4.
ああ、船医さん。何も起こらなかったのです。何もしなかった疚しさから偽りを言っているのではないです。本当に何も起こらなかったのです。ドン・トゥリッドゥがちょっと帽子のふちに手をやって会釈すると、少女の父親――ペトロッティさんという名前です――も同じように会釈しました。それで終わったのです。
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ああ、船医さん。本当にそこで終わってくれれば! これは後で聞いた話ですが、あの当時、イタリアは疑獄事件にゆれておりました。わしは銀行のことは、とんとわからんのですが、なんでも土地売買をめぐるとんでもないインチキが行われ、国の金庫から大金がかすめとられたというのです。それはローマやミラノ、ナポリ、パレルモの銀行が巻き込まれる大事件で議員や貴族も大勢関わっていたそうです。そして、その疑獄事件を捜査するために清廉潔白で知られる会計士がシチリア島へ送り込まれたのですが、それがあのペトロッティさん――少女の父親でした。ああ、船医さん。ペトロッティさんはあの場でこそ殺されなかったものの、一週間と経たないうちに殺されてしまいました。ドン・トゥリッドゥが自分で引き金を引いたのです。白昼、みなが見ている前で、聖ベネト広場で撃ち殺したのです。太陽がまぶしかったあの日、村の広場は静かでした。ドン・トゥリッドゥが中央通りから一人で現れました。ああ、船医さん。わしはその日、金物屋の店先から全てを見ていたのです。ドン・トゥリッドゥの姿を見かけたとき、やつがこれから人を殺そうとしているとはチラリと思いもせなんだ。なぜなら、やつは夏用の白い麻の服に黒いネクタイを結び、竹のステッキを手に持っていて、頭にはクリーム色の中折れ帽をのっけていました。まるで避暑地にでかけるような格好でした。やつは広場のレストランでコーヒーを注文して、カウンターにステッキをあずけると、そのまま、真っ白な石畳の広場に黒い影を落としながら横切って、ペトロッティさんのほうへ歩いていきました。ペトロッティさんは教会の入口階段を上ろうしていたのですが、ドン・トゥリッドゥがやってくると視線をそちらに移したようでした。ドン・トゥリッドゥはピストルをぬいてペトロッティさんの胸に三発、頭に一発撃ちこみました。ペトロッティさんがいつもかぶっていた小さめの山高帽が銃弾に撃ち飛ばされ、オレンジの屋台にぶつかりました。オレンジ売りはそのときオレンジを売っていました。信じられないでしょうが、事実です。人の脳みそが目の前で吹き飛ばされているその瞬間に、オレンジ売りは必死でオレンジを売っていたのです。あとで警察に「おれはオレンジを売るのに忙しくて何も見ていなかった」というためです。ああ、船医さん。ペトロッティさんは倒れました。そして、ぴくりとも動かなかったのです。時間が永遠に止まってしまったかのようでした。ドン・トゥリッドゥは骸を一瞥すると、ピストルをその場に捨てて――拾って警察に届けるやつなどいないとわかっていたのです――、そのまま広場を横切り、注文しておいたコーヒーを一飲みすると、預けておいた竹のステッキを脇にはさみ、そのまま歩いて悠々と広場を立ち去りました。誰も止めなんだ。誰も通報せなんだ。御者も、司祭も、ウェイターも、オレンジ売りも、洗濯女も、その場で見ていたものはみな黙り込んでいました。見せしめは成功したのです。
高い声が広場の静寂を破ったのは、すぐ後のことでした。
「パパ! パパ!」
あの可憐な少女でした。彼女は広場に飛び出してくると髪をふり乱し、父親の頭の下に膝を入れてあげ、父親の血だるまになった頭をかかえて撫で回しながら、復讐するかのように泣き叫びました。
「誰が父を撃ったのです! 教えてください、誰が父を殺したのです!」
誰も教えませなんだ。ドン・トゥリッドゥが怖ろしかったのです。《叔父》たちが怖ろしかったのです。あの少女のことをあんなに想っていたわしでさえ、教えられませなんだ。結局、わしはシチリア人でした。用心深くて、臆病で、外から来た人間に疑いの眼をむけ、非道な《叔父》たちの手にキスをする、声を大にして罪を明らかにするよりは沈黙することを慣わしとするシチリア人でした。ああ、でも、船医さん。わしはあの可憐な少女に恋をしたのです。怖かったが、何かしてあげたかったのです。ああ、でも、船医さん。結局、わしにできたことはツギハギだらけの上着を脱いで、ペトロッティさんの骸を隠してあげることだけでした。
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ああ、船医さん。地獄とはカステルビアンコの白い崖のことだと思っていました。ですが、あの少女が唯一の肉親である父を失い、この世にたった一人取り残されてしまったあの日、わしは地獄というものが、ひとりひとりの人間の心のなかに存在することを知ったのです。あの後、少女はカステルビアンコの遠い親戚の家にあずけられることとなりました。つらい毎日でしたが、本土には帰ることができませなんだ。なぜなら、彼女の父親であるペトロッティさんが様々な汚職をあばきだしたために、本土の友人や親戚たちが少女のことまで疎んじたのです。ペトロッティさんが生きているうちは自分たちの罪を隠すため、汚職の追放に理解があるふりをしていた連中が、いざペトロッティさんが亡くなると手のひらを返して彼女に辛くあたったのです。そんなひどいことをする人間はカステルビアンコにしかいないと思ったのですが、そうではなかったのです。情のない畜生は、パレルモにもナポリにもミラノにもローマにも、そしてアメリカにも! 世界中のあらゆる場所に巣食っているのです。ああ、船医さん、きっとこの船のなかにも!