F.M.Kへようこそ! ~不動高校魔法科学研究会~
だいぶ昔にPIXIVで上げたやつです。こっちでもお試しに。
6月の蒸し暑い放課後の事だ。
俺はとあるクラスメートに拉致られ、旧校舎のとある空き教室で、こんな妄言を聞かされていた。
「つまり歴史を動かす力というのは、モラトリアムの関心がどこに向かうかによるわけだよ」
得意げに両手を広げつつ、羽柴清彦は言った。不動高校1年4組。出席番号18番。身長175cm、体重57kg、ニヒルな笑みが(悪い意味で)良く似合う、雰囲気だけは落ち着いた眼鏡男子だ。
「つまりも何も全然分かんねーよ。結局何が言いたいわけ?」
俺は呪いのレリーフが描かれた珍妙なチラシをぱしっと叩きながら聞き返した。織田秋人、同じく1年4組。出席番号4番。身長173cm、体重64kg。人呼んで「横面の織田」。県内で剣道をやってる高校生なら大抵は知ってるだろう。悪い意味で。
「しょうがない奴だなキミは」
清彦はやれやれと肩をすくめた。この仕草とこいつ特有の笑顔のコンボはやたら癪に障る。次やったら一発殴っておこう。神に誓って。
「だからね、世の中を変えるほどの力というのは、生活の糧を得るために日々身を粉にして働く良識ある一般市民が、いくら束になっても持ち得ない物だと言っているんだ。人類の歴史というか、文明文化の発展というものは、そうした庶民の営みとはまったく切り離された、ほんの一握りの暇人の、妄言と奇行によって作り出される。そしてちょうど僕らは今、そのモラトリアムで貴重な時間の中にいるという訳さ」
「お前が重度の中二病患者だというのは今更説明してもらわんでも分かる」
俺は眉をしかめて言い捨てた。
「俺が問いたいのは、お前の言う〝歴史を動かす力〟とやらと、このチラシとの関連性だ」
そして再び、不吉な文様がギッシリ描かれたチラシをパシパシと叩く。そのチラシの、かろうじて人語だと分かる部分を抽出して読み上げると「不動高校魔法科学研究会 新規参入部員募集」なんて書き記してある。
「何を言うんだ。それこそが〝歴史を動かす力〟さ」
清彦は再度「やれやれ」と肩をすくめた。
ボカっ!
「痛っ!」
俺は何の躊躇もなく奴の脳天に拳骨を入れた。頭を抑え、見る見るうちに涙目になる清彦。
「何をするんだっ、いきなりっ!」
「いや、すまん。神に誓いを立てたもんでな。気にせずに続けてくれ」
さあ、と手を広げてみせる。無論、今後は一回毎に誓いを果たす所存だぞ、というアピールだ。
「キミの神は暴力を奨励するのかい?」
清彦は恨みがましい目を向けつつ頭をさすった。
「そんな信仰は今すぐ辞めてしまえと、友人として忠告しておくよ」
「思想信仰の自由は憲法で保証されてる筈だが?」
「キミの行いは刑法第204条及び208条に抵触する恐れがあると、重ねて忠告させてもらおう」
「そんなことはどうでもいい」
俺はイライラと机を指で数回叩いた。
「まあ百歩譲ってコレを部活と認めてやろう。認めてやったとして、ただのオカルト研究会でどうやって歴史を動かすつもりだ」
「断じてオカルトじゃない。〝魔法科学研究会〟だ。魔法や呪術といった不可思議な現象を科学的に解明しようという、崇高な理念に基づいた立派な……」
「そういうのをオカルトっていうんだ」
俺はぴしゃりと言い捨てた。既存の概念に固有名詞を付けて差別化したがるのは、中二病患者が煩う代表的な症状の一つだ。
「まったく違う!」
バンっと机と叩き、清彦はなおも食い下がる。ああもう、面倒臭い奴だな。
「まあとにかく」
俺は耳の穴をほじくりながら席を立った。
「そんなフザけた部活動に参加する気はない。他を当たれ」
「待ち給え、織田秋人!」
清彦はがばっと立ち上がり、びしぃっ、と俺を指差した。あーもう、ほんと面倒臭い奴だ。
「何だよ?」
ギロリと睨んでやる。清彦はまったく怯まず、キリっとした顔でこう言い放った。
「キミが居なければ、誰が真琴さんを誘うと言うんだッ!」
「さり気に人の姉をターゲットにしてんじゃねぇ!?」
俺は迷うことなく鉄拳を振るい、不埒な同級生をリノウムの床に沈めた。
○
校舎を出ると、むわっとした熱気が一瞬だけ俺を不快にさせた。一瞬だけだったのは、その後すぐに、笑顔で手を振るショートカットの美少女を発見したからだった。
「あっちゃん!」
嬉しそうに駆け寄ってくる彼女の名は、織田真琴。俺の姉だ。2年2組、出席番号2番。身体データ? 誰が教えるか。とにかく器量良し、性格良し、成績良しで家事万能、学年を超えて人気があるらしい。面白くない話だが、まあ清彦の奴が熱を上げるのも無理はない。ちなみにごく最近、俺とは血縁上従姉弟にあたる事が判明したが、戸籍上ではあくまで姉だ。それ以上、特に説明する事はない。
「んだよ、先帰ってろってメールしたろ?」
俺は不機嫌を装って言い捨てた。
「うん。もうちょっと遅かったら一人で帰ろうと思ってたよ。でも大して待ってないし、姉弟なんだから一緒に帰りたいじゃない」
真琴はにこっと笑って言った。腹が立つくらい可愛い。姉だけど。
「弟と一緒に帰りたがる姉なんて聞いたことねーよ」
「私がそうしたいんだからいーの!」
がしっと腕にしがみつかれる。ふにっとした感触で忘我の危機に追いやられた俺は、慌てて真琴を引き剥がした。
「暑苦しいんだよ。もう子供じゃねーんだからこういうのやめろよな」
俺は吐き捨てて、早足で歩き出した。もちろん照れ隠しだ。ったく、子供なのはどっちなんだか。
「あっちゃん最近冷たいよ~?」
真琴はすぐに俺の隣に並んだ。そして、それ以上咎める様子もなく、笑顔で語りかけてくる。
「今日は羽柴君と何の話してたの?」
「あ~? なんかあいつが変な部活作るんだと。誘われたから断った」
「変な部活って、もしかしてそのチラシ?」
と、真琴は俺がうちわ代わりに使っていた紙切れを指差す。何てこった、無意識に持ち帰っていたらしい。
「何でもねーよ」
俺はそれを丸めて投げ捨てた。が、真琴は恐るべき反応速度で空中キャッチし、広げて目を通し始めた。
「〝魔法科学研究会〟?『超常現象を科学的に解明しその真偽を追求する』って、何だか面白そうだね!」
真琴は目をキラキラさせた。
「そうね」
俺は適当に返事をした。これだからオカルトマニアは。だから見せたくなかったんだ。ってかあの珍妙な文様のどこにそんな文言が?
「いいじゃない。私も入るから、一緒にやってみよ?」
「断る。入りたきゃ一人で入りゃいいだろ」
「もお~。あっちゃんが一緒じゃないと意味ないでしょ?」
「どういう意味だよ?」
「どう、って。だってあっちゃん、剣道部辞めさせられてからつまらなさそうにしてるから……」
「またその話か」
俺は立ち止まって、思わず顔をしかめた。
「あ、違うの! その、ごめんなさい……」
しゅん、と真琴が俯く。あーもう、違う。怒ってない。怒ってないし、姉貴は何も悪くないし……。
「そこ、通してもらえないかしら?」
不意に第三者の声がして、俺と真琴は同時に飛びのいた。
そこに居たのはうちの制服を着た女子だった。リボンの色から察するに上級生のようだ。身長は160cm台半ば。腰まである綺麗な黒髪、出るとこ出てる見事なプロポーション、整った小顔、そしてぷっくりとした唇と大きな瞳。
つまり超美少女だった。
「ありがとう」
道を空けた事に対する礼なのか、彼女は微笑んで優雅に会釈をした。俺は見蕩れた。いや、間近でこんな美人を拝める日がこようとは。顔だけならうちの姉貴も負けてないとは思うが、まあ姉だし、ちんちくりんで胸が若干残念だからな。
「痛てっ!」
いきなり手の甲を抓り上げらた。見れば真琴が不機嫌に唇を尖らせ、こっちを睨んでいる。
黒髪ロングの美人はくすくすと笑い、再度会釈し、すっと俺たちの脇を通り過ぎようとした。
「あら?」
で、急に足を止め、真琴が手にした例のチラシに視線を固定した。
「これはあなたが描いたの?」
「いや。それは1―4の羽柴って奴が作ったんだ。俺は貰ってきただけ」
「そう」
美人は一瞬、底冷えのする顔をした。隣で真琴が「ビクっ」てなったのが分かる。が、一瞬だけだ。美人はすぐに笑顔に戻り、こう言った。
「良かったら、それ頂けないかしら?」
「あ、はい。どうぞ……」
真琴はおずおずとチラシを差し出す。美人は受け取って、丁寧にお辞儀をした。
「ありがとう。お邪魔をしたわね、それじゃあ」
美人はこれまた優雅に手を振り、歩き去った。いや、育ちも良さそうな美人だな。歩く後姿も実に絵になる。
「あんな人、うちの学校に居たんだな」
「知ってるよ、あの人。2年の松平千鶴さん。すっごいお金持ちのお嬢様なんだって。あっちゃんなんか絶対相手にして貰えないよ」
「へえ」
まあ名前からして金持ってそうだもんな。でもなんであんな珍妙なチラシに興味を? 金持ちと美人の考える事は良く分からん。金持ちで美人となれば尚更だ。
「ねね、あっちゃん。今日の夕飯何食べたい?」
いきなりに真琴は言う。
「んなの、姉貴の好きなの作ればいいんじゃない?」
「もーう! 名前で呼んでって言ってるじゃない」
ったく。そんな抗議する姉もアンタくらいだと思うぞ。
「〝あっちゃん〟って呼ぶの止めてくれたら考えてやるよ」
俺は定型化した台詞を返し、自嘲気味に笑った。
○
次の日もこれまた暑い一日だった。
誰か熱中症で倒れるじゃねーか? ってほどの熱気が教室の中にも充満してる。窓を全開にしても少しも風が入ってこない。
世の中には冷房の利いた教室で快適に授業を受けられるけしからん学校もあるらしい。これは明らかな機会の不平等ではないのか、文部科学省よ。
そんな中、何とか昼休みまでの四時間を戦いきった俺は、真琴がこしらえた弁当を幸せと共に噛み締め、米粒一つ残さず平らげた後、涼やかに過ごせる場所を探して校内を散策していた。
で、踊り場の掲示板に例の不可解な文様が描かれたチラシが貼り出してあるのを見つけた。
「何だ、清彦の奴わりかし本気だったんだな」
てっきり上手い事言って、真琴を誘うために言い出したんだと思っていたが、本気で新しい部活の創設を目論んでいるらしい。ったく、なおさら性質が悪い。
しかし見れば見るほど不気味なチラシだ。わが姉はどうやって、これからあんな大量の日本語を発掘したのだろうか。俺には気味の悪い模様にしか見えん。
「ちょっと、あなた」
チラシを見ていると、聞き覚えのある声がかかった。
振り返ると、昨日の美人が居た。確か、松平先輩、だっけか?
「何か?」
「1年4組、織田秋人くん?」
いきなり名前を呼ばれ動揺する。いつ自己紹介したっけ? ま、美人に名前を覚えてもらって、悪い気はしない。
「そうですけど、何か?」
再度問う。先輩の綺麗な眉間に皺が寄った。
「そのチラシ。勝手にこんな所に貼り出されると困るのだけれど」
俺も顔をしかめた。昨日は興味深々、って感じだったくせに。どういう風の吹き回しだ?
「昨日も言ったはずですが? これを作ったのは羽柴って奴で、俺は無関係です。気になるなら勝手に剥がしたらどうです?」
「この紙には、あなたの名前も書いてあるようだけど?」
松平先輩は手に持ったチラシの束を突きつけた。だからアンタらはそれからどうやって日本語を発掘してんだ。っていうか、もう撤去作業中でしたか。そりゃ失礼。
「知りませんよ。奴が勝手に書いたんだろ。とにかく俺は無関係だ。悪いね」
「待って!」
さっさと立ち去ろうとした俺の手を、松平先輩が「がし」と掴んだ。
いつも思うが、女の手ってのはどうしてこう柔らかいんだろうね。同じ人間とは思えん。
ま、美人に引き止められるってのはいいもんだ。こういう場面じゃなければな。
「放してくれませんか?」
俺はあからさまに怒気を含めて言った。先輩は「きゅっ」と唇を結び、鋭く睨む。真正面から受け止める俺。バチバチっ、と火花が散った。俺の脳内で。
「ふう」
と、いきなりに先輩は溜息を吐き、俺の手を放した。
「ごめんなさい。あなたが無関係なのは分かったわ、失礼を」
そしてぺこりと頭を下げた。えっ? ちょ、ちょっと……。
「いや、そんな。俺の方こそ、すいません」
俺はすっかり動揺し、慌てて深々と頭を下げ返した。うわっ、俺弱ぇ~。
頭上からくすくすと忍び笑いが聞こえる。
「そう。なら仲直りのしるしに、あなたにお願いがあるんだけど」
にこっと笑って、松平先輩は言った。何かがおかしい。俺、上手くやり込められてる?
「何すか?」
俺は苦虫を噛み潰したような気分で問い返した。
「このチラシ、一人で回収するのは骨が折れるの。あなたも、見かけたら剥がしておいて貰えないかしら。それと羽柴くんにも、掲示を止める様に伝えておいて」
「剥がすのは構わないけど、羽柴は俺が言って聞くような奴じゃありませんよ。先輩みたいな美人が直接言った方が効果あるんじゃないかな」
「あら」
松平先輩は嬉しそうに頬を緩めた。
「意外とプレイボーイなのね、織田秋人くん。考えておくわ。でも、あなたの方からもよろしくお願いね」
そして、昨日みたく優雅に手を振って去って行った。
プレイボーイ(笑)って……。美人って言ったことか? んなのただ事実を言っただけだし、散々言われ慣れてるだろうに。ま、美人の先輩に頭下げて「お願い」されたら、冴えない下級生男子としてはやらざるを得ないだろうよ。
「面倒臭ぇ~」
俺はぽりぽりと頭を掻きながらぼやいた。
○
「なんだって! なんて事だ、僕の昨日の苦労がッ!」
松平先輩の伝言を伝えるなり、羽柴清彦は大げさに頭を抱えてうずくまった。こいつ俺が帰った後一人でチラシを貼り回ってたのか。呆れるほどエネルギーの有り余った奴だな。
「というか、お前コレに俺の名前書いたろ? 勝手な事してんじゃねーよ」
どこに名前があるのかはさっぱりだが、一応文句は言っておく。途端に、清彦は目を見開いた。
「驚いたな。キミ、この文字が読めるのか」
「読めるのかってなんだよ。お前が書いたんだろうが」
自分で言ってりゃ世話ないな、と俺は苦笑する。
「いやね。確かに募集要項と活動内容の説明は、日本語を若干崩して周りの文様との整合性を取ったが。その、キミの名前を記すのに使ったのは日本語じゃないのさ。有体に言うと〝オレ語〟だ。この僕が自分で考えて作った文字だよ」
自分で考えた文字だあ?
こいつの中二病ってそこまで重症だったのか。って、松平先輩はどうやってそんなの解読したんだ?
「さすが僕が見込んだ男だ。やはりキミはわが魔法科学研究会に必要な人材だよ!」
清彦は俺の手を握って興奮気味に語り始めた。
「いや、それは俺じゃなくて……」
「よし! 二人で共に新しい明日を築こうじゃないか! まずは横暴な先輩の理不尽な要求への対抗策として、呆れるほど大量にチラシを貼りまくってやるんだ。そりゃもう、剥がすのも嫌になるほどそこかしこにさ!」
聞いちゃいねえ。それどころかとんでもないこと言い始めてるぞこの馬鹿。
「断る。つかよ、んな事したらお前、下手したら停学とか食らうぞ?」
「そんな物を恐れていたら歴史は動かせないよ」
肩をすくめて笑う清彦。
思わず誓いを果たしそうになり、俺は歯を食いしばってこらえた。教室内では人の目もある。特に女子の目が怖い。この馬鹿は見てくれだけは良いから、この場で殴ろうもんなら猛烈な反感を買うだろう。
俺は勤めて冷静に説得を試みた。
「なあ清彦。いい加減大人になれよ。歴史だなんだ、無駄にでっかい事ばっか言ってないでさ。世界ってのは、俺らが思ってるよりデカイんだ。学生風情が何したってビクともしねーよ。精々平々凡々と日々穏やかに、適当に過ごしてりゃ、それでいいじゃねーか」
「つまらない事を言うんだな、織田秋人」
清彦の表情からムカつく笑みが消えた。何かこれまで見た事のない、真剣な表情をしている。
「本当にそれがキミの本心か? 僕にはそうは思えない。春の新人大会で、真琴さんを侮辱した他校の剣士に、反則紛いの制裁を加えたキミの言葉だとはね」
「てめえ」
俺は清彦の胸倉を掴んだ。途端に、周囲の喧騒が止んだのが分かる。清彦はまったく怯まずに言葉を続けた。
「長い付き合いだ。キミがどれだけ真剣に剣道に打ち込んできたかも知っているし、キミが自分を見失って凶行に及ぶ人間じゃない事も知っている。キミはこうなると分かっていながら制裁を加えたんだ。真琴さんへの愛うえにだ」
「いい加減黙れ、ブン殴るぞ」
「好きにし給え。でもこれだけは言っておくぞ。キミの行動は少なくとも僕という一人の男の心を動かした。60億分の一に過ぎないが、僕だって立派な世界の一部さ。キミはそれを大きく突き動かしたんだ」
清彦はそっと俺の手を掴んだ。俺の手は力なく、奴の縛めを解く。
「キミは今、本気になって打ち込める物を失っているだけだ。キミの本気は僕を動かした。それなら、キミと僕の二人なら? もっと増えて、十人なら? 百、いや一万人ならどうだ? 秋人。僕はね、世界っていうのは、実は僕たちが思っているよりもずっと小さいような気がするんだ。僕たちが束になって、本気でかかれば、案外簡単に動かせるほどにはね」
清彦が語り終えた瞬間、盛大な歓声と拍手が沸き起こった。アホかおまえら、こんな馬鹿の詭弁に拍手なんか送ってんじゃねえ!
「言いたい事は分かった。でもな、おまえがやろうとしている事には賛同できんし、協力もせん。やるなら勝手にやれ」
「そうか。キミが駄目なら真琴さんに手伝って貰うとしよう」
清彦はすたすたと教室を出て行こうとした。ちょっ。それはマズいって、止めて! うちの姉貴が聞いたらやるに決まってるから! あの人本当に馬鹿なんだから!
「待て待て、分かった。手伝ってやるから、姉貴を巻き込むのは止めろ」
清彦はにやあ、っと頬を吊り上げた。
「キミならそう言ってくれると信じていたよ」
勝ち誇ったような笑みを浮かべながら、奴は俺の手をがっちりと掴み、無理やり握手した。何て奴だ。分かっちゃいたが……くそっ!
俺の感動を返せ!
○
で、放課後も放課後。時刻は午後8時を回っている。
俺と清彦は人気の失せた夜の学校に忍び込んでいた。いろいろと話し合った結果、夜のうちに済ませるのが一番いいだろう、って事になったからだ。
「本当にそこかしこに貼り回るのは、さすがに現実的じゃないから」
清彦は切り出した。さすがにそこは気付いていてくれたか。有難いっていうか、不幸中の幸いっていうか。
「貼り出すポイントを絞り込んできたんだ。赤い点は僕が担当するから、キミにはこの青い点の部分をお願いしたい」
と、差し出された冊子を受け取る。校内の見取り図のようだ。なるほどな、よく出来てて分かり易い。俺の担当は主に東側になるらしい――ってか、校舎の外とか、敷地の塀にまで点が打ってあるのは何故だ? まあ俺の担当じゃないからいいけど。
さて、と。清彦と分かれた俺は校舎の中へと侵入した。方法は秘密だ。生徒の間じゃ公然の秘密ってやつだが。
しんと静まり返った校舎内を歩き回り、廊下や踊り場の掲示板、格教室の隅など、指定通りにチラシを貼っていく。夜の校舎は不気味だが、この歳にもなってビビったりはしない。さすがに女子トイレの中に貼りに行った時は、別の意味でドキドキしたが。
「これで終わり、と」
担当分の最後の一枚を空き教室の隅に貼り終え「んーっ」と背伸びをする。こんなとこに貼って何の意味があんのかね。しっかし、結構時間がかかったな。そろそろ九時を回ろうかという所だ。
ふと窓から外を見る。月明かりに照らされ、校庭の様子が良く見えた。
ん?
校庭に人影がある。清彦の奴だ。それともう一人、女子……か?
「って、姉貴!?」
俺は慌てて校舎を飛び出し、校庭へ向かって駆けた。何やってんだアイツはっ!
「あっちゃん!」
俺の姿を見止めると、真琴は嬉しそうに手を振った。
「やあ秋人。首尾はどうだい?」
清彦の奴はすっかり緩みまくった顔をしている。
俺は息を整えてから、奴の胸倉をむずと掴んだ。
「姉貴を巻き込むんじゃねえってあれほど……!」
「ま、待て! 別に僕が巻き込んだ訳じゃ……」
「ちょっとあっちゃん。駄目じゃない、友達にそんなことしちゃ」
真琴が止めに入った。
「私が勝手に来ただけなの。だってあっちゃんメールしても返事ないし、電話しても通じないし。心配になったから。大体さ、『忘れ物取りに行くだけ』なんて言って。こんな面白そうな事するんなら私も誘ってよね!」
あ、そう。着信音切ってたからな。つかもう、ほんとこの姉は……。
「はあ。まあとにかく、俺の分は終わったぞ」
「そうか、ご苦労様。僕の方はまだ少し残ってるから……」
「あいよ。んじゃ先に帰らせてもらうぞ」
俺は真琴の手を取った。
「えー、羽柴くんを手伝って行こうよ~?」
「手伝わんでいい。さっさと帰るぞ」
「僕は大丈夫だから。真琴さん、今日はありがとう。気をつけて帰ってね」
清彦は微笑んで俺たちを見送った。いつもと全然違うさわやかさに舌打ちし、真琴の手を引いて早々にその場を後にした。
「ねー、あっちゃん」
帰り道で、真琴は唐突に言った。
「羽柴くんって面白くて良い子だよね。それにカッコいいし」
なっ!?
俺は鈍器で頭を殴られたような衝撃を受けた。畜生あの馬鹿、うちの姉貴に何を吹き込みやがった?
「騙されてんだよ。あいつの本性はそりゃもう最悪だぞ?」
吐き捨てるように教えてやる。真琴はじとーっと俺を見つめていたかと思うと、急ににんまりと笑ってこう言った。
「あっちゃん。もしかしてヤキモチ妬いてる?」
俺はカーっと顔が熱くなるのを感じた。
「誰が妬くかっ!」
「照れちゃってカワイイ♪」
真琴はにやけた笑みを崩さず、つんつんと俺の横腹をつついてきた。っあーもう、面倒臭え!
俺は真琴の手を払いのけ、怒鳴った。
「気色悪い事いってんじゃねーよ! 俺はアンタの弟だ!」
途端にしん、と空気が沈んだ気がした。そのまま、しばし沈黙の時間が過ぎる。
「そっか」
真琴はぼそりと呟いた。月明かりに照らされた表情には何の感情も浮かんでない。心なしか、少し青ざめているように見える。
「そうだよね。私、お姉ちゃんだもんね。分かってたはずなのに……あはは、いつのまに勘違いしてたんだろ……」
すーっと、真琴の頬を光る物が伝った。
「え? ちょ、姉貴?」
「触らないで!」
思わず伸ばした手を勢い良く払われる。明らかな涙声だった。それから、真琴は涙でぐしゃぐしゃになった悲痛な顔で俺を一瞥し、くるりと踵を返した。
「帰る」
「おい、待てって」
と、その時だ。
ドーン! と何か恐ろしく低い音が響き渡り、周囲の空気を振るわせた。振り返れば、うっすらと青白い光の柱のような物が、天に向かって立ち上っているのが見えた。っていうか、あれって学校の方じゃねーか?
「あっちゃん、アレ……」
震える声で真琴が言った。くっ……まさかとは思うが。
「先に帰ってろ」
言い捨てて、俺は駆け出した。
光の柱は徐々に小さくなっていく。それとともに、嫌な予感がどんどん大きくなっていく。何か尋常じゃない事態が起こっている。ほぼ確信に近い思いで、俺は舌打ちした。
おい、馬鹿野郎。テメエにゃまだ言いたい事が山ほど残ってんだ。何かあったら承知しねえからな?
○
校庭に辿り着いた頃には、光の柱のようなものはすっかり消え失せていた。しかし、その代わりに異様な光景が目に付いた。
校内のあちこちで、薄気味悪い、赤黒い光が煌々と灯っているのだ。
それを良く見れば、俺たちが貼って回ったチラシだったのが分かった。あの不吉な文様が、まるで趣味の悪い蛍光灯みたいな光を放っている。
「何だってんだ、一体?」
嫌な予感がさらに強まる。俺は急いで清彦の姿を探した。
そして、校庭の片隅でぼけーっと突っ立っている奴を発見した。
「清彦、お前……」
無事か? 何があった? 喉まで出掛かった言葉を、俺は呑み込んだ。目の前の男が、こちらを一瞥し、これまで見た事もないような薄気味悪い笑みを浮かべたからだ。
「やあ秋人。見たかい? ククク……素晴らしいよね。実に素晴らしい。とても善い気分だ」
清彦は大仰に胸をそらし、額に手を当てて笑った。嫌な予感がどんどん膨れ上がっていく。
「何言ってんだお前。ついにおかしくなっちまったのか?」
「おかしい? ククク……そうかも知れないね。僕は変わってしまった。でも、あるいは元に戻ったと言うべきかも知れないよ。今の今までまったく知らなかったが、これこそが本来、僕の在るべき姿だったと言う訳さ」
在るべき姿だと? どっから見てもさっきと同じ、ただの私服姿の高校生じゃねーか。
「中二病ゴッコなら、もうちょっと笑える台詞を吐いたらどうだ?」
「生憎ユーモアのセンスには自信がないんだ。でも、もっと面白い物を見せてあげよう。例えば、こんなのはどうだい?」
と、清彦は無造作に右手を振るった。
ドォオンっ!
途端に轟音が響き渡り、地面が揺れた。校庭の中心で大量の土砂と爆煙が巻き上がる。
「なっ……!」
俺は絶句した。何だ? 何が起こっている?
「ククク……アーハッハッハッハ!」
清彦は不吉な高笑いを発した。
「善い顔だよ、秋人! 驚いたろう? これが今の僕の力さ!」
砂塵の晴れた校庭に、月明かりに照らされ、砲撃でも受けたかのような大穴が浮かび上がった。
「面白いだろう? 僕はたった一人でも世界を動かせる力を手にしてしまった! ククク……これが笑わずにいられるかい? アーハッハッハ!」
まるで現実感のない映像と、不気味な高笑いの中、俺は混乱する頭で必死に考えていた。何だこれは? 夢か? だとしたらいつから? 俺はいつからこんな馬鹿げた夢を見ていた?
「さて、僕はこの力をどう使うべきだろう? やはり僕としては、何か象徴的な建物を盛大に破壊し、世に知らしめるべきだと思うんだ。僕という新しい神の降臨を」
なおも呆然自失を続ける俺の元に、清彦がゆっくりと近づいてくる。
「キミはどう思う? 意見を聞かせてくれ」
「俺の意見だと……?」
こんな馬鹿げた夢に意見もクソもあるか。いつまで寝てるんだ、さっさと目覚めろ、俺!
「ふむ……? どうやらキミは、これを夢だと勘違いしているようだね」
清彦がさっと手を上げる。
「つまらないな」
そして振り払った。
瞬間、大きく視界が揺らいだ。同時に、凄まじい衝撃。
続いて、不自然な浮遊感。
ドンっ!
そして再び、全身に衝撃。
「ぐ……は……っ!」
全身に激痛が走る。吹っ飛ばされ、地面に叩きつけられたらしい。身体がきしむ。何が起こった? さっぱり分からない。だが、この痛みと苦しさは本物だ。
「くっ……このっ、テメエ……!」
俺は息も絶え絶えに呻いた。清彦が不安げに表情を曇らせる。
「すまない、少しやりすぎてしまったようだ。まだ力の加減が巧くいかなくてね。だがこれで……ぐっ!」
突然、清彦は頭を抑えて後ずさった。おいおい、今度は何だってんだ。何やら苦しげに息を吐く奴の周りで、不自然に砂塵が舞い始めた。そして、周囲に凍えるような冷気が充満し始める。ヤバイ。さっきまでとは比べ物にならないくらいヤバイ感じがする!
「あっちゃんっ!?」
その時悲鳴が上がった。な! 真琴? くそ、何で来た?
「ダメだ、こっち来るな! 逃げろ!」
すぐさま怒鳴る。しかし、真琴はすぐに駆け寄ってきて、俺を庇うように清彦との間に割って入った。
「羽柴くん、あなたがやったの? うちの弟に酷い事したら許さないから!」
くそ、こんな時に何言ってんだ! 俺は歯を食いしばり、精一杯のやせ我慢で立ち上がった。
「来るなって言ったろ? いいから早く逃げろ!」
「そんな事……っ」
「ぐぎぎああああアアアア!」
いきなり、清彦が奇声を上げた。唖然とそれを見守る俺と真琴。眼前で、うずくまった清彦の身体が、ぼこぼこと妙な音を立てながら盛り上っていった。
それは異様な光景だった。細身だった奴の身体が、身に着けたシャツを引き裂きながら見る見るうちに膨張していき、仕舞いには、不気味に黒光りする巨漢へと姿を変えていた。
「き、清彦……!」
変わり果てた同級生の姿に、俺は絶句した。清彦は、いや、清彦だったものは、頭をひとつ振り、それから、すっかり面影を失った口元をくいっと吊り上げた。笑ってんのか? と思った瞬間、奴が右腕を一振りした。
みしっ。
嫌な音がして、真琴の華奢な身体が弾き飛んだ。
性質の悪いスローモーション画像でも見ているようだった。宙を舞い、地面に激突し、砂塵を巻き上げて転がり回り。
そしてそのまま、動かなくなった。
「うおおおおおおおっ!」
俺は雄叫びを上げながら、眼前の化け物に突進した。
渾身の力を込めて拳を振るう。が、俺の拳は化け物の身体に届く前にピタリと止まり、ぴくりとも動かせなくなった。
「なっ!?」
驚く暇もなく、全身に強い衝撃。
俺はまたしても見えない力に吹っ飛ばされた。四肢が千切れ飛ぶような激痛で、一瞬意識が遠のく。地面に這い蹲りながら、俺は必死で痛みに耐えた。やってられるか。こんな馬鹿げた展開、認められるか……!
霞む視界の中で、化け物がこっちに向けて手をかざしたのが見えた。そしてまるで蜃気楼のように、周囲の景色が歪み始める。続いて「ブォオン」と音を立てて、周囲の空気が赤黒く染まっていく。
戦慄。何かが来る。俺という存在を消し飛ばすような何かだ。逃げなくては、と思う。だが指一本だって動かせない。
(真琴……っ!)
俺はせめて姉の無事を祈り、ぎゅっと目を瞑った。
パシィイイイン!
何か渇いた音が響き渡った。
確かに残る五体の感覚。恐る恐る目を開ける。そこに――。
「何とか間に合ったみたいね」
凛として立つ、美人の先輩の姿があった。
○
神社仏閣で販売されているようなお札が四方に浮遊し、美人の眼前で、赤黒くうねる波動を防いでいる。結界、と言う奴か?
「魔音紋でこんな巨大な魔法陣を敷くなんて。厄介な事をしてくれたものね」
松平千鶴先輩は忌々しげに吐き捨てた。艶やかな黒髪をポニーテールに纏め、幾何学的な模様が刺繍された奇妙なデザインのジャケットに、長い脚を惜しげもなく露出したホットパンツという格好で、お嬢様然としていた制服姿とは一味違った魅力をかもし出している。
で、その形の良い尻を見せ付けるように、俺の前で仁王立ちになり、右手を前方にかざしている。左手には、やはり奇妙な文様がびっしり記された白木の木刀を手にしている。
「魔音紋? なんだそりゃ?」
場違いにも先輩の姿に見蕩れながら、俺は疑問を発する。
「力のある魂に刻まれた、特有の印の事。まったく、同じ学校に魔法使いがいるってだけで驚いたのに、よりにもよって〝神祖〟だなんて。しかも彼の魔音紋が示す霊格は魔神王ヴァルナ。かつてアスラとデーヴァの双方を統べたとも言われるインドの古代神よ」
早口で告げる先輩。魔法使い? 神祖? 霊格? つかこの人も何者なんだ? 駄目だ、もう完全に俺の理解を超えている。
呆然とする俺をちらりと一瞥して、松平先輩は言った。
「聞いて、秋人くん。私のような一介の占い師の結界じゃ、そう長くは持たない。今の羽柴くんは、意図せずに喚んでしまった異界の悪魔に支配されようとしている。召喚用の魔法陣の力で何とか踏みとどまっているけれど、それも時間の問題。あの悪魔が完全に羽柴くんの力と身体を乗っ取った時、恐らく世界は終わってしまうわ。そうなる前に、悪魔を羽柴くんの身体から引き剥がすの」
そして、白木の木刀を投げてよこした。
「須弥山の霊木から切り出し、反多元層結界の呪印を施した〝練気の剣〟よ。これで彼の頭部に、昏倒するほどの一撃を浴びせて頂戴。私が一度だけ、全力でこの波動を押し返すわ。チャンスはその一度きり。出来るわね?」
「ちょっと待てよ! いきなり過ぎて訳分かんねえ! んな事俺にできるわけ……」
「あなたがやらなければ、お姉さんも死んでしまうのよ!」
先輩は怒鳴った。視界の端に、倒れ伏せたままの真琴の姿が映った。
そうだよ、あの野郎。
うちの姉貴にあんな事しやがって。神だ? 悪魔だ? 知った事か。一発ブン殴ってやらないと気が済まん。
俺は木刀を拾い上げ、震える脚を叱咤しながら立ち上がった。ずしりとした、重量感ある木刀を正眼に構えると、不思議と心が落ち着き、どんどん感覚が研ぎ澄まされていく感じがした。
「いいぜ、先輩。やってくれ」
俺は言った。先輩はこちらを見てニヤリと笑うと、彼女の声とは思えないほど迫力のある低音で、何事かを朗々と詠唱し始めた。
すると、ゴォオっと暴風が吹き荒れたような音がして、赤黒い波動が一気に切り開かれていく。そして清彦魔神との間に、うっすら光る道筋が浮かび上がる。
「今よ、秋人くん!」
「おうっ!」
俺は剣を構えて、一直線に突進した。
だが。
いきなり、化け物が高く跳躍した。
「くっ!?」
すぐさま目で追い、頭上を見上げる。が、姿が見えない。見失った?
ズン、と背後で地鳴りがした。
続いて、小さな悲鳴と鈍い音が同時に耳に届く。
振り返ると、先輩の身体がこちらに向かって吹っ飛んでくる所だった。
慌てて構えを解き、何とか彼女の身体を抱き止めたが、当たり前のように一緒に吹き飛ばされた。
俺は先輩の身体を庇いながら受身を取り、二人分の衝撃を背中で受け止めた。
「ぐはっ!」
一瞬呼吸が止まる。全身が痺れて意識が遠のくが、呑気に気絶している場合じゃない。俺はかぶりを振って意識をつなぎ止め、先輩を抱き起こした。
「おい、しっかりしろって!」
軽く頬を叩く。その顔は驚くほど蒼白で、苦しげに歪んでいる。
俺は焦った。勘弁してくれ、アンタだけが頼りなんだ。先輩はうっすらと目を開け、震える手を俺の肩に伸ばし、力なく掴んで、言った。
「ごめ……んなさい、あきとくん……に、げて……お姉さんと、一緒に……」
息も絶え絶えのか細い声が漏れた。そして、先輩の手がだらりと力なく下ろされた。
途端に、俺は全身がカーっと熱くなっていくのを感じた。
今更逃げろって? アンタを置いて? 馬鹿にすんのもいい加減にしやがれ!
俺は気を失った彼女の身体をそっと地面に横たえ、立ち上がって再び木刀を構えた。
周囲を見渡す。清彦魔神は、周囲の景色を蜃気楼のように揺らしながら、ゆっくりと真琴の方に近付いていった。意識を取り戻したのか、姉はうつ伏せに首をもたげ、呆然と化け物を見上げていた。
「俺の真琴に手ぇ出すんじゃねえっ!」
怒鳴って、俺は三度化け物に向かって突進した。
化け物がゆらりと俺の方を向く。
そして大きく口を空ける。ビリッ、といきなりに口が耳元まで避け、むき出しになった喉元に不気味な光が灯った。そしてそれがどんどん大きくなっていく。
どん、と轟音が鳴り響き、青白い巨大な光弾が、俺に向かってまっすぐに発射された。
「うおおおおお!」
俺はやけくそ気味に木刀を上段に構えた。一瞬、不思議な感覚が刀身から伝わってくる。柄に手がぴったりと吸い付き、剣と一体になるような感覚。不意に手に伝わる重さが消えた。
そして俺は、向かってくる光弾目掛けて木刀を振り下ろした。
大気が震えた。
何時の間にか、刀身はまばゆい光に包まれていた。そしてその光の刃は、光弾をいとも容易く相殺した。
俺はその光景に一瞬だけ狼狽したが、駆け出した足はもう止まらない。一気に間合いを詰め、魔神を射程に収める。
魔神がさせじと腕を振り下ろす。頭上から、鋭い面が降ってくるような感じ。
最後の試合に似ていた。
俺はその一撃をくるりと身体を回して躱し、その回転の勢いのまま、えぐる様な横面を放った。
パリン、と何かが割れる音がした。
そして確かな手ごたえが俺の両手に伝わった。俺の渾身の横面をこめかみに食らって、化け物は糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。
○
しん、と静まり返った夜の校庭に、ただ荒い息だけが聞こえる。
もちろん俺自身のものだ。さっきまでの馬鹿げた光景はもうない。眼前でのびているのは、服がぼろぼろに破けて半裸だとはいえ、確かに俺の良く知っている同級生だった。真琴も再び気を失ったらしい。二人とも確かに胸が上下しているのを確認し、俺はほっと胸をなでおろした。
しっかし、さっきのは一体何だったんだ? 手に持った木刀には確かな重量感があり、何の光も放っていない。ただの白木の木刀だ。
「錬気の剣は稀に持ち主を選ぶ、と聞いたことがあるわ」
不意に背中から声がかかる。見ると、先輩が足を引きずるようにして近寄ってくる。
「先輩!」
俺は慌てて駆け寄る。肩を貸そうとすると、彼女は一瞬だけ躊躇したが、「ありがとう」と微笑んで俺に掴まった。その笑顔と柔らかい感触に俺はどきりとする。……まあ、このくらいの役得はあっていいだろう。
「その剣はさしあげるわ。というか、それはあなたの物よ。実際にこの目で見るのは初めてだけど、あなたはその剣に選ばれたの。肌身離さず大事にしてあげてね」
「はあ……」
俺は気のない返事をした。現代社会で木刀を肌身離さずって……そりゃ異常者になれって言ってるようなもんだ。しかしまあ、こうも異常な状況に晒されると、そんな事もどうでもよくなってくる。ああ、とにかく生きてて良かった。
なんて思っていると、いきなりに校庭に装甲車みたいなのが乗り上げてきた。
そして中から、物々しい装備の男たちが次々と飛び出してくる。俺がすっかり慌てふためいていると、
「大丈夫。あの人たちは仲間よ。後始末をしてくれるの」
と先輩が説明してくれた。
やがて校庭が強烈な照明で照らされ、「後始末」が始まる。
担架を持ち出し、清彦と真琴を運び出そうとする奴らもいた。俺は思わず声を荒げて抗議したが、「手当てするだけだから」と先輩になだめられた。
「結局」
運ばれていく清彦を見ながら、俺は尋ねた。
「あいつは何者なんだ?」
「〝神祖〟と呼ばれる魔法使いよ」
先輩は答える。
「普通、魔法使いは信仰や呪いや、特殊な修行・儀式・契約等で力を得るの。でも稀に生まれつき、何の制約もなしに魔法が使える人間もいる。〝神祖〟はその中でも、神々に起因する魔音紋を持つ強力な存在。〝魔王〟と言い換えてもいいわ」
「魔王ねえ……」
俺は苦笑する。やたら尊大だったり、ぶっとんだ思考なのはそれが原因だったのかも知れない。
「あいつはこれからどうなる?」
「どうもならないわ。危険だから、魔音紋は封印させてもらうけれど。またこんな大規模召喚魔法でも使われたら大変だから」
そう言って、今度は先輩が苦笑いした。あいつはこうなると分かっていてチラシを貼ったのだろうか? いや、どうだろうな。多分「どうせ貼るなら面白い配置にしてみよう」なんて考えた結果、召喚用の魔法陣とやらになったんだろうな。んで、変な悪魔を呼び出してしまった、と。ったく、どこまでも傍迷惑な奴だ。
で。
「つまり先輩は何者なんです?」
俺は一番気になっていた事を尋ねる事にした。聞いちゃいけないような気もしたが、毒を食らわば皿まで、ってやつだ。
「つまり、私も魔法使いよ」
先輩は微笑んで答えた。
「代々そういう家系なの。陰陽道や大陸呪術が起源らしいわ。いつもはお呪いとか御祓いみたいな事をやっている家だけど、今日は国家権力のお手伝いで出向しているというわけ」
国家権力ねえ。んじゃこの、後片付けをしてる人らは公務員なのか。
「本当はね」
松平先輩は言う。
「外部からの爆撃でこの学校ごと吹き飛ばす予定だったの。魔法陣は強力で解呪する暇はなかったし、陣内に火器を持ち込むのも危険すぎた。それくらいの緊急事態だったのよ。でも、あなたのお陰でこうして無事に事態を収拾できたわ。まあ、元々はあなたたちのせいなんだから、お礼を言うのもどうかと思うけど」
「……申し訳ありませんね」
憮然と返しながら、ふと思いつく。んじゃ何も、先輩がわざわざ危険を冒す必要なんてなかったんじゃないか?
――きっとこの人は〝世界〟じゃなくて、俺たちを助けに来てくれたんだろう。なんつーか、文句を言う筋合いは微塵もないな。
「ありがとうございます、先輩。少なくとも俺たちはあなたのお陰で助かりましたよ」
俺は言った。先輩はくすりと笑った。
「それじゃあ、私もお礼を言わなければね。本当にありがとう、勇者様」
「勇者様、って……」
俺は苦笑した。
「あら、不満? 魔王を倒したのだから、そう呼ぶのが適切じゃないかしら」
「んじゃ、お姫様から何かご褒美でもあるんですか?」
「お姫様って、私の事?」
「他に誰が?」
俺は即答した。っていうか、そもそも勇者とかいう振りがもう冗談なんだから、冗談を冗談で返した程度のつもりだった。
すると、松平先輩は不意に悪戯っぽく笑った。また何か冗談を思いついたんだろう。
「じゃあ、少しあっちを向いてもらえるかしら?」
ん? と思いながら俺は指差された方に顔を向ける。
ちゅっ。
いきなり頬に柔らかな感触。俺は慌てて振り返った。
松平先輩は、唇に指を当てて、照れたように笑っていた。
○
それから数日が過ぎた。
清彦の奴は2、3日は頭に包帯を巻いていたが、それほど大きな怪我ではなかったらしく、すぐに回復した。ただ俺がほんの少しだけ期待した、ショック療法の効果はまるでなかった。奴は相変わらず中二病だったし、例の「魔法科学研究会」創設もまったく諦めていないようだ。まあ、清彦の「魔音紋」とやらは封印されたそうだし、あの夜の事は、まったく記憶がないわけではないようだが、ただの夢だと理解しているらしい。なんだかんだで現実的な思考はちゃんと持ち合わせてる奴だ。ほっといても大丈夫だろう、と俺は考えている。
それよりも問題なのは真琴の方だ。
彼女はあの夜の事をまったく憶えていないらしいが、あれ以来なぜかすこぶる機嫌がいい。理由を聞くと「とても幸せな夢を見たから」らしいが、その内容については「秘密」との事で少しも教えてくれない。別にそれはいいんだが、最近はすっかり清彦と意気投合し、日々魔法科学研究会創設に向けて無駄な精力を注ぎ込んでいる。新しい部員募集のチラシも、真琴がデザインした物だったりする。
姉がこうまでやる気なのだから、当然、俺もすっかり巻き込まれてしまっている訳で。
「部員全然集まらないね~。このチラシ良い出来だと思ったんだけどな~」
清彦が勝手に部室に定めてしまった旧校舎の空き教室で、机の上につっぷし、真琴は自らがデザインしたチラシを眺めている。
「チラシがどんな出来だろうが、怪しい事に変わりはないからな」
俺は言った。弟のひいき目だが、確かに新チラシのデザインはいい。青を貴重として突き抜けるような透明感が出ているし、募集要項も軽快で表現が柔らかく、温かみのあるフォントで読みやすい。見出しにはどでかく「F.M.K.」と記されていて、パっと見インパクトはある。「不」動高校「魔」法科学「研」究会の略称だそうだ。まあ、FM熊本もただの高校の部活に苦情は出すまい。
「秋人。キミはまだ我がFMKの崇高な理念を理解していないようだね」
「そーよそーよ。まったくいつもノリが悪いんだから」
部長と副部長がそろって非国民を見るような視線を投げかけてきた。部として成立していない集団で、すでに役職が決まっているのもおかしな話だ。
「まあ、人が集まらないのは事実だしな。お前らの崇高な理念なんてこの程度のもんなんだよ」
俺は鼻を鳴らしてやる。つか、付き合ってやってるだけで感謝してもらいたいもんだ。
「あっちゃんがそういう風にやる気ないから、人が来ないんだよ。決めた! あっちゃんは今日の放課後までに必ず一人連れてくること。部長命令だからね!」
年功序列で部長に就任したばかりの姉が無体なことを言う。今すでに放課後なんですけど。今すぐって事? それとも明日と今日を言い間違えたのか?
俺がどうやって突っ込もうかと悩んでいると、突然ガラっと戸が開いて、誰かが入ってきた。抜群のプロポーションに、長く綺麗な黒髪、そして女神も羨むような容姿。
「松平先輩!」
俺は思わず声を上げた。清彦が警戒に顔をしかめる。ま、一度チラシの件で苦情来てるからな。だが、真琴まで表情を固くしてるのはなぜだ?
「何か御用でしょうか?」
清彦が言った。松平先輩は無言でずんずんと近寄ってくると、清彦に何か紙切れを手渡した。
入部届けだった。
「面白そうだから参加させてもらいたいのだけれど」
松平先輩は柔らかに微笑む。清彦と真琴は顔を見合わせ、ぱあっと明るい表情になった。
「ちょっと、先輩。どういうつもりなんですか?」」
俺は彼女に顔を寄せ、小声で囁いた。
先輩も俺の耳元に口を寄せて囁く。
「また羽柴くんに何かあったら困るでしょう? 封印も完全なものじゃないし、厄介な事をしでかさない様に見張っておかないと。もちろん、あなたも手伝ってくれるわよね?」
そして、にこっと微笑む。何てことだ。どうやら俺の日常が戻るのは当分先の話らしい。
「ぐわっ!」
いきなり手を抓られて、俺は悲鳴を上げた。見れば真琴が唇を尖らせ、こっちを睨んでいる。先輩がそれを見てくすくすと笑った。なんだってんだ、くそうっ!
「もちろん歓迎しますよ、松平先輩。F.M.K.へようこそ!」
清彦は先輩に手を差し出し、目映いばかりの笑みでそう言ったのだった。
≪おしまい≫