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 その後、春鬼が子供の末路を話すことはなかった。そして変わらぬ日常が繰り返された――数日後の昼食。いつも通りに屋上に上った春鬼を待っていたのは、木綿だけだった。そこに、むくと稲荷の姿はなかった。

「……むくと稲荷は? なんで、お前?」

「用があるって、これだけ置いてすぐに行った。オレは、今日のお前の餌付け役」

「何だそれ」

 悪態をつく春鬼の前に、木綿が取り出したのは、縁の大きな魔法瓶だった。

「鶏団子汁だってさ。先に食ったけど、寒いときにはいいな。なんだっけ。鶏団子に片栗粉をまぶしたんだと、団子も小さくしてあるから、つるりと食べれて、これが旨い。出汁も利いてる。あの顔なしが料理上手なんて、意外だわ。どうやって味見すんだろ。あ、ほら、食えよ」

 器に移され、手渡された汁物。心地よい熱が冷えた手の平を温める。しかし、子供の肉の臭いを思い出して、春鬼は顔を背けた。

「……お前は、次の深山。次の鬼の当主だよな。それで肉が食えないって、終わってね?」

「……いいんだよ、そんなの……本当は……なりたくないし。面倒臭い」

「……今はいいさ。皆、お前に甘い。許されているんだ。だけど、そこに甘えてたら、お前は何もできなくなる。逃げ続けていても、何も手には入らないぞ」

「何、その説教、心底むかつくんだけど」

「稲荷も顔なしも、お前に甘いから。オレくらいしか、言うやつがいないだろ」

 春鬼が口にしなかった鶏団子汁を飲んで、旨いのになと、木綿はつぶやいた。

「……稲荷が、顔なしに告白しにいってる」

「は……?」

「あいつらは、お前よりもずっと大人だよ。今のままの関係が続かないことを、分かってる。分かってて、先に進もうとしている。だから」

 春鬼は目を見開いて、飛び起きた。地面を蹴って、屋上の入り口へ向かう。

「だからっ! お前に決意がないなら、邪魔するな。野暮な事はするなっ! 春鬼‼」

 屋上から階段を駆け下りて、向かう先の当てもなく廊下を走る。とりあえず二人の教室を覗き込んだが、姿はなかった。そうして走り回っていると、校内の様子が異なる事に気づいた。生徒だけではない、教師まで、皆がそろって何かを探し、騒然としている。

「?」

 走り回って、滴る汗が頬を伝う。丁度走り過ぎようとした生徒の一人に、春鬼は声をかけた。

「何か、あったのか?」

「あ! 深山のぼっちゃん。人間です!」

「は?」

「人間が、紛れ込んでいたんですよっ! 今皆で追いかけているところで、校内にいるはずなんです」

「人間?!」

「ああ、そう。貴方のご友人が見つけたんですよ! ……三組の稲荷!」

「稲荷!」

 ようやく見つけた稲荷は、春鬼の教室で膝を抱えて震えていた。青ざめた顔に、告白が失敗したかと思ったが、そうではないらしい。彼の震えは尋常ではなかった。

「……稲荷。人間を見つけたって聞いたけど。どういうことだ? こんなに震えて……大丈夫か?」

「……どうしよう。まさか、人間だとは思わなかったんだよ。どうしよう。どうしよう……春鬼。僕っ、どうすればいいの?」

「落ち着け! 何があったんだ」

「……むくちゃん、どうなるの? 殺されちゃうの?」

「は……?」

「むくちゃんが、人間だったんだ。それなのに僕知らずに、無理矢理むくちゃんの面をとっちゃって……仮面が外れたら、むくちゃん。人間だったんだ‼」

 がくと、知らず膝が崩れた。自分の体の突然の不調に驚くと、慣れ親しんだはずの稲荷の声が遠く、反響する。まるで水面の向こう側に音、が置き去りになったように、遠い。反響する声が繰り返す。むくが人間だと。

「………………稲荷」

 何を馬鹿なことを言っているんだと、そう口にするつもりで唇を開くと、口内の渇きに気付いて、声がかすれた。むくが、人間? 小さなころから、そばにあったそれが、まがい物? 頭に浮かんだむくの顔がゆがみ、掻き消える。そんな春鬼の異変に気づかぬままに、目の前の稲荷は縋りついて、涙を零した。

「春。僕、どうすればいい? どうすれば、むくちゃんをっ」

 そんなこと、自分が教えてほしい。当惑に頭を押さえれば、その指先に、鬼の角が触れ――瞬くように、いつかの光景が過った。

『私が、そばにいます』

 記憶の向こうから聞こえた声に、我に返った。彼女が人間だからといって、そばにいた歳月。共有した時間は、何一つ変わらない。かつて、彼女が誓った声。それが、ゆらぐことはない。それに気づけば、言葉はすらりと喉から出ていた。

「――俺たちで、むくを助ける。この前の子供と同じだ。ただ、助けるだけだ」

 春鬼が告げた瞬間。稲荷の顔がぐしゃりと歪み、少年は泣き崩れた。

 変化を解いた稲荷の鼻を頼りに、消えたむくの姿を探した。彼女は思いの外早く見つかった。むくがいたのは、家庭科室。そこで、彼女は愚かにも料理をしていた。

 開口一番、いう事があった。

「馬鹿!」

「あは、ついに。ばれちゃったか」

 頑張ってうまくやってたのにな。そう言って、彼女は自らの頬をかいてみせる。

「あとで一発殴らせろ、ひとまず話はあとだ。とにかく、早く逃げるぞ!」

 エプロンをしたむくの手を掴み、家庭科室の外へ向かう。焦り混乱する頭で必死に逃走経路を考えた。早く深山に向かわなければと、強く、むくの手を引く。しかし。

「まって、はるちゃん!」

焦る春鬼の前に差し出されたのは、茶碗に盛られたご飯だった。

「は?」

「食べて」

「……お前っ! 馬鹿か。今はそれどころじゃあっ!」

「食べて! これが、最後だから‼」

 彼女の手は震えていた。決意ある眼差しが、春鬼を射抜く。差し出された箸と茶碗を受け取ると、渡されたのは彩り鮮やかな、そぼろご飯だった。

「油っぽいのが苦手かなって、よく焼いたの、どう?」

「…………」

 口にいれることに抵抗がなかったといえば、嘘になる。しかし、開いた口に放り込んだあと、口の中で広がった肉の甘みは、思っていたものよりずっと心地の良いものだった。それと同時に、卵の優しい味がふわりと包み込んだ。不快では、なかった。むしろ――

「ねえ、はるちゃん。一緒に食べると、美味しいね」

 仮面の下から、鼻を啜る音が聞こえた。むくが泣いている。『最後』という言葉を、彼女は口にした。彼女はもう分かっていた。そこに、稲荷と木綿が駆けつけた。

「むくちゃん、春。逃げ道確保したよ。逃げて、僕と木綿が囮になるから」

「顔なし、春鬼。手伝うのは、今回限りだからな」

 目を腫らした稲荷が、二人に向かって手を伸ばした。

 むくの手を引き、必死に逃げた。しかし、多くのものに知覚された人間を隠す術はないに等しい。

「人間! 人間!」

 学校を出て逃げる途中、何度も妖たちに見つかった。その度に、身を呈して友人たちがむくを庇った。木綿は半身を裂かれ、稲荷の尾に刃物がつきたてられる。血が飛び散り、悲鳴が飛び交った。そして。

「むく‼」

 必死に伸ばした手の先で、むくに刃が突き刺さった。

 どうにか逃げた森の奥。絶え絶えになった息を必死に整え、春鬼とむくは逃げ隠れた。あの家庭科室から――二日が経っていた。稲荷と木綿の姿はない。途中ではぐれて、今はもう生きているのかも分からない。

遠くで鬼火が揺れている。見つかるのも時間の問題だった。体中煤だらけ。足は積み重なった疲労に、悲鳴を上げていた。むくの肩から流れる、血の匂いが濃い。この匂いを追って、妖たちが追ってくる。人の世との境界の深山は厳重な警備が敷かれ、近寄る事もできず、逃げ場もない。しかし、これ以上走れないことは分かっていた。喉は渇き、飢えに体を満足に動かす事も叶わない。

「……もう、おしまいだね……はるちゃん」

「……っ! 馬鹿なこと、言うなっ‼」

「……いいんだ。本当はね、私、戻りたくなんてないんだ。あちらに……私の居場所は……なかったから」

 むくは、疲れた様子で面を外した。はじめて見る、むくの顔。当然そこにあったのは、のっぺりとした顔なしのものではなく、瑞々しい人間の少女の顔。途端に香った人の匂いに、春鬼は我知らず息を呑んだ。

「だけど私は人間だから、ずっとここにはいられない……本当は分かってた。分かってたけど、そばにいたくて。ずっと、隠して騙してた。ごめんね、こんな、こんなことになって……ねえ、はるちゃん。私……私をっ」

 泣き笑い、少女は必死に笑みを浮かべた。

「私をたべて」

「…………むく、お前」

「ほら、はるちゃん、お肉食べれるようになったでしょう? もう、大丈夫だよ」

「まさか……お前が肉を食べさせようとしたのは」

「ごめんね、猿を殺して。でも、ほら、ペットのお猿さんくらい食べれないと、私を食べてくれないでしょう?」

 彼女の頬を、涙が伝って流れ落ちた。

「大丈夫、私はきっと美味しいよ。……だって、料理の一番の調味料は――愛情でしょう?」

 木々がざわめく。冷たい風が、衣服の中に入り込んで、身震いした。寒い。凍えるような冷気が背筋を伝って、肌をあわ立たせた。

「……だ」

「はるちゃん……おねがい」

「嫌だ! 馬鹿かお前は。そんなの、するわけ……!」

 首を振る春鬼に、むくは微笑み跪いて、深く額づいた

「春鬼様……深山様。貴方は鬼の次期当主。本来ならば、私たち下々の者とは接点さえもないお方。だけど、貴方は……ううん。はるちゃんは、私に手を伸ばしてくれた」


『なんだ、お前。泣いてるの?』

 母に捨て置かれた哀れな人の子に、手を伸ばしてくれた少年。その笑顔に、そのぬくもりに意味をもらった。

 そのときから――


「ずっと。ずっと……はるちゃんが私の一番だった。……傍に、いられるだけで良かった。だけど、成長するにつれてそれが無理なことだって、嫌でも思い知った。だったら、せめて……ねえ、はるちゃん。私、あいつらに食べられたくなんて、ない……だから、おねがい」

 鬼火が近づく。猶予は残っていなかった。少女は泣いた。目尻から零れ落ちる雫の美しさに、春鬼はただ心奪われた。嗚咽の中で、彼女は嘆願する。

「私を……たべて」

 山を彷徨い、空腹を通り越して胃が悲鳴をあげている。飢餓感に、思考はまともに働かず、頭に鈍い鉛があるようだった。考えることが、酷く億劫だった。

 ただ。

 白い肌。この肌に牙を突き立てたらどんなに柔らかいだろう。少女の血潮のどんなに熱く甘いことだろう。その肉の脂は、口のなかでとろけるだろうか。世に至福があるとすれば、欲のままに、その血肉を喰らい啜ること。

 喉をならす春鬼を前に、むくは優しく微笑んだ。その笑みの儚さに目を奪われて、春鬼は甘い誘惑に誘われる。もういいよ。少女は優しく春鬼を撫でた。我慢なんて、しなくていいの。赤い唇が囁いて、少女の指が春鬼の髪に差し込まれた。柔らかい手が、やわくその角に触れる。口の中に、つばきがあふれた。

しかし、同時に。冷静な自分が囁く。春鬼には分かっていた。彼女を食べたら、きっと自分はもう――


次で終わりです。

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