日曜日の朝、そのいち。
目覚ましも鳴らないのに、ふわりと意識が海の上に顔を出すようにして、目が覚めてしまった。
澄んだ空気を思い切り吸い込んで、大あくびをひとつ。ようやく定まってきた視線の先に時計の文字盤が見えて、何だよ、と僕は唸った。
「まだ、朝の七時じゃないか……」
せっかくの日曜日の朝だから、もっと遅くまで眠りの海に沈んでいたかったのに。今からでも浸かるくらいのことはできるだろ、そう思って重たいまぶたを閉じる。
部屋に響き渡る音と言えば、規則正しい時計の秒針の拍動だけだ。貴重な人生の時間を無駄にしていくこの感覚、昔から僕は嫌いじゃない。
「…………」
駄目だ。目が冴えてしまって眠れない。それに少し……お腹も空いたし。
重かったはずのまぶたはいつの間にか簡単に上がるようになっていて、僕は静かにため息をついた。あれからまだ三分も経っていない。
起きるか、と思った。起きながらぼうっとしていよう。時間の浪費っていう括り方をしてしまえば、どっちだって同じことだからな。
かったるい身体を奮い立たせて、部屋の中を見回した。二人分の布団が並んでしまえばすぐに埋まってしまう、安い家賃で手に入れた狭隘な住み処には、カーテンの隙間から差し込む朝の白い光が不可思議な紋様をそこかしこに作っている。自然はデザインの先生だ──朝が来るたびに、いつもそう思う。
僕の寝ていた布団の隣には、こんもりと膨らんだ布団の山が鎮座していた。無言で微かな上下を繰り返す布団の山を少し眺めていたら、さっきとは違う音色のため息が口をついた。甘い香りが、あたりに漂ったような気がした。
部屋の電気は点けないまま、いつも仕事で使っているパソコンの前に立つ。
メール、誰かから来てるかな。ロックを解除してメールフォルダを確認、昨日の夜から何も変わりないのを確かめる。
ま、何もないのもそれはそれで問題アリなんだろうがな……。端くれの新人だとしたって、これでもプロのつもりなんだけどな。
パソコンの隣に貼った名刺が目に入った。『フリーデザイナー:前原北杜』。
「ふふ」
何が可笑しかったのか分からなかったけれど、とにかく笑みが漏れた。コーヒーでも淹れるかと思い立って、僕は台所に向かう。
前原北杜、二十二歳。平日と土曜日はイベント会場での警備のアルバイトをしながら、所属先のないフリーデザイナーとして日銭を稼いでいます。──自己紹介をしろと言われたら、そんな感じになるんだろうか。残念ながらまだ、そんな自己紹介を必要とされるような大口のお客さんに巡りあったことはないんだけれど。
ま、そのうちそのうち。せっかく何もしないで済む日曜日にまで仕事のことなんか考えていたら、長い人生やっていられないよ。
料理はできないくせにコーヒーだけは淹れられる器用な手で、僕は熱くなったカップの取手を握った。落ち着いたらカーテンでも開けるとしようか。外の世界は眩しいけれど、ぽかぽかとした日光を浴びている時の方がぼうっとするには適していること、僕はちゃんと知っているのだ。
部屋に戻ると、布団の山が崩れていた。
生まれたばかりの雛みたいな目付きで僕を睨む女の子の姿が、そこにある。おはよう、と僕は声をかけた。精一杯愛想を込めたつもりだったのに、女の子の表情は僕の右手を見てさらに険しくなった。
「……朝っぱらからコーヒーの匂いなんて漂わせないでよ、起きちゃったじゃん」
「そうだな。ついでに今、カーテンも開けちゃおうと思ってたところ」
言いながら真っ直ぐカーテンに向かって、有無を言う間を与えずに一気に引いた。眩しさが部屋の中で爆発する。カーテンレールがシャーッと笑う声って、耳に心地がいいから好きだ。隣の御仁はそんなことは思わないんだろうか。
御仁は「ぎゃーっ」と可愛げのない声で叫んでいた。もう紋様もへったくれもなく、燦々と差し込んだお日様は情け容赦なく、彼女の身体と服装を隅々まで照らし出す。
「何すんのよバカ! あとで朝食に大量のワサビ練り込むわよ」
「……朝っぱらから物騒だな、相変わらず。せめて胡椒とかで済ませてくれないの?」
「言ったね? 覚えておきなさいよ、香辛料まみれの目玉焼きで北杜の眠気を粉々に吹き飛ばしてやるから」
はいはい。その言葉、ほとんど三日に一度のペースで頂戴してるよ。
悪態をつき終えたらしい彼女は、天井を仰いで力一杯伸びをしている。髪はボサボサだし、服装も仕事帰りのままだ。さては昨日、駅前の居酒屋のバイト帰りに風呂も入らずに布団に倒れ込んだんだな。
「いつ帰ってきたんだよ」
「深夜二時」
僕みたいに大口を開けてあくびを流しながら、彼女──関野南々実は布団を思い切りよく脇へ投げ出した。