5.
ああ、船医さん。わしは二十八までカステルビアンコで暮らしました。二十八年です。一人の人間が地獄で苛まれる年数としては十分な時間です。もう限界でした。そのときにはもう三人の子どもがありました。上からフィリッポ、ベレンザーリオ、ジュセッペです。長男のフィリッポは八つでした。親思いの心の優しい子でした。次男のベレンザーリオは六つでした。学校に行かせてあげられなかったのに文字や算数をどんどん覚えていく、とても賢い子どもでした。末っ子のジュセッペは五つ。聞かん坊のわがまま小僧でしたが一番愛くるしい笑顔を見せてくれる子でした。ジュセッペは生まれつき右手がおかしくて、人差し指が一本、不恰好な手の甲から鉤爪みたいにのびているだけになってしまったのです。でも、わしはそんなことちっとも気にかけませんでした。なぜなら、子どもたちの母親は、あの可憐な少女――ルチアーナだったのだから。
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ああ、船医さん。それは同情から生じたものではありませなんだ。それは言葉では説明できないもの、愛でした。ルチアーナと結婚した後、わしらは必死に生きていきました。わしの両親は日々の暮らしに磨り減るかのごとくに逝ってしまい、村の人間はドン・トゥリッドゥに目をつけられるのが恐ろしくてルチアーナと係わり合おうとしませんでした。わしとルチアーナはそれでも生きていきました。崖を削り、石を運び、小作人にまじって日雇いもやりました。お金がなくてパンが買えず、マカロニが三本入っただけのスープで一週間暮らしたこともありましたのです。ああ、船医さん。それでも、わしらは食べるものがないとき、愛を食べてきたのです。愛は甘くなどありませなんだ。とても苦い味でした。それでも愛を食べることで露命をつなげたのです。ルチアーナは都会の生まれで少女のころは豊かな暮らしをしてきたのに、わしと暮らすことで蒙る貧窮に一度も文句をつけたことはなかったです。なぜなら、ルチアーナはわしを愛し、わしはルチアーナを愛していたからでした。すべては愛がなせる業でした。その愛は教会が植えつけるようなものではなかったのです。船医さん、わしは学者じゃありません。ルチアーナに感じるものを愛以外の言葉で説明することはできませなんだ。でも、愛を愛以外の言葉で説明することは哲学者の仕事であって、わしの仕事ではないのです。わしにとって、愛とはそこに確かに存在していることが大切だったのです。わしらは心から愛し合い、三人の子どもに恵まれました。貧乏な家においては子どもがいることを負担に感じる人もあります。でも、わしとルチアーナはあの子たちを負担だと思ったことはありませなんだ。なぜなら、子どもたちを深く深く愛していたからです。