魅入られ人のにちじょう 〜いつもの話〜
日条家は三人家族で、四季はその一人息子だ。彼が今住んでいる家は三人で住むには少しばかり大きい。用事で両親がいなくなると本当に静かで、どこか取り残されたような錯覚を覚えるほどだった。
が、四季はその環境について特に不満を持ったことはない。周囲には自然以外になにもないような田舎とはいえ、時間を潰す手段には事欠かなかった。友達がたくさんできたからだ。
……その友達が世間一般で言う「普通」の存在でないことに気づくのに少しばかり時間がかかってしまったのは、あまりにも『彼ら』が自然に四季の周囲に集まってきたからなのだろう。
音成 御影は引っ越してきてから初めてできた友達だ。彼女は日条一家が越してくる前から、すでにその家に住んでいた……らしい。少なくとも四季はそう聞いている。
彼女と四季との関係は、かなり複雑なものである。少なくとも初めて出会った時、彼女は四季より年上に見えた。物静かであったものの世話も焼いてくれたように思う。一口で言えば姉のような存在。
が、今は?
歳を経るにつれ、四季は彼女の背丈に追いつき、ついには追い越してしまった。見た目だけで言えば姉と弟の関係は崩れてしまったようにも思える。
それでも四季にとって御影は頭の上がらない姉であり、頼りになる保護者であり、さらには『彼ら』について教えてくれた先生だった。
■ ■ ■ ■ ■
とある夏休みの日のこと。
「……四季。四季。起きて」
「んー……」
かけられた静かな声に、四季は寝返りを打った。彼はあまり寝起きのいい方ではない。もっと寝ていたい。
しばらくして、小さな溜息。直後、小さな手が四季の体を押さえ、小さく揺すり始めた。
「四季。起きなさい。もう昼」
「……あともう少し……」
寝かせて。そう言うより早く、四季は自分を揺する手が動きを止めたことを察知した。まずい。嫌な予感を覚え、起きようとした。遅かった。
「ぐえっ!?」
強烈な力で体が引っ張られ、無理やり仰向けにされる。その腹の上に、何か重いものが勢い良く乗りかかった。呻きを漏らした四季はたまらず目を開ける。
目が合った。
腹の上に腰掛けていたのは少女である。その着物は目が覚めるほどに鮮烈な赤色。生気のない、透けるような白色の肌が赤を引き立てているようにも見える。
綺麗に切り揃えられた前髪の下から、彼女は無表情に四季を見下ろした。
「……早く、起きろ。じゃないともっと重くするよ」
「お、起きる! 起きるってば! でも御影がそこにいると起きられないんだよ物理的に!」
圧迫感の中、四季は必死に主張する。見た目には自分よりも小さく幼い彼女ではあるものの、彼女のような存在は時に見た目に反した現象を巻き起こす。身をもってよく知っている。
御影は小さく首を傾げ、確かめるように四季の目を覗き込んでいた。しばしの沈黙。頷いた彼女は、大人しく腰をあげる。四季は息をついて身を起こした。
「朝から死ぬかと思った……」
「四季はこんなのじゃ死なないから安心しなさい。あと、もうお昼」
呆れたような御影の声。四季は枕元に置いてあった目覚まし時計を手に取り、時間を確認した。確かにもう十二時を過ぎている。
この時間になるまで、御影以外の誰も自分を起こそうとしなかったのだろうか? 眉間にしわを寄せていた四季はふと思い出す。そういえば、今は両親ともに旅行中なのだった。
自分だけ留守番という事実を、四季は仕方のないものと認識している。前に旅行についていった時は、向こうでできた『友達』のために大変な目にあった。それ以来、基本的に彼は遠出をすることがなくなった。
「うー……ご飯どうしよ」
「作ってあげる。早く着替えて」
淡々と言い残し、御影が立ち上がる。両手には黒い寄木細工の箱。それは独りでにかたかたと音を鳴らす。それと同時に、くすくすという忍び笑いも。
『ねぼすけ』
箱の中から聞こえてきた幼い声に、四季は顔をしかめる。
ぺし、と御影が箱を軽く叩く。それを機に箱の動きが止まり、漏れていた音もなくなった。
彼女は箱を持ったまま部屋を後にしようとした。ドアの前に立つと、手も触れていないのにドアが開く。
「早く来ること」
最後に四季を一睨みしてから、彼女は部屋を出て行った。小さな足音が階段を降りていく。
溜息をついてから、四季は着替えを始める。さて、今日は何をしようか。というより、誰が来るのだろうか?
■ ■ ■ ■ ■
下に行くときに気づいたのだが、どうやら今日は雨らしい。この時間だというのに薄暗く、雨粒が屋根を叩く音だけが響いている。あまり外に出たくない天気だな。四季はふとそう思った。
洗面所に寄り、顔を洗う。そして台所を通り大広間へ。大広間は和室であり、長机が部屋の中央を占拠している。引っ越してきた当初は四季の遊び場となる予定だった部屋。実際はどうか? もっぱら来客用だ。
長机の中央には朝食とも昼食ともとれぬ食事が並べられている。ご飯に味噌汁、焼き魚。こういう和風の食事はだいたい御影の手によるものだ。彼女は料理の手前に空間を作り、その隣で四季を待っていた。
四季は素直に料理の前に座り、手を合わせる。
「いただきます」
「はい、おあがり」
御影の言葉を聞いてから、四季は料理に箸をつけ始めた。これを忘れるとまた怒られるのだ。見た目に反して、彼女はかなり礼儀に厳しい。
しばし遠い雨の音だけが部屋の中に広がる。静かだ。
そのとき、四季は不意に違う音が混ざってきていることに気づく。隣室の居間からだ。雨の音に似ているが、微妙に違う。何の音だろうか?
立ち上がって様子を見ようとした四季の肩に小さな手が置かれる。御影だ。見ると、彼女はやや厳しい顔つきで首を横に振る。
「ご飯食べて、待ってて」
ただそれだけ言い残し、彼女は居間へ向かっていった。四季はそれを追わない。追いかけたらまた叱られることになるし、それに。
この家の中では、彼女が一番なのだから。
食事を続けながらも耳を澄ます。最初に聞こえたのは何かを強く叩く音。雨音に似たノイズが抗議するかのように強まる。ザアザア、ザアザア。御影の声。何を言っているかは聞き取れない。
しばらく御影の声とザアザアというノイズが続く。まるで会話をしているかのよう。ノイズはだんだんと強まり、外の雨音を圧するほどになってきた。
不意に沈黙が訪れる。
四季は食事の手を止めた。大丈夫だろうか? ふと、不安になる。少し様子を見に行ったほうがいいのではないだろうか。そう思って立ち上がろうとした、その直後。
『……ッギャアアアアァァァァッ!?』
ノイズ混じりの悲鳴が家中に響き渡る。それは甲高い女の声のように聞こえた。
四季は……安堵の溜息とともに腰を下ろす。ああなったということは、つまり、大丈夫だったのだろう。
ややあってから、静かに襖が開けられる。そして御影が戻ってきた。両手で抱えた寄木細工の箱が独りでに振動している。が、四季はそれについては何も言わない。だいたいいつものことだからだ。
「おかえり。大丈夫だった?」
「……ん。別になにもなかった。けど」
「けど?」
「今日はテレビ使うのやめようね、四季」
ああ、と四季は思う。どうやら今日の予期せぬ客はテレビを通してやってこようとしたらしい。
だとすると、今日は何をして過ごそうか。思考を切り替えながら食事を再開する。怪奇現象のような『客』にも、それをなんとかした御影にも、彼はもはや動揺すら覚えない。
なぜならこれが、彼の日常なのだから。