表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/5

2

 深山とは、人とあやかしの世の境界である。深山の鬼は代々さかいを護ってきた守護者であり、妖たちの元締めとして、古くからその頂点に君臨し続けてきた。鬼とは深山のことであり、深山とは鬼のことである。そして深山の一粒種である春鬼は、次の深山。彼は次代の鬼として、境界を侵した人間を喰らうものとなるべき存在だった。しかし。

「春。むくちゃんを連れてきたよ」

「おっせーよ、俺のあやとりの技にも限界があるぞ」

 次の深山は、人の子供とあやとりをしていた。

「もうっ! 何してんのよ、人が待ってたのに。先生なんて首をながあくしすぎて、首が絡まって、大変だったんだから。泡吹いて倒れちゃって、解くのが大変で……あ。この子が例の? わー。かわいいー。人間の子だぁ」

 稲荷に連れられて現れたむくは、春鬼と顔を合わせた途端に怒り出したが、人間を見つけるところりと怒りを忘れて、嬉しそうに子供の頬をつついた。稲荷と異なり人間への恐怖は皆無らしい。すぐにむくは、人間の子供に夢中になった。じゃれる姿は、どっちが子供か。

「いつまでも遊んでいるな。むく、面貸せ」

 むくの顔の面に向かって手を伸ばしたところで、春鬼の手は無慈悲に振り払われ、さらに平手打ちされた。

「何すんのよ、えっち、すけべ!!」

「協力しろよ。面倒な奴だな。顔を隠すだけで人間の判別はつき辛くなるらしいから、おまえの面を提供しろ」

「それとこれとは話は別!!」

 再び面に伸ばされた手を跳ね除けて、腹部に一撃。容赦も可愛げも一切ない。

「ねえね、むくちゃんってどんな顔してんの。そのっ……本当に目も鼻も口まで……ないの?」

「そうよ。だから、面を外したくないの。年頃の女の子がそれって、とっても悲惨よ。絶望!! 絶望なの!!」

 むくの正体は、のっぺらぼうだ。目鼻のない顔がコンプレックスで、幼少期からずっと面をかぶっている。日ごとに変わる面が、彼女にとっての『おしゃれ』らしい。

「でも、僕。むくちゃんの顔見てみたい。そんなに、卑下するものじゃないと思うけど」

「ありがと、稲荷。だけど、断固お断り。……でもっ、でも……この可愛い子のためには、背に腹はかえられないわ…………私のスペアを貸してあげましょう」

「はじめから出せよ!!」

 苛立つ春鬼を無視して、むくは何処に隠し持っていたのか。露天で売っているような、プラスチックの面を取り出して、子供に与えた。面で少女の顔が隠れた瞬間、それまで人間だと思い込んでいた意識がシャットダウンする。なるほど、面を付けるだけで、人間と意識することが難しくなった。

「それで、どうする? 校庭を突っ切るわけにはいかないよ。今は運動部のやつらが……」

「ん? お前ら何してるんだ」

 そこに通りかかったのは、春鬼のクラスメイト。一反木綿の木綿きわただった。

「しけた面してんな。なんだ、オレの背中にでも乗せてやろうか? ま、絶対やだけど」

 木綿は、四人を前にげらげらと笑った。

 その後。春鬼は嫌がって逃げようとする木綿の背に、無理やり殴って跨った。木綿に乗って、目指す先は深山。人と妖の世をつなぐ狭間の領域。

 学校から遠くはなれた山の中。とっぷりと暮れた闇に紛れて、少年たちは疲れた様子で地面に座り込んでいた。

「はー、見つかると思って、緊張したあ。今日は良く働いたね! ミッションコンプリート!」

「何がコンプリートだ! 労働したのは、オレだけだろ! ああ、痛かった、四人も乗るやつがあるか! 体千切れるかと思ったぞ!! お前ら俺殺す気だろ」

 泣きっ面で文句を言う木綿の声は怒りを伴って震える。余程辛かったらしい。稲荷がフォローするように笑った。

「で、でも、ほら、そのおかげであの子は無事、人間界に返せたわけじゃん。ありがとうね、木綿」

 無理やり変化させた木綿に乗って、三人は子供を山に返した。匂いでばれるかと思われたが、風向きを工夫した結果、誰にも見つからず目的を遂げる事ができた。小さな人の子は、無事親のいる世界に帰っていった。

「何もよくない! いいか! オレは今後一切手伝わ」

「どうでもいいけど、腹減った」

「は? おまっ、春鬼、どうでもいいって……よくな」

「そうだねえ、僕もおなかすいたぁ」

「稲荷までっ! お前らオレの話聞けって! ……でも。確かに。……オレも……腹減った……」

 疲労感と達成感に後押しされて、胃は痛いくらいに空腹を主張していた。少年たちは力なくうな垂れていた。

「……あ、そうだ。今日の、調理実習で作ったクッキーあるよ。みんな、食べない? ……何よ、その顔」

 ぎょっとした少年たちを、むくが睨んで黙らした。

「さすがに授業だもん。変なのなんて入れてないよ」

 そう言って、ポケットから取り出した焼き菓子は確かに、黄金色に焼けて甘い香りが鼻腔をくすぐる。背に腹は変えられない。変えられないが――

「稲荷、毒見」

「ええー?! また、僕?!」

 目を白黒させる稲荷の口に、春鬼はクッキーを押し込んだ。一瞬嫌な顔をしたが、すぐにその顔の曇りは晴れて、じわりと喜色がにじみ出る。

「んー! さくさく! おいしいよ! むくちゃん」

「……まじか。本当に何も入ってない? 嘘だろ」

「……はるちゃん。私を信じてよ」

「ペット殺されて信じられるか」

 そうは言いつつも空腹には打ち勝てなかったのか、春鬼と木綿の手がクッキーに伸びた。

「……うーん、オレは……もっと、素人が焼いたって感じの固い残念なクッキーのが好きだ……」

「何そのこだわり。黙れ、綿百パーセント……はるちゃん、おいしい?」

 崩されるクッキーの山。その中心で、無言で菓子を貪る幼馴染に、むくは微笑んだ。

「甘すぎ」

 無神経の腹に、少女の拳が容赦なく抉りこんだ。

 暗くなった帰り道。家が隣同士ということもあって、春鬼はむくと一緒に帰路についていた。慣れた山道を進む少女の足取りは軽やかで、鼻歌まで混じっていた。

「でも、はるちゃんが子供を連れてきたときは本当にびっくりした! どうなるかと思ったけど、むこうに送り返せてよかったね! きっとあの子も感謝してるよ」

 しかし、少女とは対照的に春鬼の心は冷めていた。

「でもさ、ほんと笑ったよね。あの木綿の顔……」

「どうせ、こっちのことなんて忘れるさ」

「え?」

 人間の子供が紛れ込むことは、今までにもあった。しかし、彼女たちは皆意味のない謝辞を述べて、闇に消えた。彼女たちが、春鬼を省みる事など――

「忘れないよ」

 いつの間にか、背後でむくが足を止めていた。彼女は立ち止まり、春鬼に向かってはっきりと断言した。

「助けてもらった事。絶対、忘れない。忘れたりなんて、しない」

「……むく?」

 素顔の見えぬ仮面の下で、少女は笑っていた。いつもと異なる空気。異なる笑顔――それは、包み込むような微笑みで、春鬼をひどく戸惑わせた。

「むく……お前、一体」

「あ、もう家ついちゃったね! お義母さーん、帰ったよー。じゃあ、はるちゃん。また明日ね! あ!」

 しかし次に振り向いたとき、その笑顔はいつもと同じ幼馴染のものだった

「あのねえ、はるちゃん。好き嫌いってね。必ず付随する思い出があるんだよ。たとえば、初めてピーマン食べたとき、あまりに苦かったとか。魚が古くて生臭かったとか。はじめて食べたとき、合わなくて吐いちゃった、とか。だけど、味覚は変化するものだから。小さい頃一度苦いとか合わないって思っただけで食べないのは、おかしいよ。今食べてみると実はとっても美味しいかも」

 明日はお肉食べられるよ。むくはいつもと同じ、満面の笑みを浮かべて、手を振って家の中に入っていった。騒がしいやつ。春鬼は笑って、自宅の門をくぐった。

「お帰りなさいませ、遅かったですね」

 深山の屋敷に入ると、使用人が春鬼を迎えた。彼女は春鬼の上着を、慣れた手つきで受け取る。そうしてふと、漂ってきた食事の香りに春鬼は顔を固めた。

「……この、匂い」

「ええ。今日の夕餉は、人の肉ですよ」

 使用人の女は、淡く微笑んだ。その手には、見慣れたプラスチックの面があった。

「久しぶりに、手に入りましてね。柔らかい子供の肉ですよ。召し上がりませんか」

「……いらん」

 春鬼はそれだけ言うと、使用人を下がらせた。

『好き嫌いってね、必ず付随する思い出があるんだよ』

――兄様は、ずるい。

 頭を過った情景は、思い出と呼ぶにあまりに鮮烈で――肉を食べない理由など、分かりきっていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ