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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

剣闘士ペドロ

作者: てんで性悪ふじわらしのぶピッド

 投げたグラディウスの刃が相手の喉を切り裂いた。

 偶然ではない。

 最初から狙っていたことだ。

 ただそれだけの事だった。


 「お前は俺だ。憐れな道化よ。どうかその瞳にこの姿を焼きつけておけ」


 トライデントを落とし、男は絶命する。

 ペドロは男の名前を知らない。

 だが心に残っていることがあるとすれば、いつもの相手よりも殺すことに時間がかかってしまったくらいだった。


 勝利の為に生きている。

 ただそれだけのこと。他者の死など今さら気にするほどのことではない。

 それがペドロという男だった。


 拾い上げたグラディウスには生命の残滓たる赤き雫がただ零れ落ちるのみ。

 死者には目もくれずペドロはゲートを目指す。

 これは終わりでも始まりでもない。

 権力者たちを喜ばせる為だけに行われる弱者たちの生存の為の戦い。

 

 まるで水を被ったようにペドロの黒い髪は汗にまみれていた。

 左右土壁に覆われた細い道を無言で歩くペドロ。


 その先には奴が待っていた。


 「逃げるのか。ペドロ」


 耳を打つ聞き覚えのあるその声に死神の面影を思い起こさせたのは己の業ゆえか。

 ペドロはグラディウスの先端を向ける。

 鮮血に濡れた切っ先と滴る血の雫だけが時の流れを告げる。


 逃げるのか、だと。


 この牢獄からどうやって逃げるというのだ。


 声を喉の奥に閉じ込めてペドロは呻く。

 声の主はペドロの苦しむ様を見て喜んでいるように見えた。


 「剣奴の宿命から逃げるのか、ペドロ。お前はその程度の男か」


 薄ら陰の中にあってもペドロの目は捉えて放さない。


 男は両腕を組んでいた。


 殺せる。

 この愛刀ならば傲岸不遜の強敵を殺せる。

 奴は武器を持っていない。

 誰も見ていない。


 しかし、ペドロの師の遺言が彼の魂を束縛する。


 戦場いくさばに私怨を持ち込むな。


 戦意無き者と戦うな。


 無手の者とは戦ってはならない、それが剣闘士の誇りと知れ。


 ペドロの師はある時、自らの掟に従って死を選んでしまった。

 愛弟子の若いペドロ一人を残してあの世に行ってしまったのだ。


 剣闘士の誇りがどうした。

 今の俺には関係ない。

 目の前の男は間接的に師を殺した男だぞ。

 帝国有数の戦士にして貴族、ゴメス。

 次に出会った時に必ず殺すと決めていた男だ。

 そして、許されることならば師の残したこのグラディウスで殺すつもりだった。


 ペドロの瞳に仄かに昏い闇が宿る。


 殺す。ゴメスを殺して、師イソギンチャクンの仇を取る。


 「今の俺は何も持っていない。殺すなら今のうちだと思わないか。なあ、ペドロ?」


 「まるで武器を持っていれば、俺と対等に戦えるとでも言いたいのか。ゴメス卿」


 ペドロにとって闘技場コロッセオで戦うことは生活の一部だった。

 しかし、ゴメスは違う。

 高貴な家柄に生まれ、特使として州の代官の屋敷を出入りするような身分の人間である。

 そもそもこの場所に来る必要の無い人間なのだ。


 「俺の戦槌ウォーハンマーとお前の小剣グラディウス、どちらが強いかという命題に関しては常々興味深いと思っているよ。まあ、俺の勝利は当然のものだろうがね」


 「口先だけならどうとでも言えるものだ」


 単に俺をからかいに来ただけか。

 この時ばかりはゴメスの挑発がペドロの殺意を諫める結果となった。

 ゴメスは闘技場での戦闘、官吏としての働きも非の打ち所がない完全主義者だった。

 より正確にはそうあることを強く望む性格だった。

 故にこのような相手のペースを崩す為に挑発を繰り返すような真似は絶対にしない。

 今回の来訪もペドロの仕上がり具合を確認しに来たというものだろう。

 ここでペドロが手を出せば、ペドロの現段階における実力を見切られる可能性もある。

 

 後日の対戦が不利になるような行為は控えるべきだ。


 ペドロはゴメスをきっと睨みつけた。

 そして、出口に向かって歩き出す。


 負け犬の遠吠えとでも好きに受け取れ。


 ゴメスは呆気に囚われ、ペドロを見送るばかりだった。



 夜。

 ペドロは一人、独房で過ごす。

 本来ならばペドロほどの剣闘士であれば世話係を何人もつけた豪勢な部屋かあるいはスポンサーの屋敷で悠々自適に暮らすことが出来るのだが、敢えてそうしないところがペドロという人間だった。

 ペドロは闘士用の宿舎を出入りしている売店で買ったリンゴに獣のように齧る。

 闘士とは、そもそも人を傷つけることを生業にしているような人種なのだ。


 酒を飲む。


 美女を抱く。


 そういった享楽にふけることは許されない立場なのだ。

 ペドロは芯も種もそのまま食らい、リンゴは二口くらいで姿を消した。


 ゴメスを倒し、一族の復権を果たした時に俺は解放されるのか。

 いいや、あの欲深い帝国貴族たちがそんなことを許すわけがない。

 何か理由をつけてまた牢獄暮らしに逆戻りだ。

 ペドロは自分の未来がどこまでも他人に支配されていることを実感させられた。ふと虚しさに襲われる。 そんな時、ペドロは木に何かしらの布を巻き付けた粗末な枕を抱きかかえる。

 ペドロは親の顔を知らない。

 一族の長老と、師・イソギンチャクンがペドロの親の代わりだった。

 長老は帝国に逆らった政治犯として帝都に軟禁されている。

 師は闘技場で毎日無謀な戦いを強いられ、ゴメスの奸計によって命を落とした。

 ペドロの同胞たちは今、帝国の属州で働かされている。

 あの純朴な村人たちが奴隷として働かされているところを想像するだけで、ペドロのの奥に苦しさを覚える。

 修行の旅に出ていたペドロが故郷の惨状について知ったのはついこの間の事なのだ。

 ペドロは旅を中断して、剣闘士に身を落とし解放の日を求めて今日も戦い続ける。

 すべては承知の上だ。


 「こんな時に雪ミクの抱き枕があれば」


 ペドロは遠い北国の氷の女神のことを思い出していた。

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