天国へ向けて廻る監獄
子どもの足で走るのは、やはり難儀だった。
だが、そうも言ってられない。
既に探索者達は全滅も時間の問題で。もう一人いる外部の幽霊? らしき人もよくわからない。だから、さっさと雄一達を見つけ出して、ここからお暇するつもりだったのだ。
けど……。
「……なんだよ、あれ……!」
観覧車にたどり着いた時、僕は思わずそんな声を上げてしまう。
そこで僕は今更ながら、見通しが甘かった。そう痛感する事となる。
そもそも、瑞希さんや、正幸さんなど、普通に話してしまっていたから忘れがちになっていたのだ。ここは凄まじいくらいに悪い気配に満ち満ちていたということを。
彼ら彼女らは、確かに理不尽な死を迎えていたのかもしれない。ましてや動機が真実を表向きにするという、プラスなイメージを帯びているのも認めよう。
だが。それでも本質は、何らかの恨みを糧に動き、生者を巻き込んでいる。
これはまぎれもなく、悪霊であるという絶対的な証明なのだ。
「……ねぇ、辰。これは……その。幾らなんでも助けるのは無理よ……」
傍らにいるメリーが、おずおずと。痛みを堪えるように僕に話しかける。
僕はそれに答えることが出来ず、唇を噛み締めた。
近くで見る観覧車は……明らかに異様な形をしているのが見て取れる。
ゆっくりと動くそこは、明らかに乗り降り場が取り付けられておらず。そして……。血で赤黒く染まったゴンドラ一つ一つの中には、文字通り肉団子にされた人間の顔や手足が鮨詰め状態にされていたのだ。
『助けて……』
『痛いよ……』
『誰か……出して……』
か細い哀しげな声が、観覧車が動き、軋むような音をさせる度に聞こえてくる。エコーするかのように、何十も重ねられた嘆きの群れの何処かには雄一のもあるんだろう。だが、当然ながらどれが雄一なのかは全くわからなかった。
手形だらけの観覧車の中から、幾つもの顔が酸素を求め、醜く口をパクつかせている。それを見た時、僕らは思わず身震いしながら、視線を下に下げた。
自分達の影法師と、子どもの手が見える。
もしかしたら、僕の〝干渉〟ならば何とか出来るのかもしれない。
メリーがお化けレーダー。幻視を有しているならば、僕にはこれがある。
幽霊に触れて、かかわり。受け入れ、時にねじ曲げる。つまり幽霊の理ことわりにちょっかいをかけられるのである。
例えば、霊を成仏させたり。
姿を謀っている幽霊なら、その化けの皮を剥ぎ。
霊的な領域ならば侵入もお手の物。
他にも一時的にならば他者に働きかけ、幽霊が見えるようにすることすら可能とするなど、その幅は広い。
だが、勿論どれもこれもノーリスクで行える訳ではない。幼くなった身体で使うな。と、メリーが警告していたように、返ってくる負担も大きい。
実際に霊を成仏させるのだって、本人の合意があれば問題無いが、これが強制的な成仏になると話が変わってくる。文字通り、本当に骨が折れるような苦痛を伴うのだ。
そして、今回のケース。幽霊に身体を弄くられた人間の……恐らくは魂の場合。
普段の僕なら、一人一人ならば時間さえあれば、元に戻せるかもしれない。
だが、こうも数が多くて大きく。一塊になられては……。お手上げだった。
「諦めはつきましたか? なら行きましょうか。私が見えるらしい君達には、ちゃんと出て貰わねば困る」
嗄れた声がすぐ後ろからする。
振り返れば、そこには、ゴルフバックを背負った小太りの中年男性が座っていた。
「……三郎さん?」
「いかにも。……凄いな。本当に視えるんですね。ここに来る連中は、ドリームランド内の探索者しか見えず、私を知覚出来る人はいなかったので、新鮮だ」
「……外部からきて、ドリームランドに縛られていないからってことかしら?」
メリーの推論に、三郎さんは小さく頷く。どうやら本当に、善意で探索者達に協力しているらしい。
一体何故。という僕らの顔を察したのか、三郎さんはばつが悪そうに肩を竦めた。
「あんな真実を知ったら……ね。私が殺されたのは、その断片を掘り起こしちゃったからなんですよ」
そう言って、三郎さんは親指で後ろを指差した。その先にあるのは、宮殿を思わせる園内施設、ドリームキャッスルだった。
「彼処に地下室があって、本当に拷問部屋があるのかどうか。それを調べに行って……この様です」
「……っ、まさか、掲示板の?」
「ああ、そんなのもやりましたねぇ」
いつかの噂にあった、ご本人だったらしい。書き込みが途絶えたのはネタの類いだと思っていたが、全然そんなことはないようだった。
それにしても……。
僕は改めて、背後のドリームキャッスルを見上げる。殺された。ということは、すなわち拷問部屋は本当に存在したということか。あるいは、それ以外にも何かがあったということか。真実は……。確かめに行く暇はない。外に出てから、自ずとわかることだろう。
彼はバックを背負い直し、僕らを先導するように前に出た。
「ついてきてくれ。兎が来たら、私が盾になる。君達は、初めて真実にたどり着いた人だ。何としてでも、外に出るんだ」
※
道中で、三郎さんは他愛ない話をしてくれた。
幽霊になるとは思わなかったこと。
無機物になら多少触れられて。あまり遠くまでは無理だが、ドリームランドの敷地からも多少は出れること。
暇潰しでメリーゴーラウンドを動かしたら、何か噂になってしまったので、これを利用して人を集められないか。……と、思ったが、大して上手く行かぬまま、現実では他のアトラクションだけはそのままなのに、メリーゴーラウンドは解体されてしまったこと。……等。
だが、僕はそれらの全てを曖昧に頷いて聞き流すだけだった。
脳裏に浮かぶのは、雄一のこと。僕を巻き込んだのか多分無意識に助けを求めたのか。その辺は分からない。
けど、それでも彼は僕にとって大学の友人であるし、ここで終わっていい人間でないことは確かだ。
こんな交通事故みたいなもので、彼が消えてしまう事が。何より、手を差し伸べてあげれない自分が、ただひたすらに悲しかったのだ。
「……貴方は、悪くないわ。友達の為に命をかけるだなんて、漫画の中だけで充分よ」
「でも、これが君や、家族だったら……。僕は迷わず命をかけてたよ。こうやって天秤にかけて、選択してしまう辺り……酷い奴だ」
「じゃあ、もう少し悩む? そうしたら私は……」
「私は……?」
口ごもるメリー。言いたくないなら無理しなくていいと言おうとすると、彼女はそれを察したように頭を振って。
「……たとえ貴方に恨まれてでも、貴方を引きずって行くと思う」
それが、彼女が出した答えだった。素直にそう言ってくれた時、僕は彼女の優しさに触れた。僕が今抱える自己嫌悪だとか負の感情を、少しでも背負ってくれようとしている。それを感じた時、僕は無意識のうちに、繋いだ手を強く握りしめてしまっていた事に気がついた。
「ごめん、ありがとう」
「……何にもしてないわ」
「そんなことない。……決断、しなきゃいけなかったんだ。だってあそこで迷い続けたら、時間が迫ってくる。そうしたら、君もあの観覧車のようにされてしまう」
それは、どちらも見捨てるような行為だから……。だから、迷えない。
締め付けられる胸を抑え、懺悔するように僕が呟けば、メリーは僕が緩めた手を逆に強く握り返してきた。
気がつけば、ジェットコースターの前に来ていた。
後は……これに乗るだけだ。
「よし、乗ってください。まずはしっかり帰って……」
『ミィツケタ。ツカマエタ』
一瞬の出来事だった。
バスン! という、叩きつけるような音がしたかと思えば、三郎さんがグラリとよろめく。
聞き覚えがありすぎる声に僕が振り向こうとした瞬間、顔面に真っ黒い何かが打ち付けられ、僕はボールのようにその場から吹き飛んだ。
「辰!? あっ、――いやっ、離し……!」
頭の中で、火花が散っている。
何が起きた? 考えがまとまらない。
口に塗るついた何かが入ってくる。……鼻血? ああ、殴られたのか。誰に……?
朦朧とする意識の中、僕は顔に荒い息が当たるのを感じた。
大きめのシルエット……。三郎さん?
顔が……近い? いや、僕は……抱えられているらしい。
まだ視界はぼんやりしている。次にわかったのは、何かに座らされた気配と、身体に硬いベルトが回された感覚だった。
「すまないっ……! 君をまずは逃がすので精一杯なんです。あの娘は頑張ってみますが……無理でも、恨まないでくださいね……?」
真実を頼みます。という言葉が最後にかけられる。
何を言っているんだ、この人。無理でも恨むな? あの娘? …………ああ。
「メ、リーィ……!」
小さな手は何も握っていなかった。隣には、誰もいない。そうだ。兎モドキが追い付いてきて。僕らは襲われて、メリーがつまみ上げられて……。
僕だけ、ジェットコースターに乗せられてる?
「ま、待って! 待てよ!」
思わず声を張り上げるが既に全てが遅かった。ジェットコースターは発進し、僕の身体は完全に乗り物に拘束された。降りようにも、もう無理な位置まで走り出していて。何より、子どもの力ではシートベルトが外せなかった。
「メリーッ! っ、そぉ! なんで……!」
必死に身体を捻るが、無駄だった。ジェットコースターはみるみるうちに加速して、前方に……紫の光が見え始めた。
あれで、僕の身体は元の身体に戻り、元の時間まで飛ぶ。メリーをここに残したまま……。そんなの……!
「ふざけるな……! ダメだ……そんなのダメだっ……!」
頭中のギアを回す。何でもいいから考えろ。僕だけでも。彼女だけでもダメだ……! 二人生き残らなければ意味がないのに……!
どうする……。どうすれば……!
歯車が、軋み、ずれて動作不良を起こす錯覚を見た。
ここで、詰み?
まるでフラッシュバックするかのように、今までの出来事が頭を過る。
……走馬灯とは、死に向かう最中で、精神と身体がまだ諦めていない時、無意識に見るものだという。
それは過去の経験から、打開策がないか模索しようとする、強い意志の表出とも言われている。
僕はこの時、確かに殺されかけていたのだ。生きながらの死。それを受け入れたくないともがき。片っ端から記憶を手繰り寄せていた最中で――。一人の男の声が甦った。
『この遊園地は時間が歪んでいる。みんなみんな認識が違う! だからこそ、このジェットコースターはきっと、過去や未来。あらゆる可能性に通じている……!』
正幸さんは言っていた。何度も殺されては甦り、迷い込んできた人に訴え続けていたと。
そして、この言葉を告げた彼もまたそうだった。だが……彼だけは最初から、記憶が戻っているような素振りを見せていた。
何故?
彼はジェットコースターで死んでいた。
過去。未来。可能性。そういった時間の歪みに突っ込み続けてきた結果。何処かで何らかの可能性を……。例えば、次に記憶を持ち越している可能性を引き当てていたとしたら?
探索者達は、最後の目的は一緒でも、他はバラバラだった。
『許さねぇ……絶対に許さねぇ……! 見てろ! 〝出ていったら〟すぐに……すぐにぃい!』
誰かへの憎悪。もしかしたら彼だけは、純粋に脱出出来る可能性に賭けて、何度もジェットコースターに乗っていたのかも。
既に死に体。過去も、未来も骨だとしても、僅かな可能性を引くのを夢みて。
なら……。僕ならば? 普通に乗れば、ただ帰るのだろう。だが、明らかなオカルト現象たるこのジェットコースターに、〝干渉〟したら?
「……っ、ままよっ!」
迷いはなかった。どのみち使えて一回限り。折れたって構うものか。
目を閉じる。
静かに深呼吸し、僕はエセタイムマシンに手を触れた。
必要なのは、あの兎モドキを蹴散らすこと。
だから、元の大学生……未来の僕で、ここにまた戻らねばならない。何としてでも……!
そうと決まれば、後は単純だった。未来と戻る。これだけを頭の中で連呼しながら、僕が干渉を開始した時、紫の光が辺りを包み込んで……。
※
あ、今回ばかりは死んだ。
何となくそう察した私は、無様に震える身体を何とか制御して、目の前の兎を睨むしか、手は残されていなかった。
相手は残虐な奴だ。だからこそ、泣き叫んでなんかやるもんか。
『次は、君。次は君! いらない子~は、キ~ミ~』
歌い出す兎の身体は、返り血で赤く染まっていた。幽霊って血を流すの? と、一瞬思ったが、ここにいた幽霊達は、皆が仮初めながら実体を得ていたように見受けられたので、そういうものとして考えるのを諦めた。
三郎さんは既に殺されている。目を背けたくても兎は私を抱えたままだったので。兎が片方の手に持つ刀で、中年の肉をなます切りにしていく解体劇を、間近で見せつけられる事となった。
気分のいいものではない。まして、次は自分がそうなることになるのだから。
『変な色~。変な色。マニア向けの宝石だ~』
吊し上げた人の目元を無遠慮に触る兎モドキ。
宝石とは、やはり褒めてる訳ではなさそうだ。
その手は私の頬を。肩を。胸やお腹を順番につついていく。幼女の身体とはいえ、デリカシーが無さすぎる。私は兎を蹴っ飛ばさんとばかりに脚を動かして。今度はそこを捕まれて、逆さに釣り上げられた。
『血が上る。血が上る。上がって上がって最後には。頭蓋骨を突き破れ! 脳みそぶちまけ花火だ花火!』
ぶらんぶらんと、振り子のように身体が揺すられる。考えうる限り、かなりグロテスクな方法で殺されるらしい。
…………やっぱり、やだな。
唇が。無意識に噛み締められる。
辰が、生き延びただけでもよかった。……とはならなかった。
昔、私がある要因で死にかけた時、言ってくれたのだ。
二人で生きてなきゃ意味がない……と。
そう、その通りなのだ。片方が生きても、もう片方が死んでしまったら……。
私は最後まで。彼の傍にいられないことを嘆きながら逝くのだろう。
彼は、私を助けられなかった事で死ぬほど自分を責めるのだろう。そんなの……。
拳を握る。ダメだ。ごめんだ!
無様でも構うもんか。醜くたっていい。この兎を振り払い、コースターに乗れれば……。それだけで私の勝ちだ。
生き延びて、まだまだやりたいことがいっぱいある。
だから――。
「離し、な……さい……! 離せぇ……!」
ペチペチと、弱い平手打ちが着ぐるみを叩く。
思いの外、揺さぶられて弱っていたらしい。案の定、兎は私をバカにするように肩を震わせると、片手に持つ刀を振り上げて……。
「オイタはそこまでだよ。兎ちゃん」
何だか懐かしく感じる。だが確実に聞き慣れた大好きな声がした。
……ん? でも、微妙に違う?
少しの混乱に私が目をしばたかせた時。兎モドキの顔面が、ベゴンと凹んだ。
見ていて不安定になりそうなそこへ、綺麗にストレートパンチが入ったのが辛うじて見えて。
私は気がつけば、細めながらも絶妙に筋肉がついた素敵な腕に抱えられていた。のだけど……。
「……あら?」
そこでやっぱり、違和感に気がついた。
彼の……辰の匂いだ。
けど、なんか腕がほんの少しだけ太く逞しくなってるような。あと、手触りもちょっと違う。
ハテナマークを飛ばしまくる思考を必死に落ち着けて、ゆっくりと顔を上げる。
そこにいたのは、辰だった。
私が言うんだから間違いない。
けど、これは……。
筋肉質ではあるが、線は細かった。しなやかなカラカルとか、狼を思わせる身体。けど……今私を抱える、私が知っている辰よりも微妙に大きい彼は……。精悍な豹だとか、ジャガーを連想させた。
「……成る程。寝巻きからいきなり私服に着替えさせられた理由はこれか。それで…………。ああ、裏野ドリームランドの時か」
私を優しく地面に降ろして、彼は柔らかく微笑む。あ、笑い方は一緒だ。なんて思っていると、その指が、私についた返り血を拭っていく。
「…………ヤバイな。わかってはいたけど、持ち帰りたくなるくらい可愛いんだけど。これがロリーか……!」
「…………ロリー言うんじゃないわよ。……貴方、辰なの?」
何だそのギャグみたいな呼び名。と、むくれ顔になりながら質問すれば、彼はごめんごめんとウインクし。
「うん。君の知る辰なのは間違いない。といっても、もう三十路のオッサンだけど」
私の手を取りながら、ちょっとだけ渋めの声でそう宣った。
そこには、私がよく知る暖かさや安心感が変わらず存在していて。
「えっと。確か、観覧車だったかな。ああ、でもその前に。ロ……。メリーに怖い思いさせたそこの兎に……お仕置きだな」
そして私の知らない、とてつもない威圧感を持ち合わせていた。