サラリ-マン珍道中 「二十四時間、戦えません」
プロローグと4つの掌編
《 警 告 》
未成年者とレディーに向かない、下品な表現が多数あります。
プロローグ 旅の始まり
日本が終戦の痛手から回復しつつある頃、石油は欧米のオイルメジャーから言い値で買うしかなかった。そんな時代に日の丸印のオイルを夢見た男達が世界へ旅立っていった。
だが、ある者は風土病に倒れ、ある者は行方不明となり、それでも男達は夢を追って旅を続けた。
ある男達が、その国にたどり着いた。
そこには「ネジ」の概念はあったが「ボルト」「ナット」の概念はなかった。男はボルトを股間に当て、腰を振りながら「男のネジ」、ナットを股間に当てボルトを挿して「女のネジ」と現地人に教え、作業員として雇用し焦熱の地に小さな日の丸を立てた。今でもその地域では「男のネジ」「女のネジ」がボルトとナットの意味で通じている。
そして第一次オイルショックが日本を震撼させた頃から日の丸印のオイルが僅かずつ日本へ流れ込み始めた。
そして昭和五十四年、イラン革命で第二次オイルショック勃発し、イラン原油がストップした日本のオイルロードは飢餓難民の様に痩せ細り、さらに翌年にはイラン・イラク戦争が始まり、先の見えない泥沼の様相からイライラ戦争などとも呼ばれた時代。現在でも石油備蓄は国家・民間を合わせても約一九〇日分、それを過ぎれば日本の心臓は止まる。戦争だろうが天変地異だろうが、日本へのオイルロードは休むことを許されない大動脈だ。
その頃、ある男に声が掛かった「世界へ出てみないか」と。示された条件は、危険手当でほぼ倍の給料となるダブルペイメントと会社持ちで五千万円の生命保険への加入、更に死亡時は一億円の見舞金だった。当時は定期預金の利率が約三%、利子で家族が食っていける。
まだ新婚と言ってもいい男が身重の妻をその実家に託し、出発を翌日に控えた夜の事だった。
妻の実家の従業員に「世界を股に掛けるビジネスマン」などとおだてられ、さも自分が重要人物のように妻の両親の前で「たとえ死んでも妻にひもじい思いはさせない」と保険の話を鼻息荒く吹聴した。孫もいる今ならその一言がどのような結果を招くのは想像できるだろうが、まだ二十四歳の小僧だったのだ。いまだに「一言多い」と言われる原因の夜だった。
その夜、しゃくり上げる妻を抱きしめ、夜が明けるまで「曾祖父は警視庁抜刀隊で田原坂から還ってきた。祖父も仏領印度支那から還ってきた。親父もオートレーサー時代に何回転んでも大丈夫だった。だから絶対に大丈夫だ」と呪文のように繰り返した。
翌朝、妻の温もりと弾力を手のひらに残し、その男も旅に出た。
1 アラビアの大魔術
その日、二人の若い日本人がサウジアラビアのダンマーム国際空港へ着いた。
飛行機が着陸し、ドアが開くとズドンと熱風が吹き込んでくる。日本の様なジワッとした湿度を持たない、まるでバーナーの様な熱風。機内検疫が済み、機外へ下りるとマグネシウムのように燃える太陽が大地も建物も焼く。アラビアでの太陽は容赦ない悪役、アラビア式の美辞麗句では女性は月に例える。太陽を司る天照大神の国とは根本が違う。
空港ビルに入ると流石にオイルマネーで潤う国の財力、寒いほどエアコンが効いている。人の流れに乗り入国審査の列に加わるが、その列はイスラム教徒と外国人に分かれている。当時のサウジアラビアはムスリム以外には観光ビザを発給せず、商用ビザのみだった。インベーダーの列に比し、ムスリムの列は長大だ。何しろサウジには聖地マッカ(メッカ)がある。
「日本人か? 入国目的は?」
入国目的を意味する英語のパーパスの発音が、日本人の耳にはペァプスと聞こえる。
「果物、タバコ、何か申告する物は持っていないか」
「何もない」
「禁忌の食品は持ち込めない。アルコール、ポルノは重罪だぞ」
その男達が出国前、口を酸っぱくして言われていた言葉があった。
「宗教警察には気を付けろ」と。
イスラム法に反するものは当時――現代でもあまり変わらないが――平凡パンチ程度の雑誌でもポルノとされ二十回以上の鞭打ち刑、窃盗は手首の切断、姦通は石打で麻薬類は斬首での死刑が科せられる。更にタチの悪いことに尋問もすべてアラビア語、裁判ではムスリムがアラビア語でする証言以外は認められず、被告人が理解できたかは斟酌されない。そして直ちに刑が執行される。
会社からの迎えの車でホテルに入ると「シャバの空気を吸わせてやる。しばらくは無理だからな」そう言って二人は市場に案内された。
市街地と違いスークには色彩が少ない。グレーから茶色へのグラディエーションの中にすべての色がある。白くダブダブのカンドゥーラを着て、頭には孫悟空の輪の様な黒いイガールで頭巾を止めた人の群れ。ところどころに見える黒いオバQみたいなのは、ブルカを着た女性だ。
キャンバスが屋根代わりに掛けられたレストラン、と言うより食堂と言った方が似合う店で昼食を取る。ピラフとパエリアの中間のような米にオクラやししとうに赤ピーマンと松の実のようなナッツ、それに鶏肉のローストがどんと乗り、くし切りのレモンが幾つも添えられたカブサ、レモンを絞り一口食べるとスパイスの香りとレモンの酸味で旨い。一緒に供されたのはラクダの乳で作ったヨーグルトをソーダ水で割ったラバンだ。デザートに出された干したナツメヤシは大粒の甘納豆の様にも見えるが、味は濃厚な干しぶどうみたいに少しねっとりとしていて旨い。煮だした粉っぽいコーヒーの強烈なカフェインは、一口飲むだけで心臓の鼓動が増すほどだ。
食事を終え三人で街路に出ると人の流れができていた。その流れに流されるように歩くと暗いコンクリート色の石畳が切れた広場には幾百人とも知れない人だかりができていた。
人混みをかき分け前に出ると茶色がかかった灰色の制服を着た警察官みたいな男が何人もいるのが見える。良く見るとその中央には、本来は立襟のカンドゥ―ラの襟元を大きく広げた男が正座するように座っている。その後ろにはカンドゥ―ラに紅白の格子模様のグドラをかぶった二人の男が見えるが、一人は細長く三日月の様に反った半月刀のシャムシールを抜き身で持っていた。
アラビア語の放送が長々と入り、やがて「タクビール!(神を称えよ)」の声が上がる。群衆は口々に「アッラーフ・アクバール!(神は偉大なり)」を叫び、その声はシュプレヒコールの大波の様に市場の空気を震わせた。
カンドゥーラをまとった二人の男がひざまづく男に近づくと、一人がプロレスの波乗り固めのように縛られた腕を持ち上げ、ひざで背中を押す。その瞬間、もう一人の男がシャムシールを振り下ろした。頭がごろんごろんと二・三回ころがり、胴体が前のめりに倒れる。倒れた徳利から酒がこぼれる、そんな感じで妙に赤い液体がズンズンと砂の上に広がる。歓声が広場を包む。
「凄ぇッ!!」
「そうか? 何か特撮っぽいぜ、円谷の」
そう言うと男がカメラを向けシャッターを切った。
「ん~確かに……もっどドバーッと血が出るほうが……」
「そうそう、鼻血ブ~みたいに出ないと雰囲気が出ねえよな」
「お前ら勝手に離れるな……バカ! カメラ隠せ!」
「いやぁ、アラビアの大魔術って感じですね。この後はどうなるんですか」
「何がだ?」
「いや、だから、呪文を唱えると胴体が躍るとか、首がくっ着くとか……」
「バカ、何言ってンだ。これは死刑だ本物の」
ふと気づくとカンドゥ―ラではなく、スーツを着た四人の男に囲まれていた。その外側を文字通り十重二十重に囲むカンドゥーラの群れ。
「おい、パスポートを見せろ」
もしかしてこれが悪名高いムタワなのかと男達に緊張が走る。死刑を見た直後だった若い二人の玉袋はキーウィーの様に縮まった。
中年の男が割り込む。
「ちょっと待ってくれ。この二人は今日アッ=スーディーヤに来たばかりで何も知らないんだ」
サウジアラビアの正式国名は、アル=アラビーヤ・アッ=スウーディーヤだ。
「黙れ! 名前と国籍は?」
「ま、牧野圭一、日本人だ」
「お前は」
「新真雄介」
不意に人混みにざわめきがが起こり、ざわめきが波の様に人の輪全体に広がってゆく。
「何だと? もう一回言ってみろ」
「シンマ・ユースケ、ファーストネームがユースケ、ファミリーネームがシンマ」
周囲からどっと笑い声が起きる。人混みの中から「シンマ?」の声が上がると、オドオドしていた若い男が両手で自分を指差し「アイム・シンマ!」と周りにアピールを始めた。男が名乗るたびに周囲の人混みに爆笑が起こる。
「おい、ヒゲもない小僧だからと言って、次も見逃してもらえるとは思うな」
吐き捨てるように、だが笑いをこらえるような渋面を作り、爆笑の渦を四人の男が荒っぽくかき分け人混みに消えた。
「サウジって結構フレンドリーっすね。気に入りましたよ」
「バカ、笑われてるんだ。アラビア語の《シンマ》は、ケツの穴だ」
2 トルコ風呂
昔々、まだソープランドがトルコ風呂と呼ばれていた時代……。
トルコ――現地ではテュルキエと発音する――第二の都市イスタンブール。この街は紀元前六六〇年、つまり神武天皇即位紀元にビュザンチオンとして創建された街、そしてボスポラス海峡を挟む東洋と西洋の交差点。西へ向かえばギリシャとブルガリアに国境を接し、街外れの丘に登れば濃紺の黒海越しに見える山はソ連領だ。ヨーロッパからトルコへ来た人々はアラビアへ来たと感じ、アラビアから来れば西洋へ来たと感じる、それがイスタンブールだ。
イスタンブールへ向かう四車線のハイウエイを一台の車がゆるやかな丘陵地帯を右へ左へと抜けて走る。運転しているのは三十手前の男と四十台半ばの男だった。正面に見えるマルマラ海が、銀粉を撒いたようにきらきらと輝く。ハイウエイの周りは小麦畑が広がり、赤茶色の屋根に白い壁の家がところどころに見える。やがて日に焼けたレンガ色、イスタンブールを囲むビザンチン帝国時代に建設された城壁がそびえる。補修の手も入らないのか所々崩れ落ちている。
市街地に入りマルマラ海を左手に見てイスタンブールの新市街を走る。トルコはイスラム圏の国だけあって街をゆく女性は、顔を蔽うヴェールのフムルや頭を蔽うシェイラというスカーフを纏うが、そんな女性たちに混じって髪も覆わず膝上のスカートをはく姿も多い。だが誰もそれを非難することはない。これが他のイスラム諸国から破戒の国と呼ばれる所以かもしれない。
男達が着いたのは貨物港のコンテナヤードだった。空母並みの巨大コンテナ船が着けるトルコ随一の港には、総重量三〇tを超える四〇フィートコンテナを積み下ろしできるガントリークレーンがある。
「飯塚さん、次のブロックだそうです」
「じゃあ、まだ二時間はかかるな」
「ええ、そう思ってこれ買ってきました」
そう言うと男は新聞紙に包まれた物を取りだした。
「おっ、牧野も気が利くようになったじゃねえか」
新聞紙を広げるとホットドックの様なパンが出てきた。違うのはソーセージの代わりに焼いたサバと生のタマネギにレタスに似た野菜、それにレモンが乗っている。現地でバルック・エキメッキ(魚パン)と呼ばれる軽食だ。
レモンを絞り一口かじる。知らず知らずに汗をかいているからサバにたっぷり振られた塩が甘く感じるほど旨い。ピリッとした生のタマネギとレタスに似た少し苦い野菜が口の中の油を落としてくれる。
「おーい日本人! 今日の積み下ろしは中止だ」
薄茶色のツナギにドカヘルの男が声をかけてきた。
「ガントリークレーンが壊れた。これから修理しなければならん」
「何時直るんだ」
「ヤワーシュ(慌てるな)、ヤルン(明日)には直るさ」
口の悪い連中は「やる気も無いのにヤルンとはこれ如何に」などとも言う。しかし文句を言っても始まらない、これがアラビアン・スタンダードだ。
「牧野、ヘッドクォーターに電話をかけてくる」
結局その日の作業をあきらめ、港から近いホテルに部屋を取った。リッツ・カールトン・イスタンブールに勝らずとも劣りっぱなし、良く言えばビジネスマン向け、普通に言えば木賃宿に毛の生えた程度のホテル。
「飯塚さん、シャワー先にどうぞ」
「シャワー? そうだ牧野、本場のトルコ風呂でサッパリしてくるか?」
そんな言葉が投げかけられる。ネオン一つない現場に入って早六ヶ月、修道院以上の清廉な生活をしているのだ。牧野は二つ返事だった。
ホテルを出て右に曲がり、明るい灰色の石を敷き詰めた石畳のメインストリートを歩く。途中には「トーゴー・ソカク(東郷通り)」や「ノギ・ソカク(乃木通り)」と名づけられた道があり、日本人とみれば「パシヤ・トーゴー(東郷将軍)」などと子供たちから声がかかる。それほど日本の人気があるのは、オスマン帝国領だった黒海や周辺を奪った憎いロシアを日露戦争で破ったためだ。そして理由は分からないが猫と鳩をやたらに見かける。
やがて正面に市場が見えてきた。
市場に踏み入れるとすぐスパイスを売る一角があった。まるでカレーと焼肉と線香が一緒になったような強烈な香り……と言うより匂いのナパーム弾が炸裂した様な気がする。歩を進めると「チョクウジュス!(安いよ)」だとか「チョクイエニ!(新鮮だよ)」などの声に混じって「ジャポン・マル!(日本製)」の声が聞こえる。文房具や小物、何でもジャポン・マルと言って売られている。果ては中国で製造されたカラシニコフ小銃に”Maid in Japan”と刻印して高値で売りさばく詐欺すらあると聞く。それほど日本製品に対する信頼は高い。
左に曲がると宝石屋が並ぶ通りに出る。硫酸銅の結晶を思わせる青いトルコ石が目を引く。店の前で緑のサテン地にサラセン模様のシェイラで髪を覆う女性とすれ違った瞬間、鼻から電撃が入り一挙に股間に達し、ビリヤードの様に反射して脳内の記憶を叩き起こした。男の妻と同じシャンプーの香りだった。
市場を抜け民家かと思える家屋の門をくぐり、前庭を抜けて建物に入る。飯塚が金を払うと男が奥のドアを指差す。開けると生成りの短パンとチョッキを素肌に付けたトルコ相撲の力士みたいな筋骨隆々の大男が柔道の帯みたいなベルトを腰に巻いていた。案内されるままもう一枚のドアを開けるとそこは脱衣場だった。
脱衣場へ入ると湿度がムッと男たちを包みこむ。木の床は垢と膏でぬらぬらと黒光りし、汗と垢の匂いがポタージュスープの様にまとわりつく。
壁際の棚には脱衣カゴ代わりなのだろう、剥げかけたサラセン模様の描かれた木箱がある。中を見ると大男がまとうのと同じ生地のだぶだぶのバミューダパンツが一つ入っていた。
大男が飯塚に皮の巾着袋を渡すと、慣れた様子でパスポートも財布も一切合財を袋に入れ渡す。牧野もそれに習って不安げに皮袋に入れる。大男はそれを腰のベルトに結び付け胸を叩き、任せろとばかりににやりと笑った。
服を脱ぎ木箱に入れる、案内の男に促されるままに浴室に行く。ドアを開けるとむわっとばかりに蒸気がまとわりつく。トルコ風呂は蒸し風呂だ。中は打ちっぱなしのコンクリートの床に木のベンチが幾つも並ぶ。
「飯塚さん、この後は……」
「いいから案内が来るまで大人しくしとけ」
飯塚が麻袋のような布が敷かれたベンチにごろりと横になる。牧野もベンチに腹ばいになった。やがてたらたらと汗が流れてくる。久しぶりに汗をかくのは快感だ。乾燥地帯では汗が出たのにも気づかない。
何分経ったのだろう、飯塚は部屋の隅にある蛇口が付いた銅製の寸胴から何かを飲んでいた。
「牧野、お前も飲むか?」
傷だらけのブリキのコップが渡される。蛇口から恐る恐るコップに液体をついで一口飲む。ぬるま湯と言ってもいい温度の水だった。汗の流れるままにしていたので水が旨い。立て続けに三杯飲みベンチに戻る。飲めば飲むだけ汗が出てくる。
「おっ、来たぞ」
期待に胸と股間を膨らませて顔を上げる。入ってきたのは目も覚めるようなペルシャ美人……ではなく野郎だ。手には金属製の洗面器と何やらタオルの様なものを持っていた。男が横になるように手で示すと手に布を巻き付け、ゴシゴシと擦り始めた。たちまち消しゴムのカスのように垢に全身がまみれる。
「どうだ牧野、本場のトルコ風呂は」
「これがトルコですか」
「まさか変な期待していたんじゃないだろうな」
笑い声が浴室に響く。
遠慮会釈なく擦る手は、全身にサンダーをかけるように痛い。やがてパンツの中に入ってきた手が水戸の御老侯様の周囲までガシガシと擦る。拙い英語で「プリーズ・モア・ソフト」などと言っても通じない。残す手段は言語を超えたボディーランゲッジ、悲鳴を上げて逃げる事だけだった。ボディーランゲッジは通じた様で、ぬるま湯を全身に浴びせられ指さす方向へ向かう。ドアを開けると、そこは広い庭が広がるテラスだった。散々こすられた皮膚に風が心地よい。幾つものガーデンテーブルが並び、一人のヒゲの老人がいた。
「若いの、お前は日本人か?」
老人は日本語で話しかけてきた。
「そうです。ビジネスで……でも日本語がお上手ですね」
「昔わしは日本に留学したことがある。ほう、お前の祖先はエジプト出身だな」
老人は、牧野の足の指をさした。
「エジプト? そんなことはない。俺の祖先は日本人で……」
「間違いない。その指が証拠だ」
老人によれば、足の親指から小指まで徐々に短くなるのはエジプト人、親指と人差し指それに中指が同じ長さならローマ人、親指より人差し指が長ければギリシャ人、親指以外の長さが同じならゲルマン人だそうだ。
湯気を立てるコーヒーカップが運ばれてきた。勧められるままに受け取ると中には赤黒い液体が入っている。
「ブ・シュ・ネ?(これは何ですか)」
「なんと! お前はトルコ語ができるのか?」
調子に乗って幼児以下のトルコ語を披露する。
「アドゥム・ケイイチ・マキノ(私は牧野圭一です)、あ~、ケバブ(焼肉)、ビラ(ビール)、ヴィスキ(ウイスキー)あ~シャラプ(ワイン)、え~っとギュゼル!(おいしい)……ザッツ・オール」
大笑いする老人に勧められるままに口にすると濃い紅茶だった。あまりの苦さに添えてある砂糖を入れようとすると老人が言った。
「若いの、いや牧野だったな。そうではない。紅茶を飲み、砂糖をかじるのだ。トルコの紅茶は人生を教えてくれる」
「……?」
「苦みを味わいつつ、時に甘い思い出が加わる。これが人生ではないかな」
言われるままに日本の角砂糖の倍ほどもある固い砂糖の塊をかじり、紅茶を飲む。いったん引いていた汗が再び噴き出してくる。
やがて飯塚が髭面のトルコ人と笑い声とともに出てきた。
「お前が牧野か」
英語で話しかけてきた。この国で英語が話せるのは職業として必要な者以外には、高等教育を受けられる相当の資産家か知識階級だ。
「若いようだが、もう軍隊には行ったのか?」
「行ってない。日本は完全志願制、軍隊に入りたい者は試験を受けるんだ」
「さすがは一九〇五年以来の盟友、ルスキ(ロシア人の蔑称)に勝ったサムライの国だ。軍隊に入るのに試験まで受けるとは……」
トルコ人は意外に演説好きで、放置すれば一時間でもしゃべっている。
「気に入った! 俺が奢る。今からメシを食いに行こう!」
牧野が飯塚の顔色を窺うように見ると、飯塚がうなづいた。
「さあ、早くしろ! 最高のロカンタ(レストラン)だ」
服を着て外に出ると、門の前に止まっていたのはメルセデスのリムジンだった。外貨の乏しいトルコでは輸入車の税金は三〇〇%を越える。それなのにリムジンに乗っているという事は、とんでもないレベルの金持ちだ。髭面の男に言われるまま老人も一緒に車に乗った。牧野は生まれて初めてのリムジンだ。
車は街を抜け、丘をぐんぐんと登ってゆく。やがて中腹にあるモスクかと思える豪奢なレストランに着いた。男が車から降りるとマネージャーらしき男がフッ飛んで来くる。
案内されるままに中を抜け、ボスポラス海峡を見下ろすテラスに出る。イスタンブールの街のそここにある尖塔を飾る金の帯が、傾いた陽を受けキラキラと輝く。
髭面の男がボーイに何やら命じたが、トルコ語なので何もわからない。やがて何人ものボーイが何本ものビンと料理を運んできた。
「これは飲めるか?」
ヒゲの男がそう言うとボーイがグラスに黄金色の炭酸飲料を注いだ。「乾杯!」の声で恐る恐る飲んでみると、キャンティーワインのようにさっぱりした味のスパークリングワインだ。風呂上がりの呑み助の卑しさで一気にグラスを空け、大きく息をつく。
「旨いだろう。これが世界一旨いトルコのワインだ」
同じイスラム圏でもアラビア半島の諸国よりはるかに開明的なトルコは、ラマダーン以外は大っぴらに酒が飲める。
次々とテーブルに料理が並べられる。前菜なのだろうか塩漬けのオリーブ、キュウリのスライスや何種類ものチーズが大皿に盛られてくる。チーズは消しゴムの様に弾力がある物やクリームの様なもの、あるいは塩味の濃い物と様々だが、特にクリームの様なチーズは微かな酸味があって旨い。
「良い飲みっぷりだ。喉が渇いているならビールも飲むか?」
続いて翡翠のような緑色がきれいなビール壜も並べられた。グビりとやると味は何となくカールスバーグに似ている。
さやインゲンに似た豆を煮込んだターゼ・ファスリエはピリリとして旨い。薄いパイ皮のような生地でほうれん草やチーズなどを包んだボレッキは、さっぱりした酸味のトマトソースが掛かっている。チーズハンバーグの様なシャールル・キョフテはハンバーグとソーセージの中間のような歯ごたえがある。日本の定食屋で出される焼き肉の様に薄切りの肉とタマネギとを炒めたものに焼いたトマトとシシトウが乗ったクユ・ケバブ。ハヤシライスにちょっと似たソースで薄切り肉を煮込んだイスケンデル・ケバブ、とにかく肉を焼けば何でもケバブなのだ。透明な酒が入った瓶も運ばれてきた。
「これがラクだ。これを飲まなければトルコの酒を飲んだとは言えない」
ビアグラスのような大きなコップにドボドボとラク酒を注ぎ、氷を入れて水を注ぐとたちまち白く濁り、光の加減で微かなピンクにも見える。勧められるままに飲むとウイキョウの香りがツーンと鼻に抜ける。
「旨いだろう。トルコは酒も料理も世界一だ。もっと食え」
トマトやシシトウと一緒に肉団子を塩味のソースで煮込んだキョフテは、煮込みハンバーグの様でラク酒とよく合う。タバスコの様なソースを一振りするとビールがすすむ。肉が羊肉でなければ、イタリア料理と言っても分からない。久しぶりの酒と料理を夢中で口に運んでいると老人が海の方を指差した。
「マキノ、あれを見ろ」
顔を上げると夕陽が街もモスクもプルシャンブルーの海すらも紅く染めていた。
「うわぁ……」
「これが世界で一番美しい夕日、トルコの夕日だ」
魂を抜かれたみたいに眺めているうちに夕日はトーンを落とし、牧野の妻が高校生だった頃に着ていたセーラー服の濃紺とスカーフの紅に変わり、やがて夜にその席を譲った。
ざわざわとした声に振り向くと何人もの男たちに取り囲まれていた。
「シルクロードの東の端から来た友人よ、これは食ったことがあるか」
これを食えあれを食えと次々に皿が運ばれてくる。日本で大食漢は褒め言葉とは言えないが、トルコで大食漢は褒め言葉だ。長辺が二十センチ以上ある舟形のビデ(パン)にミートソース風のひき肉とチーズが乗ったクイマルル・ピデ、山盛りのチーズがとろけるカシャールル・ピデは少々脂っこいが生クリームの様にチーズが口の中でとろける。角切りの肉がたっぷり乗ったクシュバシュル・ピデの角切り肉は煮込まれているようで、噛むとコンビーフの様にさらりとこなれる。生地が丸くない以外は、イタリアのピザにそっくりだ。
「日本人は魚の方が好きだろう」
みじん切りのトマトとタマネギが載った南蛮漬けの様な魚がどんと置かれた。味も南蛮漬けにレモンを絞った様で、さっぱりして旨い。
「マキノ、食を楽しむことは神の恩寵を理解することだ。アッラー(神)は、我々にこんなにも旨いモノを下されたのだ」
乾杯が繰り返される。トルコのため、日本のため、友好のため、家族の健康のため、もう何のために乾杯しているのかも分からなくなってくる。
翌朝、牧野は強烈なのどの渇きで目を覚ました。まぶたを無理やり開けるとそこは便器の前、服も便器もゲロゲロ状態、立ち上がろうとすると二日酔いでフラフラだった。
3 ウソツキ
アラビア半島の北側に広がるペルシャ湾、その奥座敷とも呼ぶべき位置にイランとイラクそれにサウジアラビアに囲まれた小さな国、クウェートがある。
飛行機が紺色のペルシャ湾からクウェートの海岸線に近づくと海の色が日本では見たことのない不思議な明るい緑色に変わる。陸地に近づくと不二家のパラソルチョコレートを思いっきり引き延ばした様に見えるタワーに団子の様な球体が刺さっている三本のクウェートタワーが見える。見下ろす街はクェート市。砂漠の国のイメージとは異なり、意外なほど緑がある。
男達はプラントのメンテナンスにやって来た。建設だけではなく、その後のメンテナンスもメシの種だ。点検・整備、定期交換部品の交換、たまに純正でない部品が使われているものは純正部品への交換。安価以外に取り得のない某国製のフィルターなどは価格は十分の一以下だが性能は千分の一以下だ。当然、浮いた金が誰かのポケットに入っている。誰に聞いても知らないと言うが、必殺の言葉があるのだ。「何故フィルターが違うのかを俺は知らない。だが神は知っている」。いい年をした大人でも目に怯えの光が浮かぶ。ムスリム相手には効果的な脅し文句だ。
空港から街中を抜けると赤茶色の荒れ地が延々と続く。ハイウエーとは名ばかり、赤茶けた大地にわだちが続く道を一〇〇キロ以上で飛ばすが、現場までは二日はかかる。うっかりしていると単調な景色に睡魔が襲ってくる。眠気を防ぐにはカーラジオをガンガンかけてバカ話をするのが一番だ。ラジオのトップニュースは、イラン・イラク戦争の戦況だった。
「ユートラッシュ(ヨーロッパのクズ野郎)は逃げた。なのに日本人は何故あそこまで行く?」
「俺達は契約した」
「契約……か……何故そこまでする?」
「クルアーン(コーラン)にも書いてあるじゃないか」
そう、クルアーン第五章一節には《一度した契約は、すべて必ず果たせ》とあるし、技術屋の背中には色々な看板がぶら下がっている。
「日本人がシャリーア(イスラム法)を守るのか……」
「ほら……何て言ったっけ……そうだ! ジハードだよ、ジハード」
「日本にもジハードがあるのか!」
「日本語では、フン・コツ・サイ・シン(粉骨砕身)とかフン・トー・ド・リョク(奮闘努力)ってのが近いかな」
現場に着くとねぐらに荷物を放り込み、早速点検に入る。
数知れない接合部のボルト一本一本をテストハンマーで叩き、締め付け具合を検査する。締まったボルトはキンキンと高い音を立て、緩みのあるボルトの音は鈍い。パイプの総延長は数百キロ、それだけでとんでもない日数が掛かる。所々ではドライバーの刃を駆動部のケースに当て、柄を耳に当てて音を聞く。さらさらと小川の如く響く回転音、轟々と唸る流入音、まるで巨大な生物の鼓動のようにも聞こえる。接合部のフランジに指を這わせ、一滴の漏れも見逃さない様に小さな異音一つ聞き逃さない様にと全身がセンサーになる。
その日は金曜日だった。金曜はムスリムの休日、現場も休みになる。あの時代は、週に十分間だけ会社持ちで自宅へ国際電話がかけられた。当然、超過分は自腹だが国際電話は高価、日本円は二百円もした時代だ。
壁の時計が十三時になる、日本時間では十九時だ。受話器を上げダイヤルを回す。十分間を計るタイマーのスイッチを入れる。カチャカチャと交換機を通る音が幾回となく続き、日本へ声が向かっているように感じる。やがて呼び出し音が鳴る。
「もしもしぃ、まきのですっ」
「もしもし、お父さんです。えらいぞ康隆、ちゃんと電話に出られるようになったんだ」
「おとうさん! いつ帰ってくるの?」
「あと二週間だよ」
「二しゅうかんて、どのくらい?」
「そうだな、十四回寝たら……だな」
「十四! ぼくね、一〇〇まで数えられるよ。いーち、にーい、さぁーん、しーい……」
「お~! すごいぞ!」
「康隆、どこからお電話? もうすぐお父さんが……」
受話器の向こうから妻の声が聞こえてきた。
「おとうさんだよ! あッ、テレビはじまったぁ!」
一瞬、父親よりテレビかとも思ったが、優先順位とトレードオフを理解しているとも親バカな男は思った。
「もしもし、お父さん?」
「ああ、お母さん、みんな変わりない? 茜はどうした?」
「今日、遠足で疲れちゃったみたいで、お風呂入ったらバッタンキュー。ごはんも食べずに寝ちゃった」
しばらくは近況や他愛のない会話が続くが、不意に受話器から聞こえる声が曇った。
「……ねえ、あなた……」
「どうした?」
「イランとイラクって、ずっと戦争しているでしょ。クウェートって隣の国なのよね」
「……」
「テレビで戦争のこと言ってたけど、本当に危なくないの?」
「大丈夫だよ、ずっと離れてるんだから。東京から鹿児島より遠いんだぜ」
十分を計るタイマーが電子音をたてる。
「おっと、時間だ。じゃあ再来週には帰るから、体に気をつけて」
「あなたも無理しないで」
「分かってるよ。また電話する……お休み……礼子」
妻の名を呼んで受話器を置く。
男は妻に嘘をついた。ここからイラン国境まで十七キロだ。
4 日本軍
日本が輸入する物資の九九.一%は、船で海を渡ってくる。
アラビア半島の北側にはペルシャ湾、南側にはアデン湾と紅海が広がる。日本に向かう船はアフリカの角と呼ばれるソマリア沖を通り、インド洋に出て日本に向かう。その数は年間四千隻を超えるのだ。だが、ここは世界で最も危険な海と呼ばれる海賊多発海域だ。あの当時、三百隻を超える船が海賊に襲われ、五百人以上が人質となり、身代金の累計も一千万ドルをはるかに超えた。
紅海側からこの危険海域を避けるには二十万ドルもの通行料金を払い、スエズ運河を抜け、莫大な燃料を焚いてアフリカを回るしかない。だが日本への最大の石油積み出し基地のあるアラビア湾からは、この危険海域を避ける手段はない。その上、船舶の保険料は高価だ。危険海域と見做されるとたちどころに保険料が跳ね上がるだけではなく、航行する船には船員が集まらないため高額の給料で船員を集めなければならない。更には、人質解放の身代金や交渉人をカバーする保険まで売り出された。そして船会社が負担する莫大な経費は、石油や天然ガスの価格に跳ね返る。
その日、一人の中年男がその国に降り立った。アフリカの角と呼ばれるソマリアの隣国、ジブチ共和国。アデン湾をはさんで向こう側は、昔馴染みの中東イエメンだ。
周囲の声はアラビア語にフランス語、この国の宗主国はフランスだった。
中年男は、若い管理官が座るイミグレートでパスポートを広げた。
「ムシュウ・ケイイッツゥィ・ムァキィノゥ……ジャポネ」
「ウィ・ムシュゥ」
「日本軍ドン・フェー(チョー凄ェ)! ボン・ヴォヤージュ」
公用語がフランス語だからスラングもフランス語なのだろうが、たったそれだけでパスポートにドンとスタンプが押され、何事もなくチェックを終えた。
茶色と白の人造大理石が敷かれたロビーに出る。不意に腐ったスピーカーの様なダミ声が響く。
「ファッキン・マッキー! ヤァァァップ(お~い)マァキノゥ!」
布袋腹のキリスト像みたいな男が声をかけてきた。その顔をびっしりと覆うヒゲは、どう見ても陰毛にしか見えない。
「スティーブ! ロング・タイム・ノー・シー・ユー、コッキン・オールライト?」
「セイム・ファッキン・ユー。ウェル……そのサッキンな頭は何だ? ファッキンに脱色してるぞ。塩素でも喰らったのか?」
シェークスピアと同じ国の出身とは思えないカラフルな単語の連発だ。
「バスタード(バカ野郎)。お前こそマッキーDの食い過ぎだ。心臓病で死ぬことに決めたのか」
布袋腹を中指で差してにやりと笑った。ミッキーDはマクドナルドを意味するが、D、つまり落第点と引っかけてもいる。
「ファック・オフ! ミッキーDはヤンクス(アメ公)の喰い物だ。ジェントルマンはヘルシーなフィッシュ・アンド・チップスだぜ」
「イート・ピーナッツ・イン・マイ・シット(クソ喰らえ)。何年ぶりだ」
「二十年……もっとだ」
あの頃は二人とも若かった。
キャンプと呼ばれる建設現場には世界中から男たちが集まる。男もベンダー(協力企業)の一人として日本から着いたばかりだった。インペリアル・ダイニングと看板だけは豪勢なプレハブの食堂で夕食を取っていると一人の男が近づきダミ声で話しかけてきた。
「おい、日本の女はプッシーが横に割れているッてのは本当か?」
周囲の視線が集まる。
「お前の金玉が竿の上に付いてるのなら」
「証拠を見せろ!」
男は日本で土産用だと言って渡されたビデオカセットを取り出し、プロジェクターに接続されたデッキに入れた。
人里離れたキャンプだが、イスラム圏では大っぴらに酒を飲むわけにもいかない。娯楽と言えば音楽や本、ビデオくらいだ。そんな中で本やビデオと言えばディズニーやナショナルジオグラフィックと思う者は少ないだろう。当然エロが混じる。だが、エロビデオ一つとってもお国柄が出る。数学の組合せと順列を思わせる様な白・黒・黄、男に女、動物に道具、ありとあらゆる組合せのフランス製。生物学か解剖学の教科書かと思うほどに接写を多用する、と同時に糞尿を塗りたくる欠点のある西ドイツ製。かと思えばロリータばかりのデンマーク製。まさに百花繚乱だ。現在ではJAPANとPORN(ポーン=ポルノ)の合成語、日本製ポルノを意味するJAPORNは一つのジャンルを確立しているが、八十年代にはマイナーな存在で、今では国際語になった”hentai””bukkake””hamedori”も進出していなかった。
スクリーンには雅楽をBGMに満開の桜が広がる。席に戻ろうとするとブーイングと床を踏みならす音がプレハブをゆする。「ファッキン・ハリー・アップ!」の声が掛かる。早送りにした画面には水面に映る逆さ富士や紅葉が広がる。やがて画面が暗転し、タイトルの文字が現れた所で早送りを止めた。
エロビデオは御禁制だ。そのため最初の数十分は環境ビデオを仕込み、検査を逃れるのがあの頃の常套手段だった。
「メールを見た時は驚いたぞ。お前が保険屋の手先になるとは思わなかった」
「プラント屋のファッキンなゴマカシを熟知してるからな」
「俺のところは見逃すンだろう」
「ファック・アウト! 馘首されちまう」
「俺が斬首してやろうか? 日本刀で」
バカ笑いの声とともにターミナルビルを出ると正面には赤茶けた土の駐車場が広がる。ふと左手にある山の方を見ると、へんぽんと日の丸が翻っていた。自然に足が止まる。周りを見渡すと滑走路の反対側には星条旗だ。
「どうした?」
「いや……ここだったのか……」
「日本軍のベースか? 日本軍が来てからベリー・ファッキンな海賊がファッキンに減った。ファッキン・ブリリアント!(チョー最高だ)」
駐車場に止めてある埃だらけの車に乗ろうとした時、巨大な扇風機の様なグオーッという音が聞こえてきた。見上げると砂塵で少し濁った空を大型のプロペラ機が飛ぶのが見える。明るいグレーの機体に日の丸、アデン湾の海賊対処に派遣されている海上自衛隊の哨戒機だった。
哨戒機を見上げて男は心の中で祈った。アフリカの地で任務に就いている自衛隊の方々が無事に任務を終えて日本に還り、旨い酒を呑んでほしいと。
御高覧を感謝いたします。