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騎士アデライド

 

 アデライドは、目を覚ました。


(ここは、いったい……? 私は何をしていた……?)


 吹雪の吹きすさぶ階層を行軍していたのが、意識を失う前の彼女の最後の記憶だった。飛来する小さな氷の粒がバチバチと当たる痛さと、体温が奪われていく寒さに耐えながら進んでいたのを確かに覚えている。

 横たわっていた身体に軽く力を入れて動かしてみると、いつの間にかかかっていた毛布が少しずり落ちた。途端に身を震わす寒さに襲われたが、幸いにも耐えられないほどではない。

 彼女がいる場所は小さな洞窟のようだった。少し離れたところでは火が焚かれており、わずかながらも暖気が循環しているのを感じる。

 と、何者かの足音らしき音が響いた。

 反射的に身を固くするアデライド。彼女が目を覚ましたことに気づかなかったのだろう、足音の主がたき火のそばで彼女に背を向けて座ったのが分かった。揺らめく火の明かりによって、おぼろげに照らされる洞窟内にアデライドは目を凝らす。すると、火に照らされ伸びる影の頭部に、二本の角が見えた。


(人喰鬼(オーガ)か!)


 状況を把握した彼女は身構える。おそらく、迷宮(ダンジョン)に棲息する魔物に捕まったのだ。

 自分を喰らうつもりか。愚かな、逆にこちらが退治してくれる。

 決意を新たに立ち上がったアデライドは気取られぬよう静かに、ゆっくりと背後から相手に近づいていく。敵に取り上げられたのか、愛用の武器は手元になかったが、近くに転がっていた木製の棍棒らしきものを拾って構える。冷えた手には上手く力が込められず、指を曲げるのにも苦労したが何とか握りこむ。相手はアデライドの接近に全く気づいていないように見え、たき火の横で何かごそごそと作業を続けていた。

 アデライドは手にした得物を強く握りしめ、無防備な敵の背中目掛けて降り下ろす――!


「不意討つなら、もう少し殺気を抑えた方がいいのう」

「なっ――!?」


 こん棒はあえなく片手で受け止められていた。渾身の力を込めたというのに、ピクリとも動かない。

 振り向いたのは、精悍な顔つきの青年だった。外見は体格のいい普人(ノーマン)のようにも見える。森人(エルフ)のように耳が尖っているわけでもなく、鉱人(ドワーフ)のように小柄でもない。しかし、頭部から生える二本の立派な角が、彼が普人種ではないことを如実に物語っていた。

 普人の姿に、鉱人に匹敵する剛力。そして、頭部から生える雄々しい角。

 実際に目にするのは初めてだったが、彼女は目の前のこの種族に心当たりがあった。東の大海に浮かぶ環状列島国家ヤシマ。その島国にのみ住まう種族で、種族名は確か――


鬼人(ヤシマオーガ)……?」

「外つ国の横文字は長くて分かりにくいのう。儂らは鬼人(オニ)じゃ、それ以外の何者でもないわ」


 かの国には、普人とそう変わらない風貌を持ちながらも、人喰鬼に良く似た角を持つ種族が住んでいる。その種族こそ鬼人(ヤシマオーガ)、もしくは現地の言葉で鬼人(オニ)と呼ばれる種族である。

 ヤシマ列島自体が閉鎖的な国であることに加え、島国という立地条件から長らく他国との交流から隔絶されてきたために、かの国には謎が多い。そのため、航海技術が発達した現在でも鬼人は大陸では珍しい種族に分類される。

 もちろん、鬼人は言語による意思疎通が可能な知性と文化を持った種族として知られており、魔物扱いしていい道理はない。


「申し訳なかった! 命の恩人にこんな無礼を……」


 自分の誤解に気づいたアデライドは、すぐさま地面に額を擦り付け謝罪していた。

 顔から火が出そうなほどに恥ずかしい。自分の早とちりを恥じる気持ちと、よりによって命の恩人に(未遂に終わったとはいえ)背後から襲いかかったことに対する申し訳ない気持ちで、頭の中がごちゃ混ぜになる。


「構わん構わん、目ェ覚めて見知らんとこにいたんじゃ。警戒するのは当然じゃろ」


 鬼人の青年は、からからと笑って受け流した。その態度がなおさらアデライドの罪悪感を刺激する。

 話を聞けば、吹雪いてきたので野営地を探している途中に、偶然雪に埋もれかけていたアデライドを見つけたらしい。


「近くに具合のいい洞窟があったからのう。見捨てるのも寝覚めが悪いと思っただけじゃ。礼を言われるほどでもないわ」

「いや、そんなことはない。貴殿が助けてくれなければ、おそらく私の命はなかっただろう」


 低体温症や凍傷で済めば、まだいい方だ。吹雪の真っ只中で気を失ったままだったなら、最悪凍死も考えられた。

 今になってよくよく考えてみれば、彼女は拘束されていた訳でもない。それどころか暖を取れるよう毛布まで掛けられていた。見知らぬ行き倒れに対する処置としては破格だろう。冒険者の中には、死んだ同業者の荷物を漁るやからも少なくない。

 かさねがさね、自分の早合点を恥じるアデライドであった。


「よければ、貴殿の名前を教えていただけないだろうか」

「ん? そう言や、まだ名乗っとらんかったか。儂はリンドウという、まあ流れの冒険者じゃ。お前さんは?」

「私の名前はアデライド。一介の騎士だ。それで、リンドウ殿。何か貴殿にお礼とお詫びをしたいのだが……」

「別に構わんぞ? 何ぞ見返りを期待した訳でもなし――」

「遠慮せずに何か望みを言ってくれ、私に出来ることなら何でもしよう!」

「……若い女人(にょにん)が、無闇にそんな言葉使うのは危ないと違うか?」


 呆れたような半眼で見つめるリンドウだったが、当の見目麗しい若い女騎士はといえば、けがれなき目で見つめ返し小首をかしげるだけだった。


「? 私の言葉遣いは、何か変だっただろうか」

「自覚なしかい。まあいいわ、特に頼むことはないしのう」

「しかしそれでは私の気が――」


 ぐう。

 と、彼女の腹から妙な音が響いた。


「………………」

「………………」


 リンドウもアデライドも、しばし発生源を無言で見つめた。

 洞窟の外で、風が唸る音がやけに大きく聞こえる。


「それでは私の気が済まな――」


 きゅるるる。

 再び、彼女の腹から妙な音が響いた。


「………………」

「………………」


 アデライドの顔は、赤く染まっていた。焚き火に照らされていることだけが理由ではあるまい。

 沈黙が二人を包む。焚き火にくべられた木がパチパチと音をたてて燃えるのがよく聞こえる。

 羞恥からか、アデライドがプルプルと身体を小さく震えさせ始めた頃、リンドウが視線をわずかにそらしつつ口を開いた。


「あー、さっきの話じゃが、よければ酒に付き合ってくれんか」

「…………酒?」

「おう。こうも雪に閉じ込められとると、他にすることもないんでな」

 

 リンドウが何かを掲げて見せた。おそらくは水筒の一種だろう。彼が振る度に、チャポチャポと水音が鳴る。ずいぶんと奇妙な形状の水筒だった。飲み口は細く、胴体部分はくびれている。ヤシマの伝統工芸品だろうか。

 ともあれ、リンドウがわざわざ別の話題を振ってくれたのはありがたかった。


「下戸なら、多少じゃが酒のツマミになりそうなもんもある。どうかの?」

「い、いやそれには及ばない。礼と言っては何だが、酒の肴になるものは私が提供しよう。確か、手持ちの食料に牛の干し肉が……」

「あー、こんなこと言うのはちとあれじゃが……お前さん、手ぶらで行き倒れとったぞ」

「なっ……!?」


 残酷な通告に、アデライドは思わずその場に固まった。

 そういえば、自分の荷物が影も形もないことにもっと早く気づくべきだった。自身の不甲斐なさに、彼女はその場で穴を掘って中に入りたくなった。食料を失って、果たして無事に生きて地上に帰れるのか? 今でさえ胃袋が空腹を訴えているというのに。

 飢え死にする未来しか見えず、アデライドは頭を抱える。苦悩する彼女の様子を見かねたのか、リンドウが声をかけた。


「そんな気落ちせんでも、食い物ぐらい分けてやるわ。安心せい」

「いや、ここまでしてもらって、さらに食料まで世話になる訳には――」


 ぐうぅ。

 言葉を遮って、特徴的な音が響く。腹は、どこまでも正直だった。

 そして、恥を何度も上塗りしてなお拒否し続けられるほど、彼女の精神は強靭ではなかった。


「で、では、お言葉に、その、甘えさせて、いただけるだろうか……」


 頷いたリンドウは、再び焚き火の前で何やら作業を始める。何かを焚き火に当てているようだった。よく見ると、それは串に刺さり焚き火で直に炙られる干し芋だ。

 炙られる干し芋の表面は、触れただけで容赦なく食べる者の唇や舌を熱していくだろうことが容易に想像できるほど苛烈に火に舐められていた。まるで、燃え盛る火が内側に閉じ込められ、時おり漏れ出ているかのようだった。もちろん火と接する時間が長ければ、火は芋を焦がし、台無しにしてしまうだろう。だが、それを見極め、火によって熱々にした芋を噛めば、蜜のような甘さがじわりと溢れてくるに違いない。焦げる一歩手前の飴のような固い表面と、その奥にある芋のやわらかさを想像するだけで口の中に唾がわいてくる。

 もう少し慎重に距離を取って炙った方が、芋も安全なのは分かっている。しかし、それでは旨さも半減する。何より、凍った干し芋の場合、半解凍ではたまらない、とリンドウは直火を選択した。

 芋の安全を取るか美味さを追求するかの高尚な悩みを乗り越え、追究の道を選んだ鬼人はにやりと笑って酒をあおる。


「凍った干し芋も、火で炙ればオツなもんじゃろ? 腹持ちもいいし、手軽に持ち運べる。糧食として申し分ない。酒のツマミにゃ、ちと甘いがな」

「いや、文句など言ったらバチが当たる……本当に、もらってもいいのか?」

「無論じゃ。欲を言えば、こんな寒い日には味噌仕立ての鍋で腹の底からあっためたいところじゃが……ま、そりゃ贅沢がすぎるというもんかの」

「味噌?」


 干し芋の甘さを想像していたアデライドが、聞き慣れない単語に反応する。


「味噌を知らんか。外つ国のもんに何と説明したもんかの? うむ……豆から作る調味料、とでも言えばいいんか?」

「なるほど、よく分からないが分かった。その、豆から作る調味料? で味付けした煮込み料理が、貴殿の言う味噌仕立ての鍋なのだな」


 頷きつつ、アデライドはたき火を注視していた。人間は火を見ると安心するという、それが理由だろうか。彼女はたき火から目が離せなかった。そろそろと手が伸びる。冷えた手に、たき火の熱が移っていくのを感じた。

 もっとも、リンドウがその視線を辿ってみると、彼女の目は正確に言えばたき火のそばの串に釘付けになっていたのだが。まだ中まで火が通っていないので、リンドウはさりげなくその手を止める。


「どんな料理なのだろう? シチューのようなものだろうか?」

「うむ。具材は豆腐と葱、それに白菜と肉。この辺は外せんな。あとは山菜なり茸なりを適当にぶちこんで――」

「待った。豆腐とはいったい?」


 串に釘付けになっていたアデライドだったが、新たに登場した謎の単語に動きを止める。


「豆腐は豆腐じゃ。豆から作った白くて四角く脆い食い物じゃな」

「白くて、四角い……? 駄目だ、まるで想像できない」

「鍋や汁物もいいが、鰹節振って醤油を垂らして冷やで食うのも悪くないな。もちろん、この寒さでは冷や奴はややきついがの」

「すまない。説明の度に、謎の単語が出てきて理解が追いつかない。醤油とはいったい? 鰹節とは何なのだ?」

「醤油は豆から作ったソースで、鰹節は魚の乾物じゃの」

「……つまり、豆で味付けしたスープに、豆から作った白くて四角い何かを入れて、豆のソースをかけて食べるのか……?」

「正確には違うが……ま、だいたい合っとるな」


 ヤシマの人間はどれだけ豆が好きなんだ。

 などと、密かに戦慄するアデライドであった。


「材料さえありゃ常夜鍋でも振る舞ってやりたいとこじゃが……と、いかんな」

「? 何がだろうか」

「火が消える」


 リンドウの言葉に慌てて視線を焚き火へ移してみれば、確かに先程よりも火の勢いがいくらか弱まっていた。よく見れば、パチパチとはぜていた薪の大半が灰と化している。

 芋と話に気を取られていた彼女は、全く気づいていなかった。


「ま、まずいぞ。まだ外は吹雪いているのに、薪が尽きたら――」

「問題ないわ。当てならある」


 傍らに置かれていた棒状のものを取り上げ、リンドウは立ち上がる。かすかに涼やかな金属音を立てるそれは彼の武器だろうか? 鞘に納められたそれは反りのある細剣に見えたが、カトラスにしては細すぎるし、レイピアにしては厚みがある。


「さっき洞窟を調べとったら、擬態魔物(ツクモガミ)を見かけたんでのう。退治て薪の足しにしてやるわ」

「ツク……擬態魔物(ミミック)のことか? 確かに、奴らは倒すと化けていた物体に応じたものをドロップする習性があるが……」


 小さなものは宝石から、大きなものは家一軒にまで。およそ無生物で擬態しないものはないとまで言われる魔物だ。可燃性の物体に擬態しているのなら、そのドロップ品は十分に薪の代わりになるだろう。


「よし、私も同行しよう。微力ながら力になる」

「別に構わんが……お前さん、素手でやる気か?」

「いや、これを使わせてもらいたいのだが。おそらく貴殿のものだろう?」


 女騎士は手に持った棍棒を掲げてみせる。


「ん? ああ、そうじゃが……それを使うんか?」

「貴殿さえ良ければお貸し願いたい。安心してくれ、私は騎士だ。道具に不得手はない」

「まあ、お前さんが使いたい言うんなら構わんが」

「では、ありがたく借り受ける」


 アデライドは、見た目の割に軽い棍棒を握り締めた。まだ手はかじかんでいたが、力が全く入らないほどではない。指先を何度か折り曲げては開くのを繰り返し、かじかんでこわばる指に力を込める。愛用の武器がない今、これが彼女の相棒だ。


「ところで、よく擬態魔物だと見抜けたのだな。そんなにも、間抜けな化け方だったのだろうか」


 ふと、疑問に思ったことをたずねる。

 擬態魔物は擬態自体は細部まで完璧なのだが、時折、間抜けとしか言い様のない化け方をする個体も出現する。例えば、金貨なのに人の大きさほどもあったりとか、扉なのにそれだけが単体でポツンと森の中に置かれていたりとか、どう見ても不自然なものだ。

 実際、そんなあからさまに怪しいものは擬態魔物だと早々に見破られ、冒険者にスルーされることも珍しくない。


「いったいどんなものに化けていたのだ?」

「おう。この迷宮にはずいぶんと場違いな長机に化けとったわ」



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



「なるほど、それで武器を構えながら入店された訳ですね」

「分かってくれたか? 私たちに交戦の意思はない。貴殿らに危害を加えるつもりもないから、武器を下ろしてもらえないだろうか」

「ええ、そういうことならもちろん。セレステ、聞いた通り、この人たちは強盗じゃなくてお客さんだよ。手に持ったその物騒なものを片付けてもらえるかな」

「……はい、御主人様(マスター)。お客様、大変失礼いたしました」


 コックコートの人物の言葉に従って、エプロンドレスの――おそらくウエイトレスであろう――女性が謝罪する。もっとも、精巧な人形のごとく整ったその表情はまるで凪の水面のように乏しく、とても非礼を詫びているようには見えなかったが。

 流れるような洗練された動作で、彼女は二人に切っ先を向けていた大鎌と鉈の合の子のような武器を静かに下げる。次の瞬間、その空を思わせる青く透き通った物騒な刃は、まるで手品のようにあっという間に姿を消していた。

 ウエイトレスが戦闘体勢を解除したのを確認し、アデライドもひとまずは胸を撫で下ろして同様に棍棒を下げる。

 規則的にテーブルが並ぶ、料理店らしき内装の室内。その中央で、細身の剣を構えた鬼の若武者と棍棒を構えた女騎士が、料理人らしき人物を後ろにかばった無表情なウエイトレスと互いに武器を突きつけあうという見る者の頭がどうかしてしまったような光景がそれでようやく終了した。


「すいません、うちの従業員が早とちりしたみたいで」

「い、いや、勘違いをさせるような真似をしたこちらが悪いのだ」


 頭を下げるコックコートの人物に、慌ててアデライドも謝罪を返す。

 そもそも擬態魔物を退治しようとしたら、まるで階層跳躍点(ゲート)に入ったような浮遊感に襲われ、気づけばこの店と思しき謎の場所に移動していたのだ。当然ながら武器は構えたままの状態で。これでは強盗と勘違いされても仕方あるまい。


「そう言ってもらえると助かりますね。それで、どうします? 何か食べていきますか」

「食べて……?」

「ええ。見ての通り、ここは料理店ですから」


 コックコートの人物――店主はまるで世間話をするかのように店の説明を始めた。いわく、迷宮のあちこちにテーブルが置かれてあり、それに触れるとこの店に転移させられるらしい。そうして入店した冒険者相手に食事を振る舞っているのだと。


「ああ、もちろん食事は不要ですぐお帰りになるんでしたら、それはそれで構いませんけど」

「ああ、いや、そういうことなら是非ともお願いしたい。先程まで真冬の階層にいたせいか、実はまだ少々寒くてな――」


 室内の温度は快適そのものといってよく、洞窟とは比べものにならないほど心地よかったが、アデライドの身体はまだ冷えていた。特に手足の末端部分は冷えきっており、少しでも血を通わせようとしているのか、気づけば無意識に指先を擦り合わせている。


「どんなものでも構わないから、何か暖かい料理を頼めるだろうか。身体を内側から温めてくれるようなものを」

「温まる料理、ですか? ――分かりました、ちょうどぴったりのものがあります。では、お好きな席にかけて少々お待ちを。すぐにお持ちしますので」


 そう告げると、店主はウエイトレスを伴って店の奥へと消えていく。

 その姿を目で追ったアデライドは思わずといった様子でこぼしていた。


「誤解が解けて良かった。しかし、迷宮の中で料理店とは奇特な商売をする御仁もいたものだ。そう思わないか、リンドウ殿……リンドウ殿?」


 反応がない。

 不審に思い横を窺ってみると、件の鬼武者は二人が消えたバックヤードの方向を凝視していた。

 手に持った武器も切っ先は下げられているものの、鞘に納められてはおらず抜き身のままだ。まるで、襲いかかられてもすぐに対応できるように備えているようにも見える。


「……気の流れを見るに店主は人間か? 女給は活人形の類い……じゃが、多少の違和感も感じるのう……」

「リンドウ殿? 何をブツブツ呟いている?」

「ん? ああ、ちいと気になったことがあっただけじゃ、すまんの」

「いや、それは構わないのだが……とにかく、武器はしまった方がよくはないだろうか。せっかく誤解が解けたのに、また勘違いされかねない」

「……それもそうじゃな。危害を加えるつもりなら、手が込みすぎとる。人外を使役しとるからといって警戒しすぎか」


 しゃりん、と鈴を思わせる音を一瞬だけ響かせて刃は鞘に納められた。緊張をほぐすように大きく息を吐くと、リンドウは近くの椅子に無造作に腰かけた。

 アデライドも対面の椅子に腰を下ろす。


「ところで、人外を使役とは何の話だろうか?」

「ああ、あの女給じゃ。ありゃおそらく、人ではないな」

「まさか、どう見ても一般的な普人にしか見えないぞ? いや、確かに同性の目から見ても人間離れした美貌だったが……」

「迷宮で商いする輩なら何度か世話になったことはあるが、こんな立派な店持ちはおらんかった。魔物を従える術者も故郷(くに)で見た覚えはあるが、それでもあんな強力な魔物を使役する奴には会ったことがないのう。大陸の事情には疎いが、こちらではそう珍しくもないんか?」


 魔物というと人を襲うイメージが強いが、人間に従う魔物もいない訳ではない。精霊と呼ばれる比較的友好な魔物の力を借りる精霊術師やアンデッドを支配する死霊術師といった職業、あるいは錬金術によって創造された人造魔物など例外も存在する。ただ、それらの魔物の強さは個体差や主人の支配力に左右されるため、アデライドにも詳しいことは分からなかった。


「すまない、あいにく私も魔術や錬金術については門外漢であまり詳しくはなく……」


 そう断りをいれようとした瞬間、


「お待たせしました」


 噂をすれば影。いつのまに近づいたのか、店主とウエイトレスがお盆を持って戻ってきていた。

 正体を探るような内緒話をしていた手前、何となく決まりが悪くなってアデライドは思わず口を閉じてしまう。彼女の心情を知ってか知らずか、店主とウエイトレスは構わずに、机に二人分の料理を並べ終えた。ウエイトレスがコップと水差しを準備している間に、店主が机に置かれた小さな硝子の瓶を指し示す。


「こちらはお好みでお使いください。では、ごゆっくり」


 最後に一礼し、再び去っていく。それを見送った客二人は、机の上に視線を落とした。


(これは……何だろう……?)


 アデライドの頭に疑問符が浮かぶ。

 二人の前には、それぞれ皿が三つ置かれていた。そのうち、左に置かれた皿は分かる。小麦食の彼女には、あまり馴染みがなかったが知っている。米だ。ふっくらと炊き上げられ、つやつやと輝くそれはパンや麺類と並ぶ主食の一種である。右側に置かれているのは底の深い器に入ったスープ。具がたくさん入っているようで、見るだけで食欲がわいてくる。

 問題は真ん中の皿だ。この皿の上には銀色の岩の塊のようなものが鎮座していた。これだけは皆目見当がつかない。


(あ、やわらかい……?)


 フォークでちょんちょんとつついてみると、銀色の岩(?)はあっけなく形を変える。それどころか、穴まで空いた。どうも中は空洞らしい。よくよく観察すると、この岩の正体は薄い金属の膜のようなもので、何かを包み込んでいるようだった。おそるおそる開いてみると、


「……わっ!?」


 途端に中から熱い湯気が溢れ出してきた。少し驚くも、酒の香りをわずかに含んだ湯気はすぐにおさまる。


(蒸し料理……だったのか)


 薄い金属の膜の中には薄く切られた玉ねぎが敷き詰められ、その上には蒸された魚の身とキノコが乗せられていた。おそらく金属膜で密封することで熱を閉じ込めたのだろう。その証拠に、金属膜の底には熱された魚や玉ねぎから溢れ出たとおぼしき水分が小さな池を作っていた。蒸しあげられた魚にフォークを刺すと、その身は容易にほぐれていく。

 一口分を切り分けて、口に運ぶ。


(……! これは、美味しい……!)


 魚の身はやわらかく、ほろほろと崩れていく。一瞬だけ白葡萄酒の香りが口の中に広がると、ついで閉じ込められた魚の旨味とよくきいた香辛料があとから追いかけてくる。すぐに次の一口を求めたくなる美味しさだった。いっしょに口に入ったキノコもやわらかいながら弾力のある食感で、口を動かすのが楽しくなる。

 敷き詰められ池に浸っていた玉ねぎには、にじみ出ていた野菜の甘味と魚の旨味がソースのようにからまり、それだけでも食べ進められるほどだった。

 もっと食べよう、味わおうとフォークを動かすも、冷えた指先では微妙な力加減ができず、もどかしい。

 ふと、右に置かれたスープに目が止まる。明るい茶色をしたスープからは湯気が立ち上っていて、見るからにあたたかそうだった。

 試しに木製の器を両手で持ってみた。器から熱が伝わり、かじかんだ手をじんわりとあたためていく。


「ああ……」


 じわじわと、熱が移動し指先に血が通っていく感覚が心地良い。

 そのまま器に顔を近づけると、スープにはたくさんの具が入っているのが分かった。パッと見ただけでも、数種の根菜、肉にキノコ、それにアデライドには何だかよく分からないものもいくつか入っていた。

 とりあえず、まずはあたたかいスープのみを口に含む。塩気は強いが決してくどくなく、むしろ優しい味わいだった。独特の風味と深みを持つそのスープをごくりと飲みこめば、熱が喉を通りすぎ、腹の内側から身体があたたまっていくのが分かる。


「美味しい……」


 今度はスープだけでなく、具材をスプーンですくってみる。使われている根菜は数多かったが、アデライドが判別できたのはニンジンとじゃがいも、それに玉ねぎぐらいだった。カブに良く似た野菜はまだしも、やたら歯応えがいい野菜と木の根っこをスライスしたような野菜は口に入れるのに少々勇気が必要だった。だが実際に食べてみると、等分の大きさに切られ煮込まれた野菜たちは塩気の強いスープと実に良く馴染んでいる。

 使われている肉は豚肉だった。迷宮探索中に食べてきた水分ゼロのカチカチの干し肉ではない、やわらかく煮込まれ甘さすら感じるその肉を噛み締めるうちに、美味しさとありがたさで涙が出そうになる。

 キノコは贅沢に三種類も入っており、そのどれもがスープをよく吸っていて、噛むと舌の上で溢れ出した。

 一番謎だったのは、茶色く縁取りされ中央に穴の空いた白い円盤状の具と、プルプル震える謎の物体だった。正直に言って、謎の野菜よりも食べるのに勇気を必要とした。が、心配は杞憂だった。白い円盤のあっさりとした淡白な味はスープを引き立て、謎の物体の歯を押し返すようなプルプルの食感は食べていて楽しい。

 それに、米だ。単体で食べると、初めは何の味もないように思えた。だが、噛み続けると、口の中で砂糖とは異なるほのかな甘味を感じさせた。だからこそか、交互に口に運ぶことで米との味の違いが、蒸し料理とスープの味をいっそう強く意識させる。


「――ん?」


 しばらく夢中で食べ続けていたアデライドだったが、しばらくして料理のほとんどが消えた頃に、対面に座るリンドウの行動が偶然目についた。二本の小さな棒を器用に扱い食べていた彼は、半分ほどになった自分のスープの上で何かを動かしていたのだ。それは先程、店主が「お好みで」と言っていた硝子の小瓶だ。


「使うか? あまり、かけすぎん方がいいぞ」


 視線に気づいたのか、リンドウが小瓶を差し出した。礼を言って受け取り、中の赤い粉末を、具がほとんどなくなって残り少なくなったスープに少しだけ振りかけてみる。

 多少の赤みが加わったスープを一口飲んでみると、先程までの優しい味わいの中にピリッとした辛味が広がった。不思議なもので、一度その辛味を味わうと先程までのスープの味では物足りなく感じてしまう。たまらずに飲み干すと、身体の内側から熱が生まれ、ポカポカと全身があたたまっていく気さえした。


 はあ、と息を吐きつつ、アデライドは料理の余韻と少しの後悔に浸る。なぜ、スープが残り少なくなるまで気づかなかったのだろうかと。食べ終える寸前まで、小瓶の存在を忘れてしまっていたことが悔やまれる。


「よければ、おかわり用意しましょうか?」


 アデライドの心を見透かしたかのように、店主が声をかける。


「い、いいのだろうか?」

「ええ。うちは、鍋や汁物なんかは一杯だろうが十杯だろうが鍋ごとおかわりしようがお値段据え置きなので」


 その後、二人が満腹になるまで器を差し出したのは言うまでもなかった。



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



「――はい、お代は確かにいただきました」

「馳走になった。じゃが……」

「本当に、それだけでいいのだろうか?」


 結局、店主が請求した食事代は昼食一回分とそう変わらない値段であった。お値段据え置きと言われたものの、散々お代わりした手前なんだか妙な居心地の悪さがある。かといってお代わりしたスープ分、料金を上乗せされてもそれはそれで困ってしまうが。


「構いませんよ。お金儲けが目的じゃないんで」


 そう言って、店主は笑う。


「それより、お客さんたちはもうお帰りですか?」

「そのつもりだが……ひょっとして来た時同様に、ぐにゃりと?」

「ええ、基本的にテーブルがあった場所にお帰りいただきますね」

「そうか……しかし、今からまた極寒の地に戻るのかと思うと少し気が滅入るな」


 調子に乗っておかわりしまくった二人は、来店時と違って身体がポカポカとあたたまっている。また寒いところに戻りたくないな、という気持ちも多少あった。


「よければ、地上までお送りしましょうか」

「地上に? お前さん、転移を?」

「出来ますよ、別料金はいただきますけど」


 付け加えられた言葉に、まさか、とアデライドは邪推する。ここで高額な料金をせしめる為に食事代が安かったのではないかと。


「ち、ちなみにおいくらほどなのだろうか……?」

「そうですね、じゃあそちらのお客さんの刀か、もしくはあなたのお持ちのそれを」


 店主が指定したのは、リンドウの持つ細身の剣と、アデライドの持っている棍棒だった。

 要求されたのは金銭ではなく物品なのが意外だったが、どちらにしろアデライドの所有物ではない。ひょっとして高額な物ではとリンドウの顔をうかがうが、彼はむしろ怪訝そうに眉をひそめていた。


「何故こんなもんを欲しがる?」

「賄いに使うのに、ちょうどいいかと思いまして」

「……お前さん、変わっとるの」

「よく言われますね」


 それで納得したのか、リンドウがアデライドに目配せする。


(賄い……めん棒にでも使うのか?)


 疑問には思ったものの、おとなしく棍棒を渡す。もともと、これはリンドウのものだ。彼が構わないのなら、渡すのに異論はない。


「それでどう――――!?」


 どうやって地上に、といいかけた瞬間、彼女の視界が暗転した。世界がぐにゃりと歪むも、変化は一瞬で唐突に収まる。

 二、三度まばたきをすれば、まるで何事もなかったようにアデライドは普通に迷宮前の広場に立っていた。自身が迷宮に入る際にも通った場所だ。間違えようもなく地上である。

 幸いにも、入店の際に同じような体験をしていたので混乱は少ない。それでも驚きは隠せなかった。


「まるで狐に化かされたようじゃの。あの御仁、とんでもない術者じゃな」


 リンドウが感嘆の声をあげる。どうやら、彼も無事に転移されていたらしい。

 リンドウの姿を確認し、いくらか冷静になったアデライドは改めて彼へ感謝の念をのべる。


「また、リンドウ殿に助けられてしまったな」

「ん? 何の話じゃ」

「貴殿が貴重な道具を手放してくれたおかげで、二人とも無事に地上に帰還できたのだ」

「待て待て、何か勘違いしとるようじゃな。こちらでは珍しいかもしれんが、故郷では二束三文で売っとるわ」

「それでも私が助けられたことに変わりはない。何かお礼をさせてくれ!」

「またか。お前さん、意外と面倒くさい性格じゃのう」


 再び、女騎士に見つめられた鬼武者は困ったようにあたりを見回す。


「……そうじゃのう。なら、花見につきあってくれ」

「花見?」

「流石に桜はなかろうが、雪以外のもんを見て酒が呑みたい。炙った干し芋も食ってしまわんとな。団子か桜餅が欲しいとこじゃが、ま、贅沢は言うまい」

「また、謎の単語が……それに、あれだけスープを飲んだのにまだ入るのか」

「酒と甘味は別腹よ」


 そんな話をしながら、アデライドとリンドウは陽気に包まれた道を歩き出した。

 

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