Loop6「命を懸けて愛する人を守ります」
『殺し屋の首領キャメルが逃走している』
そう王国専属の騎士達から報告を受けた。あろう事に人の部屋にまでやって来た理由が分かった。今宵、王宮に侵入する殺し屋を含む反乱軍を王国騎士団が取り押さえたのだが、殺し屋首領のキャメルだけを取り逃がしてしまったようだ。
聞いた話によれば彼女の剣の腕は相当なもので、次々と騎士を切り伏せていったらしい。なんとか秘宝は盗まれずに済んだようだが彼女は捕まらなかった。その報告を受けたライは真っ先に王宮に戻ろうとした。
彼は自分が不在だった事に、相当な責任を感じたのだ。しかし、オレは王宮には行って欲しくないと子供の用に駄々を捏ねた。嫌な予感しかなかった。ライを王宮に行かせたら、もう二度と会えなくなるような気がして。
そんなオレの決死な思いは受け止めてもらえなかった。せめてオレも一緒に王宮へ行く! と押してみたが、駄目だと突き返された。そしてライは「必ず戻って来るから」という言葉を残して、オレの前から去って行った。
オレは居ても立っても居られなくなり、すぐに後を追おうとした。ライ達は馬を利用して王宮へ向かったが、オレにはそんな上質な乗り物なんて持ってないから、走っていくほかなかった。向かって行く途中、オレは不安で不安で堪らなかった。
オレとライは身も心も結ばれたのだから、彼が命を落とす事はなくなった筈だ。それなのになんでこんな胸騒ぎがするんだろう。シーンとした夜の静けさが、よりオレの心に闇を引き込んで不安を煽り立てる。
――ライ、オレが行くまで無事でいてくれよ!
そう願った時、何か異変を感じた。第六感が身の毛がよだつようにして騒ぐ。
『危・険・だ』
本能が刺激され、咄嗟にオレは足に急ブレーキをかけた。
――ガツ!!
目の前に鋭い音が飛んできたと思ったら、地面に金属が弾かれる音が響き渡った。
――なんだ今の!?
オレは酷く警戒して音が鳴った地面に目を向ける。ナイフだ! 夜闇でもハッキリと分かるギラギラとした鋭利なナイフが目の前に転がっている。オレは血の気が引く。こ、これ、もしオレが止まらなかったら、直撃食らっていたんだじゃないのか!?
――だ、誰がこんな物騒な物を飛ばしてきたんだ!
オレはグルリと辺りを見渡す。木が一本だけ立っている殺風景な場所。人の気配なんて全く感じない。
「あ~ら残念。手元は狂っていなかったのに」
――!?
頭上から女の甘ったるい声が聞こえた。
「誰だ!?」
オレは顔を上げて声の主の姿を探す。風に吹かれるには不自然な揺れをしている葉っぱを目にして気付いた。
――樹木の上にいる!
「姿を見せろ! あんなナイフを投げつけてオマエ人殺しだ!」
オレはありったけが声が夜空に響く。不気味な雰囲気に空気が震えているように見えた。
「そうよ~。だって私は人殺しも厭わない殺し屋ですもの」
「!?」
――殺し屋!?
そう聞いて真っ先に思い浮かんだのは……まさか?
「キャメルなのか!?」
オレは該当する人物の名を呼んだ、すると暗闇から光が灯され、相手の顔を見る事が出来た。ランタンを手にして幹の上に立つキャメルだ!
「やっぱり貴女にはもう私の正体がバレていたのね。それは貴女の大切な幼馴染が教えてくれたのかしら?」
今まで打って変わって別人見える。顔つきも声も雰囲気も。可憐なイメージが今は殺気立った獣のように鋭い。あれならナイフも投げつける殺し屋にも見える。もうオレが知っている彼女は何処にもいないんだ。
「キャメル、オレには信じられなかったよ。オマエが殺し屋一味の人間だなんてさ。でもさっき人にナイフを投げつけ、今平然としているオマエの姿を見て殺し屋なんだと納得したよ。ずっとオレ達を騙していたんだな!」
「えぇ、目的を果たせばこの国から出る予定だったのに、それを悉く潰してくれたのは貴女なのよ? その責任どう取ってくれるのかしら?」
「バカ言え! 責任なんて取る必要ないだろ! 王宮の秘宝を盗む為に反乱軍を誑かし……いやそれだけじゃない! オレの大事なライも利用しようとしてただろう! このとんでもない悪女め!」
「殺し屋は手段を選ばないのよ。そして貴女、消してやろうと思ってもしぶとく生き残るし、本当に誤算だったわ。貴女なんであんなに強いのよ? ただの女には見えないわよ?」
「オマエには関係ない」
「そうね、関係……なくなるわ。だってここで貴女は私に殺されるのだから」
「!?」
剣呑な空気が躯に突き刺さるようにして襲ってきた。次の瞬間、キャメルが樹木から飛び降りた。けっこうな高さがあるというのに難なく着地し、身のこなしが軽やか過ぎる。あの高さからはさすがにオレでも飛び降りられない。
目の前まで来たキャメルとオレは対峙する。彼女はフードのついた真っ黒な外套に身を包み、美しい金色の髪はフードの中へと隠れている。あの金髪が太陽の女神のように彼女を輝かせて見せるのに、今は夜の闇化となっていた。
――キャメルからの殺気が凄い。
オレを殺すという言葉は本当のようだ。殺気だけで十分にオレの躯を突き刺している。
「オレを殺すって言ったか?」
「えぇ、言ったわよ」
オレの問いにキャメルはなんの躊躇いもなく答えた。そしてスッと外套の中から、キラリとした光るモノを取り出した。難なくキャメルが片手で構えるそれは剣だ! 取っ手部分が細微な浮彫で施された立派なもの。
そんな物を隠し持っていた事に驚くが、それよりも持ち方が手慣れている様子に、オレは目を見張った。剣を持つ事が許されているのは王国から認められた騎士だけだ。それはどの国でも一貫として守られている。
「貴女さすがね。こんな剣を目の前に突き出されて、逃げ出そうとも怯えたりもしないんですもの。実は見慣れているのかしら? それとも貴女も殺し屋だったりするの?」
キャメルはクスクスッと笑い、実に興味深げに訊いてきた。殺し屋として見られるなんて冗談じゃない、オレは元騎士だ。
「バカ言え、オマエと一緒にするな。オレは手を汚しちゃいねーよ」
「そう? 貴女の素性は気になるところだけど、ここでお別れとなるのだから、知る事も出来ないわね。そしてもう無駄話は終わりよ。貴女には死を覚悟する時間を十分に与えたわ」
「ふざけんな!」
オレは好き勝手な事を抜かすキャメルに怒号を上げた。その瞬間、キャメルはオレに向かって剣を振るってきた! 反射的にオレは躯を捩って攻撃をかわし、剣をもつキャメルの腕にガンッと拳を投げた。
鈍い音が響く。キャメルにはそれなりの痛みを与えたが、彼女は剣を落とさなかった。とはいえ、彼女にほんの少し隙ができ、その間にオレはさっき投げつけられたナイフを拾い上げた。
「そんなナイフで私に勝てると思っているのかしら?」
ナイフを手にするオレの姿を見たキャメルは鼻で笑う。
「やってみないと分からないだろ?」
と、オレはカッコつけたものの、かなり部が悪い事は分かっていた。せめてこちらの動きが有利であれば勝算もあっただろうが、キャメルとは互角……いや下手したら、彼女はオレ以上のスピードをもっている。
残るは体力か。キャメルが疲労して動きが鈍るまで闘うか。男の頃なら体力に自信はあったが、女となった今、どのぐらいの体力があるのか見当もつかなかった。体力に賭けるのはリスクが大き過ぎる。これは真っ向に闘って勝利する他ない。
「じゃあ、やってみましょうかね」
キャメルの言葉にオレはゴクリと息を呑んだ。
――本気で闘わないと死ぬ!
キャメルは剣を振り被り、夜闇を恐れない獣の如く疾走してきた。仄暗い街灯だけではキャメルの姿を完全に把握出来ない。オレは目を光らせ、耳を研ぎ澄ませ、彼女の動向を追う!
すぐに距離は縮められ、シュッと鋭い音と共に剣が来る方角を察し、オレはナイフで剣を交わす。思っていた以上にナイフには耐久性がなく、剣に押されていき、ギリギリと悲鳴を上げて震えていた。
――駄目だ! このナイフでは数秒しか持たない!
そうすぐに判断したオレはありったけの力で剣を弾いて離れた。嫌な事に気付く。キャメルとの腕の力の差が歴然と出ていた。オレの力は男の頃と違ってだいぶ劣っている。今のこの力ではキャメルに敵わない!
完全に死と隣り合わせの闘いとなった。動きも体力はほぼ互角であるのに、武器と力の差が大きい。それだけじゃない。キャメルは夜行性動物のように暗い視界だろうが、しっかりとオレの姿を捉えていた。
オレはほぼ攻撃する機会がなく、キャメルの剣をかわす事で精一杯だった。完全に追われてしまっている。キャメルの方は余裕が出てきたのか、どんどん勢いが増していく。オレの方は焦りもあって、かなり息が弾んでいた。
――本気でヤバイ、このままでは切られるも時間の問題だ! どうすれば!
その焦りと動揺が隙を作ってしまった。
――ガッ
「ぐあっ!」
凄まじい力で首全体が押さえつけられ、オレは苦痛の声を洩らす。キャメルが背後に立ち回って、オレの首を腕で締め付けるように押さえていた!
――ぐ、ぐるぢぃ……。
骨を折るような勢いできつく締め付けられ、息が出来ない! 抵抗するにも既に力を奪われている! もう意識がもう途切れそうだ。
――死ぬっ。
「ふふふっ、これで最後よ。サヨナラ、レ・イ・ン・ちゃ・ん」
キャメルの囁きに死が迎えに来たように思えた。
「きゃあっ!」
キャメルから苦痛の悲鳴が上がった。オレは最後に渾身の力を使って腕を無造作に振るい、キャメルの躯に傷をつけた。彼女から解放されたオレはゲホゲホと咳込みながら、必死に酸素を求める。
グッタリと倒れたい気持ちにも負けず、オレはキャロルへと向かって走っていく! それに気付いたキャメルは剣を構えて振り下そうとするが、それよりも早くオレはスライディングキックをお見舞いした。
足の方向感覚を失ったキャメルは見事に頽れる。地に躯を預けていたオレはすぐに立ち上がり、キャメルの剣を遠くへ蹴飛ばす。その間にキャメルがフラリと立ち上がるが、オレはドガッと彼女のみぞおちに一撃を食らわせた。
「ぐっ!」
キャメルから苦し気な呻きが洩れ、ダラリと体勢が崩れる。微動だに一つせずに地の上に倒れたところをみると、完全に気絶したようだ。
…………………………。
「ふぅー」
数秒経ってからオレは安堵の溜め息を零した。さすがにキャメルとの闘いは死ぬかと思った。彼女が殺し屋だと聞かされたのが、ほんの一時間も経っていない前の事で、それから当の本人と闘う事になるなんて、なんの運命の悪戯なんだ。
――キャメルを担いで騎士に預けなきゃな。
オレは倒れているキャメルの腕を引き上げ、彼女の躯を自分の肩に担ごうとした。
――ガッ!
一瞬、何が起きたのか分からなかった。しかし、すぐに背中からとんでもない鋭い痛みが走り、刃物かなにかで刺されたのだと察した。
――ま、まさか!
そのまさかだ。気絶している筈のキャメルが動き出し、オレの躯から乱暴に離れた。油断したと後悔したとこで遅かった。キャメルはよろめくオレの腹に足蹴りを飛ばし、躯が噴き飛ばされた。
さらに運悪く後ろに樹木があり、傷ついた背中が強く打たれる。オレは苦痛の叫び声を上げると、ズルズルと躯が沈んでいった。背中の激痛に意識が霞んでいく。とんだ油断だった。キャメルがまさか気絶したフリをして、ナイフを所持していたなんて。
「甘いねー子猫ちゃんは。私に止めを刺さなかった事が命取りになったわね」
彼女の言う事は尤もに思えるが、どんな悪党でもむやみやたらに命を奪うわけにはいかない。そう騎士の頃に教えられたし、まして今のオレは一般人だ。より命を奪う事なんて出来ない。
「憎まれ口も叩けないぐらい苦しいようね。でも安心して頂戴、すぐに楽にしてあげるから」
キャメルの高らかな声に背筋が恐怖に凍える。霞んでいる視界に振り上げられるナイフの姿が映った。
――もう駄目だ! 殺される!
オレは瞼を閉じて死を覚悟した!
…………………………。
「ぐっ! 貴様が何故ここに!?」
キャメルの驚愕した声で我に返る。まだオレに意識がある? 視界を開くと、そこには信じられない光景が映っていた。
――ライ!?
彼はキャメルの背後で彼女の持つナイフの手を押さえつけている。
――どうしてここにライがいるんだ? 確か王宮に向かった筈じゃ?
「オマエ、レインに何やった?」
ライが静かに口を開く。酷く恐ろしい声色だった。こんな声は初めてだ。
「何って……」
キャメルはドスの利いた声で、なにか答えようとする。その時、オレは気付いた。キャメルのライに押さえつけられていない、もう一方の手の中にキラリとした刃物が握られていた!
「見りゃ分かるだろうが! こうやって殺そうとしたんだよ!」
キャメルは躯を捩り、背後にいるライに向かってナイフを切りつける!
「危ない!!」
途切れそうになる意識を紡いでオレは叫んだ!
「ガハッ!」
呻き声を上げたのは……腹を抱えて蹲るキャメルだった! ライは切られるよりも先にキャメルの腹部にドカッと膝蹴りを入れたのだ! キャメルは打ち所が悪かったのか立ち上がれないようだ。
その間にライはナイフを取り上げ、さらに鞘から長剣を抜いてキャメルに向ける。磨がれた鋭い剣は夜闇も切り裂くようにギラギラと光っていて恐ろしい。そしてライは低音の声でキャメルに怒りを放つ。
「レインを殺そうとしたオマエだけは絶対に許さない」
「はっ、あんな凡庸の女の何処がいいんだか? あの女さえいなければ、オマエを利用して計画が成功したってのに! 邪魔をしたのだから殺されて当然だ!」
キャメルはライを睨むように見上げ、とんだ間違った逆恨みをぶつける。
「レインに何も罪はない。逆恨みもいいところだ」
「それで私を殺すのか? はっ! 騎士とはいえ、オマエも所詮殺し屋と何も変わりはない! 殺したければ殺せばいい! ほらっ殺してみろよ! ほらっ!!」
ライに楯突くキャメルは気が狂っているとしか思えなかった。そんなキャメルをライは感情が剥落した顔で見下ろしていた。
「許さない=殺すと誰が言った?」
「法で裁いてやるとか、そんなありきたりなセリフでも吐くつもりか? そういう甘い奴は後で泣いて後悔するという事を教えてやる!」
キャメルの言葉に嫌な予感が過った。それは刹那、的中した。
「ぐっ!」
ライから息を詰める声が洩れた。キャメルが足元に隠していた小型ナイフでライの足を突き刺したのだ! ライが苦痛に身動きが取れない間にキャメルは立ち上がり、オレの方へと全速力で走って来る!
――オレを殺そうとしている!
そう全身が警告する。背中の怪我が酷くオレは身動きが取れない。あっという間にキャメルはオレの前にまでやってきて、ナイフを振りかざす。
――殺される!