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カレーライス

「ま、まあそんなことよりー……もう少しで夕食の準備ができますからー。


 あとちょっとだけー、待っててくださいねー?」


 そう言ってセドリックは、少し慌てたようにマークトに背を向けた。


 その先にはキッチンの一番奥……ガスコンロがあり、鈍い金色の両手鍋が火にかけられていた。


 ニンジン、玉ねぎ、ジャガイモ……一口大にカットされたそれらの野菜が、鍋の中で小さく揺れていた。


 セドリックは、調理中であったようだった。


 そのいかにも若妻っぽい後ろ姿をぼんやり眺めながら、マークトはぼんやりと考えていた。


「(あ……セドリックさん、誤魔化しにかかったな……。


 ていうか、俺たちもう食事は終わらせてるんだけどな……梶田さんのレトルト食品で)」


 先刻のセドリックの発言で受けた衝撃に、マークトの思考はまだ麻痺したままだった。


 と。


 ぼんやりセドリックの後ろ姿を眺めたままだったマークトの目……それが不意に、カッと見開かれた。


「そ、それ………カレールーじゃないですか!?」


 マークトの言葉通り……調理中のセドリックが手にしたのは、アメリカ合衆国バーモント州を思い出させる名前のカレールーだった。


「え? そうですけどー……」


 マークトの不意の絶叫に、セドリックは驚いたように振り返る。


 そしてマークトのまん丸く見開かれた目ん玉に、ちょっと引くセドリックさん。


「あ……あらあらー……カレーはお嫌いでしたかー……?


 うちはさくらがいるのでー、どうしても甘口になっちゃうんですけどー……」


 躊躇いながら応じるセドリックに……マークトは、爆発していた。


「何を言ってるんですかっ!!


 カレーが嫌いな【日本人】なんて、いませんよ!!!!!」


 絶叫しながら拳まで作って見せるマークトに、セドリックはドン引きしていた。

 よく言われることだが、カレーライスと言えば、日本の【国民食】と言っていいだろう。


 学校給食の人気ランキングでも常に上位に位置し、まさしく、【日本人】で食べたことがない者などいない、と言い切って良いレベルの料理である。


 無論、【洋食】に分類される料理である。


 実際、西洋ニンジンや玉ねぎなどの定番の具材も明治以降に日本に入ってきたものばかりであるし、カレー自体も同様である。


 日本に伝来したのは明治、それが家庭に浸透していったのは戦後『味噌汁を作る鍋で簡単に作れる洋食』として紹介された為であるが、【洋食】であってもカレーはどちらかと言えば【家庭料理】の一つと言って良い。


 そう、カレーは……【日本】の【家庭料理】なのだ。


 それほどに、カレーは日本人の心に住み着いている。


 あの独特の香りと共に日本人の心に染み着いてしまったのである。


 少々驚いた様子のセドリックだったが、予想通りの反応だったのか、マークトににんまりと笑顔を見せる。


「ですよねー。 私も大好きですからー。


 いっぱい食べてくださいねー」


 言いながらセドリックは、カレールーを両手鍋に投入した。


「(とはいえ……あはは……せっかくだけど、梶田さんのお陰でもう食事は済んでるんだよね。 流石にもう入らな)は、はい!!


 ご、御馳走になります!!!」


 敬礼でもするのではないかという直立不動の姿で、マークトはセドリックに応じていた。


 満腹だったはずのマークト……それが、最敬礼を見せていた。


 マークトの表情が急に変わったのは社交辞令ではなかった。


 それは……一五年ぶりのカレーの香りに鼻腔をくすぐられ、急激な食欲を感じたからだった。


 そのマークトの背後で、すらり、とガラス障子の引き戸が開いた。


 そこからこちらを除いていたのは、居間にいたヒロインズであった。


 彼女たちも満腹であろうに……カレーの香りに惹きつけられたようだった。


 興味深そうなその顔には【……なんかいい匂いがする……】と書いてあった。


「(……ふっふっふ……こいつらも味わうことになるだろうな。


 【日本】の【家庭料理】の最高峰の一つ……【カレーライス】を!!)」


 上機嫌に、誇らしそうに、まるで自分のことを自慢するかのように、マークトは振り返ってヒロインズを眺める。


 思いもかけぬカレーとの一五年ぶりの再会に、彼は舞い上がっていた。


 そのマークトの脳裏から……先ほどの【追及】の事は消え去っていた。


 完全に、忘れ去っていた。

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