。

 もしかして、運命の女は奥方ではないのか?

 問いかけるように視線を投げかけても、背中を見せたままの団長は気づかない。


 「なんの後ろ盾もない俺は、騎士団で苦戦した。

 養子に入らないか、うちの娘をやろう、いろんな誘惑があったけどよ。

 俺はそんなもののために騎士になったんじゃなかった。

 俺は周囲が止めるのも構わず、あいつと所帯を持った」


 サラが入る前のことだろう。

 確かに、古参の騎士に、そういう話を聞いたことがあった。

 下級貴族出の団長は、そのしがらみの少なさと力量から出世が早かった。

 だが、引き立てられればられるほど、派閥争いに巻き込まれ、一時は左遷の憂き目にもあったという。

 サラが拾われたのは、そこから這い上がってきた頃に当たるらしい。

 常にサラの前にいて、常にサラに背中を見せ、常に向かうべき先を示していた団長。

 サラの目には折れることがなかった信念は、たった一人の女性に捧げられたものであったらしい。


 「女恋しさに、辺境から一年で舞い戻ってきてみたけどな。

 ……それでも、ここは前みたいに輝いた場所ではなくなっていた。

 俺の中には、正義も、騎士道も、本当は何にもなかったんだよ……」

 「っ! そ、そんなことは!」

 思いもしない自虐のせりふに、サラはぎょっとして一歩近づく。


 サラが心ない騎士達に襲われたとき、体を張って助けてくれた。

 ほかの隊長から不要と切り捨てられたとき、サラを拾ってくれた。

 強盗団に襲われた遺族にできる限りの補償制度を適用し、日々、隊員達にも遺族を気にかけるよう指示した。

 隊長の体躯に恐れて怖がる子供達をサラに預けつつも、少し困った顔をしていた。

 上位貴族の息のかかった強盗団を、執拗に追いつめ、切り崩し、持てる伝手のすべてを使って貴族まで引きずり出し、裁きを下した。


 「わ、私はあなたほど、正義と騎士道を持つ騎士を知りません!」

 「いや、違うな」

 いやに明朗快活に遮られる。雰囲気に押されるように、団長の真後ろまで来ていたサラは立ち止まり、のばし掛けていた手を引っ込めた。

 「俺は空っぽだった。俺の中の正義も、騎士道も、女から借りた偽物だったんだ。

 そんなとき、俺はそいつに出会った」

 妙に楽しそうに、クククッと笑いながら、団長は外を眺め続ける。

 サラは、話の向かう先が全く見当もつかず、戸惑っていた。


 団長は肩を震わせながら、窓の外、演習場を眺め続ける。

 「あそこに、そいつはいた。

 誰よりも細く、誰よりも小さかった。

 なのに、目を離せなかった。

 そいつは、周囲の目を全く気にせず、ただただ、背筋を伸ばしてまっすぐ前を見つめていた」

 団長の目に映る過去が自分にも見えればいいのに。

 そう思いつつ、サラはゆっくりと団長の横に並び立った。


 演習場では、今まさに、新兵達の訓練が行われていた。

 騎士見習いでしかない彼らは、十代半ばで、皆頼りなく細い。

 演習場を五周も走ればへとへとになって地面に転がってしまう。

 それでも、教官に尻をたたかれながら、もしくは自力で、何とか立ち上がってふらふらと残りを走り出す。

 数人がそれをすると、後に残された新兵達も、思い思いのタイミングで腰を上げだした。

 何とも懐かしい、見ているだけで、胸の奥がくすぐられるような光景だ。


 「そいつは、走らせれば誰よりも先に転けた。

 鎧を持たせれば、一歩も動き出せなかった。

 盾を持たせると、翌日左手が腫れ上がっていた」


 なんだか、微妙に既視感のある話が続く。

 サラは、自分の頬が熱を持ち始めたことに気づいた。

 願わくは、隣に立つこの男が、横を見ないことを。


 「それでも、そいつは、一度転げたら誰よりも早くに立ち上がったし、あっという間に鎧を着込んで動けるようになった。

 盾は……今でも持っていないが…………」


 サラは視界の端にあった団長の姿を、顔の向きを変えてそっとはずす。

 盾を持っても、腕力のないサラは、相手の攻撃を受け止めきれない。

 なので、きっぱり盾をあきらめ、鎧も軽装鎧にし、避けることに重点を置いている。そして、二人一組で死角を補う戦い方を、新兵達にも指導していた。


 「そいつが覚えているかどうかわからないが、俺のところに引っ張ってくる前に、一度、声をかけたことがある」


 女の騎士見習いなど、ハードな練習を前にすぐ音を上げるだろう、と思われていたあの頃。

 実は、サラにはあまりはっきりとした記憶がない。

 寝て、起きて、訓練を受けて、寝て。

 それを繰り返していた。


 「おまえの家族が危機に陥っている時に、おまえは騎士として別件にかり出される。

 そのとき、どうする? と聞いた」


 意地悪な質問だ。だが、騎士団の本質をついている。

 騎士団は命令があればどこにでも行ける。

 そして、命令がなければ、家族だって救いに行くことはできないのだ。


 「なんと……答えたのですか? その…………そいつは?」


 団長はまた、ぷっ、と吹き出して、輝く空を見上げた。

 所々にあるそり残しが、見上げるサラの視界に入る。


 「これが傑作でな!

 もちろん、騎士として働きます! だけど、両方救うすべを考えてくれるのが、隊長の仕事でしょう? ってな!」


 そのときのことを思い出したのか、団長は窓のさんをバシバシ叩きながら、げらげらと笑い出す。

 サラは居たたまれなくなり、身を小さくした。


 「そいつ……バカなんじゃないですか?」

 「あぁ、バカもバカ、大バカだ!

 そいつは何も疑っていなかったのさ。

 騎士団ってのは、()を救うためのものだ、ってな!」


 不意に、団長の手がサラの両肩をつかみ、体の向きを変えられる。

 サラは真正面から団長を見上げた。


 「今のおまえなら、どう答える?」

 そらすことを許さない真剣な眼差しに、サラも顔をしかめて、考え込んだ。

 「その……救うだけじゃない、危機に陥る人が一人でも減るよう、日々つとめるのも、騎士の仕事です」


 今のサラは、一騎士ではない。

 二番隊を預かる隊長だ。

 その分、権限も増え、また、力及ばない部分も理解した。

 強い眼差しで、団長を見上げる。

 自分たちを、サラを、これまで守ってきてくれた団長はもう、いなくなるのだ。

 だからといって、世界の悪すべてが根絶し、平和になるわけではない。


 「たとえ、どれだけ未熟であったとしても、私は全部を救う(・・・・・)努力をします」


 先ほどまで震え、怯えていたのが嘘のように、サラの言葉に迷いはなかった。

 団長はにかっと笑い、サラの肩を掴む手に力を込めた。


 「俺はそれまで、運命の女ってのは一人しかいない、と思いこんでいた。

 だがな、運命ってのは、一人じゃないって知った。

 確かに、俺が所帯を持ち、妻としたのはたった一人だ。

 なら、俺をこれほど揺さぶり、変えたおまえは何だったんだ?」


 団長の言葉に胸が熱くなる。

 自分は確かに今、幸せなのだ、とわかった。

 どんな形であれ、サラという存在が、団長の中に深く根ざしている。

 サラは自分の胸に手を当て、その温もりを手のひらに閉じこめるようにそっと包んだ。

 いつの間にか、自分が柔らかく笑っていることに、サラは気づいていなかった。

 団長の慈しむような微笑にも。

 

 「あの……団長、迷ったら…………お伺いしてもいいですか?」

 「あぁ、妻ともども、おまえのことを待ってるよ。いつでも帰ってこい」

 「いや……帰ってこいって、娘じゃないんですから……」

 「何言ってるんだ? 実家にも帰ってないんだろう? なら、俺たちのところに帰ってくるしかないだろ?

 一緒に住んでもいいし、なんなら養子に来てくれてもかまわねぇ。

 おまえが娘になってくれたら、あれも喜ぶ」

 随分と話が飛躍して、サラはあたふたした。

 そして、机の上に置きっぱなしの絵姿を思い出す。

 「そういえば、これです! お見合いなんて、できません!」

 何となく心の中は落ち着いたような気がするが、まだ完全に吹っ切れたという自信はない。

 団長を思いきるために見合いするのもいいと思うが、それでは相手に悪いと思ってしまうまじめなサラだ。

 「あぁ? 見合いって何のことだ?」

 「だって、この絵姿!」

 正装した男性はよく見ると、見たことがある顔だった。

 「あれ? トーマス?」

 厳めしい顔とよく言われるが、正装をしてわずかに微笑んで立っていると、団長ほどではないものの、立派な騎士だ。

 絵師も、トーマスの優しい内面をしっかり描き出している。

 腕利きだな、と変なところで感心していると、団長がその絵姿をひょい、とつまみ上げた。

 「これは見合い用の絵姿じゃねぇ。ほら、その下にもう一枚、あるだろ?」

 確かに、トーマスの絵姿の下にはもう一枚の絵姿がある。

 にこやかに微笑み、すっきりとした立ち姿で、伸ばされた片手は、今まさに貴婦人を誘おうとしているかのように見える。

 見えるが……。

 「何故、私の正装まであるんです?」

 サラは瞬きを繰り返しながら、トーマスと、自分の絵を交互に見続ける。

 こんな変なポーズで絵を描いてもらったことはないから、絵師による想像のイラストなのだろう。ってことは、さっきのトーマスも想像のものだ。

 この絵師は、随分と特徴を強調するのが上手らしい。

 食い入るように見つめていると、団長は絵姿を二枚並べて、サラにもう一度つきだした。

 「もう一度聞く、ライシャード。結婚はしないのか?」

 サラは一度唇を嘗め、逡巡し、答えた。

 「将来はわかりませんが。今はそのつもりはありません」

 「結婚はいいものだぞ」

 「それは団長をみてよく存じておりますが、そもそも、結婚しても家庭に収まるつもりもございません。それでもよい、と言う男はそれほど多くはないでしょう」

 「なるほどなぁ」

 団長はうんうんと頷きつつ、トーマスの絵姿をサラに渡してよこす。

 見合いではないと言っていたはずだが、では、何故?

 サラが首を傾げて受け取ると、団長はいつの間にか団長席につき、背筋をピンとのばして、サラを睨みつけていた。


 「サラ・ライシャード!」

 「はっ!」

 身に染み着いた習性で、サラは直立不動の姿勢をとり、短く返事をした。

 「本日付けで近衛騎士団団長を命ずる! 副団長はトーマス・ベルナーとする。

 正式な任命式は、俺の退団式と一緒だ。

 陛下の御前に立つことになる、正装を忘れるな!」

 「はっ! サラ・ライシャード、謹んで近衛騎士団……団長……団長ぉぉっ?」

 「ライシャード、復唱!」

 「はっ! 団長を拝命いたします!」


 これはもしかして、結婚していた方が楽だったんじゃないか、とサラはこっそり思った、という。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 共感しまくりなお話でしたね。 見ないようにしていた女性としての自分と心の内で、葛藤しながらも、突き進む女騎士さんが大変魅力的でした! [一言] こういうお話、大好きですよ(^^) 願わくば…
[良い点] テンポの良い会話が楽しかったです。 [一言] 結婚って、強制されちゃうと重荷でしかない。「結婚してもいいかも!?」って思う時が来るまで、静かに放っておいて欲しいと思ったよ。(カビが生えた過…
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